居眠りさんにはご用心


女中としてオロチ城に潜り込んでから数日。今日も今日とて女中頭に大量の仕事を押し付けられながら、シアンは情報収集に励んでいた。
主な情報源は、将軍オロチの部下や彼に呼ばれた芸者達。最初は新入りに興味を持った人を言葉巧みに引き入れ、今では横つながりで人脈を広げていっている。

いつか芸者に扮したロビンもこの城に来るだろう。その時が今からとても楽しみだ。

「シアンちゃん、仕事はひと段落ついたか?」
「はい!」
「なら茶休憩でもしていけや。今日のあんころ餅は絶品だぜ!」
「わーい! いつもありがとうございます!」

誘われるがままに厨房へ顔を出すと、中にいた料理人が「よく来たな!」「こっちに座るでござる!」と歓迎の言葉と共に茶と菓子を用意してくれた。勧められた椅子に座り、差し出されたあんころ餅を食べる。

「ん〜〜〜っ! んっ! んま〜〜!」
「ほんと美味そうに食いやがって!」
「この笑顔にやられたよなァ、おれ達……」
「ほれ、おかわりあるぞ」
「ありがとうございますっ!」

皆、娘や孫に対して接するようで、厨房内もほっこりとした雰囲気に包まれた。
暫く絶品の味を堪能していると、もうすぐオロチ将軍の生家である黒炭家御用達の両替屋、狂死郎が城にやって来る。時間が来るまでの彼の相手を頼まれているシアンは、料理人達に礼を言って急ぎ足で城門へ向かった。



「狂死郎様、お待たせしました」
「おう、何だ、また仕事でも押し付けられてたのかァ?」
「いえいえ。いつも言っておりますでしょう? 女中頭は私の良き指導役で御座いますれば。押し付けるだなんてそのような事……」
「まァどうでもいいでござる。ん、」
「――かしこまりました、狂死郎様」

お猪口を傾けられ、シアンは流れるような動作で狂死郎の真向かいへ座る。テーブルに乗せられていた徳利を持って、彼の持つお猪口へソッと酒を注いだ。

「ん〜〜〜っ、んめェ! やっぱり美女が入れる酒が一番うめェな!」
「ふふ、お上手ですね」
「おれァ世辞なんか言わねェよ?」

まだ赤くない頬をニヤリと挑発的に釣り上げる男を、これまた華麗に「そうですか」と受け流す。

「ですが、狂死郎様と言えば、あの花魁“小紫”様をご贔屓になさっているとお聞きしました」
「おれの遊郭の遊女だからな。何、嫉妬か?」
「まさか。私とワノ国一の花魁とでは張り合いにもなりませんよ」

くすくすと忍ぶように笑うシアンの横顔を見つめる狂死郎。

この男と顔を合わせるのは、まだ二度目だ。それでもやっぱり身体は緊張して強張るし、一挙手一投足気が抜けない。
将軍オロチにはそんなことなかったのに、どうしてこの男の前ではこんなにも警戒してしまうのだろうか。

「そろそろお時間ですね」
「それじゃあ、お前が綺麗にした座敷に案内してもらおうか」
「塵一つないので、ごゆっくりご歓談下さい」

オロチが待つ座敷まで案内し、狂死郎と別れるとシアンは穏やかな笑みを瞬時に消して深く息を吐いた。

「(き、緊張したァ……! 本当に何者なのあの人! 隙が無いっていうか…え、ワノ国の男ってみんなそうなの!?)」

廊下を歩きながら頭の中でひたすら文句を言っていると、「よっ」と明るい声が降ってきた。パッと見てみれば天井の隙間から、銀鼠色の瞳が覗いていた。

「吉太くん!」
「よいしょっと。ほら、饅頭もらって来た!」
「わ、ありがとう。……って、吉太くんまた傷増えてない?」

前は鼻頭だけ絆創膏を貼っていたのに、今は右頬にも同じものがある。シアンの視線の先に気がついたのか、饅頭を頬張りながら「あー、任務が忙しくて」と軽く言う。

「吉太くんってこの屋敷全体を警備してるの? それとも屋敷の外も管轄してたりとか?」
「基本は屋敷ここだな。おれ、オロチ様直属の忍者だから」
「……………」
「何だよ?」
「思ったより吉太くんが凄かった」
「おい、それおれに失礼だからな!」

目を釣り上げて怒る吉太に笑いながらごめんと謝ると、すぐにカラッとした笑顔で許してくれた。

「それより、また狂死郎殿に指名されたんだな」
「うん…。他にも女中はいるのに、どうして私なんだろう」
「さァな。……あの人が何を考えてるのか、誰にも分からねェよ」

少し沈んだ声に僅かばかり目を瞠るシアンだったが、すぐに吉太がパッとした笑顔を見せた為、それ以上その話を追求することはやめた。

それから暫く話した後、シアンは残りの仕事を片付けて屋敷から出た。たまに買い食いをしながら栄えている花の都をふらふらと歩くと、おでん城跡に帰った。

「ただいまー」
「おかえりでござる! 収穫はどうであった?」
「まあまあ、とりあえず晩ご飯買ってきたからみんなで食べて。話はそれからね」

ほかほかと湯気が立つご飯を並べると、錦えもん達は礼を言って食べ始めた。彼らはこの国では死んだことになっている為、迂闊に外を出歩けないのだ。
自分達の故郷なのに、自由に外を歩くことも出来ないなんて。シアンはふつふつと湧き上がる怒りをぐっと飲み込んで、天ぷらをぱくりと食べた。

食べ終わった後は、恒例の報告タイムだ。ゾロは浪人としてワノ国中を歩き回っているため、毎回不在だ。たまに運良くこのおでん城跡に帰ってこれる日もあったが、それも最近はめっぽう減ってきてしまった。

「――私からは以上かな。細かい屋敷の地図は、また書き足しておくね」
「ありがたい……!」
「これでも結構馴染めてる自信はあるよ。……だから錦えもん、泣かないで」

ここに来てから彼が涙を流している姿を見ることが多くなった気がする。それだけ錦えもんも不安なのだろう。何せ彼らにとって今の計画は、20年の時を経てやっと巡ってきたチャンスなのだ。これを逃せばもうきっと、二度とチャンスは来ない。

「あ、そうだ。お腹の調子は大丈夫?」
「ウッ」
「やっぱり、最初の頃に食べてたやつのせいだって! ベポ達も未だにトイレでしょ!?」
「またか…」
「またかって、あんたのせいでもあるんだからね、ロー! どこから持ってきたのか分からないような食べ物持ってきて!」

錦えもんやカン十郎、それからベポ達は皆、腹痛と言う名の病を抱えていた。全員下痢となり、トイレから出てくることもままならない状態だ。
それもすべて、汚染された川の水を動物達が飲み、それを彼らが食べたからに他ならない。

「(ほんっとうに食べなくて良かった…)」

見るからに毒気を放っていた食べ物を食べるのは、流石のシアンでも気が引けた。勿論皆にも止めたが、腹が減った彼らは聞く耳を持たず、結果的に腹痛を引き起こしてしまったのである。

「そうだ。私暫く休みを貰ったからさ、明日はゾロを探してみるよ」
「助かる。あいつは一応『花の都』の浪人担当だからな…。騒ぎを起こす前に見つけておきたい」
「私毎日花の都を歩いて帰ってくるけど、ゾロに全く会わないんだよねェ」
「「………………」」

ローと二人で顔を見合わせると、深い深い溜め息を吐いた。

「ルフィ達がもうこっちに向かっているのか、それともまだビッグ・マムのところなのかは分からないけど、来たら多分すぐに分かる」
「何故だ」
「だって、ルフィが騒ぎを起こさないなんて絶対無理」

きっぱりと言い切ったシアンに、ローは手で額を抑えて唸った。正直心当たりがありすぎるからだ。

「そんなルフィとゾロが一緒になったら、それこそもう手遅れ間違いなし」
「その前に何としてでもロロノアを捕まえておかねェとってことか」
「加えてワノ国ここには厄介な超新星達がいるからねェ。特にバジル・ホーキンス! アイツには見つかりたくない…」

そこまで口にすると、シアンは「じゃ、風呂に入ってくる」と言い残してオンボロ屋敷に背を向けた。



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