一不思議、闇からの転校生
そしてそんなゾルディック家での週末を過ごし、明けた週。重い月曜日。授業の課題は済ませてあるし、委員会の資料も準備してある。ただ先週末、クラスメイトに頼まれた七不思議のことが唯一気が重い事だった。しかし彼女がそのことを忘れている事を期待して定例のごとく、私はカミーユに送ってもらい学校へ向かった。
「イヴちゃん、おはよう」
生徒で座喚く廊下をすり抜けて歩いていると、女の子から声を掛けられた。この声は……。聞こえないふりをしてそのまま教室に入ろうとしたが、とんとん、と肩を叩かれた。さすがに肩まで叩かれてしまったら無視は出来ないので、振り向く。
「あ、お、おはよう……」
「ねえイヴちゃん、何かわかった?」
「な、なんの事?」
「忘れちゃったの?先週言ったじゃない、七不思議のこと」
「あ、そうだったっけ、あはは」
勿論忘れてなどなかったけど。笑って誤魔化したが、彼女は笑わなかった。いつもの愛嬌も笑顔も消し去りどこか物言わせぬ雰囲気を出す。
「お願いしたよね」
「え、えっと……でも……」
「約束したのよ。約束破ったら、駄目なんだよ」
私の返事を待たずに彼女は去っていった。そんなに気になるなら自分で調べればいいだろう。どうして私にお願いするのだろう。怠慢は許されないようだ。一体、どうしたものか……。
ため息をついて、私は自分のクラスへと入った。
「おはよう!ブレア」
「あ、おはよう、エリック」
クラスルームに入ってまず挨拶をしてくれたのはエリックだった。エリック=ファントム。彼は爽やかなスポーツ少年で短髪とたまに膝に作る擦りむけた傷が腕白を物語る、快活な同級生。利発で、たまに私の委員会の仕事を手伝ってもくれる。
「なあ、聞いたか、出たらしいぜ。隣のクラスの奴が見たってよ」
「え、何の事?」
「知らないか?七不思議だよ。屋上に立つ女の子の幽霊、だってさ。今すげー広まってて皆知ってるぜ。噂になってる」
「ああ……それね……」
「どうかしたのかよ?」
「いや、別に……なんでもないよ」
まさにその件をクラスメイトの子から調査しろと言われていて憂鬱だなんて言うべきでないと思った。きっと、誰にでも親切で世話焼きのエリックのことだ、彼は心配してくれるだろうから。
彼は不思議そうな顔をしていたが続きを話す。
「こえーよな。ブレア、委員会の仕事があるからってあんまり居残りしない方がいいぜ。もしそれでもってんなら、その……俺も手伝うから」
「ありがとう。うん、あんまし居残らないようにする」
素直にお礼を言うと、エリックは鼻の下を掻いて視線を泳がせ、気恥しそうに去っていった。私はいつもの窓際奥の席に向かう。隣になぜか一つ机が増えていた。「あれ?」と小首を傾げる。誰か席変えでもしたのだろうか。
特に気にせず席に付き、鞄から教科書を机の中に詰め込んだ。気が重いことは変わらなかったが、エリックが気を利かせてくれたおかげで幾分気持ちは晴れたものがあった。そして八時半を針が示す頃に鐘が鳴った。それでもクラスメート達は立ち話をやめず、噂で持ち切りの七不思議のことを話しているようだった。そしてそのまま数分経過。担任の先生がホームルームの鐘を過ぎてもしばらく姿を見せないことはままあったが、今日はそれがいささか長い気がした。何かあったのだろうか、と気を揉んでいるうちに足音が廊下より聞こえてくる。クタったスーツに身を包んだ担任が「お前ら席付けーホームルーム始めるぞー」と掛け声と共にようやく顔を出した。アレクス=マクレガー先生は無精髭を生やした三十代独身の男性だ。独身よろしくアイロンのかかっていないシャツにボタンを緩めた格好はいつものことで、巻き肩を揺らしながら歩く姿のそのままに、教師らしくない人物であった。以前父の代行で三者面談に来てくれたカミーユはマクレガー先生との面談後、「あんなだらしのないのがお嬢様の担任教師だなんてバカが移る」と評していたけれど、マクレガー先生は不格好ではあるが生徒への思いやりを持ちハートのある対応をしてくれる兄貴分のような先生だ。逆にカミーユが関わりの薄い他人を酷評するなんて珍しいことだけれど、神経質な彼とは相反する態度の先生なので気に入らなかったのだと思う。
マクレガー先生の指示にクラスメート達は話しを止め各々の席へと蜂のように子急ぎで戻る。それを確認すると担任は席簿を開き、咳払いをした。
「あー、おはよう。体調の悪い奴はいないか?欠席もいないな。今日も元気に一日頑張って勉強しろよー」
と言う割には、怠そうになで肩を揺らし、ポリポリと後頭部を掻くマクレガー先生。いつもの一日が始まる。私は10月の陽気な陽射しを仰ぎ、枯れ葉の色付き始めた校庭の木々を眺める。そろそろ、カーディガンを用意しなければ寒くなるのだろうか、なんて他のことを考えていた。1限目はまず国語、きっとマクレガー先生は次に授業の用意を指示するだろうと私は教科書を揃えようとしたその時。しかしマクレガー先生の口から次に出た言葉はいつもの日常を破壊するものだった。
「えーとだな、実は急な事だが、今日からしばらくこのクラスに新しい仲間が増えることになった。転校生だ」
「転校生?」その急な話に教室中がどよめいた。
新学期でもないのに突然の話に、私は手を止め、外を眺めていた視線を教卓に向けた。何故だかマクレガー先生と目が合った。先生は困ったように私を見ている。……その意味ありげな視線に私は首を傾げた。もしかして、この隣の空いた席はその転校生の子のものなのだろうか。一体どんな子だろう。「入ってきなさい」と、先生は廊下で待っていたその子に声を掛けた。気付かなかった、そこにすでに居たのか。廊下で潜み隠れていたその姿、足音もなくその子はスタスタと教室へ入ってきた。
男の子だ。少年らしさを残した肩までの黒髪、感情の起伏のない黒い瞳。小等部のブレザーの制服に袖を通し、その白い手は背負った鞄を握っている。
「イ、……」
思わずその名を教室中に響いてしまうくらいに叫んでしまいそうになったが、咄嗟に口を手で抑えた。ぐっと堪えた私を誰か褒めて欲しい。よーく見知ったその少年の姿に、私は口を閉じることが出来なかった。
「紹介する。イルミ=ギタラクル君だ」
知ってます。
……と、私はなんとか言葉を呑み込んだ。
「ご両親の都合で短期間だがウチのクラスに転入することになった。みんな、程々に仲良くするんだぞ。ギタラクル君、挨拶しなさい」
「よろしく」
イルミはまるで宣誓のように片手を挙げて一言挨拶をした。緊張もなければにこりともしない淡々とした少年の態度に、マクレガー先生はまた後頭部を掻く。私は顔が引き攣るのをまさに感じた。驚きを隠せない私を、マクレガー先生はやはり見ていた。
「暫くの間だが、あー、ブレア、面倒を見てやってくれ」
「えっ」
「机はブレアの隣だ。それじゃ、とりあえず1限目だ。ほら皆、とりあえず授業授業。日直、さっさと用意しろよー」
教室に新たに加わった異質な少年にみんなそわそわと関心を向けていたが、マクレガー先生の指示に従いホームルームを終え授業の準備を始めた。視線はイルミに集中している。マクレガー先生は窓際の席の私の元へ、イルミを連れてやって来た。
「ま、マクレガー先生、どういう、」
「まあ……そんなこった。ブレア、学年委員長として頼んだぞ」
「いやそんな丸投げみたいな……」
「教師生活六年、俺はこれまで愛すべき生徒の為に頑張ってきた。ギタラクル君そしてご両親共々の強い要望で、どーしても俺のこのクラスで学びたいんだそうだ。俺は教師として嬉しい!何でもブレアと知り合いなんだってな。そんならギタラクル君も安心だ」
「ええ……」
マクレガー先生の年齢にしては意外と浅い六年という教師経歴にも驚いたが、他にもいろいろとツッコミどころが多すぎて何も言えなくなった。先生は私が黙りこくったのを了解と捉えたのかわからないが、「じゃ、頼んだぞ」と出席簿を肩に背負いさっさと行ってしまった。
残ったのは、教室を見回すイルミと、この状況に立ち尽くす私。
「ふーん。教室ってこんな感じなんだね。意外と狭いな」
きょろきょろとクラスを見回し呑気にもコメントをするイルミの手を取り、私は教室をダッシュで後にした。
人目のつかない場所、階段の踊り場。今の時間なら人も少ない。イルミを連れてそこへ向かうと、私はようやく詰まりそうだった深呼吸を何回か繰り返す。「ちょっと階段登っただけで息上がったの?」と見当違いなことを言うイルミの肩をぐっと掴んだ。
「イヴ、目が血走ってる」
「そんなことはいいの!い、イルミ。これはどういうこと?」
「どういうことって。解決してほしいって言ったから」
「か、解決?」
「七不思議だっけ。幽霊がどうたらこうたら言ってただろ」
「そりゃ、言った、けど…………それだけ?それだけのために?」
「うん」
イルミはパシパシと大きな瞳を瞬きさせた。その瞳に他に思うところは無さそうだ。まさか、本当にそんなことのためにゾルディック家坊ちゃんは潜伏転入してきたというのか。
「まさか学校に来るなんて思わなかった。シルバさんやキキョウさんには了解取ってあるの?」
「うん。こないだ言ったよね。問題ないって」
週末を過ごした会話を思い返した。七不思議のことを誰か代わりに解決してくれればいいのに、と小言を漏らした私に、イルミはただ『そうだね』と返事をしてシルバさんの所へ向かった。そして『問題ないよ』とその一言であの時は会話が終わったと思う……。
「えっ、もしかしてあれ、この事だったの?!」
「うん。あれ、伝わってなかった?」
「わ、わかんないよ!来るなら来るって言ってもらわなきゃ、私にも心の準備が必要なんだから!本当に肝が冷えたよさっき!」
「ごめんごめん」
笑ってない笑顔で軽く謝るイルミ。なんだか胡散臭い。私が困ったり驚いたりする反応を面白がってるときの嘘笑いだ、もしかしてわかっててやってる確信犯かもしれない……。
「まあ、俺も興味あったから。イヴがいつも行ってる学校ってやつに通ってみたかったし。授業とか、そういうやつ」
閉口してしまった。そうだ、イルミも同い年の男の子なんだ。本当なら学校に通ったりして、きっと少年らしい時代を過ごしたかったのかもしれない。いつも何も言わないけど、傍に私みたいな一般人がいて、彼に及ぼす影響というものを考えたことなどなかった。ゾルディック家の教育方針に私は口を出す立場では無いので何も言えないが、そういう普通の少年のような日常生活というものを経験してみてもいいんじゃないかと少し切なくなった。
「でもカリキュラムのレベル低いんだね。何が楽しくて学校通ってるの?」
「…………。」
何が楽しくてと言われても、義務教育だからだと思う。
しかし義務で学校に通わされてますなんて夢のないことは言えないので「友達と会えるのが楽しいからかなあ」なんて子どもらしいことを言っておいた。イルミは「ふーん」と興味のなさそうに相槌を打った。
「それにしても、ギタラクルって何?」
「偽名だよ。あ。もしかしてゾルディックの方が良かった?」
「いやいやいやいやギタラクルでいいです」
ゾルディックのネームバリューはマイナーだけど世界規模だ。名乗ろうものなら小学校といえ軽いパニックになる可能性がある。ギタラクルでいい。
「でもよく学校に入り込めたね。転入だなんて。戸籍とか住民票とか偽造でもしたの?」
「まあそんなところ」
「昨日の今日でよくそんなこと……ホントに突然すぎるし、しかも私の知り合いって言っちゃうし……絶対にマクレガー先生、イルミのことも私のことも怪しいって思ってる……もしイルミがゾルディック家の人だなんてバレたら……」
「あれ、知らないんだ」
「え、何が?」
「いや。何でもないよ」
イルミはおすまし顔をして話を切った。何がだろう。よく分からないがとりあえず授業の時間が迫っているので私たちは教室へと戻ることにした。
「とにかくイルミ、お願いだから絶対にそれっぽいこと匂わしちゃだめだからね。約束!」
「それっぽいことって?」
「暗殺とか暗殺とか暗殺とかそういうこと!とにかく普通に振舞ってね、お願いだから」
「はは、まさかそんな事しないよ」
「な、なんて嘘くさい……」
またイルミは嘘笑いをした。何もしないと信じたいけど、きっと何かするに違いないと何となく確信した。
「私も話合わせるから、秘密にするんだよ?」
「わかってる、そんなに心配することないよ」
「そういえばお家のこととか仕事とか、大丈夫なの?シルバさんキキョウさんは?」
「事を説明したら別に反対なんてされなかったよ」
「それなら、いいのかなあ……」
イルパパとイルママが了解したのなら、大丈夫ということでいいだろう。とにかく私はイルミがゾルディック家のお子さんだとバレないように気を配ればいい。イルミは代わりに、一緒に七不思議のことを調べてくれる。……ん?なんだかそれなら私が単独で七不思議事件を調べれば、余計な気を配らなくてもいいんじゃ……。いや、余計なことはもう考えないことにしよう。もうイルミは転校生として潜入してきちゃったんだ。そう、余計なこと考えたらだめ、ぐっとこらえるんだ。
「はあ」
「ため息つくと幸せ逃げるよ」
「誰のせいだと……」
「とにかくまずは授業ってやつだね」
イルミが、授業……。
イルミが集団生活する姿なんて当たり前だが生まれてこの方見た事がない。あれ、そう思うと、心配な反面、なんだかイルミの貴重な姿を見られるのではと期待が高まる。
今の姿もなかなか貴重だ。
学校の制服なんてものをイルミは身にまとっていた。茶色のブレザー、短パンから覗く白い足、珍しく紺の靴下を履いて、ちょこんと背負った鞄。イルミはこの歳にしては発育が良く、男の子の中では背も高い。しかし艶々の髪が肩にかかるほどの長さで中性的な雰囲気を残している。第二次性徴期を迎える私たちは、少年らしさを脱ぎ捨てながら少しずつ大人の体へと変わっていっている。手は骨ばってきたし、この幼さには似つかない筋肉もある。他の男の子とは違う体。けれどそれをこの制服が曖昧にさせてくれた。普通の少年らしさで喩える格好良さもあるけれど、フェミニンな雰囲気が愛らしさを増長している。
「制服、似合ってるよ、イルミ」
褒めるとイルミは「ああこれ」と腕を伸ばして制服を眺めた。
「制服っていうの。着苦しいよ」
「イルミ、そういうの着たことないからそうかもね。あとで写真とろうね、約束して約束。ね?」
「はいはい、わかったよ」
小指をイルミに差し出すと、イルミも小指を差し出し、絡めてくれた。
形に残しておきたいと思うのは当たり前だ。イルミにはその感覚がよくわからないようだけれど。嬉しくて笑うと、イルミは「変な顔してる」と眉をひそめた。失礼な。別に変な顔はしてない。
「イヴもまあまあだね」
「え?」
「それ。制服」
じっとイルミも私を見つめ、そう言った。制服のことだろうか?
「ああ、イルミ、私が制服着てるとこ見るの初めてだっけ。もう六年間着たものだから似合ってるとかわからないよ」
「何で今まで俺に見せなかったわけ?隠してた?」
「いや、別に見せなかったわけじゃ………」
微妙に理不尽だ。
これまで学校なんてものに一切合切興味を向けなかったのはイルミの方なのに。むしろ学校超否定派だったくせに。私の家はゾルディックさん家とは違って社会に根差しているから普通教育を受けるのは当たり前なのだ。うちはうち、よそはよそ。私がゾルディック家の家庭事情を言わないのだからイルミもブレア家に何も言うことなど無いだろうけど。だから学校の話題はほどほどにしていた私の配慮をイルミはまったく、とばかりの態度を取った。
「隠し事は無しだよ」
「隠してたわけじゃないんですけど」
「スカートの丈、ちょっと長過ぎない」
「普通です」
「まあその長さが逆にいいのか」
「なんの話」
顎に手を当てて「制服も悪くないな」と呟くイルミに何となく危機感を抱きながらも私たちは教室へと足を向けたのだった。
✱
教室へと戻るとクラスメイト達のそわそわとこちらを伺う視線が集中したのを感じた。謎の転校生、新しいこのクラスの住人がみんな気になっている。それに微妙な居心地の悪さを何故か私が感じながら、イルミに着席を促した。私も隣に座った。彼の鞄から教科書を出すように指示していると、戻ってきた私たちを見計らってエリックが話しかけてきた。
「ブレア!マクレガー先生言ってたけど、ギタラクルと知り合いなんだな。仲良いのか?」
「そ、そう、知り合いというか、幼馴染みというか。ご両親の都合でちょっとの間うちの学校にいるみたい。ちょっと変わってるけど学校にあまり慣れてないだけだから仲良くしてあげてね。ね、イルミ」
「よろしく、ギタラクル。俺はエリック=ファントム。短い付き合いかもしれないけど、分からないことあったらいつでも相談乗るよ」
「うん」
と、それだけでイルミはクラスメイトにまったく興味を示さず教科書を並べ筆箱、鉛筆をキッチリ並べ、黒板を向いてやたら良い背筋を伸ばして微動だにしなくなった。たぶんだけど、イルミはエリックに興味がない。きっと疑問符で質問すればイルミはそれに見合うように返事をしたと思うけどそうじゃなかったからそれで会話終了したのだと思う。
「………………うんほんとにちょっと変わってるけど、悪気はなくて……強いて言うなら新しい環境に順応してないというか……。イルミ、こういう時は挨拶返すんだよ」
「あ、そっか」
何かを思い出したかのようにポンと手を叩いたイルミは、「じゃ、よろしく」と手を挙げて返事したは良いもののそれだけでまた視線を黒板へ戻し微動だにしなくなった。わざとやってるのかと思うくらい協調性が低い。これは先行きが暗い。社会性皆無だった。沈黙が流れる。
「おーい席付けー。ほら、授業始めんぞー」
そこでまたもやマクレガー先生が授業のために再登場した。謎すぎる転校生ギタラクル少年に、エリックは微妙に顔を引き攣らせながら苦笑いして席に戻って行った。そりゃそうだ。私はため息を吐いたが、イルミは私の心労など我関せずといったように
✱
「ギタラクル君?今、話しかけてもいい?せっかくだし少しお喋りしようよ」
授業が明け、休み時間となった。号令と共に幾人かの女子クラスメイト達がにこやかに彼に近寄って来たかと思うと、質問攻めだった。イルミはそんな彼女達を一瞥し、「うん」と一言返した。
私は隣で盗み聞きながら内心ひやひやしていた。
「これからよろしくね、わからないことあったらなんでも聞いて!」
「どうも」
「転校ははじめてなの?」
「まあ、そんなところかな。家庭の事情でね」
「転校すると勉強とか大変じゃない?」
「別に。ウチには執事や教育係がいるし」
「執事さん?もしかしてギタラクル君お金持ち?」
「さてね。一族の資産なんて皆隠し金してるだろうからわからないな」
「お家はなんの仕事してるの?」
「自営業」
「自営業?ってどういうお仕事?」
「暗、……まあ依頼されたら各地出張して人始末というか」
「じゃあきっと忙しいんだね」
「まあそこそこ」
…………クラスメイトからの微妙にピンポイントに核心に迫る質問にもイルミは割と上手く避けて返答していた。暗殺ってさっき絶対言いかけた。依頼されて各地出張して人始末とかほぼ暗殺だと言っているようなものだがクラスメイト達は物珍しい転校生に夢中で「そうなんだ〜」と特に疑問に思ってないようだった。良かった。
ああ、さっき釘を刺しておいて良かった。学校なんか通ったことなくて、この転入は潜伏で、親は暗殺家業で、本当はゾルディックです!とか良くも悪くも素直に答えそうなイルミだから気が置けない。
謎の転校生がお金持ちのお坊ちゃんということが判明し、なぜだか色めき立つクラスメイトの女の子たち。違う、違うんだよ。お金持ちだけどそういうお金持ちじゃない。何千万単位のお金を指一本で動かしてる一族なんだよ、しかもそれ家族内取引で。外部には億単位で報酬せびるんだよ。次元が違う。みんな騙されてる。
「ギタラクル君、良かったら学校案内するよ!お昼休みどう?」
「案内はイヴに頼むからいらない」
学校の案内役を買って出てくれたのにも関わらず、彼はそれをばっさりと断った。私は突然のイルミのご指名にそちらへ視線を向けた。イルミもクラスメイトも私を見ていた。
「え……私?」
「そっか、イヴちゃんとギタラクル君、知り合いなんだもんね」
「あ、うん、まあ、そうだけど……イルミ、別に私じゃなくてもいいんじゃないのかな。折角誘ってもらったんだしお言葉に甘えて行ってきなよ。親睦深めて友達つくらなくちゃ」
「え。友達?」
イルミは大変不思議そうな表情をして、とんでもないことを言った。
「それ、俺に必要?」
「ちょ、……」
私はイルミの友達じゃないんですか?
そんな疑問もさる事ながら、大変冷たくクラスメイト達をあしらう彼に女子たちは黙りこくった。ちょっと引いている。ここでナチュラルにゾルディックらしさを発揮したイルミをフォローすべく私は立ち上がった。
「ま、まったくイルミ!冗談が相変わらず下手だね!女の子に誘われてちょっと恥ずかしくなっちゃったからってもう!」
「は?」
「ね、本当は嬉しいんだよね!照れ屋さんだねイルミってば!」
「いや俺は」
「そうだよね!?ね?」
ムッとして反論をかまそうとするイルミを押さえつけて、小声で「お願いだから話合わせて」と言い聞かせた。というか普通に振舞ってくれないと困る、後の私の学校生活の雲行きがかかってるんだ。
イヴの鬼気迫る圧迫に彼は渋々ながら納得し、彼女たちへ態度を変えた。
「……そう、冗談だよ」
女子たちはその返答に色めき立って肯定と捉えたのか「じゃあまたお昼休みに来るからね、ギタラクル君」と揚々と席に戻って行った。きっと昼時間にまた来ることだろう。我がクラスメイトはゲンキンだ。
彼女たちが去ってからため息をついて、諭すようにイルミに言った。
「イルミ……こんなんじゃ目立つよ、本当。悪い意味で」
「イヴが言うような禁止語句は一言も言わなかったろ」
「そのギリギリの際を攻めてたように見えたけどね……。友達は必要かどうかなんて、普通の子に言っちゃだめだよ。普通の子は友達がほしいものなの」
「え?俺が普通じゃないみたいに言うね、イヴ」
「まさか自覚がないなんて……」
イルミは顎に手をかけ、「そうか」と考え込むようにぽつりと言った。
「じゃあさっき、俺おかしいこと言った?」
「え、……」
私は息が詰まりそうになった。イルミが、そんなことを言うなんて。
彼は彼なりに馴染もうとしている。けれど彼の生い立ちがそれを阻む。これまで同年代の友達なんて、私くらいしかいなかった。家族だけが彼を形成した社会だ。だから、少し難しい。彼を作り上げた世界が、私を作り上げた世界とは違うからだ。白い布に、一点の黒い染み。それが灰色に、そして白色に馴染むまで、どれだけ時間のかかることだろうか。
迷惑とかそうじゃない。ただ心配だった。私を作り上げた世界が、この一人の男の子を淘汰するんじゃないか、排除しようとするんじゃないかと。
「ちょっとだけね。でも、私はそれよりもイルミが学校に来てくれて嬉しい」
しかし世界は、郷に入りては郷に従えという。望むのなら、彼がこちらに留まれるように私は匿ってやりたい。世界の目から。
「短い学校生活かもしれないけど、“友達“がイルミに出来ればいいなって思ってる」
“友達“が出来なくとも、彼の中にそういう概念が生まれるだけでも、それだけでいい。
ゾルディック家に産まれ、鞭で叩かれることが“普通“で、毒を食べて生きてきた、それが当たり前の彼。この学校生活が、普通の子どもらしさを教えてくれればそれだけでいい。けれど彼は闇の世界の住人だ。そんなものは何も響きはしないかもしれない。
でも、一瞬の風となってイルミの髪を撫でてくれるといい。
「ここでだけでいいから、普通の男の子になろう?」
イヴは、そう言って俺の髪を撫でた。
その顔は、俺がここにいることを本当に嬉しそうに喜んでいる笑顔だったと思う。その笑顔に、“普通“のなかにある学校やら友達やら、そういうものを必要がないと嘲っていた俺の考えを少し改めさせるものがあるのは真実だった。
✱
そしてお昼ご飯。私の学校は給食制だ。今日の献立は、クリームシチュー、パン、ピクルス、フルーツヨーグルト、牛乳。隣で黙々と配膳された給食を口にするイルミ。お坊ちゃんのお口には合わないのではないのかと美味しいかどうか聞いたら、「まあまあ」とのご返答があった。正直、これは以外だった。イルミの事だから不特定多数が接触する可能性のある食事というのは絶対に口にしないと思っていたが、そうでもないようだった。
「良かった口に合ったみたいで」
「仕事の時土の中で寝るとどうしても口の中に砂利が入ってくるんだよね。まあそれよりかは味は良いよ」
「……なんて失礼な……」
砂利の不快感よりはマシということか。そんなこと言うならもう二度と給食食べるんじゃない、とは言えなかったが。でもその様子から見るに、意外と給食美味しいって感じてはいそうだった。
それを食べ終わった事に昼休みが始まる。約束していた先程の女子クラスメイト達が立ち寄ってきた。
「ギタラクル君、じゃあ学校案内するよ!行こ行こ」
「うん」
私はイルミに目配せする。くれぐれも頼むぞ、と。上手く振舞ってくれよ、と。イルミは私の視線に気付き、肯定的にそれを捉えていたと思う。そして彼らは教室を出ていった。
「ギタラクル君、まずはどこ行こっか」
「じゃあ、まず非常口から案内してもらえる?」
「えっ、非常口?どうして?」
「それを万が一の敵襲の時に知っておくとおかないとでは戦術が変わるからね」
「なんだか、変な言うねギタラクル君」
そんな会話をしながら。
……ああ、大丈夫だろうか……。絶対ボロを漏らすに違いないイルミに不安を感じながら私は彼の背中を見送った。
「ここが音楽室、音楽の授業はここでやるんだよ。合唱したり、楽器使ったりするんだ」
「へえ」
「こっちはパソコン室、情報の授業でたまにパソコン使う時に使うよ。ゲームとかやるんだよ」
「ふーん」
「あれは理科室だよ!理科の実験とかやったことある?アルコールランプ使ったり、塩入れてお水沸騰させたり、楽しいよー」
「そうなんだ」
イルミはクラスメイトの女子らに案内を受けながら校舎内を歩いていた。といっても、彼女たちの説明に単調に相槌を打つのみでまったくといって愛想がない。
「ギタラクル君。なんだかイヴちゃんといない時と、少し雰囲気違うね」
「そうかな」
「やっぱりイヴちゃんに案内してもらったほうがよかった?」
「別に」
興味が無い。彼女たちに抱く感情はそれだけだ。例え彼女たちの誰かが転んだとしても、怪我をしたとしても。どうでもいいからそれを放ってイルミ=ゾルディックは歩いていくだろう。しかし今は彼女たちにただ相槌だけでもして会話に適当に付き合っているのは、イヴの為だけといえた。
ーーーここだけでいいから、普通の男の子になろう?
そう言ったイヴの先程の笑顔が、脳裏にこびりついて離れない。
「ギタラクル君、ここは多目的会議室。とくにイヴちゃんなんかは学年委員長やってるからよくここ使ってるとこ見るよ」
「……イヴは学校でどう過ごしてるの?」
「イヴちゃん?かわいいし美人さんだし頭もいいから、みんなの憧れなんだ。みんなに優しいから友達もいっぱいいるんだよ」
“友達“。ここでもそれか、とイルミは思った。
「イヴには“友達“が多いみたいで安心したよ」
「いくら仲が良くても、学校でのことはわからないもんね。ギタラクル君はイヴちゃんとどれくらい前から知り合いなの?」
「産まれた時からずっと一緒だよ」
「じゃあ知り合いじゃなくて幼馴染み同士なんだね!」
「そうなるね」
「ずっと長く友達なんだね。そういうのいいなあ」
「友達じゃないよ」
「え?」
「イヴは友達じゃない」
友達なんて馴れ合いの道具でしかない。俺もイヴも、そんなもの居なくとも生きていける。優しいから友達が多いなんて、そんな馬鹿らしい話があるのか。優しさに比例して友達は増えるものなのか。なら、彼女が愚鈍で醜かったならどうだ?寄り付きもしないだろう。それが普通の人間というものだ。人間というのは残酷なカースト制度の上に成り立つ。生まれも育ちも能力も見かけも、特異で魅惑的であるほどサークルの中央に立つ。“友達“というのはそのサークルを形成する一部、その呼称だ。そこに友情なんてものは存在しない。
けれど、俺は違う。
彼女がどれだけ醜くなろうと愚かになろうときっと変わらない。それでも欲しい。あの時交わした約束は生きている。イヴが俺のものになる、その対価の二十年を、今か今かと俺は過ごしている。だからそんな“友達“サークルの一部にされてしまっては困る。俺は彼女にとってただ一人だ。彼女も俺にとってただ一人。俺達は今は未だ12歳で、約束まであと12年の猶予がある。それまでは完全でなくてもいい。しかし自由でいられても嫌だ。だから彼女の片足に足枷をしておく。それがあの時の約束だ。
この関係を称するならば一つしかない。
「イヴは俺の婚約者。友達なんかじゃ困るんだよね」
✱
放課後。とりあえず今日は初日ということもあり、調査は明日からとし、早々に切り上げて帰宅することとした。帰り道はいつもカミーユの送迎だ。いつもの待ち合わせ場所に向かうと、カミーユはいつもの朗らかな表情を向けてくれた。
「カミーユ!」
「お嬢様、おかえりな……」
しかしそれは一瞬のことで、一転して彼の額の皺は鬼のように深くなった。眉同士がくっつきそうな程、眉間に怒りを表している。……カミーユの視線は、後ろのイルミに注がれていた。
「…………お嬢様。何で子奴がここに?」
「えっと、話すと長くなるんですが……」
「や。俺も今日からこの学校にしばらく通うから。送迎よろしく」
「貴様、山篭りはどうした。のこのこと狩られる為に下山してきたのか?」
「イヴの代わりに困り事を解決しに来たんだよ、悪い?誰かさんがイヴの送迎だけで満足してて何の役にも立たないからね」
「黙れ、外道め」
キッ!とカミーユはイルミを睨んだ。
外道って……少なくとも十二歳の子供に向ける言葉じゃないけれど……、とは思ったが反論出来ないくらいにはカミーユは苛立っていた。カミーユはキレる寸前といったところだった。というかキレている。ああ、忘れてた……イルミとカミーユは死ぬほど仲が悪いのだった。ややこしい人がここにもいた。
「外道?どうして?」
「外道は外道だ。人の道から外れた暗殺人形の貴様にはうってつけの二つ名だろう。またもやお嬢様を誑かそうとのこのこ神聖なる学び舎にまで来るとは」
「図星だからって八つ当たり?本来なら下僕のお前がこの役を買って出るべきなんだから、むしろ感謝して欲しいくらいだけど?あ、そっか。無駄に歳食ったオジサンだから頭硬くてそういうことは難しいよね、ごめんごめん」
「糞餓鬼が。私は医者だが貴様のその人格障害に付ける薬など無い。末期だ。死んで治せ。死んだなら二度と来世邂逅するんじゃないぞ。いいからお嬢様から離れろ、お嬢様が穢れる」
「薬なんていらないね。子供相手に大人気ないよね、ほんと。自分こそ鎮静剤でも打ったら?それも出来ないなら俺がその首掻き切って黙らせてあげてもいいけど」
カミーユが煽って、それに呼応してイルミも煽り返す。悪循環だ。
そうだった、彼らが顔を合わせる度に喧嘩をするのを忘れていた……。どうして仲が悪いのかきっかけは何だったかもうわからないが、そもそも気が合わない二人なのだと思う。カミーユも大人なのだからそんなに躍起にならなくても。イルミも子供なのだからそんなに減らず口言わなくても。無理か。これまで幾度となく二人を仲裁してきて彼らが握手した事など見たことない。
「……はい、終わり。もういいでしょー」
そして適当なところで割って入るのが私の役目だ。ピリついた雰囲気。戦い開始のゴングでも鳴ろうものなら始まってしまいそうだが、こんなにも意味の無い争いはない。
「そういえば言ってなかったけど、今日からイヴの家に泊まるから」
「あ、そうなの?」
「ククルーマウンテンまで毎日帰るのは面倒だしね」
「まあ……確かに、遠いよね」
「適当なホテルにでも泊まれば良いだろう、イルミ=ゾルディック」
「子供が一人でホテル住まいなんて危ないし怪しまれるでしょ、馬鹿なの?」
確かに怪しまれるのはそうなんだけど、イルミに限っては危ないというのはなんか違う気がしたが私は何も言わなかった。カミーユは「子供?危険?笑わせるな」と更に眉の皺を深くさせていたが、それには私も心の中では同意見だった。
「それに、これについてイヴの父親から許可は得ている」
「えっ、父様の?いつの間に」
それにびっくりして言葉を返した。エドワードは私の父だ。あの父親がイルミのお泊まりに素直に許可を出すとは思えなかったが、イルミはそう言い放った。そのイルミの一言に、カミーユは「何だと……」と反論できない様子でいるようだった。カミーユにとってエドワード=ブレアは上司、そして絶対の存在。
「確認取ってくれても構わないけど?」
「クソ。覚えてろよ」
雑魚キャラのような捨てセリフを吐いて、カミーユはイルミの同行を渋々容認した。車の中はまさにお通夜のようで、仲の悪い二人がいつ何を皮切りにまたも口喧嘩を始めるかヒヤヒヤしながら自宅へと到着したのだった。
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