崩壊の足音


上げていた足を下に降ろした黄猿の足下は、血だまりができていた。先ほどシアンが撃ち抜いたところから、とめどなく血が流れている。
シアンが黄猿に撃った弾は海楼石の銃弾。だから自然系ロギアである黄猿にも効いたのだ(ちなみにこの海楼石の銃弾、1ダースがとんでもない額だ)。

「あんたがこの島にいる事は度々耳にしてたけどねえ。本当だったんだね〜〜。こんなヒヨッ子たちのカタを持つなんて…腐っても海賊ってわけなのかい…レイリーさん…」

やはり目撃情報はあったようだ。
二人が気難しい話をつらつらとしている中、ウソップはゾロが死ななかったことに安心し、ブルックは刺さらなかった剣に疑問を抱いている。当たり前だ、覇気も纏っていない物理攻撃が自然系ロギアに効くはずがない。

「……それと、さっきシアンちゃんも興味深い事を言ったよねェ〜〜? …本当? 君がこんなルーキーの船に乗ったっていうのは」
「もちろん本当ですよ、黄猿さん。あの船からは降りました……今は…――」
「ウソップ、ブルック、シアン!!! ゾロを連れて逃げろ〜〜!!!」

「…――暫くの時間を経て、私は〈麦わらの一味〉に入ったんですよ」

叫ぶルフィの言葉を聞いたシアンは、それっきり口を閉じてゾロを担いだ。黄猿に攻撃をされる前に、と素早くその場から逃げる。今体力的にも精神的にも余裕があるのは、シアンだけだ。だからこそ、この状況を覆せる策を早く考えなければ。

「大丈夫かシアン!!」
「私は大丈夫! ウソップこそ気をつけて!」
「全員!!! 逃げる事だけ考えろ!!! 今のおれ達じゃあ――」

船長であるルフィの声が辺りに響き渡る。一つ一つの台詞が重みを増して仲間たちの胸にずしりとのしかかった。
そう、今の〈麦わらの一味〉では――…。

こいつらには勝てねェ!!!
「潔し…!! 腹が立つねェ〜」

――大将たちには勝てない。
シアンだけならば勝機は上がった。伊達に新世界で過ごしていない。実力もこの一味の中ではダントツだろう。だが、もうシアンは〈麦わらの一味〉の一人。勝手な行動は慎まなければならない。
とっさに思い浮かんだ考えを即座に消し、とにかく足を必死に動かした。すると黄猿ののんびりした声がやけに鮮明に耳に入り込んできた。

八咫鏡やたのかがみ

黄猿が手を構えた途端、光が空から降ってきた。何度か黄猿と応戦したことのあるシアンは、ずり落ちてきたゾロを抱え直して立ち止まる。

「光!! 何かしてくるのでは!!?」
「黄猿が来る!」

ともに走っていたブルックに警戒態勢を取らせ、自身も身構えた瞬間、黄猿を抑えたのはレイリーだった。長剣を出したレイリーの顔つきは、海賊のそれと同じだ。

「(…ありがとう、レイリーさん…)」

黄猿と戦い始めたレイリーに、シアンは走りながら心の中でお礼を言い、また走ることに専念した。この場から早く逃げて、ゾロの手当てをしなければ。放っておいただけで死んでしまう。
だが、その束の間の油断が仇となったのか、どうやらもう死にかけているゾロを仕留めることにしたらしく、パシフィスタがこちらに迫ってきた。
ゾロを担いだ状態じゃあまともに戦えない。あまり良くない戦況に舌打ちをすると、ナミたちの方へ行っていたサンジがシアン達の方にやってくるのが見えた。

「おろせ………!!」
「ゾロ? いきなり何を…、」
「…お前らを逃がす………!!」

息も絶え絶えにそんな事を抜かすゾロに、シアンは怒鳴った。肩口にある顔を見ようと首を捻らせ、あらん限りの声で。

「バカなことを言うのも大概にして! 立てないほどの傷なのに、戦えるわけないでしょ!? ゾロはまず、生きることだけを考えて!」
ギャー来たァ!!!

グオッとその巨体には似つかわしくないスピードで向かってきたパシフィスタに、シアンが声を発するよりも先にブルックが立ち止まった。しゃんと立ち、刀を抜いたブルックは、初対面の「パンツ見せて」云々を拭い去るくらいかっこよかった。

「男には!! やらねばならない時があるっ!!!」

そう言ってかっこよく決めた次の瞬間には、パシフィスタの口から出るビームによって倒されてしまった。

ブルック!!
止まれェ!!! クソ野郎がァ!!!!

シアン達に追いついたサンジがパシフィスタを蹴り倒す。が、そのすぐ後にサンジは呻き声を上げながらドサッと倒れてしまった。もう足が限界なのだ。何度もなんども酷使して、限界を迎えないわけがない。

「だめ、サンジ! 早くそこから逃げて!」
「そうだ! 逃げろサンジ!! 狙ってるぞ!!」
「バカ!! さっさと行け!!」

倒れたサンジに声を荒げるシアン達。しかしパシフィスタは関係ないと、躊躇いなくまたビームを撃つが、サンジは間一髪で避けた。
……――だからこそ、一瞬の油断を許してしまった。

「あッ………サンジ!!!」

やめて、やめて。
これ以上仲間を奪わないで。

「だっ…ウソップ! ぅア…ッ……!!」

こちらに向いた掌に気づき、シアンは咄嗟にゾロを放り投げた。そのおかげと言うべきか、ゾロはビームに撃たれることはなかったが、彼女の脇腹に見事命中した。燃えるような痛みがシアンを襲う。
グッと患部を押さえるようにうずくまっていると、どこからか獣のような鳴き声が聞こえた。

「…チョッパー……?」

苦しんでいる。そんな声色だった。
大丈夫、私が助けるから。だから泣かないで、さっきみたいに照れながら笑ってよ。

「ッ………」

ガキンと金属音を響かせて、歯を食いしばって立ち上がる。地面に突き刺さった刀を抜いて構えた。
痛みを堪えて前を見ると、そこには本来ここに居るはずのない彼がいた。

「………何で、ここに……!」
「待て……“PX−1”!!」

本を片手に、パシフィスタとまったく同じ姿の――本物のバーソロミュー・くまが、そこにいた。

「え〜〜〜!!? また出たァ〜〜〜っ!!! どうなってんだよ!!! もうイヤだ〜〜〜!!! 何人いるんだよコイツら!!!」

本を片手で抱えながら聳え立つくまに、怯えるウソップ。そんな中傷だらけのゾロが震えながらも起きあがり、スリラーバークでの話をする。
それでもシアンは警戒しながら刀を構えたままでいると、くまの“あの言葉”が出てしまった。

「ロロノア。旅行するなら、どこへ行きたい……?」

そうしてくまは腕を振り上げる。ゆっくりとしたその動作は、以前に何度か見たことがあった。
周りが呆然と見ている中、シアンだけがくまが何をするかすぐに分かり、中途半端な体制のまま声を荒げる。

「だめ、くま! やめてっ……ゾロ! そこから逃げ――」

――パッ!

くまが振り上げた腕を降ろした瞬間、ゾロはもうどこにもいなかった。





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