涙の夜と思い出の朝


ドレスローザ東の町 カルタの丘
キュロスの家――

「ロビン! 起こさなくていいよ…。最後に顔を見に来ただけだ」
「――もう国を出るの?」
「『CP0』がここへ引き返して来てる。狙いはおれ達だ…」
「………」

丘の上にひっそりとあるキュロスの家には、革命軍のサボの他、ロビン、ゾロ、フランキー、ルフィ、シアン、ウソップ、ロー、ベラミー、キュロスがいた。戦い疲れたルフィやロー達は眠っているが、ゾロなんかは起きてグビグビと酒を飲んでいる。

「一日二日でドレスローザは混雑するぞ。お前達も可能な限り早く出航しろ」
「……!! ――にしても、エースの他に4人目の兄弟がいたとは…」
「全くだ。初耳だった」
「だろうな…一番驚いたのはルフィとシアンだろう」
「ん?」

サボが盃を交わした兄弟の一人だと話したのだろう。すっかりいびきをかいて寝ているルフィや、手当てを受けて爆睡中のシアンを見ながら、サボはぽつぽつと話し始めた。

「おれはずっと…死んだ事になってた」
「!!」
「――ガキの頃にエース、ルフィ、シアンと4人で暴れ回って、ガープのジジイにシゴかれて、将来は海賊だって……。おれ達は兄弟の盃を酌み交わしたんだ…」

今だって鮮明に思い出せる子どもの頃の光景。いつだってあの頃の自分達は笑っていた。それが終わりを迎えたのはとある事件のせいだった。自由を決して一人先に海に出たサボは、運悪く天竜人の船を横切ってしまう。天竜人はアリ一匹見逃すまいと甲板からサボに向かって大砲を撃ち、彼は海の底に沈んでいく。しかしその手を取ったのが、革命軍トップに君臨する男、モンキー・D・ドラゴン。ルフィの父親その人だった。死ぬ一歩手前のサボは彼のおかげで助かったのだが、記憶の一切を失っていた。

「……!! 記憶をずっと失ってたのか……!!?」
「明白だったのは…両親の元にだけは帰りたくねェって強い想いだけ。後は何も憶えてなかった…」
「――よく記憶が戻ったな」

自分のメンテナンスをしながら、フランキーは言う。

「エースが教えてくれたんだ。今ではそう思う。『お前はサボ!! おれとルフィとシアンの兄弟だ』って」
「!?」
「タイミングは最悪だったが、だからこそ…あいつはおれを呼び起こした…」

きっかけは頂上戦争の新聞だった。白ひげが敗北し、火拳のエースが死んだと一面に載せられていたそれを見て、サボはガクガクと震える。そこに映るのは不敵に笑ったテンガロンハットを被った男。だが、記憶に過ぎるのはこの写真よりもずっと幼くて――。
一つ思い出すと、後は洪水のようにブワッと蘇った。ここに映る男はどっかの知らない海賊なんかじゃなくて。取り除かれるべき海賊時代の危険因子なんかでもない。この男は、エースはおれの兄弟だ!
記憶を思い出してから二年後・ドレスローザ。サボはどうしてもとある“悪魔の実”を手に入れるために、コロシアムに侵入していた。

「“メラメラの実”はお前には渡さねェぞ。“麦わらのルフィ”!!」
「!?」

シアンとローをドフラミンゴに攫われ、ルフィは何としてでもコロシアムから脱出しなければならないと、メラメラの身をバルトロメオに託した時だった。サボは帽子を取って憤慨するバルトロメオを放って、弟の前に立つ。

「ん!? なーにがおれだ!! いいか、“メラメラの実”はエースの形見だ。欲しいんなら敵だ!! それにおれをルフィと呼ぶけど見ろ、このヒゲを!! おれはルーシーだ!!」
「変装したくらいで弟の顔・・・がわからねェわけねェだろ…」

『弟の顔』と言われると、ルフィは更に怒ってサボの顔を睨みつける。

「弟ォ!? あのなァ!! おれを弟と呼ぶのは…!! 死んだエースと!! もっと昔に死んだ……!! ……………!! !? ――サボォ〜〜〜〜!!?
「……………!!」

やっと気づいたルフィは、全身を思い切り後ろに下げ、頭をガン!と壁にぶつける。「ウソだ!!!」と否定するルフィに、サボは「昔ダダンの酒を盗んで…盃を」と言うと、ルフィはすぐにがしィ!と彼に抱きついた。

サボォ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
「うぶ」

ぶわあああと泣き出すルフィを、側にいるバルトロメオは目をぱちくりと見開いて戸惑いながら見ている。

「ばんばよ、いっぱィイアまぇおいいんたんばよ!!! おえェきィひんがんがく、おんおあいおあァあ」
「ぷは、ありがとな! ルフィ」
「!?」
生きててくれて嬉しい!!!
「!!!」

笑って見上げてくるサボの顔が、涙で滲んでよく見えない。それでも涙を拭うことすらせず、ルフィは必死にサボに伝えた。

「…でも゛サボ!! おれ゛とシアンは、目の前でエーズを殺されて……!!!」
「――ああ…!! エースは死んだけど…!! お前とシアンだけでも…よく生き延びてくれた」
「……!!」
「おれは何もできす、三人の兄弟を失う所だった…!!! お前とシアンまで死んでたら…!! 一人ぼっちになる所だった…!!」
「………………!!!」

ガチャァ…ンとサボの上から落ち、床に倒れるルフィ。

「生きててくれてありがとう…ルフィ!!!」

どばどばと涙を流すルフィに、サボは「“メラメラの実”は、おれが食っていいか?」と尋ねると、彼は何度も何度も首をこくんこくんと縦に振り、「それがいい!!!」と頷いたのだった。


やっとルフィが泣きながらコロシアムから出てきたことに説明がつき、納得するゾロ。サボは「じゃ! 帰る」と事前に作っておいたルフィのビブルカードをゾロに渡し(欠片はちゃんと貰った)、帽子を被る。そしてドアから出ようとしたサボだが、不意に足を止めて振り返った。首を傾げるゾロ、ロビン、フランキーに苦笑しながらサボはルフィの横で自分に背を向けて寝ているシアンの側に行く。

「…………シアン」

呼びかけても、寝ているから何の反応もない。ゾロ達はそう思ったのだが、サボは違うようだ。もう一度名前を呼ぶと、後ろから妹の腋に手を入れてグイッと持ち上げた。驚くゾロ達は「何してんだ!」と慌てるが、シアンの顔を見てその焦りも収まる。未だサボに背を向けたままのシアンは、瞳から大粒の涙を流していたのだ。

「…起きていたのね、シアン」
「っ、ふッ………」
「相変わらず泣き虫だな、シアンは」
「うるさいっ! っ……し、死んだとばかり、おもってたのに……!」

ルフィの顔の横のシーツはすでにシアンの涙でぐっしょりと濡れていた。サボは力技で彼女の身体を自分の正面に向け、ぐしぐしと涙を拭ってやる。それでも溢れるそれは止まらなくて、シアンはサボの首裏に手を回した。すぐ近くから聞こえてくる妹の泣き声が、サボの涙を誘う。気づけば二人で泣きあっていた。

「えーすが、しんじゃってっ……」
「ああ」
「わたしっ、なんにも、なっ……なんにもできなくて…! 守るために、戦ったのに……っ、だれも、助けられなくて……」

小さな小屋に響く慟哭に、サボは力強くシアンを抱き締めた。エースが死んだ後に死ぬ程後悔した自分より、その場にいたのに助けられなかった妹の方がその気持ちも大きい。

「よく、生き残ってくれた……!!」
「っ………!!」
「ごめんな、おれが忘れたばっかりに。…生きててくれて、ありがとう……!」
「っ、〜〜〜っ……ん、うんっ……! サボも生きてて……ほんと……、よかった…っ!!」

それから暫く泣いていたシアンも次第に落ち着き、サボは自分の目元の涙を拭うと今度こそ扉を開ける。

「――ほんじゃ、ルフィとシアンにゃ手ェ焼くだろうが…よろしく頼むよ!!」
「おう!! 任しとけ!!」

その返事を聞くとサボは小屋から出て行き、烏に乗って飛んで行く。残ったゾロはぷっと吹き出した。

「……エースと似た様な事言ってやがる…」

シアンはサボにしてもらったように自分の手でぐしぐしと目を擦ると、隣で眠るルフィを見た。穏やかな寝顔にくすりと笑い、ツンツンと頬をつつく。まったく起きる気配のない兄から目線を外して、シアンはこれからの事を考えた。

「(まず、どうやってこの国から出よう……。海軍が港を占領している今、脱出は難しい)」

そういえばと、シアンは思い出した。
先にゾウに向かったナミやサンジ達は無事だろうか。

「(……サンジがいるし、大丈夫か)」

彼の強さをしっかりと認めているシアンは、ベッドの下にある“桜桃”と二丁拳銃を見つけた。それを拾い上げ、所々に汚れているそれを指でこする。船に戻ったら手入れしないと、と思いながら彼女は再びベッドに横になる。ゾロ達の穏やかな声が子守唄のように聞こえ、シアンはゆっくりと瞳を閉じた。

「(サボが生きてて、よかった……)」




翌朝、一人早く目を覚ましたシアンは小屋からこっそりと出て丘の上から町を見下ろした。この国に着いた時とは全く別の風景だが、胸は痛まなかった。これはドレスローザという国が海賊から解放された証でもあるのだから。

「さて、と――」

昨晩泣きすぎたせいで目が腫れぼったいが、気にしていたも仕方がない。もう一度小屋に戻って書き置きを残すと、シアンはサクッと草原を踏みしめた。向かうはドレスローザ・南海岸である。
南海岸ではトンタッタ族のマンシェリー姫による『献ポポ』が行われていた。シアンはデレッと鼻の下を伸ばしている海兵を横目に、目当ての人物を見つけるとゆっくりと歩く。その人物はバリバリとおかきを食べていたが、シアンの姿を認めるとピタッとその手を止めた。

「何をしに来た――剣聖」
「あんたに会いに――センゴク」

周囲の海兵達もやっとシアンが居ることに気づき、献ポポ中の人間を除いた海兵が各々武器を構える。シアンは武器を構えないが、全く隙がない。するととうとう海軍がルフィ達を捕える体制に入ったようで、突然慌ただしく動き始めた。数人の海兵を残して南海岸からは人がいなくなる。それでもシアンとセンゴクは動かなかった。

「私は、海軍が大嫌い。正義を掲げているくせに、悪を振りまいているのは海軍も同じだもの」
「……否定はせん」
「……でも、センゴク、貴方の事は嫌いじゃない」
「!?」

「おつるさんの事も」と目をつる中将に向けると、つるは何かを探るように目を合わせる。「なんでだい?」と尋ねると、シアンは自然な動作で刀を撫でた。

「ギャバンがよく、話してくれたから」
「……………!!」
「ギャバンの話の中では、父と母はもちろん、船長のゴールド・ロジャー、それから仲間と………センゴク、おつるさん、ガープおじいちゃんが出てきてた」

二人っきりの無人島で、ギャバンはいろんな話をしてくれた。たくさんの登場人物が出てきたが、彼はいつも穏やかな表情をしていたのをよく覚えている。

「ギャバンを奪った海軍――サカズキは許せないけれど、センゴクとおつるさんは……嫌いじゃない」

それだけ言うとシアンは踵を返す。そのまま去ろうとする彼女に、センゴクは「待て」と引き止めた。

「なに?」
「“イルレオーネ島”」
「!!」
「………すまなかった」
「っ、…………、」

謝るセンゴクに、シアンは言葉が出ない。するとつるが衝撃の言葉を口にした。

「今イルレオーネ島が、とある海賊に支配されているという情報が上がってきている。まだ仮定の段階だから上層部しか知らないがね」
「海賊に支配……!? どの海賊!?」

驚きで目を見開くシアンに、つるは一度目を閉じてその海賊の名を告げた。

「〈百獣海賊団〉」
「――カイドウか………!」

予想外の人物にタラリと冷や汗を流すシアンは、ギリッと拳を握りしめた。海賊が分かったところで島に向かう事も出来ないし、例え動けたとしても勝手な行動は慎むべきだ。今自分達はドフラミンゴという男を倒した事で注目を浴びているし、彼をジョーカーと呼ぶ者達から恨みを買っている状況だ。つまり、カイドウからも恨みを買っているという事である。あの男の強さを知っているシアンだからこそ、動けなかった。

「…ありがとう、おつるさん」

情けない笑みを見せると、今度こそ南海岸から去った。そのすぐ後にやって来たローは、コラさんことドンキホーテ・ロシナンテの事をセンゴクと話す。全てを話し終えた後、ローは「ところで」と話を変えた。

「ギャバンってのは誰だ」
「……聞いていたのか」
「答えろ」
「………スコッパー・ギャバン。かつて海賊王の船に乗っていた男だ」
「それと剣聖屋になんの関係がある」
「育ての親と子どもだ」
「何………?」

シアンの境遇など何一つ知らないローは、何故ロジャー海賊団の船員に育てられたのかを尋ねるが、センゴクは首を横に振るばかりで答えない。これ以上は無理かと悟ったローは小さく舌を打ち、シアンが去った方へと向かう。
その頃『東の港』では、藤虎による猛追が始まっていた。




back