飛んだ先はかの海賊船


カタン、カタンと小さな物音が聞こえる。その音をどこか遠くで聞きながら、シアンは微睡みからふっと意識を浮上させた。

「………ん…」
「あら、起きた?」
「…あなたは……」
「ふふ、私はナースよ。ちょっと待ってて、今人を呼んでくるから」

自身のことを“ナース”といった彼女は、優しい声色で柔らかく笑うとパタン…と静かに扉を閉めて出て行った。一人きりになった部屋でボーッと天井を眺め、ふと思い返すのはシャボンディでのこと。
一晩中飛ばされたここは、いったいどこなのだろう。痛む体を無理矢理起こして部屋を見回す。見たところ医務室みたいだ。ゆらゆらと視界が揺れてるのを感じ、ここがどうやら船の上だと気づく。
まだ頭が覚醒せずぼうっとしていると、扉の開く音が聞こえてシアンはそこに目を向けた。

「どうだい、よく寝れたか?」
「……不死鳥、マルコ……?」
「覚えてたのかよい。…立てるか?」
「ん……」

入ってきたのは、白ひげ海賊団一番隊隊長・マルコ。不死鳥の二つ名を持つ彼は、体を起こしていたシアンの背に手を当て、立つように促した。
シアンがまだ〈赤髪海賊団〉だった時、一番の好敵手だったのが〈白ひげ海賊団〉だ。シャンクスがマルコをよく誘っていたのを覚えている。
起きあがったシアンは医務室から出て、マルコの後ろを大人しく歩く。ズキッと脇腹に痛みが走るのをどこか他人事のように思いながら、突き刺さる視線に耐えていた。どうやらしばらく来ていない間に新人が増えたようだ。

「中に親父がいるよい。……親父、入るぞ」
「(いきなり白ひげ…)…失礼します…」

ある一つの部屋に着いたマルコは、シアンに一言声をかけただけで、すぐに扉を開けてしまった。何度も来ている海賊船とはいえ、この船の船長はそう気安く会える存在でもない。シアンは緊張を内に潜め、ゆっくりと中へ入った。
途端にズン、と重いものに身体を圧迫される。部屋の中にいた各隊長達の殺気だ。物理的なものじゃないそれに、シアンは「ハ…っ…」と思わず息をこぼした。
その後すぐに白ひげの覇気がシアンにのしかかった。先日浴びたレイリーの覇気と同等か、それ以上の覇気にシアンは後ずさりたい気持ちをぐっと堪え、その場で踏ん張った。そのせいで脇腹の傷口が開き、白い服にじわりと赤が滲んでゆく。

「グラララララ!!! やるじゃねェかチビ!!」
「チビじゃないっていつも言ってるよね……。つかれた……」
「よし、赤髪のとこなんざやめておれのとこに来い」
「人の話聞けよ!! …それから、もう私〈赤髪海賊団〉じゃないから」

豪快な笑いとともに覇気と殺気が消える。軽くなった身体をほぐしながら、シアンは白ひげの前に座った。まだ〈赤髪海賊団〉をやめたことを知らなかった白ひげにその旨を伝えると、部屋にいた全員シアンの言葉に驚いた。

「…は、シアン……まさかとうとうこの船に乗る決断をしたのかよい?」
「違うっつってんでしょーが! 何でそうなるの!」

マルコまでそんなことを言い出し、シアンは目を吊り上げて否定する。何でそうまでして…とブツブツ文句を口にすると、マルコはニヒルな笑みを浮かべて見せた。

「そりゃあ、シアンを気に入ってるからに決まってるよい」
「き、にいってるって……」

ど直球な告白に、シアンの顔も赤くなってしまう。かの有名な海賊団の一番隊隊長にそんなことを言われてしまえば、平然となんていれるはずもない。
しかし、言わなければ。〈赤髪海賊団〉をやめた今、自分の所属する場所を。

「私、〈麦わらの一味〉に入ったんだ」

胸を張って告げた。マルコ達は「麦わら?」と首を傾げたが、すぐに“エニエスロビー”での一件を起こした海賊団だと思い出す。

「何でまた…。四皇からルーキーに乗り換えるたァ、なかなか聞かねェ話だよい」
「……約束、だったから」
「…そうか」

ひどく曖昧な、けれど白ひげにとっては十分な答えだった。シアンらしい、と彼は目を細め、目の前に座る女を愛しげな眼差しで見つめた。

「…ところで」

そんな白ひげの眼差しには気づかないまま、シアンは声色を変えて話を変えた。たったそれだけでこの場の空気が一変する。まだ齢16の少女がこの屈強な男たちの空気を変えるなんて、並大抵のことではない。
白ひげもさっきまでの陽気さはなく、そこにいるのはかの四皇の白ひげ海賊団船長だった。

「どうしてエースがインペルダウンに…? 誰が、エースをそこに…いや、誰がエースを捕まえたの」

微かな怒りを滲ませながら、震える声でなんとか問いかける。散り散りになってしまった仲間のことも心配だったが、今、シアンの頭の中はエースのことでいっぱいだった。
シャボンディ諸島に着く前に見た新聞の記事に、シアンは嫌な予感を感じつつも放っておいた。もしかすると、と思ったし、何より自分とエースは兄妹以前に敵なのだ。勝手な都合でエースの顔に泥を塗るわけにもいかない。
――それでも、エースとシアン、そしてルフィは血よりも濃い絆で結ばれた兄妹だ。

「…ティーチ」
「ティーチって……え、まっ待って…。まさか…」
「…仲間殺しをしたんだよい。サッチを殺してヤミヤミの実を手に入れたティーチは、そのまま逃げるように船から降りた。その後を追うようにエースも船を降りて………ティーチに負けたんだよい」

重い口を開いたマルコから告げられた内容は、とてもじゃないが平静でいられないものだった。四番隊の場所を見ると、確かにそこにサッチの姿はない。いつもきっちり整えられたリーゼントに、まるで兄のようにシアンに接してくれた彼は、部屋のどこを探してもいない。

「……うそ…。…だって、前来たときはいたじゃん……みんな…みんないたじゃない…!」
「…嘘じゃねェよい」
「そんなのっ…! …それじゃあ、エースが捕まったのは…ティーチのせい…?」
「…そうだ」

悔しそうに握られた拳。
それは見ているだけで痛そうだった。

「……この船は、今どこに向かってるの?」
「マリンフォード――…海軍本部だ」
「……そう…」

――私も連れていって。
迷いのない台詞に、白ひげはわかっていたかのように力強く頷いた。

「(……ごめん、みんな…。ちょっと寄り道していくよ…)」

少しずつ少しずつ焼けていくエースのビブルカードを見ながら、海を眺める。時刻はすっかり夜。月の光に反射された海はどこか幻想的な何かを放っている。

「おれたちは…ぜってェ悔いの残らないように生きるんだ!!」

「――置いていかないで……エース…!」

ゆらりゆらゆら揺れる水面に、一粒の雫が落ちた。そこから波紋が広がり、やがては消えていった…――。





back