十分も経たない内に一箱目を食べ終えたフィー。他の三人は既に見慣れてしまったらしく、蛙チョコレートを視界に入れずに談笑していた。すると、コンパートメントの扉がガラッと音を立てて開く。四人がパッと反射的に目を向けると、そこにはフワフワとした、柔らかそうな栗色の髪の毛を靡かせた女の子が立っていた。ネクタイは黒。フィーと同じ新入生だ。
女の子は四人の視線を一身に受けても怯まず、むしろ堂々と口を開いた。
「誰かヒキガエルを見たかった? ネビルのがいなくなったの」
“ネビル”というのが誰か知らないフィーは、フレッド、ジョージ、リーと顔を見合わせて首を傾げる。すると彼らも知らないらしく、フィーと同じ仕草をした。
「ごめんなさい、見ていないわ」
「そう……、どうもありがとう」
心苦しくも否定の言葉を口にすると、女の子は少し疲れたように浅く息を吐き、礼を言ってからコンパートメントの扉を閉めた。もう女の子の姿は見えないのに、四人は暫く声を発せなかった。
「……今の子、」
「ん?」
「今の子も私と同じ、新入生だったね」
「だな。疲れてた顔してたぜ、あの子」
「それでも、友達の為にああやって聞きに回れるって凄いね」
きっと、あの子はグリフィンドールに配属される。確信めいたものを胸中で思いながら、フィーはまたチョコレートを食べながら三人の話に耳を傾けた。
「そういや、聞いてくれ!」
「ん?」
興奮したように声を張り上げたフレッドに、ジョージもつられて「あぁ、忘れてた!」と同じように声を上げる。なんだなんだとフィーとリーは二人に目を向けた。四つの目が向けられたフレッドとジョージは怯むことなく、むしろ聞いてくれとでもいうようにグイッと距離を詰めてきた。
「「あの“ハリー・ポッター”がいたんだ!!」」
“ハリー・ポッター”。“例のあの人”を倒した、魔法界の英雄。
そんな人がこのホグワーツ特急に居たとなれば、目撃者も出るだろうし、様々な噂も飛び交うだろう。――良いものも、悪いものも。
「マジかよ……とんだ新入生が来たもんだな」
「私、ちょっと出るね」
「えっ!?」
「俺たちを放ってどこに!?」
大袈裟に振る舞う双子を「すぐ戻ってくるから!」とあしらい、フィーはコンパートメントを出た。向かうはハリーのところである。
ホグワーツ魔法魔術学校。そこは純潔、混血、マグル生まれ関係なく受け入れる魔法使い育成学校。けれどやはり、純血主義に染まっている子どもも少なからず存在するのだ。そんな人間が、ハリー・ポッターを放っておく筈がない。
「間に合えばいいんだけど………」
どうせなら、楽しい学校生活を送ってほしい。彼が意図せず成し遂げたことを考えれば、それは難しいのかもしれない。けれど、どうしても願わずにはいられない。――それは、彼の両親を救うことが出来なかった自分への、せめてもの罪滅ぼし。
人伝てに聞いてやっとハリーのコンパートメントに到着したフィーだが、前方に見慣れたプラチナブランドの髪を見つけた。どうやら中にいる人物と話をしているらしい。その横顔は、遠目から見ても嫌に歪められている。晴れ晴れしいこの日に、一体どんな話をしたらそんな顔になるんだと、フィーは溜め息を飲み込んで彼に近づいた。
「ウィーズリー家やハグリッドみたいな下等な連中と一緒にいると、君も同類になるだろうよ」
なんて事を言っているんだ。聞こえてきた台詞に顔を顰め、半ば割り込むように会話に入った。
「久しぶり、ドラコ」
「気安く僕の名前を………って、フィー!」
「ふふ、呼ばない方が良かった?」
「いや、君だとは思わなかった。久しぶりだな、また会えて良かった」
先ほどまで毒を吐いていた人物とは思えない台詞に、コンパートメントの中にいたロナルド・ウィーズリーはオエッと吐く動作をしてみせた。それを横目で見ながらも、ハリーは外から聞こえた声にドクンと胸を高鳴らせた。途端に脳裏に浮かぶのは、海より深い青。バクバクと落ち着かない胸に手を当てて、早く姿を見たいと扉に手をかけた。
「それじゃあ、またホグワーツで」
最後まで紳士の姿を保ったドラコは、ハリーやロンの事を忘れて機嫌よく自分のコンパートメントへ戻った。まるで彼の父親のようだと懐かしむフィーだが、開いた扉から此方を覗く顔にパァっと顔を輝かせた。
「ハリー! 会えて良かった!」
ギュウッと抱きついて頬にキスを送るフィー。今までそんな事をされた記憶がなかったハリーは、たちまち耳まで真っ赤にして固まった。その光景を目の当たりにしたロンまで、その燃えるような赤毛と同じくらい顔を赤くし、パクパクと口を開けた。
「は、ハリー…………」
「あ……っと。ごめんなさい、突然」
パッとハリーから離れ、フィーはロンに目を向ける。その赤毛を見て思い浮かぶのは、先ほどまで一緒にいた双子の姿。特徴的なそれに、名前を聞くまでもないと思いながら、人懐こい笑みを浮かべて挨拶をした。
「初めまして、私はフィー・ディオネル。新入生同士よろしくね!」
「あっ……えっと、僕はロナルド・ウィーズリー。みんなからはロンって呼ばれてるんだ……よ、よろしく」
女の子とまともに話した事がなかったロンは、しどろもどろになりながら挨拶をする。フレッドとジョージとは大違いだと内心思いながら、フィーは「お兄さんにはお世話になってます」と口にした。
「あ、兄って………どれ?」
「へ?」
兄と言えばあの双子ではないのか。首を傾げたフィーは、ハッと何かを思い出したかのように慌てて「ふ、フレッドとジョージのこと!」と付け足した。
「(危ない危ない……。そう言えば兄妹がたくさんいたんだった………)」
まだ行方をくらませる前、ウィーズリー家夫妻からの手紙に書いてあった事を今更ながらに思い出し、心の中で謝る。
「あの二人に!? な、なんで、何が………」
「ちょっと助けてもらってね。そこから仲良くなって、今は一緒のコンパートメントにいまーす」
「た、助け……!?」
どうやらロンには信じられない事だったようで、有り得ないとでも言いたげに目を丸くした。普段どんな生活を送っているのか想像したフィーはすぐにその光景が浮かび、ふっと口元を緩ませる。
「ふふ、もう友達が出来たなんて……よかったね、ハリー」
「うん、……僕も、そう思う」
「あっ、そうだ!」
まだフィーが目の前にいる事実に慣れないハリーは、生返事をする。それに気づかないフィーは、ポケットに入れたままだったそれを取り出し、ハリーに差し出した。
「はい、これ。プレゼント!」
「プレゼント………っ、ほ、ほんとに……僕に……?」
「もちろん!」
ハリーは恐る恐る受け取ると、ずっしりとした重みに泣きそうになった。これまでプレゼントだなんて貰ったことがなかったし、つい先日ハグリッドから貰った物が初めてだった為、こんなにも続けてプレゼントが貰えるだなんて思わなかった。
いつまでも外装を眺めるハリーに、フィーは眉根を寄せて笑い、「見てみて」と促した。シュル…とリボンを解き、箱を開ける。すると目に飛び込んできたのは、シルバーで整えられた小物入れだった。シンプルな見た目だが、これはハリーにだって高いという事くらい分かる。慌てたように顔を上げてフィーを見ると、彼女は穏やかに微笑んでいた。
「それね、見た目もいいけど……一番良いなって思ったのは、魔法がかかってるところ」
「魔法?」
「うん。開錠呪文では開かないの」
「えっ!? それほんと!?」
側で聞いていたロンが反応し、身を乗り出して尋ねてくる。フィーは頷き、「ただの小物を入れるもよし、本当に大事な物を入れるもよし。ハリーの好きにして」と言った。
「それじゃあ、私そろそろ戻るね! すぐ戻るって言って出てきたし」
「あっ……フィー!」
「うん?」
コンパートメントの扉に手をかけたフィーを、ハリーが呼ぶ。
「あ、ありがとう!」
「ふふ、どういたしまして!」
見るからに喜んでいる事が分かる姿に、フィーも買って良かったと足取り軽やかにフレッド達の元へ戻り、もう着替えた方が良いと言われ、手早くホグワーツの指定制服に着替えた。
全員着替え終わり、フレッド、ジョージ、リーからホグワーツでの生活を聞いていると、車内放送がコンパートメントに響く。
《あと五分でホグワーツに到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いていって下さい》
その指示に、フィーはポケットにお菓子がきちんと入っているかを確認する。ビスケット、チョコレート、キャンディ……よし。満足して顔を上げると、三人が今にも笑いそうにぷるぷると震えていた。「ちょっと、笑わないでよ!」「「いや、無理でしょ!」」そんな会話をしていると、汽車はだんだんと速度を落とし、やがて緩やかに停車した。窓の外は真っ暗で何も見えない。
バクバクと高鳴る心臓をそのままに、細い通路をみんなで押し合いながら外に出ると、小さな暗いプラットホームが眼前に広がる。夜の冷たい空気にぶるりと震えると、それを見かねたフレッドがフィーの手をギュッと握った。
「フレッド?」
「これなら寒くないですか? お嬢さん」
「ふふっ……うん、寒くない。ありがとう」
重なった手は暖かく、一度マグルの世界で見た“かいろ”のようだとフィーは思った。
「イッチ年生! イッチ年生はこっちだぞ!」
「お、ハグリッドだ」
「懐かしいなあ。っと……俺らは別か」
「じゃあな、フィー。また組分けの時に会おうぜ!」
「「勿論、グリフィンドールでな!!」」
フィーは見えなくなるまで手を振り、三人を見送る。いきなり一人になり、またぶるりと寒さが舞い戻ってきたが、このままぼーっとしている訳にもいかない。
「四人ずつボートに乗って!」
暗くて足場が不安定な中、なんとか空いているボートに乗り込む事ができた。ゆらゆら揺れるそれは、ジョージの言った通りとても懐かしいものだった。
「みんな乗ったか? ……よーし、では、進めえ!!!」
ハグリッドの合図で、ボートは一斉に進み出す。暗闇を真っ直ぐ突き進んでいくと、月明かりに照らされた石造りの幻想的な城――ホグワーツ城が姿を現した。下から城を見上げる新入生は、あまりの大きさに開いた口が塞がらないようで、いつまでもいつまでも目を離さなかった。
「頭、下げぇー!」
素直に指示に従って頭を下げる。するとようやく地下の船着き場に到着した。よいしょっとボートから降りると、どうやらハグリッドはヒキガエルを見つけたそうで、誰のペットだと尋ねる。(ヒキガエル……? どっかで聞いたような………)とフィーが首を傾げると、飼い主が引き取りに行っていた。そうだ、汽車の中だ! とやっと思い出したところで、ハグリッドが自身の大きな拳を振り上げ、城の扉を三回強く叩いた。
「(――ようやく帰ってきたよ、みんな)」
ただいま、と。音もなく告げると、風に乗って返事が聞こえた気がした。
『――おかえり、フィー』