11



目を開けるとそこは白い天井だった。辺りを見回すと、私は医療を受けているようだった。点滴に繋がれ、モニターがまとわりついている。


「……ここは」
「イヴ様、おわかりになりますか」
「ゴトー」
「イヴ様、起き上がらずに。おい、イルミ様をお呼びしろ」


目が覚めた場所はゾルディック家のようだった。白いシーツの上で私は起きた。着いていてくれたのはゴトーで、周囲の専属医師や看護師が私のバイタルサインや意識状態を確認している。ゴトーがカナリアに彼を呼ぶように命じ、カナリアは直ちに扉を出て行った。


「倒れられたのです。体調はいかがですか」
「あ、大丈夫、です」
「恐らくてんかん発作のようなものかと。酸素投与を行い念の為ジアゼパムを投与いたしました。これまで意識がなかったため強直間代発作もしくは重積発作を疑い、採血等させていただきましたが、データには異常はございませんでした。一過性のものかと考えますが」
「てんかん、ですか」


専属医師のカミーユからは、私がてんかんだなんて聞いたことはなかったが。これまで倒れたこともない。が、突然発症することもあると聞いたことがあるから、もしかしたらそうなのか。

どうしたんだっけか、私。約束の場所、百合の木の下で、イルミと、確か約束のことを思い出そうとしたのだ。そしたら頭痛がして。また夢の中で、あの声を聞いた。よくわからないことをあの声は言っていたが、あれは綻んだ脳機能が生み出した妄言に近い夢現のようなものだったのだろう。

きっとイルミがゾルディック家まで連れてきて、倒れた私を診察させてくれたのだ。そこらへんの病院へかかるより確実だ。初デートだったのに多大な迷惑をかけてしまった。ゴトーが彼を呼んでくれたからきっとすぐ来るだろう。……ほら、足音が聞こえてきた。普段より少し荒々しい彼の足音だ。



「イヴ、」
「なんだか、ごめん、迷惑かけたみたい」
「……俺のことわかる?名前呼んで」
「イルミ。大丈夫、しっかり起きてるから」


扉を思い切り叩いて入ってきた彼は少し冷静でないような調子が伺えた。私の横たわるベッドに腰をかけ、彼はまず私の手を触った。そして腕、肩、顔、頬を確かめるように恐る恐る撫で、最後に私の瞳を見た。きっと瞳孔を確認している。彼の黒い瞳に私のそれを合わせ、私は生を主張した。


「死んだかと、思った」
「……ごめんなさい」
「もっと謝って」
「えっ。ご、ごめん。ごめんなさい。すみませんでした、本当に」
「絶対許さない」
「えーっ」
「死ぬのは、絶対に許さないから」
「……うん。ごめん、死なないから許して」


死は彼の権限により許されないみたいだ。彼は死神をも超越するつもりか。いや、私も死にたくはないけど。
何度も何度も私の顔を確かめるようにぺたぺたと触る彼がおかしくて思わず笑うと、イルミはとてつもなく不機嫌そうな表情をした。


「は?何、なんで笑うわけ」
「なんだかそんなイルミ初めて見たから」
「勝手に倒れて目が覚めたかと思えば心配してた俺を笑うんだ?ふーん。いい根性してるよね」
「い、いえ、決してそんなわけでは……」
「本当に心配も後悔もしたのに」
「後悔?」


心配はそうだが、私が死んでイルミが後悔することってなんだ、と聞いたが最後だった。


「こんなことなら遠慮しないで無理矢理でもいいからさっさと籍入れてセックスしときゃ良かった、孕ませれば良かったって超思ってた」
「あ、さいですか……」
「なんなら今からでもそうしよう。後悔先に立たずって言うし」
「いやあの元気になったので絶対絶対絶対死なないので大丈夫です!ちょ、いや脱がせんな!病人やぞ私!」
「チッ」


察していつの間にか姿を消した執事や医療者のいない今、この空間はイルミの土壇場だ。全力で拒否してやっとこさ彼を宥めることができた。


「てんかんか。カミーユからはそんなこと聞いたことが無かった」
「向こうには連絡しておいた。脳神経科専門の病院へ精密検査へ行った方がいい。その時は俺も着いていくから」
「そう、だよね」
「それまではウチにいなよ。俺が仕事でもその方が目が届くから安心だし、専門じゃないけど医療者は揃ってる」
「私ん家でもルーイやカミーユいるから大丈夫だよ?」
「いやアイツらは信用ならないから。イヴが下僕の教育全然しないから反抗的だし言う事聞かないし任務は出来ないしケータイ壊すし」


す、すいません、私の教育不行き届きで……。


「俺がそうして欲しいんだからそうして。それに、少し気になる事がある」


気になる事ってなんだ、と聞こうとしたがイルミはただ雑に私の頭をわしゃわしゃ撫でて最後に抱きしめた。彼は仕事があり家を空けねばならないようで、私はしばらくの間ゾルディック家にお泊まりすることになった。









『イヴ!倒れたとシルバの倅から連絡を受けたが』
「父様、私はもう大丈夫、心配しないで」
『ああ、労しい最愛の娘よ、お前を失ったらと思うと身が張り裂けそうだった。その時は私も後を追うからイヴこそ心配するんじゃない』
「いや父様気持ちは嬉しいけど逆に迷惑すぎるから」


ゾルディック家本館に電話が繋がっていると執事さんから言われ電話を取ると、その先は父だった。そうだ、私ケータイないんだもんね、直接私に連絡できなくて心配しただろう。

経緯を説明した。しかしイルミとのお付き合いを始めたことは黙っておいた。倒れた上に、まさか娘が彼氏ができてその家に泊まるなんて心配に心配を重ねて塗りたくるようなものだ。それに父が発狂しかねない気がした。この様子だとルードヴィッヒは特に何かを父に説明した様子はなさそうだ。



「ーーだから、専門の病院で検査してもらうまでしばらくはこっちでお世話になるね。父様も安心して仕事に集中出来るでしょう」
『……、ちゃんとシルバの倅とは別室で鍵とセキュリティと錠前を掛けなさい。父様との約束だ。ちゃんと毎晩電話するから』
「で、電話はいらない……とにかく大丈夫。何かあったら連絡する。ところでカミーユは?私ケータイなくなっちゃったから、今通じなくて」
『カミーユならばそちらへ向かわせる』
「あ、こっちに来るの?」
『専従医師だからな。寧ろこんな時に主人のお前の側にいないなんてヤブもいい所だ。アイツ解雇してやる』
「ま、待って待って、私が突然出かけちゃったから仕方ないよ!」


それだけで突然解雇だなんて理不尽すぎる。ブラック企業も甚だしい。


『イヴ……、注意しなさい』
「あ、うん、ちゃんと体調には気をつけるから」
『そうじゃない。身の回りの妙な動きに気を配りなさい。お前は賢いからできるね?そして必ず私かゾルディック家に助けを求めるんだ。ゾルディック家には依頼として、シルバに要請しておく。お前を護るようにと』
「……わかった。でも、ルーイやカミーユは?」
『身の回りの親切な人間に全幅の信頼を置くのは危険だ。たとえそれがお前に心酔する忠実な従僕でも。だからこそ私は私の部下を信用しないのだ。それに、なんだか嫌な予感がする』


それはパドキア共和国軍総統であるエドワード=ブレアの経験上のことなのだろう。それに私は口を噤んだ。信頼は裏切りを盲目にさせる。きっとそれは事実だ。しかし、


「なんだか、悲しい」
『理解れ、イヴ。希望的観測はならない』
「うん……」
『愛しい娘、悲しませる為にこんな事を言っているんじゃないんだよ』
「わかってる。気をつけるから」
『だがな一番くれぐれも重々に絶対にイルミゾルディックだけは注意しなさい幼馴染みだからと少し距離が近すぎるんじゃないか?というか奴と何処へ行っていたんだルードヴィッヒは何か知っているようだが吐かないしお前に連絡はつかないし何か父様に隠し事をしてるんじゃ、』
「じゃ、じゃあ切るね!」
『ちょっ待っ』


そして父との電話を切った。何を悟ったか怒涛の追求に耐えられる自信がなく無理繰り切ってしまった。次会う時が怖い。その時はイルミとのことを報告をすることになるだろう。









しかし、暇だった。

あの日から数日経つ。毎日ゾルディック家医師の診察を受けているが、私は特にどこも悪いところはなく発作もなかったためむしろ病人ぶってるのに多少の罪悪感さえ感じてきた。イルミは仕事のため家を空けている。こうなるとさらに暇だ。

ぼんやりと庭園で過ごしていると、後ろに気配を感じた。そして振り返る前に、ぐわっと体を持ち上げられ、なぜかたかいたかいをさせられる。こんなことをする人は1人しかしらない。



「シルバさん!びっくりした〜」
「イヴ。また大きく、美しくなったな。話は聞いた。エドワードからも」
「あ、しばらくご厄介になってます。体調はもうぜんぜん。なんだか父も大袈裟で、ごめんなさい」
「止せ。お前は俺の娘も同然だ。遠慮をするんじゃない。昔はパパって呼んでくれたじゃないか、そうしなさい」
「えっ。えーと、でも、」
「…………。」
「ぱ、パパ……」
「そうだ、パパでいいんだ」


シルバさんは半強制的に私にそう呼ばせるとうんうん頷いて一人で勝手に納得した。ここらへんは微妙にイルミとの親子感を感じるところだ。自分の実父でさえパパなんて呼んだことないのに。


「シルバさ……パパ、迷惑じゃ?執事さんも付かせてもらって」
「執事なぞ腐る程いる。いつまでだって居なさい、お前は家族なのだから」
「でもなんだか申し訳なくて」
「ここは安全だろう。小さな国、要塞みたいなもんだ。エドワードのようにパドキアを護る事は俺には出来ないが、ここでならお前を護れる。イヴはただここにいればいい」
「でも私、ただ守られているだけの国のお姫様なんかは嫌です」


シルバさんはその私の言葉になぜか息を詰まらせ、驚いた顔をした。少しの逡巡。そして大笑いして、ぐっしゃぐっしゃと私の頭を撫でた。


「ユリに似たな。ああ、あいつを感じる。エドワードに似てると思っていたが違う。共に過ごした時間は無かったというのに。やはり血の繋がった娘なんだな」
「あの。この指輪のこと、シルバ……パパが母から預かっていたとイルミから聞きました。母と昔、何かあったんですか?」
「まあ色々な」
「色々?」
「いつか余暇に話そう。指輪、似合っている。イルミのことをよろしくな」



そしてずんずんと去っていってしまった。残ったのはぐしゃぐしゃになった私の頭と、シルバパパの手の温もりだけだった。









イルミの部屋で眠っていると、物音と気配でなんとなく起きた。仕事から帰ったようで、彼は簡単に着替えをした後のようだった。そして珍しくテレビをつけて、ディスクをレコーダーに挿入した。そして画面が写し出される。


「イルミ。おかえり」
「あ。起こした?」
「ううん。何見てるの?」
「懐かしいと思って。ホームビデオ」


何ホームビデオですと!?まさかゾルディックさん家にそんなものがあるなんて知らなかった……というかイルミはどうしてこんな夜中にそんなものを見始めたのだろう。
一気に目の覚めた私は目をこすりながら起き上がって彼の座るソファの隣へと向かった。


「あんまり記憶にないけどビデオなんて回してたっけ……?」
「まあ、母さんの盗撮だからね。ウチには色々カメラ置いてあるし」
「あ、納得……」


確かにビデオの視点はキキョウママの目線のようだ。幼い頃の私と彼を映したホームビデオは、なんか感動するものがある。我ながらちっちゃくて可愛いし、イルミも黒髪のおかっぱ頭がとても愛嬌をそそる。やばい、これ父様が見たら泣くかもしれない。当の自分もなぜだか懐かしくて胸がいっぱいになる。

全力で駆けっこしたりきゃっきゃはしゃいでる自分と、その年齢にしては落ち着いた様子のあるイルミ。私は意外にもアウトドア派でとにかく動き回っている、いわゆる全力系の子どもだ。イルミはそんな私に着いて行ったり傍観していたり適当にやり過ごしている。きっとミルキが生まれた後数年の頃だ。



『イルミー!イルミー!』
『なに?』
『次、おままごとしてあそぼー』
『やだよ。おれは他のことであそびたい』
『えーっ、なにがいいのお』
『死体ごっこ』


そしてただただ地面に寝そべって無言で死体のふりをするだけの遊びを始める私とイルミ。何が楽しいんだ。子どもだから可愛らしいけど!

そしてそんな私たちを可笑しく笑うキキョウママの声。キキョウママにつられて笑うのを堪えきれなくなった小さい私が、お腹を抱えて大爆笑しはじめた。イルミはそれでも死体ごっこを続行している……なんか色々この当時から歪んでいるが、イルミは小さい頃から変わってないってことかもしれない。



「やっぱり、呼び方は変わってない」
「何が?」
「別に」
「そう?あーイルミってこんなだったっけ、本当かわいい。かわゆいー。ちょっとたまらないかも。男の子ってやんちゃで大変だけどイルミは落ちついてるし、ほしい子どもの典型例だよー」
「俺と結婚したらできるよ、俺みたいな子ども。つくろうよ」
「あーハイハイ、わかったわかった」
「……なんか最近俺をかわす余裕出てきたよね、イヴ」
「いやまあさすがにね」
「なんかムカつく。そろそろ本気出そうかな」
「病人にそういうのはやめてくださーい」


イルミはムッとしたがそれ以上何かをするようなことはなさそうだった。きっと私が無駄にパニックになって発作でも起こされたら嫌なんだろう。しばらくはこの病人だからの盾で凌いでいけそうだ。

ホームビデオはまだまだ続いている。キキョウさんもカメラ好きだし、屋敷の至る所に設置されてるのだから、もしかしたら何十年分は記録されてるのかもしれない。





『ママーっ、ミルキだっこさせてー!』


そう、そうだ。私この頃キキョウさんをストレートにママって呼んでた。キキョウさんは『ゆっくり抱っこしてあげてね』なんて優しい声色で幼い私へミルキをゆだねた。ぷにぷにとほっぺをつついたりしてミルキを可愛がる私。今では考えられない。ミルキ、なんであんな風になっちゃったんだ……。


『ちっちゃーい!かわいいー!わたしも赤ちゃんうんでママみたいになるー!』
『あら、じゃあパパは誰かしらねえ』
『パパはゴトーがいい〜!』


笑顔満開とはこのことだ。私、無邪気だなあ。ゴトーは昔から優しくしてくれたから大好きだったもんねえ。傍で遊びを見守ってくれていたゴトーがにこやかに大人の対応をした。


『イヴ様、恐縮で御座います』
『ねーゴトーとけっこんするー!』
『だめだよ、おれと結婚するんだよ、イヴは』


幼いイルミが反論をした。ああ、これはもしかして結婚の約束なるものをした後のホームビデオなのかもしれない。


『イルミこわいしあんまりやさしくないから絶対やだ!』


おおおぉ……小さい頃とはいえ、キキョウさんが目の前にいるというのに全力でイルミを否定する私はよく今まで殺されなかったもんだと今になってビビった。

そしてまたミルキいじりに没頭する私に、キキョウさんは『あらあらイルミ振られちゃったわね』と気にしてないようで、息子を適当になだめる。当のイルミは腹いせからか、無言でゴトーにダーツを投げ始めた。微妙に陰湿だ。







「……なんか、私、今生きてることが奇跡に思えてきた」
「そう?」
「今あるこの命を大事にしていきたい、本当」
「何変なこと言ってんの」


そしてしばらくホームビデオ鑑賞会は明け方まで続いた。
仕事帰りの彼に紅茶を入れたのは私だった。小鍋にミルクを温め、沸騰する前に茶葉を入れ、少しの砂糖とはちみつ。私も彼に喜んでもらえるようなもので与えられるものといえばこれくらいだ。二人でそれをすすりながら夜更けをすごし、いつの間にか私は夢魔に耐えられず眠ってしまっていた。