癒しの部屋

 窓から差し込む光に、一度布団を頭まですっぽりと被り、暫く経ってから満足するとガバッと勢い良く起き上がる。影になっている梟ケージの中では、愛梟のチェイルがクゥクゥと眠っていた。ベッドサイドに置いている時計の針はいつもより少し早い時間を指しているが、フィーは顔を洗い、手早く寝間着から制服に着替えて部屋を飛び出した。
 大広間には結構な数の生徒が集まっており、中でもグリフィンドールとスリザリン寮のテーブルは一年生が多く集っていた。自分に向けられる挨拶に返しながら、既に席に着いて朝食を食べている友人の隣に座った。

「おはよ、ハーマイオニー。ロンとハリーも」
「おはよう。あら、今日はいつもより早起きね?」
「そりゃあ起きますよ。昨日あれだけ言われればね」
「いつもこれだけ余裕を持って起きてくればいいのに」
「それが出来れば苦労しません」

 クスクスと笑いながら軽口を言い合う二人に、ロンとハリーも混ざりたそうにしていたが女の子二人に割って入れるほど勇気はなかった。
 フィーは目の前にあるティーカップに注がれたミルクティーを飲みつつ、今度は四人で話をしていると、バサバサっと梟が大広間を舞う。梟便の時間だ。さすがに今日は来ないだろうと思いながらまたミルクティーを飲むと、カリカリに焼いたベーコンを頬張っていたロンの手元に、手紙と新聞が落ちてきた。

「これ、読んでもいい?」

 ハリーが落ちてきた新聞を持ってロンに尋ねる。彼はベーコンを頬張りながらこくこくと頷くと、それっきり手紙の方へ集中してしまった。ハリーは気にせず、むしろ新聞が読めることが嬉しいらしい。まずは一面に目を通していた。
 その姿を横目にハーマイオニーと談笑していると、自分の目の前に手紙が一通落ちてきた。差出人の名前は無く、フィーは首を傾げながら封を開けて中身を確認すると、宛名はすぐに分かった。

「(“グリンゴッツに侵入者が入り、“例の金庫を狙ったそうです。充分に気をつけなさい”)……うそでしょう?」
「ねぇ! 見てみて、これ!」

 手紙を読み終えるのと、ハリーが声を上げるのは同時だった。どうやら日刊予言者新聞も、あのグリンゴッツに侵入者が入ったことで持ちきりらしく、小鬼達が忙しなく対応している写真がでかでかと張り出されていた。
 手紙の差出人――ダンブルドアは、何故個人的にこんな手紙を出してきたのか。その意図を読み取る前に、ハーマイオニーが次の授業について不安そうにしていたため、思考を無理やり切り替えて話に乗っかった。

「ああ、どうしましょう。飛行術に関しての本は片っ端から読んだけれど、上手く飛べるかしら」
「魔法界で過ごしてても、箒に乗る機会なんてそうそうないから、ほとんどが初心者だと思うよ? だからそんなに心配しなくても大丈夫だって」

 それに、壊滅的なまでに箒に乗るのが下手な人間を自分は知っているとは言えず、フィーは明るくハーマイオニーを元気付けた。テーブルを挟んだ向かいでは、ハリーが未だ新聞の内容に不安を隠せないらしく、次の飛行訓練の授業の事など頭から飛んでいるようだ。

「ハリー」
「・・・・・・」
「ハリー!」
「ワッ! フィー?」
「もー、ほら、行くよ!」
「ちょっ、ま、」

 ハリーの手から新聞を取り上げてロンに返すと、その勢いのまま大広間から出て外へ向かった。後ろから追いかけてきたハーマイオニーとロンに少し怒られながらも、やっとハリーから手を離してハーマイオニーと一緒に着替えに行く。
 二人で外に出ると、既に数人が集まっていた。深く深呼吸をするハーマイオニーを気にする余裕は今のフィーには無く、ドクドクと早まる心臓を上から抑えた。

「(どうか……)」

 その後、落ち着きを取り戻したハーマイオニーと会話をしていると、飛行訓練の講師を勤めているマダム・フーチがやって来た。変わらない溌剌とした姿を見て密かに頬を緩ませると、彼女の瞳と自分のそれが重なった。途端にマダム・フーチは驚いた表情を見せたが、すぐに目を逸らして「さぁ、何をボヤボヤしてるんですか!」と声を張り上げた。

「箒の横に立って!」

 マダム・フーチに従い、綺麗に横一列に並べられてある箒の横に立つ。学校用の箒は何年も同じものを使っているため、所々ボロボロだ。中には捻くれて言うことを聞いてくれない箒なんてザラにある。

 ……あぁ、嫌だ。心底そう思っても状況は何も変わらない。見た目は比較的綺麗な箒の横に立ってみたものの、フィーには綺麗だろうが汚いだろうが関係なかった。

「右手を箒の上に突き出して! そして『上がれ!』と言う」

 マダム・フーチの言葉に、みんな口々に「上がれ!」と言っているのをただ黙って見つめるしか出来なかった。一度目では上がらなかった生徒も二、三回目ではその手に収まっていた。
 中でもハリーはズバ抜けていた。たった一度の号令で箒が手元に来たのだ。正に父親譲りの芸当に舌を巻いていると、視線に気がついたハリーが「あれ? フィーは言わないの?」と、未だ地面に転がったままの箒を見た。

「いや、やる、やるよ、うん」

 ほとんどの生徒が手に箒を持ち、自分を見ている。あのマダム・フーチもごくりと生唾を飲みながら、フィーが号令をかけるのを今か今かと待っていた。
 やはり諦めるしかない。女は度胸だと言われたこともある。フィーは数回深呼吸を繰り返すと、キッと箒を睨みつけた。

「上がれ!」

 その一言を待っていたかのように、箒は勢い良くビュンッと上がってきた。そのまま箒を見ていられなくて、フィーは咄嗟に目を瞑ってしまい、何故か翳した手ではなく顔に箒が直撃した。

「いっ…………たぁい!!」
「え?」
「今、真っ直ぐにフィーの手元に上がったわよね?」
「それなのに、何で顔に………?」

 ハリー達の若干引いた声は、幸いにもフィーには聞こえていなかった。しかしマダム・フーチだけはこうなることを予測していたらしく、額に手をついて深い溜め息をついていた。
 ジンジンと鈍く痛む部位を手のひらで抑え、キッとマダム・フーチを睨む。だが彼女には効果がないようで、仕方がないとでも言うように笑われてしまった。

「くっそう……(運動音痴だけは何年経っても治らない…)」

 かつての旧友に散々笑われたものだ。今ではひどく懐かしいが、当時は顔を真っ赤にして怒った記憶がある。
 まだ痛みを訴えるそこを優しく撫でていると、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。

「………え?」
「フィー? どうしたんだ?」
「いや、今誰か私を――」
「――フィー」
「ほら、また……」

 けれどロンは大袈裟に手を振って「なーんにも聞こえないぜ?」とフィーの台詞を否定する。隣のハリーも頷くが、フィーはふと城の方を見た。

「――フィー」
「まさか………!」
「ちょっと、フィー!?」
「ミス・ディオネル! まだ授業は終わってないですよ!」

 ハーマイオニーの大きな声にやっと異常事態に気がついたマダム・フーチは、既に城の方へ駆けて行くフィーに向かって大声を張り上げた。フィーはぐっと奥歯を噛み締めて首だけで後ろを振り返る。

「すみません! 少し用事が出来ました!」

 マダム・フーチは授業を放ってまで行かなければならない用事とは何なのかを問い質したかったが、彼女の背中はもう米粒のように小さい。運動音痴なくせに、逃げ足だけは速いことを今更思い出した。

「……はぁ」
「あの、先生」
「ミス・ディオネルには後で私から話をしておきます。それでは、授業を再開しますよ!」



 城に戻ったフィーは、とにかく無我夢中で走った。動く気まぐれな階段に足を取られそうになったり、意地悪ゴーストに絡まれたりしたが大した足止めにはならなかった。
 足がだる重くなり、肩で息をする頃にやっと目的地に到着した。そこは何の変哲も無いただの壁だが、次第にズズズ…と壁が変化していく。暫く待っていると、複雑な形をした扉が姿を現した。

 この扉は、この部屋の存在を具体的に知っていて、かつどこにあるのかを明確に認知していなければ現れない、特殊な魔法が施されている。つまり生徒はもちろん、他の教師陣でも存在は知っていても場所まで知る人間はごく僅かなのだ。

“ひらけ”

 それは形容し難い声だった。呪文でもなんでも無いそれに、扉は確かに反応した。複雑な模様が一気に動き出し、やがて左右対称に並び終わると、勝手に扉が開いたのだ。フィーはちょっとの隙間から身体を滑り込ませると、扉はまた勝手に閉まった。

 室内は暖かな色味で整えられており、真ん中にはベッドが二つ並んでいた。そこには癖っ毛のせいで髪の毛がぴょこぴょこと跳ねている黒髪の男と、綺麗な赤毛の女が死んだように眠っていた。
 フィーはゆっくりとベッドに近づくと、そっと顔を覗き込んだ。短く吐いた息が震え、空気を揺らす。

「――ジェームズ、リリー」

 とてもあまい声が、二人を包む。

「起きてよ。私を呼んだでしょう?」

 柔らかく、けれどどこか懇願するようにも聞こえるそれに、ベッドで眠る二人が反応することはない。

 二人の名前はジェームズ・ポッターとリリー・ポッター。生き残った男の子として名を馳せているあのハリー・ポッターの両親だ。世間ではハリーを守って死んだと言われているが、実は死んでおらず、仮死状態となってあの日から今までずっと眠り続けているのだ。
 死の呪文を浴びても何故死ななかったのか。それはこのホグワーツにかけられたとある魔法のおかげだったのだが、そのことを知る人物は魔法をかけた本人を除けば、アルバス・ダンブルドアただ一人だけ。

 つまり、ハリーも、そしてこのホグワーツで働いている教師陣も、誰もそのことを知らない。

「もしかして、さっきの授業を見ていた? それならひどいなあ。また私が箒を顔で受け止めたところを見て笑ったんでしょ」

 話しかけても、返事はない。当たり前だ。二人は眠っているのだから。

「少しは運動音痴も治ってると思ったんだけどね、甘かったよ。全然治ってなかった」

 それでもフィーは話し続ける。いつか返事がくると信じて。

「……はやく起きてよ。でないと、二人のあんな話やこんな話をいろんな人に話しちゃうんだから」

 もしもここで二人が起きていたなら、どんな話をするつもりだとフィーに掴みかかっただろう。そんな“もしも”を想像して思わず笑えば、少し気持ちが落ち着いたような気がした。

「それじゃあ、また来るね。もうすぐハロウィンだから、とびっきりあまいお菓子を持って」

 杖を取り出して滑らかな曲線を描きながら魔法をかけると、フィーは静かに部屋を後にした。