ネコに保護された迷子


「えーっと、何とかの森を進んで、なんか……闇? 闇の沼? を、……右に曲がるんだっけ?」

一度しか言われていない道案内をうろ覚えのまま進むシアンは、ここでようやく一人が寂しくなったのかじわりと瞳に涙を滲ませる。それでも泣くもんかと乱暴に手の甲で目を擦り、“右尻ウシリーの森”を進んだ。

「こういう森って、ギャバンと過ごした島に似てるな……」

かつてスコッパー・ギャバンと過ごした孤島・ザネリ。無人島のそこでは贅沢な暮らしは出来なかったが、自然の恵みだけで充分に生活することが出来た。
遠い昔の思い出にくすりと笑い、腰に差している刀に手を添える。すると開けた場所に真っ黒い沼があった。

「お、これが“闇の沼”か! じゃ、これを右に曲がるっと」

“闇の沼”ではなく“闇深き沼”で、しかも右ではなく左に曲がるのだが、うろ覚えのシアンは自信満々に右へ曲がってしまった。こうして彼女は、迷子の道をどんどん転がり落ちて行くことになるのである。

すっかり空は暗くなり、星が一面に散りばめられている。そんな夜空の下、シアンはべそべそと泣きながら未だ森の中を歩いていた。

「んえっ、ウゥッ……ぐす、うぇぇ〜〜ん…!」

歩き疲れて足は痛いし、お腹だってさっきからぐうぐうと鳴りっぱなし。誰とも会えなくてメンタルもボロボロ。泣き虫シアンはとうとう我慢できず、両目から大粒の涙を流していた。

「ルフィー! ゾロ、ウソップ! フランキー! ロビーン! うえっ…、ぐす、みんなどこー!」

ワンワンと泣き叫ぶシアンは、漸く広い場所に出たことにホッと息を吐く。くじらのような大きな樹に、立ち並ぶ家々。やっと森から抜け出せて、シアンは安心感からかぺたりとその場に座り込んでしまった。
そんな彼女を見つけたのは、ゴリラのミンク族・BB(ブラックバック)だ。左腕を肩から吊るしているBBは、新たな侵入者にその目をギラリと光らせる。対してシアンは、数時間振りに人に会うことが出来て、ついに大泣きしてしまった。

「ウワァァ〜〜〜ン! 怖かったよォ〜〜!!」
「!!? 何だ!? まだ何もしてねェぞ!!」
「ずっと、ひ、ひとりで、もり、っ森の中を……! 仲間にもあえ、会えなくてェ…!!」

BBに抱きついて泣きながら話し出すシアン。BBはどうすれば良いのか分からず、あたふたと慌てることしか出来なかった。そんな二人を木の上から見ていたペドロは、ザッと地面に降り立ってその姿を現した。

「団長!」
「その者は“剣聖”のシアン。〈麦わらの一味〉の仲間だ」
「“麦わら”の!」

その声色には敵意はなく、むしろBBの目にはうっすらと涙すら浮かんでいるではないか。シアンは意味がわからずにヒック、と喉を震わせながら何とか涙を飲み込み、ペドロと向き合った。

「何故一人なんだ? 恐らく、他の者達はイヌアラシ公爵のいる“右腹の森”に居るはずだが」
「そっ、その森に行きたかったんだけど、その……仲間とはぐれて、ま、迷ってしまいまして…」
「そうか…。今はもう夜。ワンダの案内で他の仲間も此処に来るだろう。一足先に旦那に会うか?」
「旦那??」

そうして招かれた先には、大きな大きなネコがいた。その大きさにぽかんと口を開け、放心状態のシアンの頭をネコのミンク族、そしてこの“くじらの森”の守護神・ネコマムシがこれまた大きな手でぐりぐりと撫で回した。

「ゆガラが“剣聖”のシアンか! よう来たぜよ!」
「んぐ、ちょっ、痛っ、」
「おお、忘れちょった! ガルチュー!」
「ウッ」

頭を撫で回されたかと思えば、次の瞬間には肋骨が折れるんじゃないかと思えるくらいの力で抱きしめられ、頬と頬を乱暴に合わせられた。それでもそこから伝わってくる暖かさがくすぐったくて、嬉しくて。シアンはしばらくそのままでいた。

「改めまして、〈麦わらの一味〉のロイナール・D・シアンです。よろしくお願いします!」
「ゴロニャニャ、そんなかしこまらんでえェぜよ! わしはネコマムシじゃき」
「じゃあ…ネコマムシ、よろしくね」

それから少し話し込んでいた二人だが、ネコマムシが突然「風呂に入るぜよ!」と言い出し、何故かシアンも一緒に入ることに。「そんな傷で!? 傷口開くよ!?」と止めるも、ネコマムシは全く聞かず、あれよあれよと言う間に風呂場へ行ってしまった。仕方なしにその風呂の淵に座って足だけをつけたシアンは、ネコマムシの身体をちらりと見やる。――包帯まみれだ。左手だって切られている。

「……ねェ、ネコマムシ」
「ん? なんじゃあ?」
「その傷、何があったのか聞いてもいい?」
「…………」
「ここに来るまでに、崩壊した国を見てきた。アレはずっと前のものじゃなくて、最近のものだった。……私達が来る前に、ここで何があったの?」

ぴちゃん、と水が跳ねる音が響く。シアンはネコマムシを真っ直ぐに見つめた。やがてネコマムシも「そうじゃのう…」と息を吐き、風呂場の外に向かって叫んだ。

「ラザニアを持ってくるぜよー!」
「へ?」
「旦那、持ってきました」
「おう」

すぐにペドロがラザニアを持ってくる。それを上機嫌に受け取ったネコマムシは、左手でスプーンを持ってパクパクとそれを食べ始めた。
そのすぐ後だった。彼が傷の原因と国が滅んだ話をしてくれたのは。

「じ、ジャックって……カイドウの……」
「あァ、そうじゃき。それからゆガラ達の仲間の――」
「………うそ…」

その数十分後、ルフィ達が“くじらの森”に到着した。「ガルチュー!」と盛大に迎えられる中、先刻ルフィと戦った牛のミンク・ロティとBBが「さっきは悪かったな」と謝ってきた。もちろんそんなことを気にするルフィではない。一つ返事で気にすんなと言い放った。

「そういや、ここにシアンが来てねェか? おっさんのところでずっと待ってたんだけどよー! 全然来なくて!」
「シアンなら、既に中にいるぞ!」
「なんでアイツこんなところにいるんだ…」

ゾロが呆れたように呟くと、BBは「泣きながら森から出て来たんだよ」と言う。これにはゾロも他の仲間もびっくりだ。「えェ!!?」と目を飛び出して驚きの声を上げる〈麦わらの一味〉に、「仲間とはぐれたって言ってたな」と続けるBB。

「何やってんだ……」
「シアンーーー!! おれだ! ルフィだ!!」
「って早ェよ!!」

バビュンと中に入ったルフィだが、シアンの居場所なんて分かるはずもない。直ぐに諦めたように出てきた。

「ルフィ! おれはネコマムシが色んな意味で心配だから、先に診て来るよ!」

ルフィに声をかけたのは医者のチョッパー。この地で何人もの患者を治療した彼は、イヌアラシとネコマムシの二人の王も手当てした為、容体が心配なようだ。「旦那は今お風呂に」と案内してくれるミンク族がネコマムシの居場所を教えてくれたのだが、その場所が問題だった。

え!!? 風呂!!?

――カポーーーン…♪と心地良い音が風呂場に響いた。それからすぐ後にネコマムシの歌声が聴こえてきた。いや、ネコマムシだけじゃない。女の声も一緒だ。チョッパー達は首を傾げながらも風呂の扉を開けた。

「ニャニャニャニャーン♪」
「ニャーニャーニャーニャ〜〜〜〜ン♪」
「ラザニヤ〜〜〜ン♪」
「うまいニャ〜〜ン♪」
「ぜよ」

シアンーーーーー!!?

そこにいたのはネコマムシだけではなく、ずっと探していたシアンの姿まであり、チョッパーやウソップの目が驚きで飛び出した。名前を呼ばれた本人は「あ、チョッパー! 無事で良かったァ!」と、湯船のお湯をパシャパシャと足で蹴りながら手を振る。

「シアン! ずっと探してたんだぞ!」
「ごめんなさーい! 気づいたらみんなとはぐれてて、てっきりあの犬耳の人の言ったところに向かったのかと思って、一人で森の中を歩いてたら迷っちゃったの。で、ここにたどり着いて、BBとペドロに出会って、ネコマムシに保護されました!」
「お前はゾロか!」
え、やだよ

ゾロと言われて即座に否定したシアンは、ラザニアをぱくっと食べる。もっもっと口を動かす彼女の表情は幸せ一色だ。ずっと歩きっぱなしで腹が空いていたのだ。今はどんなご飯でもご馳走だ。そうじゃなくてもこのラザニアは美味しい。

「というかネコマムシ! お風呂なんかまだダメだよ、傷が開く!! 食い物もまだ軽くだ!! 何で左手も使ってんだよ!! シアンも何で止めなかったんだ!!」
「ごっごめん……。私も一応止めたんだけど、この人が強行突破して……」
「ゴロニャニャニャニャ!! おーチョッパー、シアンは悪うないぜよ!! わしが入りたい言うたきに。それにかまんちやかまんちや、気にするな。わしは自由を愛する男!!」

「想像よりデケェな…」と少し腰の引けているウソップを無視して、チョッパーは「言う事きけよ!!」とまた怒鳴る。そんな彼を見ながらシアンはラザニアを食べる手を止めず、頬袋をぱんぱんにしながらもぎゅもぎゅと口を動かす。

「悪いが医者の命令も、おっとっと……!! どこ吹く風よ!! ――まだ左手がない事に慣れんぜよ。これじゃ拍手もできん! ゴロニャニャ」

ざばっと風呂から上がったネコマムシ。すると大きな尻尾が水面から姿を現した。シアンはスプーンを口に咥えながらそれを見つけて暫くじーっと見つめた後、ラザニアとスプーンを傍に置いてぎゅっと抱きついた。しかし風呂から上がりたてで、尻尾はびちゃびちゃ。服が完全に濡れてしまい、シアンの気分は急降下。

「シアン、どうしたんじゃ?」
「尻尾が濡れてるのを忘れてた……」
「おお! 服が濡れとるぜよ! 替えの服をワンダに用意してもらうじゃき、ちょっと待っちょれ」
「ありがと、ネコマムシ!」

その後、どこからか転がってきたボールを見て「わーい、ボールぜよ!!」と飛びついたネコマムシは、見事に傷が開き、チョッパー先生に怒られてしまいましたとさ。



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