面影が残る
教室に一歩足を踏み入れた途端、外まで聞こえていた喧騒は鳴りを潜めてみんな素早く自分の席に着く。あの鳴海のアリス――フェロモンの餌食になるのは嫌だからだ。

「は〜い、みなさんおはようございます! 今日は新しいお友だちを紹介しまーす!」

鳴海の話し方に未だガツンと頭をやられている千紗は、彼の隣で終始バレないように唖然としている。鳴海はそんな彼女の様子に気づいているのかいないのか、彼女の背中をトントンと軽く叩いた。自己紹介の合図だ。
一歩前に出た千紗に当然視線は集まり、少し狼狽えてしまう。しかしすぅっと息を吸ってしまえばもう大丈夫。沢山の視線を受け止めながら、彼女は口を開いた。

「初めまして、結賀千紗です。アリスは“氷”と“記憶”の二つですが、まだまだ能力の制御が出来ていません。皆さんと一緒に高められていけたらと思っています。どうぞよろしくお願いします!」

緊張しているはずなのに、こうして誰から見ても完璧な挨拶をしてみせた千紗に、鳴海は驚きながらパチパチと拍手をした。先生に習うようにクラスメイト達も一斉に拍手をするが、みんな転校生がアリスを二つも持っていることや、彼女の襟に付けられたバッヂが三つとあることに驚きを隠せない様子だ。
そんなクラスメイトの反応に気がついていない千紗。鳴海は拍手が引くのを待ってから、「それでは、千紗ちゃんの席は……蜜柑ちゃんの前でーす! 蜜柑ちゃん、手を上げてくれるかな?」とある生徒に声をかける。

「(みかん、って……)」
「わぁっ! うちの前? やったー!」
「ふふ、嬉しそうで何より。千紗ちゃん、あの子が佐倉蜜柑ちゃんで、さっき言ったつい最近転校してきた子だよ」
「蜜柑、ちゃん……」
「うん。きっとすぐに仲良くなれると思うよ〜!」

隣の女の子に仲良くなれるかなと言って騒ぐ彼女が眩しくて、千紗は無意識に手で目元を覆って影を作った。蜜柑、みかん。心の中で何度も呼びながら、鳴海に背中を押されて蜜柑の前の席に座ると、後ろを向いて彼女と目を合わせた。澄んだ瞳に輝く光。間違いない、この子だ。
間違えるはずなかった。だってあれほど写真を見たのだから。

「結賀千紗です、よろしくね」
「うちは佐倉蜜柑! こっちは親友の蛍! よろしくな、千紗ちゃん!」

親友の分まで勝手に自己紹介した蜜柑に、蛍と呼ばれた女の子は「何勝手に私の分まで…」と小さく呟きながら、千紗と目を合わせて「今井蛍よ、よろしくね」と微笑んだ。蛍の脳内では(この子…売れるわね…)とお金のことが繰り広げられているなんて想像もしていない千紗は、少し照れたようにもう一度よろしくと口にした。

「私は■■■■。よろしくね、千紗!」

――先輩。やっぱり貴女に似ていますね。
思い出した台詞をそのままに、千紗は身体を前に向けて鳴海の話に耳を傾けた。

漸く鳴海の話が終わり、みんながお待ちかねの質問タイムがやってきた。閉鎖的なこの学園では転校生とはまさしく興味の的。自分の周りにわらわらと集まるクラスメイト達に、千紗は驚いた表情を見せた。

「すごいねー! アリス二つも持ってるんだ!」
「まだまだ使いこなせてないんだけどね」
「お父さんとお母さんもアリスだったの?」
「うん、二人ともアリスだよ」

質問の嵐に当たり障りない返事をしていく。実際に父も母もアリスだったかなんて知らないのだが、一般的に両親共にアリスだと、その子どももアリスを持って生まれる可能性が高い。だから千紗はそう答えたのだ。

「千紗ちゃん、トリプルなんだね! 転校してきたばっかりなのにすごーい!」
「家で特訓してたおかげだと思う。でもこんなのまだまだだから、頑張らなくっちゃ!」
「でも千紗ちゃんが初等部で四人目のトリプルなんだよ!」
「四人目……? 他には誰が…」
「あたしよ」

話の輪に入ってきたのは、蜜柑の親友と紹介された蛍。整った顔立ちからして“美少女”と呼ぶに相応しい彼女は、どうやらそっち方面でも上位の方にいるらしい。

「蛍ちゃんもトリプルなんだ」
「えぇ。あたしのアリスは“発明”。その名の通り何でも作れるわ」
「発明……っすごい! それってとんでもなくすごいよ!」

ガシッと蛍の手を掴んで興奮を露わにする千紗に、手を掴まれている本人は若干引き気味だ。そんな彼女に気づいていない千紗の賛美は続く。

「誰も作ったことのない物を一から発明して、かつそれを作るってすごいことだよ! とっても良いアリスだね!」
「……………!」

ここまで手放しにアリスを褒められたことなんてあったろうか。いや、蜜柑にはいつもこんな風に言ってもらっているが、それとは違う何かが込められているように思うのは、自分の気のせいだろうか。
アリスを持って生まれたせいで、この学園から逃げるためにいつもあちこちを転々とした。そこで出逢った蜜柑という大切な女の子を守りたくて、蛍は多額の寄付金と引き換えに逃げ続けたアリス学園へ入学したのだ。結局、蜜柑が自分を追いかけてここへ入学してしまったのだから、あの時の決意も水の泡なんだけれど。
裏のない、真っ直ぐな言葉に蛍は負けた。

「あたしのことは蛍でいいわよ、……千紗」
「ほたる? ……ふふ、うん、よろしくね、蛍」

一瞬どういう意味かと首を傾げたが、呼び捨てにしても良いということだ。すぐに理解した千紗は照れ臭そうに笑って、改めて蛍の名を呼んだ。
そこへ「ずるーーい! 蛍ばっかり千紗ちゃんと仲良くなっとる!」と明るい声が蛍と千紗の間に入ってきた。見ればツインテールの蜜柑が頬を膨らませながらこちらに向かってきている。

「あら、蜜柑」
「『あら』とちゃうわ!」
「ちょうど良かったわ。二人目のトリプルの委員長よ」
「委員長?」

蜜柑と一緒に居たのは、初等部B組の委員長。眼鏡をかけていかにも温和な彼は、蛍の紹介にえへへと頬をほんのり赤く染めた。

「学級委員長の飛田裕です。よろしくね、結賀さん」
「委員長のことは委員長でいいわよ」
「ふふ、わかった。よろしくね委員長。私のことは千紗でいいよ」
「ずるーーーい! うちやって蜜柑って呼んで!」

便乗するようにそう言った蜜柑に、『ずるい』とはこのことかと合点がいき、笑いながら頷いて委員長同様千紗と呼んでねと返事をした。

「それで、あともう一人トリプルが――」
ちょっと! うるさいんだけど!

いるんだよね、と続くはずだった千紗の台詞をぶった切ったのは、毛先だけくるんとパーマがかかった女の子・正田スミレ。つり目を千紗達に向け、あからさまに怒っていると態度に出す彼女に、初対面でそんな言い方をされる謂れはないとムッとなる。
大人気ないと言われればそれまでだが、うるさくしていたのは自分たちだけではない。それなのにそんな態度をされれば誰だってムカつくものだと自分に言い聞かせ、フッと嘲笑した。

「………、ごめんなさい?」

明らかに謝る気のない態度に、今度はスミレが苛立った。「何よその態度!」と怒鳴られるが、既に千紗の興味は失っている。そもそも彼女はこう言った女が苦手なのだ。
千紗が相手をしないと分かったのかそうでないのかは知らないが、今度は蜜柑がスミレと言い合う。どうやら二人はもともと犬猿の仲のようで、言い合いは更にヒートアップしていく。

「あーもう! 佐倉さんは黙っててくれる!? あんたよあんた! 何様のつもり!?」
「何様のつもりもないけど」
「っ、たかだかトリプルくらいで私と棗くん達の邪魔をしないで!」
「なつめ……?」
「別に棗なんかどーだってえぇやん。あんな変態イヤミキツネ!」
「なっ、(なんつーあだ名……)」

『なつめ』が誰だか分からないが、蜜柑のあだ名は酷い。何をされたんだと疑ってしまうが、スミレが“変態イヤミキツネ”に反応してまた言い争いを始めてしまったので、もう口を挟む元気もない。
蛍と委員長にどうしようと聞こうとして二人を見上げれば、二人ともあっとした顔で同じ方を見ていた。何だろうとそっちへ顔を向ければ、その瞬間に「おい」とまだ声変わりのしていない少年の声がクラスを支配した。

たった一言。それなのにあんなに騒ついていた教室はひっそりと静まり返る。なるほど、このクラスのトップはこの少年か…。千紗は一人納得しながらその少年を見つめると、少年が見ていたのはなんと自分だった。つまり彼は自分に話しかけたのだ。

「えっと……なに?」

これには無視するわけにもいかない。ひくりと引き攣る口角を何とか戻して、千紗は返事をした。
真紅の双眸が自分を射抜き、もう目をそらせない。

「(この目……どこかで…)」

誰だったか思い出せないもどかしさを抱えていると、未だ机に足を乗せて踏ん反り返っている少年が怒りを滲ませながら「ピーピーうっせぇんだよ、さっきから」と言った。何に怒っているのか一瞬分からなかったが、恐らく自分達の諍いが余程耳障りだったのだろう。
「すみませんっ、棗さん!」と先程まで自分の机の周りに居た男子生徒が、すぐに少年に謝っている。成る程、彼が『なつめ』か。ならば諍いが煩かっただけでなく、蜜柑が言った“変態イヤミキツネ”にも怒っているのか。

「ごめんね、うるさかったかな」
「もー千紗ー。別にあんな奴に謝らんでえぇよ」
「いや、きっと蜜柑のあだ名にも怒ってるんじゃ……」
「えっ!?」

どうやら自分も彼の怒りの対象だとは思わなかったらしい。

「なっ棗……」
「……流架」
「もう行こう、棗。ここがうるさいなら、どこか静かなところにでもさ」
「…………あぁ」

冷めやらぬ怒りをそのままに、棗は蜜柑や千紗を睨みながら流架と一緒に教室から出て行った。隣では蜜柑がスミレとまだ言い合っていたが、千紗の意識は遥か昔に飛んでいた。

「千紗、あんたまーた無茶したやろ? ったく…少しは自分も大切にせぇ。えぇな?」
「――先輩……」

この情報は掴んでいなかった。けれどもう随分と前に本人から聞いていた。
子どもができたこと。
父親のアリスを受け継いだこと。
男の子と女の子を産んだこと。
『なつめ』と『あおい』と名付けたこと。

「……あの子が、先輩の……」

なんてそっくりな瞳。
今はもう姿の見えない少年を思い出し、そっと目を閉じた。

ねえ先輩、あなたの子どもとまさか一緒にここで生活することになるなんて。あなたは想像していましたか?