妨害すら無意味である


戦況は激しさを増した。ピーカ軍、ディアマンテ軍、トレーボル軍、それぞれの幹部達は皆〈麦わらの一味〉とコロシアムの戦士達によって倒され、残るは最高幹部とドンキホーテ・ドフラミンゴを残すのみとなった。

「ハァ…ハァッ……」

物陰に隠れ、息を潜めているシアンは、じわりと血が滲み出る傷口を必死に手で抑えた。余計に血が溢れ出ることになってしまっているが、シアンはそれに気づかない。やがてその場が真っ赤な水溜まりになろうとも、気づくことはなかった。

「(立たなきゃ…はやく行かないと…。“鳥カゴ”を止めないとっ…!)」

心ではそう思っているのに、身体が言うことを聞かないなんて。「クソッ…!」と悪態を吐いたシアンは、何も出来ないことを悔やんだ。
遠くから聞こえてくる音だけが、皆が必死に戦っていることを知らせてくれる。それなのに、どうして自分だけこうしているのか。シアンには辛くて堪らなかった。

「もう、やだ……っ」

ドフラミンゴと戦い、その後海軍大将である藤虎、またの名をイッショウとの連戦。シアンは身体を酷使し過ぎたのだ。自分でもそのことには気づいている分、悔しかった。
“鳥カゴ”を何とかして止めようと走っていたはずなのに、脚が思ったように動かず、そのままどしゃりと倒れてしまった。挙げ句の果てにドフラミンゴによって付けられた傷口が開き、出血。とても戦える気力は残っておらず、こうしてなんとか物陰に隠れるところまでは出来たのだ。

「(ギャバン…ギャバンっ……)」

ぎゅうっと目を瞑り、今は亡き人の名を心の中で何度も呼ぶ。いつだって彼は自分を危険から遠ざけ、守ってくれた。

「っ…たす――」

それ以上、言葉は続かなかった。隣に置いておいた刀が視界に入ったからだ。

シャンクスから貰った刀。
ミホークが修行をつけてくれた刀。
ギャバンが父から預かってくれた刀。
父が手ずから鍛刀してくれた刀。
――『守るため』だと、他の誰でもない自分自身に誓った刀。

眉間に寄せていた皺がなくなり、シアンはソッと“桜桃”に手を伸ばす。指先が刀に触れる寸前、“プルプルプル”と電伝虫が鳴った。

「でっ電伝虫!? なんで…電波妨害が発生しているはずなのに…」

恐る恐る手を伸ばし、シアンは受話器を取った。

「はい……」
《…おれだ》
!!

電伝虫から聞こえてきた声に、シアンは大袈裟なくらい驚いた。だって、まさか――。

「み…ミホーク…?」
《おれ以外に誰がいる》
「だっ…あ、…みっ…!?」
《何を言っている》

冷静に返事をしてくるミホークにカチンと怒りが湧いてくるが、それよりも喜びの方が大きかった。みるみる内に涙が溜まり、頬を次々と濡らしていく。

「なんで…」
《……泣いているのか?》
「なっ…! 泣いてない!」
《そうか》

慌ててぐしぐしと目をこすり涙を拭う。その仕草を忠実に電伝虫が真似し、相手に伝わっていることを忘れてシアンは嘘を吐く。
ミホークは広い大海原にボート一つで浮きながら、今何処にいるのかを尋ねた。

「え゛……」
《?》
「……えっと、」

ドレスローザ、です。
そう伝えた後の電伝虫の表情は、怖くて見れなかった。

「――というわけです…」
《なるほど…。ならば早くそこから出ろ、と言いたいところだが、その“鳥カゴ”とやらが邪魔をして出ることが出来ないのか》
「うん…と言うより、出たくない」
《………》
「あっ! ちっ違うよ!? このままずっとドレスローザに永住したいとかそういうんじゃなくて!」

一気に不機嫌になった電伝虫の表情に、慌てて弁解を口にする。このまま不機嫌のままでいられたらどうなるかなんて、身に染みているシアンは考えるよりも先に自分の率直な思いを伝えた。

「……このままにしたくないの」
《………》
「もう知っちゃったよ、私。この国の全部」
《…ハァ……。だからお前とドフラミンゴを関わらせたくなかったのだ》
「ふふ、ミホークもシャンクスも、いつも必死に私からドフラミンゴを遠ざけてたもんね」
《こうなるのならば、やはり赤髪の船から出させるのではなかった》

口を開けば過保護な台詞が飛ぶミホークに、#シアンは聞き慣れたようにクスクス笑った。初対面の時にいきなり殴りかかってきた人とはとても思えない。
けれど、それだけの時間をともに過ごした。ミホークにとってシアンとは、後にも先にも弟子なのだ。唯一無二の、弟子なのである。情も沸けば愛しくもなる。それはとても自然の摂理だった。

「でも…シャンクスの船を降りて、別の視点からこの海を眺めるのも、悪くなかったよ。というより、航海に安全なんてどこにもないんだし」
《ドレスローザなどと進路上にはなかったぞ》
「あー…それは…」

だったらそもそも、パンクハザードに行ったことから間違いが始まっていたかな。いや、ぐるぐる回るログポースの針をルフィに見られたことからかもしれない。
どちらにしろ、もう事は起こってしまっているのだ。この国に至っては数年前から。知ってしまった事情を見て見ぬ振り出来るほど、非情にはなれない。

《…生きて帰ってこい》
「……うん」

ふと、地面のあちこちに影ができた。パッと空を見上げれば、幾億もの瓦礫が大量に降ってきている。目を凝らして見てみれば、ゾロが最高幹部のピーカを倒したところだった。

「そう言えば、ゾロに修行つけたのってミホーク?」
《………なぜ分かった?》
「だって、ゾロがピーカを斬ったもん。あんなに綺麗な切り口、ミホークとシャンクス以外見たことないよ、私」
《フ…腕を上げたようだな、ロロノア》
「……私だって、腕上げたもん」
《知っている。赤髪から嫌という程聞かされた》

どうやら娘自慢は継続中らしい。その時のシャンクスの様子がありありと浮かび、シアンは申し訳なさと嬉しさで微妙な表情を見せた。

《それに、シアンが負ける訳がないだろう。お前はこのおれの弟子だぞ》
「……にはは、そうだったね」
《ドフラミンゴなどさっさと倒して、早く来い》

待っているぞ、此処で。

「……うん。…うん、ミホーク」

待ってて、其処で。
“鳥カゴ”に覆われた空を見上げ、シアンは立ち上がった。切れた電伝虫を仕舞い、ビリっと服を破って開いた傷口を止血する。一時しのぎにしかならないが、ないよりはマシだ。

「……ルフィ」

何かを確かめるように兄の名前を呟くと、シアンは来た道を引き返した。





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