それはまるで、海の如く


ゾウに残った面々は、まずはワノ国の情勢について知らなければと頭を付き合わせて話し合う。

「そういやァ、ワノ国ってどうやって行くんだ?」
「私もワノ国には行ったことないや…。鎖国国家だし、なんか難しい入国方法でもあるの?」
「ちゃんと知っとかねェと、空島での二の舞になりそうだもんな」
「あー、あのぼったくり! 懐かしいなァ」

シアンも〈赤髪海賊団〉に乗っていた頃空島へ行った事があったが、入国の際に払わなければならないお金に目が飛び出た記憶がある。勿論シャンクスは「やなこった!」と満面の笑みで断っていたが。

「難しいと言えば難しいでござる」
「?」
「常にワノ国全体を悪天候が囲い、波は荒れ、潮の流れも速い! おまけに鯉の群れまでいるでござる!」
「は、え? 鯉?」
「鯉って淡水魚、川魚じゃなかったかしら?」
「さすがロビン殿。そう、鯉は淡水魚。ワノ国の入り口付近は“川”が流れているのでござる」

「は〜〜〜!」シアンはおっかなびっくりした顔でテンガロンハットを被り直した。予想外も予想外。あのロビンでさえ驚いて声すら出ないのだから。

「入国に関しては錦えもん達がおるから何とかなるきに。問題はその後ぜよ」
「そうだな。言った通りワノ国は鎖国国家。異国人が入ればたちまち乱闘騒ぎになるのは目に見えている」

ネコマムシとイヌアラシに言われ、次なる問題はどうやってワノ国で活動するかに論点がいく。ルフィ達を置いて先に行くからには、問題を起こす訳にはいかない。出来るだけ隠密に、そして多くの情報を集めなければならないが、果たしてどうやって――。

「ワノ国って海外の情勢には詳しいのかな?」
「昔は外界の事には触れてはならんと言うのが、国の習わしだったでござるが……」
「そのまま今もそれが続いているのなら、私達が〈麦わらの一味〉だって事も、顔を見ただけじゃバレないはず。だったら軽い変装でもして、それぞれの得意分野で活躍しつつ情報を集めるのが、一番効率が良くない?」

危険な策だが、確かに効率はいい。ゾロも頷きクッと口角を上げる。

「コソコソ隠れてやるよりよっぽどいい」
「うん、コソコソ隠れるの無理な人がいるからこそなんだけどね?」
「ふふふ、シアンもゾロの扱いが分かってきてるわね」
「そりゃあもう」

クスクスと笑い合う女二人に、ゾロは居心地が悪そうに舌を打ち、そっぽを向いた。だがウソップに「まあまあ」と宥められて酒を差し出されれば、その機嫌も一気に回復してぐいっとお猪口を煽る。本当は樽で呑みたいくらいだが、これもこれで乙なものだ。

「おれァ、ワノ国の大工がどんなものか一度見てみてェ」
「確かにワノ国の大工は、腕が立つ者が多いでござるよ」

カン十郎の言葉に俄然やる気が出たフランキー。それを聞きながら、ローは更に言葉を重ねた。

「当面はそれで行くとして、一番の問題はカイドウだ」
「そうだね。アイツは私達の顔も知ってるし、何よりワノ国で何をしているのか予想がつかない分、動きづらい」
「何をって、荒らしてるだけじゃないって事か?」

ウソップの疑問にローは頷き、「恐怖に勝るものはない。奴がワノ国にいる敵対情勢と繋がっていれば、事態は更に悪い」と苦悶の表情を浮かべた。

「まァ、こればっかりは行ってみない事には分からないね」
「そうぜよ。まだ時間はある。とにかく今日はゆっくり休め」

ネコマムシに促され、頭を付き合わせていた連中は散り散りに。シアンもロビンに声だけ掛けて、一人で海岸へ向かった。

「やっぱり、ギャバンと過ごした島に似てる……」

彼処にはこんな崖は無かったが、それでも空気が、雰囲気が、育った故郷にとてもよく似ていた。

海岸に腰を下ろし、海風を一身に浴びながら銃を取り出す。まだ弾づまりジャムった銃を直していなかったのだ。とは言え途中までは済んでいる。黒光りするそれを指でなぞると、これをくれた人物を思い浮かべながら手入れを始めた。






「シアン」
「ベック? どうしたの?」
「鍛錬はどうだ?」
「お師匠がくれた鍛錬ブックをやってるの! これをやれば剣士くらいにはなれるだろうって」
「ミホークの鍛錬ブック? ちょっと見せてみろ」
「うん! ちょっと重いよ?」

甲板の端の方に追いやられていた分厚い本を持ってきたシアンに、ヒクリと顔が引きつる。何だそれはという台詞をグッと飲み込み、ベックマンは差し出された鍛錬ブックを受け取った。が、ちょっとどころではない。めちゃくちゃ重い。
よくこれを『ちょっと』などと言ったなと胸中で思いながら、ページをめくった。しばらく流し読み程度で目を通していたが、彼の顔色は次第に悪くなるばかり。しかも一言も発さないのだから、シアンも不安になって「ベック…?」と名前を呼ぶが、反応はない。

――『これをやれば剣士くらいにはなれる』? 馬鹿を言え、剣士どころではない。大剣豪でさえ夢じゃないぞ!
ベックマンがそんな事を思っているだなんて露ほども知らないシアンは、もう一度彼の名を呼んだ。今度はちゃんと聞こえたらしく、「あ、あァ」と吃りながら返事をした。

「もー、ベックマンまで固まっちゃうなんて」
「………おれまで? 他にもこれを誰かに見せたのか?」
「これを貰った時にシャンクスもいたから、あの人も見たよ。ベックと同じ反応してた」
「(お頭もおれと同じ事を思ったに違いねェ……)」

パタンと本を閉じてシアンに返す。それをまた同じところに置く姿を見てから、ベックマンは当初の目的を思い出した。

「シアン」
「うん?」
「受け取れ」
「うおっ……と、な、え、こっコレ…!」

投げられたのは、彼の得物である銃だった。しかも二丁。黒光りする重みのあるそれを両手で持ちながら、シアンは動揺を隠せなかった。その様子をニヤリと笑い楽しむベックマンだが、何も無意味に手渡したわけじゃない。

「その鍛錬ブックとやらをこなせば、いずれお前も剣士として名を馳せるだろう。だが、いつ何時でも“一発逆転”の技は持っとくべきだぜ」
「技って……」
「これから先、“自然系ロギア”の能力者はうじゃうじゃ出てくるだろうし、覇気の特訓もしなきゃならねェ。銃が効かねェ敵なんてそこら辺にいるだろうが……」

続いてシアンに投げ渡したのは、弾薬。まじまじとそれを見つめる娘に、ベックマンはまるで父親のような眼差しを向けた。

「それは海楼石で出来た弾丸だ。つまり能力者にも効く」
「かっ海楼石ィ!? そんなのあるの!?」
「おれが作らせた。――剣士が銃を持っているってだけで、隙は充分作れる。その隙をどうするかはシアンの腕に掛かってるぞ」
「その“隙”のために、これを……?」
「それもあるが………まァ、おれも何かお前にあげたかったのさ。ウチの大事な娘だからな、守る術は多い方がいい」

二丁拳銃を大事そうに両腕で抱えるシアンをベックマンが抱き上げ、片腕に乗せる。もう片方の手で“桜桃ゆすらうめ”と鍛錬ブックを持つと、彼はスタスタと歩き始めた。

「どこ行くの!?」
「射撃練習――の前に、腹ごしらえだ。コックが特別デザートを用意してるらしいぜ」
「わーい!」

無邪気に喜ぶシアン。渡した二丁拳銃が、この笑顔を守る一弾となれるように、ベックは全く信じてもいない神に祈った。








「よし! 直ったー!」

手入れされてピカピカになった銃に満足そうな笑みを浮かべ、ホルスターに仕舞う。やる事も終わったシアンはそのまま海を眺めることにした。

「ルフィ達、今頃どこら辺かな……」

まだビッグ・マムのナワバリすら入れてない筈だが、今回の計画は速さが命。無事に辿り着けていればいいが。

思えばここまで目まぐるしい毎日だった。二年の時を経て集まったが、そこから怒涛のように過ぎた気がする。魚人島に、パンクハザードに、ドレスローザ。一呼吸する間も無く戦いに明け暮れ、更にはあのドフラミンゴを倒した事で、時代は大きくうねりを上げている。

「ねェ、エース。サボに会ったんだよ。何とびっくり、革命軍の参謀総長なんてやってるんだって。しかもエースが食べた“メラメラの実”も手に入れてさ」

もう死んだと思っていた兄が、生きていた。

「ねェ、ギャバン。父さんと母さんの事、全部思い出したよ。……あんなに深く、私を愛してくれていたんだね」

大切な事を思い出した。それはギャバンの願いでもあり、そして父と母の願いでもあった。

「ねェ、白ひげ。確かに私は一人じゃなかった」

仲間がいる。貴方は死ぬ間際までそれを教えてくれた。

「それでも――遠いよ………!」

――ああ、だめだ。ここ・・はだめだ。あの場所に、ザネリ島に似過ぎている。
私を深い愛で包み、育て、守ってくれた人は、もういないのに。

「ギャバンっ………ギャバン…!」

会いたいのに会えないなんて、きっとどんな拷問よりも苦しい。




「シアン! こんな所で何しとるきに?」
「ネコマムシ………」

ポンと大きな手でシアンの頭を叩いたネコマムシ。彼は振り返った彼女の頬に泣いた跡があることにすぐに気づいたが、何事も無かったかのように隣に座った。

「海を、見てたの」
「そうかそうか」
「………ねェ、ネコマムシ」
「ん?」
「ネコマムシって、海賊王の船に乗ってたんだよね?」
「あァ、おでん様の従者としてのう」
「その船にね、…………、――スコッパー・ギャバンって人はいた?」

一瞬間を置いて尋ねた人物の名に、ネコマムシはニィッと目を細めて大きく頷いた。

「ゴロニャニャニャ! 懐かしい名前ぜよ!」
「しっ知ってるの!?」
「知ってるも何も、よくロジャーを諌めておったぜよ! 何じゃ、シアンも知っとるのか?」

キラキラと目を輝かせながら、ネコマムシは純粋に問う。どきりとしたシアンは、顔を海の方に向けて「うん」と答えた。

「私の、育ての親なんだ」

〈麦わらの一味〉にすら言ったことがなかった。意図的に隠している訳ではない。狡い言い方をすれば『聞かれなかった』から、言っていないだけ。
だがそんな質問、思い浮かぶ方がおかしい。海賊王のクルーと関係がありますか、なんて聞かれる方が珍しいのだから。

「そうか、ギャバンが……。どうじゃ、アイツは良き父親だったか?」
「うん。最後まで私を愛してくれて、守ってくれた。――最高の父親だったよ」
「ゴロニャニャ……、そう言われたらギャバンも喜んどるきに」

ぐしゃぐしゃと頭を撫でられ、シアンは揺れる視界の中ネコマムシを見上げる。すると彼は自分を慈しむ眼差しで見ていた。

「会いたいのぅ、ギャバンに」
「っ、……そんな事言ったって…どうにもならないよ。どうせ会えないのに」
「会いたいっちゅう気持ちを抑えつけたってどうにもならん。我慢して耐えるより、言葉に出して吐き出してしもうた方がよっぽどいいぜよ」

――ああ、泣きたくなんてなかったのに。泣き虫は卒業しようと思っていたのに。

海風が吹く海岸で、シアンはネコマムシの暖かさを感じながらわんわんと泣いた。
海の如く深い愛で自分を包み込んでくれた、大切な人を想いながら。



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