ゴースト船


「………う……」

ウソップは小さな声を上げながらむくりと起き上がる。視界は暗く、とても寒い。

「何だよ、どうした。シンミリしやがって――まったくおめェら、おれがいねェと何も……ウウッ!! …寒ィなここは…!!」
「ルフィ達が見つからないの。逸れちゃったみたいね」
「!」
「海獣に体を食い千切られていなければいいけど…」
コエーよ想像が!!!

ロビンの想像に、ウソップはいつものようにツッコむ。そんな二人の会話を聞きながら、シアンはぼんやりと外を眺めていた。

「シアン? どうしたの?」
「んー…、シャンクス達と行った時もこんな大冒険したなあと思って」
「あ、あの赤髪もこんなコエー目に遭ったのか!?」
「ううん。まず、シャンクスは船の外になんか出なかったから逸れもしなかったかな!」
「それがまともなのよ…。うちの船長も少しは見習って欲しいわ…」
「にはは、それは無理かも」

ナミの涙ながらの本音に、シアンは笑って無理だと両断した。
何せ、性格が形成される幼児期や児童期に、過ごした年月は短いと言えどあれだけシャンクスと一緒にいた。にも関わらず、ルフィはシャンクスのような思慮深さがないのだから。

「でも…これだけ暗かったらだいぶ潜ってるね」
「ああ。おそらくもう7千mは潜ってる…。〈シャークサブマージ号〉でも水圧でぺちゃんこになる深度だ」
「『魚人島』はもう近いのか!? あいつらもしかして先に…!!」
「ケイミーちゃんは確か…海底1万mにあると言ってたわ…」
「ま…まだ3千mも下へ!!?」

チョッパーの慌てた物言いに、ロビンは思い出したようにケイミーから教えられたそれを口にする。途端に驚くチョッパーに感化されたかのように、ウソップも慌て出す。

「あんな小せェシャボンであいつら!! 生きてても空気が持たねェし危険すぎる!!!」
「――だから命綱つけてって言ったのに…!!」
「嘆いても始まらねェ!!」

頭を抱えてぶちりと命綱を千切ったルフィ、ゾロ、サンジの3人に対して悲観するナミ。そこへ、フランキーがまるで策があるかのようにナミを励ます。

「探そう!! おれには“ライト機能”がついてる」
「え!? まさかその目が!?」
“フランキ〜〜”…

カチャ…とサングラスを上にあげたフランキーを見て、チョッパーはワクワクとした声色で期待する。

“ニップルライト”!!
「どこ光らせとんじゃ!!!」

思いもよらぬ所が光り、ウソップはすぐ様フランキーをスパァン! と叩いたのだった。

ここは“深海”。
光も届かず、並の生物など生存すら許されぬ――海の「暗黒街」。

「ぎゃあああああああ!!!」

ぎょろりとした大きな目、ぎらりとした鋭い歯。
ここは、そんな怪物が潜む海だ。






ルフィ、ゾロ、サンジと逸れて、どれだけ時間が過ぎただろうか。
海獣は襲ってきたり、カリブーは逃げ出そうとして樽ごとロープでぐるぐる巻きにしたり、火山地帯のせいで急激に温度が上がったりと、散々だ。

「こんなトコじゃ生きてられねェよ…ルフィ達…。悲しくなってきた…、2年振りにやっと会えたのに……!!」
「バカ言うな、あいつらが簡単に死ぬか!!」
「そうだよ、チョッパー! 命綱が無くても生きていけるのがあの3人なんだよ」

落ち込み泣いてしまうチョッパーを励ますウソップとシアン。そんな2人のおかげで少しずつ元気を取り戻したチョッパーだが、いきなり視界に入ってきた光に目を奪われた。

「あれ何だ!? ものすげェ光ってるけど、魚人島かな!? ルフィ達がいるかな!!」
「まだ3千mも潜ってないわ」

そう、魚人島まではまだまだのはず。なのに、どうしてこんな深海に光があるのだろうか。
シアンは眩しさを堪えながらもその光を見つめる。その横ではフランキーが先ほどのニップルライトで発光信号を送っているが、勿論とでも言うべきか、反応はない。

「……まさか…っ、ダメ! 逃げて!」
「え?」

シアンがその光の正体に気づき、声を荒げた瞬間、全体像が明らかになった。

「しまった!!!」

歯を剥き出しにし、ギョロッと目を動かして餌を今か今かと待ちわびている。その正体は――。

「アンコウだっ!!! ダマされたっ!!」
「深海のハンターに釣られましたね!!! マズイ!!」

そう、提灯アンコウだったのだ。アンコウはまんまと誘き寄せられてしまったサニー号をバクン!! と食べようと口を閉じる。けれど、フランキーの機転で船は勢いよく前進したおかげで食べられることはなかった。

「まっ前前前!! フランキー前!!」
「ん!?」

シアンが涙目でフランキーの腕をぱしぱしと叩く。フランキーはアンコウから前方へと目線を移すと、そこには大きな大きな海坊主がいた。

「“海坊主”だ〜〜!!!」
「ギャー! 船をひっくり返されるぞ!!!」

右腕を後ろに大きく引き、今にも船を殴り落とそうとする海坊主。そして勢いよく振り落とされたと思えば、その拳は先ほどのアンコウに直撃した。

「くらっ!!! アンコロ!!」
「そっち!!?」

ウソップの素早いツッコミが炸裂する。そう思うのも当たり前だ。海坊主とは言わば人の姿をした海の怪物。船を粉々にするなど造作もないことなのに。

「だめらろう!!! 船は食っちゃいけん!! 何ろいうたらわかるんら!! キャプテンバンらー・れっケン様に怒られるろ!!」

舌が上手く回らずところどころちゃんと言えていないところもあるが、どうやらアンコウに対してお説教をしているらしい。
ナミ達が呆然とその様子を見ている中、シアンは今しがた海坊主が口にした名前に目を見開いた。

「キャプテン…“バンダー・デッケン”……!?」

まさかアイツがここにと、呟いた瞬間、どこからか歌が聞こえてきた。

死人に口なし欲もなし
烏も飛べねえ黒国じゃあ〜
死人の指に宝石にゃいらぬ
闇じゃ無念も見えやせぬ
探せー探せー
沈んだ宝はおれのものォ
おれは世っ界一の大〜金〜持ーちー
キャプテン“バンダー・デッケン”だァ〜!!!

『『ウオオオオオオオ!!』』

暗い海の中、ボロボロの船がゆっくりゆっくりとサニー号に近づいてくる。 ギゴゴ…と不気味な音さえ聞こえてくる。

「まさか……」
「海底にも……!!?」
「ひいい〜〜!」
ゴーストシップ〜〜〜!!?
「おめーがびびんじゃねェよ!!!」

ブルックと出会った時も、確かこのような思いをしたことのあるナミ達は頭を抱えて怖がる。けれどそれを上回ったのは、かつてそのゴーストシップに乗っていたブルックだ。

「ブルックが怖がるのも無理はないよ。ブルックが乗っていた船は、ゴースト船って言っても所詮はただ長年の風化によって朽ちただけのこと。――だけど、今目の前にあるこの船は違う」

真剣な表情で船を睨むシアンは、忌々しそうにそう吐きすてる。

「そうです! ア…アレは本物ですよ!!! あの帆を見て下さい!!  有名な船〈フライングダッチマン号〉!」
「!?」

流石、この船の中で誰よりも長く生きてきたブルック。フライングダッチマンに関わる話は知っているらしい。

「この世にあってはならない船です!! それはもう数百年も前のお話………!!」

そう、そこなのだ。数百年も前の話なのに、なぜ今目の前にその船長と船があるのか。

「“アンコロ”…“ワダツミ”。船は食っちゃ宝が取れねェ…。叩き落とせ……!!!」
「わかったら!!!」

船から聞こえてきた声に従うのは、海坊主ことアンコロ。彼はその巨体と見合う腕を大きく振りかぶり、拳を握って船に向かって振り下ろしてきた。

「うわァ〜〜〜海坊主が!!! やっぱ敵だった〜〜!!」
「フランキー、“クー・ド・バースト”を!!!」
「ダメだ、さっきので燃料切れだ!!」
「え〜〜〜〜〜!!!」

焦る船内に、シアンは冷や汗をこめかみにつつつ、と流しながらも銃を手に取る。刀だとシャボンが割れかねないため、まだ安心できる銃で応戦する気なのだ。
だがその時、そんなアンコロを物凄いスピードと重さで先ほどのクラーケンが殴り飛ばしたのだ。

え〜〜!!? クラーケン!!?

ナミ、チョッパー、ウソップは驚きすぎて目が飛び出ている。それもそうだ。なにせそのクラーケンとはついさっきまで戦っていた敵なのだから。

「“北極の怪物”、クラーケン〜〜??」

クラーケンの登場に、船に乗る男は訝しげな声を上げる。けれどそんなもの御構い無しにクラーケンはアンコロを文字通りボッコボコに殴っている。

…ぶ!! ぼ!!

殴られすぎて悲鳴すらまともに上げられず、頼りない呻き声しか出せないアンコロ。そんなクラーケンに待ったをかけたのは、やはりこの男だ。

おい!! もういいぞ!! やめろ!!

ルフィの大声にクラーケンはゾクリと震え、殴っていた手足を止める。その後のルフィのお褒めの言葉に、クラーケンは嬉しそうににへっと綻んだ。まさかそんな表情を見せるとは思わず、シアンを含めた一味全員が驚愕に目を見開いたが、それよりも、

「ルフィ〜、ゾロ〜〜、サンジ〜〜〜!!!」
「よかった〜、生きてた〜〜…!!」

そう、3人が無事に帰ってきたことの方が、何よりも重要なのだ。船に乗っていた者達は皆嬉しそうに頬を緩め、歓声を上げる。チョッパーなんかは船の手すりに顔を寄せ、泣いているしまつだ。
こうしてルフィ、ゾロ、サンジは狭いシャボンから出て、漸く広いサニー号へと戻ってこれた喜びから嬉しそうに笑っている。ちなみに言うと、今現在、船はクラーケンもといスルメの背に乗っている。

「呆れた…。本当に手なずけちゃったわけ? あの怪物ダコ…」
「おう!! 上級者の航海をするんだおれは!! な!! スルメ!!」
「イカみてェな名前つけちゃってるよ!!!」

相変わらず変な名前をつけるルフィにツッコミが入るが、当のスルメは喜んでいるようだからもう何も言えまい。
――そうして和んでいるのも束の間。ゴゴゴゴゴ…と、まるで地鳴りのような音が辺りを包んだ。

「こ、れは…っ、ナミ!」
「えぇ…。まずいわ、“海底火山”が…!!! ……噴火する!!!!」
「「「!!?」」」

シアンが慌てた様子でナミの名前を呼ぶ。呼ばれたナミも、もう既に何が起こるのかわかったみたいで、眉間にしわを寄せて音の鳴る方へ視線を向けたのだった。





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