行灯を消すと、今剣は満足そうに微笑み再び岩融の胡坐に収まる。少年の刀解という言葉に数人の刀剣男士が審神者へ目を向けた。しかし彼女は相変わらず何が楽しいのかにこにこ笑っているだけである。まるで戦場から無傷で部隊が戻ってきた時のように、夕餉の席で好物が出てきた時のように。本当に、不自然なまでに柔らかくうつくしい笑顔であった。怪訝な視線などものともせずに。カチャリ、誰かの刀が音を立てた。
それを制するように薬研藤四郎が手拍子を二、三回、皆ハッと我に返る。少年らしかぬ余裕めいた表情で彼は言った。次、誰が話すんだ。表情のわりにどこか急かしているような言葉の選び方に、まだ一話も披露していない者が頬を掻きつつ手を上げた。天下三名槍が一本、御手杵である。薬研の隣にいた審神者はぐるんと首を回し彼を見つめる。深淵より深いそれは、夜の闇と同じ色をしていた。そのまま飲み込まれてしまいそうなほどに。ごくり、御手杵は息を飲み込む。なるほどねえ、真横を進んで陣取っている近侍様は大層肝が据わっていると見える。彼は薬研を一瞥し、それからふうと溜息を一つ、吐き出した。
「俺は刺す以外能がないんだけどなあ……」
ぼやく声は暗闇の中、落ちる。
第六十八話目 御手杵「猿夢」
その日の俺は珍しいことに夢を見ていた。普段はぐっすりしているもんだから、起きたところで覚えてないんだけどさ。しかもこれは夢の中なのだという自覚まであったもんだ。
何故だか薄暗い、開けた場所に一人でいた。薄暗いって言っても白黒じゃないんだ、ちゃんと色がついている。時間帯にするとああ、そうだなあ……夕七つくらいか。どうしてだか重たい身体にまだ人の器を与えられる前のことを思い出した。ほら、鞘が重いって話はみんな知ってるだろう。まあ、そんなわけでぼんやりとしていれば急に声が聞こえたんだ。すぴーかーってやつ? 聞いたことのない男の声だ。
「まもなく列車が参ります。あなたはその列車に乗ると世にも恐ろしい目に遭います」
正直「はあ?」と思ったね。そもそも列車なんてもの俺には縁も何もなかった、夢ってやつは些か不可解なものだなあと。その台詞のとおり列車が滑り込んできた。そう呼ぶにはお粗末な外観で、あー、以前短刀と蛍丸が主に遊園地に連れて行ってもらったって自慢してたろ。そこで撮った写真にさ、映ってるようなあれだったんだよ。既に見知らぬ、顔色の悪い男女が数人、一列になって座っている。さてそこで俺は考えたんだ、さっきの恐ろしい目と言うやつがどれほどのものなのかと。馬鹿げた好奇心だよな。とにかく、電車に乗ってしまったというのは事実なんだ。それに本当に怖いのならば目を覚ましちまえばいいとも思っていた。自覚があるんだ、頬を抓りでもしたらすっきりと起き上がることができる。
後ろから三番目の席にどっかりと腰を下ろした。それを見計らったように「出発します」間延びした声がかかった。列車は生温かい風を切り走る。五分もしないうちにトンネルに入った。紫っぽい明かりが照っているおかげで真っ暗で何も見えないわけではない。これが恐ろしい目なら随分と杜撰で子供だましだなあ、俺は夢の中だというのに欠伸をした。瞬間、また男の声が聞こえたんだ。
「次は活造り、活造り」
活造り、魚のか……なんて昨晩次郎太刀と岩融と鯛の刺身をつまみながら酒を飲んだことを思い出していれば、急に後ろから悲鳴が聞こえてきた。いや、悲鳴なんてかわいいもんじゃないな、あれは。とにかく大急ぎで振り向くと、一番後ろに座っていた男の回りに、ぼろきれのようなもんを着た小さい何かが群がってたんだ。夜戦は苦手だけどさ、よくよく目を凝らせば男は刃物で身体を裂かれて、それこそ活造りみたいになってたんだよハハハ……笑うとこじゃないな、ごめん。嗅ぎ慣れた鉄の匂いと耳が痛くなるほどの叫び声だけがそこにはあった。あんまりにも……つっても、俺達みたいな武器には見慣れたもんか。そこで変だなって思ったのは、俺の真後ろに座ってる女の様子だ。黙って前を見たまま気にも留めてない。これはおかしい。普通なら発狂もんだろう。
気が付くと活造りにされた男はいなくなっていた。でもさ、赤黒い血と肉の塊みたいなもんは残ってるんだよな。女は相変わらず焦点の合わない目で前を見ている。
「次は抉り出し、抉り出しです」
また声が流れた。するとまたあの小さい、わけのわからない何かが現れて……スプーンっていったかな、あれで目を抉り出したんだ。さっきまでだんまりを決め込んでいた彼女の顔はもう般若の如くにかわり、鼓膜が破れるんじゃねえのってくらい大きな声で叫び出した。ぷらーんぷらーんって愉快に垂れ下がる眼球だけが不釣り合いでさ。ああ、これもしかしてやばいんじゃないかって、この時初めて俺は焦ったんだ。だって、順番から行くと次は俺なんだもん。しかも丸腰の。でもここまできたらどんなことが待ち受けているか気になるもんだろ。だから声を聞いてから目を覚ますことにしたんだ。
「次はひき肉、ひき肉です」
最悪すぎて吹き出した。安易に想像ができる。だいたい槍をひき肉にって……なんて考えながら神経を集中させて、夢から目を覚まそうとした。でもいくら待っても風景はトンネルのままだ。やばい、焦る、ひき肉。急に背後からウイーンって音が聞こえてきて、瞼を持ち上げると小さい何かが手に持ったものを近づけてきた。ああこれでひき肉にされるんだ、全身の血が引いていく。半狂乱になりながら覚めてくれと叫んでいれば、突然静かになった。きょろきょろあたりを見回すと、見知った俺の部屋だった。悪夢から抜け出すことができたらしい。全身びしょびしょだった。
それからまあ特別何も起こらずに半月が過ぎた。内番やら遠征やらに追われてすっかりその出来事が頭の中から抜け落ちたころ、また夢を見たんだ。
「次は抉り出し、抉り出しです」
あっ、と思ったね。あの日見た夢だって。案の定女の目が抉られる場面から始まった。何一つかわることなく眼球が揺れている。こいつは見守っている場合じゃねえと思って覚めろ覚めろと念じるもいよいよ小さい何かが近づいてくる。
「覚めてくれ!」
ふっと静かになった。どうやら逃げ切れたらしいと目を開けようとした瞬間。
「また逃げるんですね、次に来た時は最後ですよ」
あの男の抑揚のない声がはっきりと耳の奥で聞こえた。まったく、俺がなにをしたって話だ。あれからあの夢は見てないんだけどさ、はっきりと次にあの列車に呼ばれたら死ぬっていうのはわかる。こっちでは刀剣破壊でもあっちの世界ではひき肉とか、笑えないよなあ。
(出典:洒落怖「猿夢」より)
mae tugi 7 / 10