再会は一方的に
「ここでいいです」

千紗はタクシーの運転手に告げ、お金を渡して降りた。後ろでタクシーが去る音を聞きながら、目の前にそびえ立つ大きすぎる建物を見上げる彼女の目は、憂鬱そうだ。

「相変わらず、無駄にでかいところ…」

その外見に思わず苦笑してしまうのは、きっと彼女が“外”の世界を見てきたから。この学園ではない、全くの知らない世界を。
よし、と一歩踏み出そうとしたが、前に出た足はまた元の場所に戻る。どうしたのかと思えば、どうやら自分の格好が気になるらしい。上から下まで何度もなんどもチェックし始めた。

「(ちゃんとそれ・・っぽく見えてるかな……。どこも変、じゃないよね)」

初等部の頃の自分とは、いったいどんな子どもだったのだろうか。大人になってから考えたことなど無いに等しく、故に千紗の『子ども像』はひどくあやふやだ。最後の最後まで確認し尽くした彼女は、それでもやっぱり不安を抱えながら覚悟を決めた。

「よし、行こう」

自ら檻の中へと戻ってきた鳥は、再び羽をもがれるのを分かっているのだろうか。――それは愚問だ。鳥は賢い。もう自由に大空を羽ばたけないことくらい分かっている。それでも檻の中に戻るのは、そこに確かな『目的』があるから。

一人で抱える覚悟なんて、とっくに出来ている。それは果てしなく辛く、苦しいものだろう。だが、それがどうした。自分が背負うことで、自分の大切な人達がここから逃げられることが出来るのならいくらだって耐えられるし、その為の準備ならしてきた。

千紗は守衛に向かって話しかけた。小さな小学生が一人でやって来たにも関わらず、守衛は驚いた顔一つしない。きっと慣れているのだろう。

「あの、今日入学する結賀千紗です」
「ようこそ、話は聞いてます。どうぞ車にお乗り下さい。本部までご案内致します」
「ありがとうございます」

その指示に従い、千紗は車に乗って本部に向かう。車移動でなければ、正門から本部までは徒歩でも数十分はかかっていたに違いない。
――外は、こんなところではなかった。長閑のどかな緑と平和に溢れた所もあれば、食べることさえも困難で日々争いの起きていた場所もあった。千紗の知らない“世界”が、外には確かに存在していた。
あの日、自分はここから出ていなかったら、きっと一生知ることはなかっただろう。

「着きましたよ」

運転手が此方を振り向いて、ニコリと業務的な笑みを作る。千紗は形式だけお礼の言葉を述べて車から降り、後ろで車が発車する音を聞きながら近くで見るとより大きく感じる建物を見上げる。

「懐かしい…」

つい口から出た言葉に、自分自身で苦笑する。頭では頑なに否定しても、体はここが『家』だと叫んでいるのが苦しくて、嬉しくて。矛盾を孕んだ思考を追い出すように頭を振って、千紗はやって来た案内役の人物の後ろを着いて行った。
着いた場所は応接室。なんとなく予想はついていたその部屋の扉を案内役が開け、「ここで待っているように」と千紗に伝えると、さっさといなくなってしまった。少しくらい話し相手になってくれてもと思ってみるが、きっとすぐに沈黙が痛くなるだろうことは考えなくても分かる。
一人残された部屋で手持ち無沙汰に陥った千紗は、結局ソファーに座ることで落ち着いた。

「……ほんとに、帰ってきたんだな……」

じわじわと実感していく自分に、口からはついそんな台詞が出た。きょろ…と部屋を見渡してみるが、変わったのは壁掛けの絵画くらいで、あとは何も変わっていなかった。ソファーも、テーブルも、花瓶も、カーテンも。全て千紗が居た頃と同じだった。

「ここは千紗の家で、俺らはみーんな家族だ!」

そう言ってくれた人が居たから、千紗はアリス学園ここを『家』だと思うことが出来た。反抗ばかりしていた自分を繋ぎ止めた、大事な、宝物みたいな言葉。
とても大切な、私の家。あんなにも帰りたくないと思っていたのに、どうしてか体はこんなにも正直だ。――帰って来れたのが嬉しくて涙を流したなんて。
たった一雫落ちた涙を拭うように手の甲で目元を擦ると、コンコンと二回扉がノックされる。返事をした方がいいのかと悩んでいると、扉は音を立てて開いた。

「失礼しま〜す」

作られたような高い声が聞こえてきた。その声に驚いてパッと顔を上げた千紗の視界に映ったのは、彼女が学生時代にずっと見ていた眩い程の金色だった。

「はぁ〜い、僕が君のクラスの担任の鳴海です! これからよろしくね〜!」

鳴海杏樹。ド派手な服(もとい衣装)を身に纏い、パチンとウィンクをしてみせたこの男は、かつて千紗が『杏樹先輩』と呼んでいた人物だった。
千紗の知っている彼とは全くの別人だ。何がどうしてこんなキャラになったのか想像もつかない千紗は、衝撃のあまりまともな挨拶を返せなかった。むしろ倒れないだけマシだと褒めて欲しいくらいだ。

「ん? どうしたのかな?」

鳴海が心の中で自分に既視感を覚えているなんて全く知らない千紗は、ようやく覚醒して慌てて背筋を伸ばして礼をする。未だドキドキと不自然に鳴る心臓に、彼女は(静まれ、心臓!!)と心の中で叫んだ。

「っ、初めまして。結賀千紗です。これからよろしくお願いします」
「うん、上手に言えました。よろしくね〜!」

話もそこそこに、二人は車に乗って校舎へ移動することに。自分にとっては数年ぶりの再会だが、鳴海は違う。ニコニコと愛想良くいろんな話をしている彼に、自分がいなくなった後を想像してみたが上手くその姿が浮かばなかった。
しばらく鳴海の話に相槌を打っていると、彼は「そうだ、今のうちに渡しておくね」と千紗にある物を渡した。星型のバッヂが三つ手のひらに転がり、思わず鳴海を見た。

「その様子だと、もう星階級制度のことは知ってるみたいだね〜?」
「はい、けど…どうして入学したばかりの私が三つなんですか? 特筆したアリスを持つわけでもないのに……」

彼女の本来のアリスはとても珍しく、恐らく千紗以外そのアリスを持つ者は居ないだろうと言われていた。その為彼女は今回の入学に当たって自分のアリスを“氷”と“記憶”という、リーズナブルなそれに設定したのだ。それなのに、なぜ。
鳴海はうーん、と悩む素ぶりを見せ、「千紗ちゃんの能力が高いからかな〜!」と言ってみせた。それが嘘か本当か分からないが、そう言われてしまえば納得するしかない。そうですかと頷き、嬉しい反応を見せながら襟にバッヂを三つつけた。

「さぁ、もうすぐ着くよ。ここが君がこれから学び、成長していく学び舎」

窓の外には大きな初等部の校舎が見える。だんだんと近づくそれに、千紗はこみ上げる何かを飲み込むように「はい…」と小さく返事をした。鳴海の言う通り、かつて自分はここで掛け替えのない大切なことを学び、そして成長した。どれだけ否定したってその事実は変わらない。

「千紗ちゃんのクラスは初等部B組だよ〜。個性的な生徒が多いけど、きっと千紗ちゃんもすぐ仲良くなれるんじゃないかなぁ」
「…仲良くなれるといいですけど……」
「ふふ、大丈夫。ついこの間、君と同じように転校してきた子がいるけど、その子ももうすっかり馴染んでいるし、友達も出来てるから!」

それが誰のことかなんてすぐに分かった。ああ、もうすぐ会えるんだ。ずっと会いたかったあの子に。
鳴海の後ろを着いて行きながら千紗は静かに拳を握る。やがて一つの扉の前で止まった鳴海に習うように足を止めると、此方を振り返った彼は綺麗な顔でにっこりと笑ってみせた。

「ようこそ、初等部B組へ」

さあ、物語を始めよう。