現実


まずシアンが一番最初に視界に映した物は、見慣れた天井だった。ぼんやりと虚ろな目をそのままにしていると、聞き慣れた船医の声がシアンの目覚めを船中に知らせた。
ドタドタとした慌ただしい足音が向かう先はただ一つ、シアンの居る船医室だ。
――バンッ!!

「シアン!!」
「やっと目が覚めたか! よかったよかった!」
「どっか痛い所はねェか?」
「…シアン?」

赤髪海賊団の船員達の心配そうな声色にも反応せず、シアンは包帯でぐるぐる巻きにされた腕を持ち上げて手のひらを顔の前に広げた。
そんなシアンの様子を皆静かに見つめる中、シャンクスだけが苦虫を潰したかのように目線を落としていた。

「……ぁ……」
「シアン? どうし――」
ああぁぁぁああ!!!

誰かの声を遮って叫び出したシアン。周りの船員達が目を見開くが、シャンクスはやっぱりとでも言うかのようにグッと拳を握った。

「お、お頭! どうする!?」
「こればっかりは…おれにもどうする事も出来ないな……」
「そんな……ってシアン!? お前そんな傷でどこに…!!」

シアンは無我夢中で部屋から飛び出した。ちょうど船は島に寄せ付けられていたため、シアンはそのままの勢いで船から降りた。サクッとする草の感触をその足で踏みしめてとにかく走る。するとドンッ! と誰かにぶつかり、強く睨みつけた。

「シアン…? お前、寝てなくていいのかよぃ?」
「マル、コ……」

ぶつかった相手は〈白ひげ海賊団〉一番隊隊長・マルコ。いつもは気楽に笑っている彼だが、今その顔に笑みはない。
シアンを捕まえようとするマルコの腕を叩き落とし、またシアンは走った。叫びながら、目的地などなく。

「う、あぁぁぁ……っ!!! エース、エース!!」

消えない、きえない、キエナイ。エースの血が、死が。気を抜くとすぐに脳裏にエースが死ぬ瞬間が頭に浮かぶ。
シアンとルフィの手には、背中から溢れるエースの血で真っ赤に染まっている。その後、エースは倒れるように死んでしまった。

「いやだ…。消えろ、消えろ、消えてっ…消えてよ…!」

ガクンと力が抜けたように膝を付く。痛いくらいに握りしめられた拳は、手加減なしに地面へと叩きつけられた。
頬を痛いくらいに捻ったり、傷口が開きかけた拳でまた地面を殴ったり。まるで自分を痛めつけているかのような行為に、とうとうシャンクスが動いた。

「……シアン」
「ハァ…ハァ……」

ギロっとシャンクスを睨みつけるシアン。しかしシャンクスは顔色を変えず、ただ真っ直ぐにシアンを目で射抜いた。

「…戦争は終わった。エースは――」
「分かってる! …頬なら千切れる程抓った。拳だって骨が痛いくらい殴った!! 夢ならとっくに醒めてるはずっ…! …っ、夢じゃ…ないんでしょう…?」

蘇る、彼の最期の言葉。

「ずっと、シアンの事を…女として好きだった……」
――エースは、死んだんでしょう!?

ポタポタと涙を流すシアンに、シャンクスはやはり目をそらさずシアンを見つめた。

「……あぁ、エースは…死んだ…」

肯定された事実に、シアンはただ嘆く事しか出来なかった。自分の力を過信していたわけじゃない。――ただ、何故か心のどこかで、『助けられる』という自信があった。結果はどうだ。エースは死に、白ひげまでも命を落とした。

「ねーねールフィ、エースってだーれ?」
「おれもしらねェ。なーじいちゃん! 誰? エースって!!」
「これからお前達二人の兄貴になる奴じゃ」


思い出す始まりの日。大切な人を失ってからはずっとルフィとシャンクスが自分の全てだったあの頃は、ただただ生きるのに精一杯だったように思う。

あぁぁあああっ……!!

何処からか、ルフィの泣き声が聴こえた気がした。けれどそれを掻き消すかのように、否、同調するかのように、シアンも溢れんばかりにその目から涙を流した。





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