魔法薬学の先生

 魔法薬学の授業は地下牢で行われた。この場所は城の中にある教室よりも寒いため、フィーは少し震えていた。元々寒さに弱い彼女は、いつも此処に来る前に魔法で暖かさを保っていたのだが、今日はそんな暇もなく(ただ忘れていただけ)普通のローブ一枚。
 けれど馴染みのある場所には変わりない。変わりないのだが――それは場所だけ。唯一変わっていってしまう教授達には、寂しさを拭えない。

 暫く寒さに身を摩りながら座って待っていると、魔法薬学の教授――セブルス・スネイプがドアを力任せに開けて入ってきた。ふてぶてしい態度をこれでもかも押し出しているスネイプを、この教室で、しかも教卓に立っている姿を見られるなんて思ってもみなかった。フィーの目元が懐かしさで緩んでしまうのも仕方がないと言えるだろう。
 授業の前に、彼は出席を取っていく。自分の名前が呼ばれる時を、フィーははやる気持ちを抑えながら待った。

「フィー・ディオネル」
「っ、はーい!」
「返事は短く。次――」

 つい間延びした返事をしてしまった。驚愕するグリフィンドールとスリザリンの生徒達の眼差しをスルーしながら、フィーは緩んでしまう表情を意識的に引き締めた。あんなに不安と緊張でドキドキしていたのに、今は別の意味でドキドキしている――勿論良い意味で。
 そんな彼女の耳に、スネイプの猫撫で声が聞こえた。彼のそんな声を聞いたことがないフィーは、つい身体を前のめりにしてジッと彼を見てしまう。そんなスネイプの目は、ハーマイオニーの隣に座るハリーに釘付けだ。

「あぁ、さよう。ハリー・ポッター。 われらが新しい――スターだね」

 彼の台詞にクスクスと嘲笑うのは、ドラコ・マルフォイ率いるスリザリン生だ。やはりこういう所は変わっていないのかと再認識しつつ、フィーはこっそりと溜め息を吐いた。グリフィンドールとスリザリンの仲の悪さは折り紙つきだ。

「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ」

 そんな冒頭から始まった“魔法薬学”についての説明は、言うなれば“毎回恒例のもの”だった。くあぁ、と欠伸を噛み殺しながらフィーは頬杖をついて羽ペンをくるくると回す。隣のハーマイオニーは真剣に話を聴いているのに、その奥に座るハリーは羊皮紙に何かを書いている。
 彼の授業で、しかも初回でそんなことをする勇気ある行動に、流石のフィーも心の中で拍手を送った。只でさえ目をつけられているのに、見つかったらどうなるのか。そろっとスネイプを見ると、既に彼はそんなハリーを目ざとくも見つけていた。

ポッター!

 声を張り上げたスネイプに、フィーはあーあと手のひらで目を覆う。ここから始まった粘質なハリー虐めに、彼の友人だとしても立場上何も言えないフィーは、ピンと手を伸ばすハーマイオニーの隣で縮こまっていた。
 ここでハリーが大人しくしている筈もなく(まだ付き合いは短いが、彼の性格は父親譲りだと早々に気が付いた)、彼は「わかりません。ハーマイオニーが分かっていると思いますから、彼女に質問してみてはどうでしょう?」と言い放った。

「………馬鹿ハリー」

 ついぼそりと言ってしまったが、自分は決して悪くない筈だ。現にスネイプは至極不愉快そうに、いつの間にか立ち上がっていたハーマイオニーに「座りなさい」と冷たく吐き捨てた後、長々とハリーに問い掛けた質問への答えを言い始めた。

 彼がこの説明を終えた後に何を言うかなんて分かりきっているフィーは、込み上げる欠伸を何とか堪えながら羽ペンにインクを浸し、羊皮紙へ文字を書いていく。しかし彼の説明通りではなく、とても簡潔に纏められたものだが。
 やっと説明を終えると、スネイプはぐるりと教室中を見渡し、ねっとりとした声質で生徒達に呼びかけた。

「どうだ? 諸君、なぜ今のを全部ノートに書き取らんのだ? ディオネルは最初から真面目にノートを取っていたがな」
「(ほーら、絶対言うと思った!)」

 誰にも気づかれないようにじとりとした目でスネイプを睨むと、彼はフンと一笑した。それきり目が合わないまま、実践練習に入った。
 初回の授業で作る薬は、おできを治す薬だ。魔法薬学を学んでいるものにとっては簡単なものだが、初回の授業ではうってつけだ。彼は生徒を二人組に組ませると、早速薬を作るように言った。
 人数の都合上一人になったフィーだが、彼女にとっても都合が良かった。彼女にとって魔法薬学とは学び尽くしたものだ。今更おできを治す薬を初心者のように作るなんて、それを演じる方が薬を作るよりも難しい。彼もそれを分かっていて、フィーを一人にしたのだろうか。

「えーっと、次は山嵐の針を二本入れて……時計回りに五回かき回す、と」

 仕上げに杖を振れば、鍋からピンク色の煙が上がった。完成だ。鍋の中を見て一人頷いたフィーは、スネイプを目で追う。どうやら早々にお気に入りを見つけたらしく、ドラコ・マルフォイ以外の生徒を陰湿に注意していた。そんな彼がフィーの机の横を通り過ぎる際、音もなく「見事だ」と告げたことに思わずくすりと笑ってしまった。――昔から彼は、素直ではないのだ。

 スネイプの反対側をふと見てみると、ネビル・ロングボトムが教科書と睨めっこをしながら必死に薬を作っていた。その姿を何も考えずにぼーっと見ていると、彼が火にかかったままの鍋に山嵐の針を入れようとしていた。(あれ? 火を止めないのかな)と普通に流そうとしていたフィーだが、ハッと覚醒すると考えるよりも先に杖ホルダーから杖を取り出していた。

「ネビル!」
「え?」
「待っ………っ、プロテゴ護れ

 無言呪文を放とうとしたが、一瞬で頭を回転させて初級呪文である盾の呪文を唱えた。するとネビルの周囲に見えない盾が張り、彼を噴射した薬から守った。吹きこぼれた薬はじゅうじゅうと音を立てながら床を焦がしていく。それだけで失敗とわかってしまうが、それよりもネビルが無事なことにホッとした。失敗した薬を被ってしまえば、逆になった効能が出てしまう。つまり、今回の薬で言えば――おできが尋常でない程出来てしまうのだ。
 酷い床の有様から目を逸らしつつ(スネイプなら最終的には許してくれそうだ)、まだ腰を抜かしたままのネビルへ歩み寄り、手を差し伸べた。

「怪我はない? ネビル」
「あ、ぼっ僕、ご、ごご、ごめっ……!」
「ネビルが無事でよかった。ほら、掴まって」

 ネビルを立たせると、彼は自分が傷一つないことにホッとしたのか、ぼろぼろと大粒の涙を流した。その様子を見守りながら、誰も怪我をしなくてよかったとやっと肩の力を抜いた瞬間――。

バカ者!! おおかた、大鍋を火から降ろさないうちに山嵐の針を入れたんだな?」

見てもいないのに、その通りのことを指摘したスネイプにフィーは舌を巻いた。彼は学生の頃から魔法薬学には長けていたが、教授になってから磨きがかかっている。

「ポッター、針を入れてはいけないとなぜ言わなかった。彼が間違えれば自分の方がよく見えると考えたな? グリフィンドールはもう一点減点。…しかし、ディオネルの見事な機転で二点を与えよう」
「(なんて理由で減点してるの……)」

 ハリーへの理不尽な減点に怒りが湧いてきたが、自分の初加点だと思うことでそれを鎮めた。彼の内に潜めている想いも、少しは理解しているつもりだ。

「今日の授業はここまで。念のためロングボトムは医務室に行くように。それからディオネルはこの場に残っておきたまえ。以上、解散」

 ……初回から居残りか。フィーは苦笑しつつも、彼がどうしてそう言ったのかを少しでも理解している分、青褪めた顔で謝りに来たハリー達への返答に困った。

「フィー! ごめん、僕のせいで……」
「ハリーのせいでも、ネビルのせいでもないよ。私が気がつかない内に何かしちゃったのかもしれないし、別件かもしれない。……だからさ、そんなに絶望した顔しないで」

 この世の終わりでも訪れたような表情を浮かべるハリー達。たった一回の授業でどれだけ嫌われたんだと、フィーは空笑いするしかなかった。

「それじゃあ、こっちを睨んでる人がいるから、また後でね」
「生きて帰ってこいよ……」

 ロンの縋るような弱々しい台詞にヒラリと手を振り、ハリー達を見送った。扉が閉まり、教室には静寂が訪れる。ゆっくりと後ろを振り返ると、まるで黒を象徴するかのような人が自分をジッと見ていた。

「……――ただいま、セブルス」
「あぁ、………おかえり、フィー」

 会ったら何を言うか、ずっと考えていた。だって何も言わずに彼らの前から姿を消したんだ。今更どんな態度で話しかければいいか、分からなかった。授業中だって普通にしていたが、それは他の生徒もいたから出来たことだ。
 でもそんな悩みも、こうして二人になれば無駄だった。考えるよりも先に言葉が出ていたのだ。

「それで? 何故またそのような子どもの姿なんだ」

 ジロリと薄く開いた瞳で見られ、フィーは苦笑しながら頬を掻いた。不死ではあるが不老ではない彼女は、セブルス達と卒業する頃は身体も成長していたのだが、とある事件によってそれも逆行してしまった。

「私が“あの魔法”の副作用のせいで、私自身の身体の時間が緩やかだって話は昔したよね?」
「あぁ」
「この身体は確かに“時間”が蓄積されている。けれどあの日――あの呪文・・・・を浴びた私は、死なない代わりに身体が幼児化してしまった」
「幼児化、だと…?」
「そう。具体的に言うと……5歳児になったの」

 それからは大変だった。自分の屋敷にいた彼女は、胸が引き裂かれそうな痛みを伴いながらも必死に耐え、やっと痛みが引いたと思えば自分の手のひらがやけに小さいことに気がつく。慌ててレイテルを呼べば、彼は主人の姿を見てピャッと小さな肩を飛び上がらせるように驚いた。
 レイテルに姿見を持ってきてもらうと、そこに居たのは正しく幼児。つい最近ホグワーツを卒業したようにはとても見えなかった。ここでやっとフィーは、ホグワーツに関わる“誰か”が許されざる呪文をかけられたことに思い至った。

「――で、急いでダンブルドアに知らせると、ゴドリックの谷でジェームズとリリーがヴォルデモートに“死の呪文”をかけられたって言われて。でも幼児の身体の私には何もできないから、ダンブルドアは『しばらくは安静にして、成長するのを待とう』って言われちゃったの」
「そうだったのか……。しかし5歳児とは、信じがたい話だ」
「私だって! でも実際に起こったし、なんなら今のこの姿が何よりの証拠だと思うけど?」

 くるりとその場で回ってみせると、スネイプにしては珍しく小さく笑んだ。それも彼女がぱちりと瞬きをすると消えてしまったのだが。

「それじゃあ、そろそろ寮に戻ろうかな」
「ぜひそうしたまえ」
「うわ、自分が引き止めたくせに冷たいなあ」
「……何処かの誰かが来なくなったせいで、我輩の部屋には不必要な紅茶が余っているからな」
「え、……っ、ふふ、ふふふっ、そっかそっか。それなら、また飲みに来ないとだ」

 遠回しな誘い方に思わず笑ってしまったフィーは、部屋を出る前にスネイプをぎゅうっと抱きしめ、彼の温もりを久し振りに感じた。
 外に出ると、地下のせいか空気がひんやりとしている。ぶるりと身体を震わせると、フィーは心なしか早足で上へ上へと向かった。動く階段に差し掛かった時だった。目の前にそっくりな顔が二つ飛び込んできたのだ。

「うわっ!」
「「うわっ! ……あれ? フィー?」」
「フレッド、ジョージ! 二人ともそんなに急いでどうしたの?」

 肩で息をしている二人は相当急いでいるらしく、キョロキョロと辺りを見渡すとフィーの腕を引っ掴んで適当な空き教室に飛び込んだ。「なに――」「シー…」「あいつが来る」双子に口を押さえられ、その距離の近さと息が出来ないという二重苦に責められ、フィーは顔を真っ赤にさせながら(あいつって誰だろう)と何とか気を紛らわせようと考える。やがて教室の外でドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきた。

「どこへ行った! あの悪戯好きのウィーズリーめ! 姿を現せ!」
「ミャアー」
「落ち着け、ミセス・ノリス。あっちへ行ったかもしれん…。必ず、必ず見つけ出してやる」

 飼い猫と会話をしながら通り過ぎたのは、管理人のミスター・フィルチ。完全に去っていったのを確認すると、フレッドとジョージは揃って息を吐いた。その様子にフィーは口を塞ぐ手をぺちぺちと叩いて、目で離せと訴えると二人は「「おおっと、忘れてた」」と悪びれもなく手を離した。

「いやー、悪いな!」
「フィルチに没収されたモノを取り返しに行ったんだけどよ、運の悪いことに見つかっちまって」

 これなんだけど、とポケットから取り出したのは飴玉だ。けれどそれはフィーも知っているものだった。

「それ、ゾンコのしゃっくり飴じゃない」
「おっ、知ってるのか!?」
「さすがフィー、お目が高いねぇ!」
「なんでそんな物を没収されてたの…」
「いやぁ、ちょーっと悪戯を仕掛けようとしたらフィルチのやつ、その飴を見つけちまって」
「そしたら『誰かの差し入れか?』って疑いつつも、あいつ口に入れたんだよ!」
「「そしたらすぐしゃっくりし始めたから、俺たち笑っちゃってさ! 持ってる分全部没収されたんだよ」」
「(両方バカ……)」

 危機感のないフィルチと平然と笑うフレッドとジョージにげんなりしつつ、そう言えばと二人に考えていた悪戯案を伝えると、目を輝かせながら食いついた。
 それから三人は、時間を忘れるほど話し合いに没頭し、気がつけば夕食の時間が迫っていた。