強くなったんです


漸く落ち着いたルフィとシアンは、ヒック、ヒック、としゃくりながらも次第に涙を止めていく。

「ほら、顔洗ってきなさいシアン。目が腫れちゃうわよ」
「あい……」

ぎゅっと握られていたルフィの手を離し、シアンは鼻をずるずると啜りながら船内へと消えた。
ルフィもぐしぐしと目を擦り、床に落ちていた麦わら帽子を被って、テンガロンハットを拾い上げる。

「…見ててくれよ、エース…!」

小さく呟かれた決意は、一味の心に響いていった。
顔を洗い、目元を冷やす。シアンは少し腫れた目蓋を見て苦笑を漏らし、暫くそこから動かなかった。そして元どおりとまではいかないが、そこそこ腫れの引いた目蓋に濡れタオルを閉まう。
そこで、シアンはテンガロンハットが無いことに気づいて頭に手をやる。この2年間、被らない日はなかった。ずっとともにあったそれがないと、とても不安になる。

「どこに落としたっけ…」

んん? と首を傾げながら甲板へ出ると、何故かみんなざわざわと騒いでいた。この一味が騒いでいない日などないのだが、今は格別だ。

「何やってんの?」
「おっシアン〜! な、シアンもあいつてなずけたいだろ?」
「あいつ…?」

ルフィの指差す先に目をやれば、そこには大きなタコ、もといクラーケンが。目をギロリと細めて長い脚をうにょうにょとさせるクラーケンは、見ているだけでも恐ろしい。
シアンはそんなクラーケンを見てすぐに察する。

「なるほど。要はクラーケンに海中で船を引いてもらおうってこと?」
「えっ!? お前何で知ってんだ!?」
「知ってるよ! だって魚人島は行ったことあるもん」
「エェェ!? 初耳だぞ!」
「シャンクスがもう新世界にいるんだよ? それくらい分かれバカ」

ごつん、と少し強めにルフィの頭を小突くと、ルフィは「イテェ!」と痛がる。ガープ風に言えば“愛ある小突き”だ。覇気を纏わせればゴム人間にも通じる。そのため今、ルフィは痛がったのだ。

「まあいいんじゃない? クラーケンに引いて貰えばこの先は楽勝かも」
「だよな! けど、問題はここが海の中だって事だ」
「違う違う。問題はあの大きさだルフィ。ここが陸でもヤバさは同じ」
「舵を切って進路南へ!!」

大真面目に悩むルフィに、必死に止めようとチャウチャウチャウ、と涙を流しながら右手を振るウソップ。そんな中、ナミがどうにか回避しようと指令を出した。
勿論ルフィが黙って聞く筈もなく、案の定ナミに噛み付いている。

「おいナミ!! まっすぐタコに向かえっ!!」
「バカ言わないでよ!! あのタコが握ってる船見て!! ああなりたいの!?」
「まーまーナミさん!!! おれがついてブバッ…ついて…るぜ!!!」
「耐えたァ!! よくやったサンジ〜!!!」
「リハビリの成果と今はナミがコートを着てるお陰だな!」

どうやらカマバッカ王国での2年間ですっかりサンジが女性に飢えているようだ。話の途中で鼻血を出すサンジに、シアンはポカーンと口を開ける。なにせシアンの周りにはサンジのようなタイプはいないもので、シアンの目には新鮮に映ってしまうのだ。
すると、いきなり頭にポスッと何かが被せられる。ぷらんと上から顎にかけて垂れるのは紐。そう、被せられたのはシアンが探し求めていたエースのテンガロンハットだったのだ。

「…ルフィ」
「…それ、エースにもらったのか?」
「……ん」
「ししっ、似合ってんぞ!!」
「にははっ、ありがと!」

兄妹の会話は聞いているだけで和む。けれどそんな雰囲気をぶち壊したのは、シアンが部屋の中に入っている間にこの船を奇襲しようとしたカリブーの船だった。カリブーの弟のコリブーは、兄を助けようと船員共々やる気を出している。
いざ、という風にサニー号に銃を撃ち込もうとしたのだが、クラーケンの足にすぐさま捕らえられ、船はコーティングどころか原型を留めず粉々に。

「シャボンコーティングが割れた!!!」
「サニー号よりでけェ船が一握りィ!!!」
おお〜〜! 野郎共ォ〜〜〜!!!

チョッパー達が涙ながらに恐怖を叫ぶ中、ゾロが一言。

「クラゲみてェだ」
「ウッセェロロノア〜〜〜!!!」

だがいつまでもそうしてふざけている場合ではない。クラーケンはついにサニー号にも攻撃を仕掛けてきた。
それに応戦しようとルフィ、ゾロがそれぞれ構えるが二人の攻撃はなにせでかい。一度攻撃すればシャボンはすぐに割れてしまうだろう。

「フランキー!! “クー・ド・バースト”で“下降流”へ突っ込みましょう!! それで逃げ切れる!!」
「いや…そりゃ考えたが一つ問題があるっ!!!」
「!?」
「“クー・ド・バースト”や“ガオン砲”は、大量の“空気”を発射する兵器だ。ここは海中!! 空気量は限られてる!! 空気を飛ばせばこの船のシャボンが萎んじまう!!!」

そう、サニー号特有の“クー・ド・バースト”や“ガオン砲”は、大量の空気で発動している。空気のないこんな海中では使えないのだ。

「そっか…!! じゃあ…!! どうしよう!?」

「どうもすんな、あいつとは戦うんだ!!!」
「やめてくれよ!! シャボン玉割れちまうよルフィ!!」
「ルフィ、あんまりワガママ言わないの。船を引いてもらう海獣なら他にもいっぱいいるよ?」
「やだ! おれはあいつがいいんだ!!」

シアンの言うことにも聞く耳持たず。どうやらあのクラーケンはルフィの気を相当引いたらしい。
そこへ痺れを切らしたカリブーが冷や汗たっぷりに口を開いた(ここで初めてシアンはカリブーの存在に気づく)。

「そんなに戦いてェんなら!!! 策を授けちゃうぜ、麦わらのルフィィ!!!」
「!?」

そうしてカリブーはルフィ、ゾロ、サンジの三人に即席のバタ足コーティングを施した。ルフィは珍しそうにペタペタとシャボンを触っている。
3人の腰には命綱が繋がっている。これならたとえ逸れたとしてもこの船に戻ってこられるということだ。

「え、ルフィ行っちゃうの…?」
「なんだ、シアンも行きてェのか?」
「え、」
「だめだ! シアンは行かねェよな!?」
「…チョッパーもこう言ってるし、やめとくよ。ちゃんと帰ってきてね! ルフィもゾロもサンジも!」
「おう!」

そして三人は命綱を外して外へ出て行ってしまった。最初はシアンも心配そうに眺めていたが、すぐにその色を消してカリブーへと目をやる。

「で、コイツなんなの? ナミ」
「あぁ、シアンが部屋の中にいる間にこの船を襲ってきた船長よ。このまま外に投げ出すのも可哀想だから縛ってるの」
「ふうん…」

訝しげにカリブーを見つめるが、ピューピュー♪ と口笛を吹くカリブーに興味をなくし、シアンは何故か船を襲ってきたクラーケンに対して臨戦態勢をとった。
まずはフランキーが攻撃を弾く。けれどまだ懲りずに叩きのめそうとしてくるクラーケンの足に、シアンは銃を構えた。

「、っと…!」
「わっ! シアンすごいわね!!」
「にははっ! でしょー!」

ドンドンドン! と3発撃ちこむ。シャボンは割れずに見事全弾命中し、こちらに向かってきていたクラーケンの足はしゅるしゅると元に戻る。が、すぐに別の足が船を襲う。

「なんでコッチばっかり〜〜!!! ランブル! “毛皮強化ガードポイント”!!!

ボフッ! とタコ足を防いだチョッパー。その毛皮の量は2年前よりも物凄く多い。
それでも安心するのはまだ早い。ガードしたはいいが、その勢いで今度は海山にぶつかろうとする。

「海中でも…一瞬なら平気かしら…。千紫万紅ミル・フルール”!! 巨大樹ヒガンテスコ・マーノ”!!

船から大きな手が生え、海山との衝突を避ける。船が木っ端未熟にならなかったことにロビンはほっとした表情を浮かべた。それを見ていたルフィは自分を狙わない事に憤りを感じたのか、攻撃態勢に入る。

ギアサード

ぱくりと親指を加え、そこから空気を入れる。途端にぼんっ! と膨らんだ右腕。だが、それで終わりじゃない。この2年間の修行で積んだ成果を見せるのは、今からだ。

『武装色』硬化!!

膨らんだ右腕がズゥゥン、と黒く染まり、鉄のようなものへと変化する。
そう、ルフィがこの2年間レイリーから教えてもらっていたのは、覇気の使い方だったのだ。

「うぎぎぎ…、海で…力が…抜ける〜〜!!!」
「タコめ、一丁前に止めようとしてんのか。海歩行ブルーウォーク!!”

海のせいで力の抜けるルフィを狙うは、クラーケン。シュルシュルと伸びるタコ足を目ざとく見つけたサンジは、シャボンから飛び出てルフィを狙うタコ足を追いかける。
タンタンタン、とリズミカルに海中を歩くサンジに、仲間達も驚きの声を上げた。

「え!? サンジさんシャボン玉から出ちゃいました!!」
「それより何だ、あのスピード!! 魚人みてェだ!!」
「(走って…走って!! 悍ましい者達から逃げ回り続けた2年間!! ……何が怪物…!! かわいく見える!!! ――悪魔風脚ディアブル・ジャンプ”!!! 熟焼ビアン・キュイ”!!)」

カッ! とサンジの右脚が光る。その勢いのままサンジはタコ足に得意の蹴り技をお見舞いしたのだった。

“グリル=ショット”!!!

地響きのような音がしたと思ったら、サンジが蹴ったタコ足はジュワァッ! と、こんがりいい感じに焼けてしまった。
これには流石のクラーケンも白眼を剥いてしまう。だが、すぐに反撃しようとサンジを睨みつけるが、その隙すら与えないとでも言うかのようにゾロか綺麗にタコ足を斬ってしまった。

“三刀流奥義 六道の辻!!!”

こちらも格段に強くなったゾロ。そんなゾロを、シアンはキラキラとした目で見つめていた。

「わあ! ゾロ強くなってる!! 手合わせしたいなあっ!」
「手合わせ!? だめよ! 可愛いあんたをあんな怪物と手合わせなんてさせるわけないでしょ!?」
「えー? ナミってば…私なら大丈夫だよ! まだまだゾロになんて負けないから!」
「だめ! 認めないわ!」
「えぇー!? ……ケチ(それにしても…ゾロがあんなに強くなってるなんて…。独学、ではないな…。だとしたら……)」

もしかすると自分とゾロは同じ人物から教わったのかもしれない。
いや、まさかね、と内心笑ったシアンだが、その考えが当たっていると知るのはもう少し先のことだ。

「こらこら、ゾロ!! サンジ〜〜!! 足がなくなるだろォ!!! “ゴムゴムの〜〜、象銃エレファント・ガン”!!!!

ドゴォン!! と、クラーケンをぶっ飛ばしたルフィ。その威力は凄まじく、今までのルフィを遥かに超えていた。

「ブッ飛ばしたァ〜〜!!!」
「さすがルフィ!」
「どれだけ強くなってんの!? あいつ!!!」
「あれ!? 何かいるぞ!? サメ!?」

チョッパーが見つけたそれは、確かにサメだった。しかも服を着ている。
ルフィ達3人もサメに気づいたみたいだが、それに気をとられるあまりクラーケンと共に下降流に飲み込まれていってしまう。

「3人が“下降流”に飲まれていく!」
「やべェ!! 追うんだ!! 行くなら一緒だ!!!」

船の中は大混乱。けれど、そんな中でもナミはしっかり立ち上がって船員に指示を出していく。さすが麦わらの一味の航海士だ。
そうして、麦わらの一味は船もろとも下降流に飲まれていったのだった。





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