消える灯火の紙


“火拳のエース”が!! 解放されたァ〜〜〜!!!

その叫びは一体誰の叫びだったのか。シアンは頭の片隅でふと思ったが、もう今更どうでもよかった。早くここから皆で脱出して、海へ帰りたかった。
息の合った二人を目の端に捉え、その無事な姿を確認する。するとスクアードが、この戦場を請け負うなどと突然言い出した。

「…この、バカが……!」

なんで、どうして。そんな想いがシアンの中を渦巻く。それさえも無視して突っ込んできたスクアードの船を、白ひげが片手で止めた。

「オヤジィ!!」
「子が親より先に死ぬなんて事が、どれ程の親不孝か…ハァ、てめェにゃわからねェのか、スクアード!! つけ上がるなよ、お前の一刺しで揺らぐ俺の命じゃねェ…!! 誰にでも“寿命”ってもんがあらァ……」

――寿命。
そう、この世に命あるものには、全て寿命が存在する。化け物染みた白ひげにも、勿論等しく寿命はあったのだ。
「こんな時に寿命って…」シアンは歯噛みするように呟く。だが、これでモビーディックで白ひげが様々なチューブに繋がれていた訳がわかった。

「ここでの目的は果たした…もう、俺たちはこの場所に用はねェ!!」

隊長たちが口々にオヤジ、オヤジ、と呟く。

「今から伝えるのは………!! 最後の“船長命令”だ……!!! よォく聞け、………白ひげ海賊団!!!」
「(…最後……?)」

最後とは一体どういうことか。その場に緊張が走り、やがて口々に男どもの野太い声が白ひげに向かって飛び交った。

「最後ってちょっと待てよオヤジ!! 縁起でもねェ!!!」
「そんなもん聞きたくねェよォ!!!」
「一緒に“新世界”へ帰るんだろ!!?」
「オヤジ……!!!」

大事な息子達からの悲痛な想いが白ひげにぶつけられる。出来ることなら叶えてやりたい。皆の願いを、想いを。だって何年もともに過ごした大切な家族なのだ。――ここを最期にしたくない想いは、誰よりも彼が一番強いはずなのに。それをおくびにも出さない白ひげに、シアンは言葉が詰まった。

「お前らとおれはここで別れる!!!! 全員!! 必ず生きて!!! 無事新世界へ帰還しろ!!!」

愛する息子達の想いを断ち切った彼の願いは、ただそれだけだった。

「…いやだ、いやだよ……白ひげ…」
「おれァ時代の残党だ………!!! 新時代におれの乗り込む船はねェ…!!!」

ググッとまた腕を構えた白ひげ。

行けェ!!!!野朗共ォ〜〜〜!!!

響く白ひげの声。建物が崩れる音。
シアンは白ひげから紡がれる言葉に、ただただ立ち尽くすことしか出来なかった。

「ずいぶん長く旅をした……。決着ケリをつけようぜ…海軍!!!」

ニヤリと笑う白ひげの姿が、シアンの目には眩しかった。

「……いやだよ、一緒に海に帰ろうよ…白ひげ…!」
「…シアン…すまねェな…」
「勝手に自分の終わりを決めつけるのはやめてよ! 白ひげがいなくなったら〈白ひげ海賊団〉はどうなるの!? みんなみんな、貴方が船長だから、オヤジだから! 忠誠を誓ったんでしょう!?」
「……オヤジだからこそ、おれはここでリタイアだ、シアン。寿命なんざ無様な死に方をするわけにゃいかねェ。
シアンの両親、ヘリオスとディオネも自分の愛する娘を守って死んだ。親にとってはこれほど幸福な事はねェ。――だから、おれも愛する息子やお前、シアンを守って死にてェんだよ、アホンダラ」

浅い呼吸を零しながら自分の願いを、想いを吐き出した白ひげの表情は――子を守りたいと願う、父親そのものだった。

「……ずるいよ、そんなの…」
「シアン…」
「そんな事言われたら、…もう、止める訳にはいかないじゃない…」

ぽろり、ぽろりと落ちる雫。ああ、こうして私の大事な人たちはみんな、みんないなくなっていく。
ギャバンもそうだった。元ロジャー海賊団だった彼は両親から私を託され、自身も追われてる身だというのに一生懸命私を育ててくれた。
そんなギャバンも、最期には私を守るために死んでしまった。

「オヤジィ〜〜〜っ!!!」
「オヤジを置いてくなんていやだ!!! 一緒に帰ろう!!!」
「オヤジィ〜〜〜!!!」
船長命令が聞けねェのか!!! さっさと行けェ!!! アホンダラァ!!!

白ひげの喝が伝わった〈白ひげ海賊団〉は、涙を堪えながら出港の準備を促した。
そんな中、白ひげの周りを炎が包んだ。どうやらエースの仕業みたいだ。数分にも満たないそれはすぐに消え、エースもルフィ達と走り出した。
誰もが逃げ一択を選んで走る中、サカズキがマグマの拳をぶつけてきた。

「エースを解放して即退散とは、とんだ腰抜けの集まりじゃのう、白ひげ海賊団。船長が船長…それも仕方ねェか……!! “白ひげ”は所詮…先の時代の“敗北者”じゃけェ…!!!」

白ひげをバカにしたサカズキの言葉に、シアンは動きかけた足をピタリと止めた。それはエースも同様で、ザッと音を立てながら止まった。

「…“敗北者”……?」
「……?」
「取り消せよ……!!! 今の言葉……!!!」
「ふざけるのも大概にしてっ…!」
「おい、よせ! エース、シアン!!! 立ち止まるな!!!」

エースの隣に立ち、今までにないくらいにサカズキを睨む。もうこれ以上自分の気持ちを抑え殺すことなんて、シアンには出来なかった。

「お前の本当の父親、ロジャーに阻まれ、 “王”になれず終いの永遠の敗北者が“白ひげ”じゃァ。どこに間違いがある…!! 〈ヘリオス海賊団〉にもじゃ。白ひげは常に負け続けたと記されている…。
オヤジオヤジとゴロツキ共に慕われて…、家族まがいの茶番劇で海にのさばり「やめろ……!!」……何十年もの間海に君臨するも“王”にはなれず…、何も得ず……!!
終いにゃあ口車に乗った息子という名のバカに刺され…!! それらを守る為に死ぬ!!! 実に空虚な人生じゃあありゃあせんか?」
黙れ!!!
やめろ…!!

何が解る? 彼の奥底に眠る本当の気持ちの、何を知っている?

「オヤジはおれ達に生き場所をくれたんだ!!! お前にオヤジの偉大さの何がわかる!!!」
「人間は正しくなけりゃあ生きる価値なし!!! お前ら海賊に生き場所はいらん!!!」
「誰が海賊が悪だと言った? 誰が海軍が正義だと言った!? 正義と掲げた海軍を怯えて生活している人たちだって五万といる!! そんな人たちを白ひげは守ってきたんだ!!!」
黙れ!! 剣聖!! “白ひげ”は敗北者として死ぬ!!! ゴミ山の大将にゃあ誂え向きじゃろうが!!!
「“白ひげ”はこの時代を作った大海賊だ!!!」
「王になれなかったからと言って敗北者と決めつけるな!! 白ひげが望んだのは“王”じゃない――…何にも変えることのできない、“家族”よ!! それをまがい物呼ばわりなんてさせない!!!」

サカズキに両親を殺され、ギャバンを殺され、救ってくれたのはシャンクスだった。けれど度々シャンクスと共に訪れた白ひげにも、シアンは生きる希望をもらった。
船員でもないのに、むしろ“敵”なのに。こんな自分を、白ひげは笑って“娘”だと公言した。それがどれだけ嬉しかったか、いつも恥ずかしくて言えなかった。

この時代の名が!!!“白ひげ”だァ!!!

炎を纏った拳がサカズキを襲う。が、自然系ロギアのエースがジュワッと焼かれてしまった。たとえ自然系だとしても、火とマグマでは完全にマグマが上だ。
こうしてはいられない。シアンは刀を抜いてサカズキに迫った。
――キィン…!!

「……お前ではわしには勝てん…シアン!!」
「気安く名前をっ、…っ呼ぶな!!! 槍雷閃そうらいせん”!!

覇気を纏わせた刀で迫ってきたマグマの拳を弾くと、そのまま躊躇いなく一線を引いて斬撃を繰り出した。
それでも、あと一歩のところでサカズキが背中を仰け反らせ、ピッと切り傷程度になってしまった。小さく舌を鳴らして体勢を整えようとするが、それよりも先にサカズキのマグマの足で脇腹を蹴られ、シアンは大きく後ろへ飛ばされた。
今しがたつけられた火傷が、ジンジンと熱く痛み出す。少し肉が焼け爛れてしまったようで、服が擦れるたびに襲う痛みのせいでじわりと汗がこめかみから頬へ伝った。

「エー…ス…!! シアン!! ッう……」

ルフィの声が聞こえた。
今すぐ、「こんなの大丈夫」って言いたいのに、体が動かない。

「あ、エースの…ビブルカード…」
「“海賊王”G・ロジャー、“革命家”ドラゴン、“幻の海賊”ヘリオス!! この三人の息子達と娘が義兄弟とは恐れ入ったわい…。
貴様らの血筋はすでに"大罪"だ!!! 誰を取り逃がそうが、貴様ら兄弟だけは絶対に逃がさん!!! シアンは既に何度か逃げられておるが、今日こそは必ずその首を取ってやるわい!!!」

ボコボコと右腕をマグマに変化させたサカズキは、ギロッとその目を此方に…否、“ルフィ”に向けた。その意味に気が付いたシアンとエースが、同時に叫ぶ。

「おい!! 待て!! ルフィ!!!」
「待って、ルフィ!!!」

完全に想定外だったのか、ルフィは目を見開いたまま動かない。動けないのだ。まるでスローモーションのような錯覚に陥る中、シアンは先程までピクリともしなかった体がスッと動いた。
(近くてよかった…)と、シアンは微かに笑いながらそんなことを思った。おかげでサカズキよりも先に、ルフィの傍に行くことが出来た。彼女はサカズキに背を向けるような形で、ルフィを正面から抱きしめた。
しかし、いつまでたっても痛みがやってこない。代わりに、ルフィの戸惑うような声がすぐ耳元で聴こえた。――それだけじゃなかった。エースの咳き込む声が、何故か反対側の耳元から聴こえてきたのだ。

ガフッ!!
「え、…エー…ス……?」

そっと後ろを振り向くと、そこにはサカズキのマグマによって作られた拳で大きく腹を貫かれたエースが、シアンとルフィを守るようにして立っていた。





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