三不思議、消えた少女




放課後。
エリック=ファントムの齎した情報によると、3組在籍のティム=ライアー少年が、実際に幽霊を見たと吹聴しているとのことだった。その真偽によっては、重要な目撃証言となるかもしれない。授業が終わるや否や、私達は3組に出向き、ティム=ライアーを迎えに行った。


「ごめん、ちょっといい?ティム=ライアーはまだいる?少し聞きたいことがあって、話がしたいんだけど」
「ティム?ああ、まだいるよ。呼んでくるからちょっと待ってろよ」


手頃な3組の生徒に声をかけ、ティム=ライアーを呼び出してくれるよう伝えると、その少年はすぐに顔を出してくれた。ティム=ライアー、彼は少し野暮ったい印象の男の子だった。たしか勉学もそれほど得意ではなく、学年順位も下位の方だったと思う。おどおどとした物言いが印象的で、よくからかわれているところを見かけたことがある。


「君は、……1組のイヴ=ブレア?僕に突然何か用?」
「ごめんね、ティム。突然呼び出して。少し聞きたいことがあって、出来れば少しでいいから時間取らせてもらいたいんだけど」
「僕に話?」
「エリックから聞いたんだ。最近噂になってる七不思議のことについて、少しティムが知ってるって聞いたの」
「ああ、エリックか」


イルミと二人揃っての呼び出しにティムは訝しんでいる表情を浮かべていたが、エリック=ファントムの名を出すと、ティムは少し警戒を解いてくれたようだった。エリックの名前がここでも活かされるなんて、彼の人望が伺える。


「単刀直入に聞きたいんだけど、あなたが幽霊を見たって本当?」
「僕は嘘なんかつきゃしないよ、本当さ」
「詳しく聞いていい?それ、いつ頃何処で見たの?」
「えーっと……」


ティム=ライアーは考え込んで、一つ一つ思い出すように答えた。


僕が、それを見たのは先週の水曜日のことだったよ。家族と外で夕食をするために出かけたんだ。その日僕は誕生日で、パパやママにプレゼントももらって、嬉しくって最高の気分だったんだ。幽霊を見ちゃったのは車で学校の近くを通りかかった時だ。助手席から何気なく夜の校舎を眺めていたら、偶然見たんだ。ワンピースを着てたから、きっと女の子だったと思う。屋上の柵の外に立ってた。僕、びっくりして、目を擦ったけど次の瞬間にはその子はいなくなってた。一瞬のことだったから嘘みたいな気分だったけど、僕は抜けたところがあるし、自分でもおっちょこちょいだと自覚はしてるけれど、……でも確かに見たんだ。けど、本当に見たのかってからかわれて、少し自信がなくなっちゃった。だって一瞬のことだったし、夜で暗かったし、もしかしたら何か別のものが女の子に見えたのかもしれないし……。



ティム=ライアーは、口ごもりながらも証言を話してくれた。屋上で見たという女の子について、少し彼は自信が無いようだった。



『真夜中の暗い校舎、精神的未成熟な子どもが、そこでどんな思いで、何を想像するでしょう?』

それはカミーユが最初に仮説として言っていたことだ。

屋上にある何かが女の子に見えたのなら、それを幽霊と思うのは当然の事かもしれない。そう思い込んだらそう見えてしまう。心理現象の一つだ。確か、パレイドリア効果という。視覚や聴覚より刺激を受けとり、それにより連想させられたものを本来なら存在しないにもかかわらずそこに現れたと思い込んでしまう現象だ。インクの染みから連想させられたものを自己投影として解析するロールシャッハ・テストは、被験者の思考や感情を意図的に引き出し精神状態を洞察するためにパレイドリアを活用している。この例における投影は、一種の「誘導されたパレイドリア」とも言えるだろう。


しかし、ティム=ライアーの場合はどうだろうか。彼は幸福な高揚感を感じている時に、幽霊を見た。彼がもしその時の夜の学校をひどく恐ろしいと感じていたのならば、屋上に見えた何かがパレイドリア効果によって幽霊に見えたのも納得がいくことだが、ティムはその日自分の誕生日を祝ってもらった最中だったのだ。


ティム=ライアーの証言は無視出来ない何かがある、と直感した。屋上だ。そこを調査しなければ、ティムが見た何かが七不思議の根源かどうか完全には否定出来ない。



「本当だよ。僕は“嘘つきのライアー“なんかじゃないよ。見たんだ」
「嘘つきのライアー?」
「幽霊を本当に見たのに、僕をからかう奴らが嘘つきだって、あだ名でそう呼ぶんだ。でも僕は嘘なんかつかないさ。僕は正直者だもの」
「ティム、私は信じるよ。嘘つきのライアーだなんてひどいあだ名、やめるように皆に言っておく。話を聞けてすごく助かった」
「本当?ブレアがそう言ってくれるなら、きっとみんな僕をからかわなくなるよ。僕も君に話せてよかった!」



ティム=ライアーが、見たという屋上の何か。ワンピースを着てた、女の子。屋上の柵の外に立ってた。次の瞬間にはその子はいなくなっていた……。


「最後に、その女の子が屋上のどの辺に立っていたか分かる?」
「えっと……見間違いじゃなければだけど、屋上の、裏庭方面の隅っこあたりだったと思う」
「大体、位置的に北西かな。雑木林がある方だよね。確かにそこは車道に面しているから何かがあったのなら見えるかもしれない」
「その通りだよ」
「わかった。今聞きたいことはそれだけなんだ、またわからないことがあったら聞いてもいい?」
「もちろん、僕でよかったら」
「ありがとう、ティム。それじゃまたね」


ティム=ライアーに手を振ってその場を後にしようとした所で、彼に「そうだ」と振り返った。一つ大事なことを言い忘れていたからだ。ティムは不思議そうな顔をして首を傾げた。


「ティム。お誕生日おめでとう」


彼はその言葉に目を丸くしていたが、次に嬉しそうに笑い、「ありがとう」と手を振ってくれた。
その様子を見ていたイルミの元へ戻ると、「また信者が増えるんじゃないの」と少し呆れた素振りをしていたが、私にはその意味がよくわからなかった。







「やはり屋上だね」


イルミは、そう腕を組みながら言った。


「先週の火曜日、ティム=ライアーは車内から女の幽霊らしき姿を見かけ、そしてそれは一瞬で消えたと言った。それが噂に尾ひれを付けて出回っている七不思議の根源であるなら、もう少しその状況をさらっていく必要がある」


ティム=ライアーの見たという屋上の女の子。イルミも考えることは同様のようで、屋上の状況を把握しておきたいという考えがあるようだった。それはさておいて、私はイルミがティムの証言をすんなり聞き入れたことに少し驚いていた。私が目を丸くしてイルミを見た。


「イルミ、……なんだか意外だね」
「何が?」
「イルミのことだから、ティム=ライアーが見た幽霊の証言なんて見間違いだって言うと思った」
「そうだね。ああいう間抜け面の言うことなんて本当なら信じないけど」
「……間抜け面ってものすごい悪口なんですけど」
「まあ、いずれは屋上に立ち入って調査しなければならない所だったから。参考程度に目撃証言を得られたというところかな」
「屋上かあ……」
「イヴ、早速屋上に行くよ」


屋上への立ち入りとなると、一つ問題が生まれる。それはそもそも、屋上へは立ち入ることは出来ないという問題だ。


「待ってイルミ、屋上へは鍵が掛かってて生徒は立ち入りできないの」
「鍵?どうして?」
「どこの学校もそうだよ。生徒が屋上に立ち入ったりして、もし誤って転落してしまったりしたら危険でしょう。安全対策のために鍵をかけて、先生達が管理しているの。屋上だけじゃなくて、理科室とか家庭科室とか危険物がある所もそうだよ」
「屋上から落ちることの何が危ないの?たかだか4階だろ」
「あ、うん……イルミは危なくないかもしれないけど……」


そりゃ、イルミは大丈夫だけど一般人はそうもいかない。
時々今みたいにイルミ坊ちゃんは自分がゾルディック家の出身であることをすっかり忘れてしまうみたいだ。彼の身体能力は私達の比じゃない。4階どころか2階だって我々一般人には怪我のリスクがあるというのに。
イルミはふーん、と考え込み、もう一つ案を出した。


「それじゃ、鍵を壊して屋上に入ろう」
「それは駄目。私たちが七不思議について調べてるのを、もう既に複数の生徒が知ってる。屋上の鍵が壊れていたとなったら一番に疑われるのは私達になる」


今の段階でそういう悪手に興じると信頼を得られず他生徒教師陣から協力を得られなくなってしまうだろう。それに、今七不思議のことで学校中が噂になってる。もし、その噂に引き寄せられたもの好きな生徒たちが、鍵が壊され出入りが自由になった屋上に侵入し悪戯でもしようものなら。噂が噂を呼んで七不思議の根源が不明確になってしまう。


「じゃあどうするの」
「まずは正攻法に、先生に頼んで屋上に入らせてもらうのはどうかな。お願いならマクレガー先生は少し融通が利くと思う」


イルミは少し考え、「まあ、マクレガーなら確かに協力はしてくれるだろうね」と納得をしたようだった。まるでマクレガー先生を知人のように語る口振りが少し気にかかったが、イルミの急な転入をすんなり受け容れた担任であるので、そういう意味合いだと私は思った。


「もしその正攻法が上手くいかなかった場合は?」
「その時は…………もうめんどくさいからイルミが壁をよじ登って屋上まで行けばいいんじゃないかな」
「急に策略が雑になったけど。まあそれでも俺はいいけどね。他の生徒にそれ見られてもいいなら」
「だめだめだめだめ、絶対、だめ。何言ってるのイルミ、まったくもう」
「…………イヴが言い出したんだけど」


納得のいかないような顔で、イルミは拗ねてしまった。









「屋上の鍵ィ?」


教職員室。放課後であるため多くの教師陣がそこに集い、各々の残務処理を行っているようだった。担任であるアレクス=マクレガーの元へ向かうと、彼は口をへの字に曲げて眉を顰めた。素っ頓狂な声を上げて、テストの採点をしている手を止め、私達を訝しんで見た。


「おいおい、突然なこったなそりゃ……ブレア、なんでまた急に屋上なんか行きたいって?大空でも見たいのか?悩みでもあるのか?何でも聞いてやるぞ?」
「あ、いえ。その、色々と事情があるんですけど……先生は七不思議の噂を聞いてますか?」
「七不思議?なんだそりゃ、トイレの花子さんとかそういう話か?」


マクレガー先生はその様子だと屋上に現れる女の子の幽霊について噂を耳にしたことは無いようだった。


「最近、屋上に女の子の幽霊が出るって学校中で持ち切りなんです」
「女の子の幽霊だあ?何だよ、そんな話出回ってんのか。それは聞いたことは無かったが……ブレア、お前それ信じてんのか?」
「いえ……屋上には何も無いとは思うんですが。けれどそれを確認する為に、少しだけ屋上に立ち入りたいんです」
「つってもなあ、屋上に立ち入るには教頭の許可が必要なんだが……」
「……難しいですか?」
「ブレア、お前の頼みに駄目とは言いたくないんだがな。これには大人の事情ってのがあるんだよなあ……」


マクレガー先生は困ったように頭を掻いた。
その話ぶりから、屋上の鍵は教頭先生が管理しているようだった。そして教頭から許可を得るには順当な理由が必要であるようだ。屋上へ立ち入るのは難しいと伺えた。どうしたものかと考えたところで、後ろから声が響いた。


「ねえ。マクレガー先生」


後ろで私たちのやり取りを見ていたイルミが、突然口を開いた。少し皮肉めいたその口振りに、私はイルミが何か困ったことを言いだすのではと内心ざわついた。マクレガー先生は、イルミの発言に少し眉を尖らせた。


「そういえば国語の授業のことで聞きたいことがあったんだけど」
「何だギタラクル、突然……国語の授業?」
「イルミ?」


ところがイルミは、屋上の話題とは全く異なる話を始めた。驚いてイルミに振り返った。だってイルミはこんなところで無駄話などはしない。何かを意図していることに気付き、私は黙った。


「そう。『少年の日の思い出』」


それは彼が昨日、静かな湖面に響いた波紋のように轟かせた朗読だ。私は彼のリーダーの内容を思い返した。

『胸をどきどきさせながら僕は紙きれを取り除けたい誘惑に負けて針を抜いた。すると四つの不思議な大きな斑点が挿し絵のよりはずっと美しく、ずっとすばらしく僕を見つめた。それを見ると、この宝を手に入れたいという逆らいがたい欲望を感じて、僕は生まれて初めて盗みを犯した。僕はピンをそっと引っ張った。蝶はもう乾いていたので、形は崩れなかった。僕はそれを手のひらに乗せて、エーミールの部屋から持ち出した。その時、さしずめ僕は大きな満足感のほか何も感じていなかった。』


イルミは、続けて言った。



「主人公がエーミールの部屋から盗んだクジャクヤママユ。大事なものなら、隠しておけばきっと盗られることはなかった。ねえ、自分なら宝物は部屋の何処に隠す?」


沈黙が流れた。マクレガー先生はイルミのその質問にピクリと眉を動かしたが、しかし次には、ふむ、と無精髭を撫でて答えた。先生の力の抜けた撫で肩が、心持ち立ち上がったような気がした。


「……あー、そうだなー。俺なら、宝物は金庫に仕舞っておくだろうな」


うんうん、と一人何かを頷きながら答えるマクレガー先生。イルミは聞いておきながらそれに「そう」と気のない返事をした。


「けど俺ぁ、大雑把な性格だからな。金庫の鍵は、お気に入りの二段目の引き出しにでも仕舞って、持ち歩きはしないな。もし宝が無くなったとしても、そのことにしばらくは気付かないだろう」
「金庫の中身や鍵のチェックは?」
「そんなこまめにはしないさ。何故かって、鍵の在処を知ってるのは自分だけだ。それが手元にあれば、その金庫の中に宝はずっと仕舞われていると思い込むだろ?」
「見張ってたりしないの」
「そりゃずっと張り付いてたりはしないさ。用事があれば出掛けたりしなくちゃならんし。お、用事といえばそういえば明日は職員会議だ。何時からだったか……、そうそう確か16時から小一時間の短い会議があるんだよな」


イルミとマクレガー先生の間で交わされる会話。
その会話の中に、隠された意味がいくつかあるように思えた。
確かに、金庫の中に仕舞ってあると確信し、鍵をかけたならば、宝が本当は無くなっていたとしても確かめなければ気が付かないだろう。クジャクヤママユ。それを盗んだ主人公と、仕舞っておかなかったエーミール。盗む方も盗まれる方も悪いとイルミは言いたいようなニュアンスを含ませていた。

マクレガー先生は私の頭をくしゃっと撫でた。


「先生?」
「……ま、そんなわけだ、ブレア。悪いが屋上への立ち入りは許可できない。七不思議を調べたいなら別の入口から調べてくれな」
「はい……」
「ギタラクルの面倒を押し付けて悪いが、宜しく頼む」


マクレガー先生のその一言にイルミは無言ではあったが納得のしていない表情をしていた。私達は教職員室からその場を去り、先程のイルミの不思議な会話の内容を尋ねた。


「ねえイルミ、さっきのどういうこと?」
「何が?」
「宝物とか、何とか」
「別に。俺はただマクレガーに質問をしただけだけど」
「質問……」


そんなようには、見えなかったが。
飄々とした様子のイルミにそれ以上は何も言わずに、帰宅を促す夕刻4時の鐘が鳴ったため、私達は一先ず教室へと戻ることとした。








夕陽が茜色に教室内に差し込み、生徒達はすでに多くが帰宅していった様子で、閑散とした教室が実に名残寂しさを漂わせる。しかし、疎らになった生徒達の中に、この教室には普段立ち入らない人物が居ることに気付いた。


「あ、ブレアー!よかった、荷物が置いてあったから帰ってないと思ってさ。探してたんだよ、サリーナ先生と」
「ブレアさん、ちょうど良かった。貴女に聞きたいことがあって待っていたのよ」
「エリック?サリーナ先生まで。何か私に用事ですか?」


そこに居たのは4組のサリーナ先生と、エリック=ファントムだった。私の机を囲んで二人で何かを話している途中であったようだ。サリーナ先生は、私の後ろに立つイルミに気付き「あなたが転校生のイルミ=ギタラクル君ね。ブレアさんと少しお話してもいいかしら」と気を配る様子を見せた。サリーナ先生は優しく淑やかで生徒に人気の女性教諭だ。イルミは特に気にする様子もなく頷いた。


「ブレアさん、どうか隠さないで正直に教えてちょうだいね。折り入ってなんだけど、あなたの家にエラ=シンダーは来ていないかしら?」
「……エラ?来ていませんが、なぜです?」


エラ=シンダー。同級生の女の子だ。
詳しく言うならば、エラとは昨年度5年生の時にエリックと私と三人同じクラスで過ごし、共に遊んだりもしていた。彼女は寡黙で大人しい少女だ。読書が好きで、特にシンデレラが一番好きだった。エラと私は、母親がいないという共通点もあり、昨年度同じクラスになったきっかけで本の貸し借りを幾度もした。今は学年が上がり別のクラスになってしまって、共に過ごす機会も減ってしまったが、彼女も大切な“友達“の一人。


「そう……困ったわね」
「エラがどうかしたんですか、サリーナ先生?」
「彼女……、家出をしているみたいなの。ブレアさんとエリックくん、あなた達三人去年同じクラスで仲良くしていたわよね。だからもしかしたら、何か知らないかと思って聞いたのだけど……」


エラは、家出をするような反抗心や行動力のある子ではない。少なくとも、私が知る限りの彼女はそういう子だった。


「エラが家出?エリック、さっき家出をしているって教えてくれたのってエラ=シンダーのことだったの?」
「家出してる生徒がいるってのは聞いてたけど、それがエラだなんて俺もさっき知ったんだ。エラのやつ、何か悩みがあったなら俺やブレアに言ってくれれば良かったのに……」


エリックは悔しそうな顔をして拳を握った。
三人で仲良くしていた、昨年のエラの笑顔。確かに、最近はあまり遊ぶことも減り、彼女と顔を合わせていなかった。たまに見かけて挨拶をしても、彼女は少しずつ心が私から離れていっているような愛想の笑顔が増えていっていた。


「……サリーナ先生、エラが家出したのはいつから?」
「学校に来なくなったのは先週の水曜日からよ。エラのお母様もその日から家に帰ってきていないと言っているわ」
「お母様?……エラのお母様は亡くなっているはずですが」
「……そうね、本当のお母様は亡くなっているわ。ねえ、聞いてもらえるかしら。あなた達だから話すけど、あの子の状況を知っておいてもらいたいわ」



彼女、実は家庭環境に少し問題があったみたいなの。
数年前にご病気でお母様が亡くなられて以来お父様と二人で暮らしていたのだけど、最近お父様が再婚をされてね。それが今年度入ってからかしら。その頃から少しずつ元気がなくなっていって悩んでいたみたいだけど、私が彼女に話を聞いても多くは相談してくれなかった。元々内気な性格だし、我慢して人に譲ってしまうような子だから、きっと誰にも言えなかったのだと思うわ。とんと学校に来なくなってしまったのは先週からよ。お家に電話してみたけど、電話に出るのはその御継母ばかりで「家出したからわからない」の一点張り。ご自宅まで訪問してみたけれど、「家にはいない」と締め出されてしまって取り付く島も無くて。エラ=シンダーは今の新しいクラスにはあまり馴染めていなくて、親しい友達はあまり……。いつもいつも、教室の隅の席で本を読んで静かにしていて、誰かと遊んでいる様子も無かったわ。あなた達は仲が良かったから、何か知っているんじゃないかと聞いてみたの。






エラの気持ちを思うと、胸が張り裂けそうになった。
私と同じ境遇。母がいなくて、父との静かな暮らし。昨年度までのエラからは家庭の悩みなんて聞いたことがなかった。けれど、二人の父娘の間に入ってきた、新しい継母。その存在がエラの心にどれだけ深く刺さっただろう。そしておそらくだが、サリーナ先生の話の通りならば、その継母はあまり良い人では無かった。皮肉にも、彼女が好きだったシンデレラのストーリーそのものだ。

もし。

私と父様の間に、エラの例のように、身勝手な誰かが割り込んできたら、私はどうするだろうか。エラのように黙って耐えて、父様の新しい幸せを願うのだろうか。それとも二人の邪魔にならない為に、出て行くことを選ぶのだろうか。



「ブレアさん、エリック、こんな話をしてごめんなさいね。でももしエラ=シンダーのこと何か分かったらすぐに教えてちょうだいね。約束よ」


サリーナ先生はそして教室を後にした。
悲しく、寂しい沈黙が、私とエリックの間に流れた。クラス分けで離れてしまい、仕方ないよ、と眉を吊り下げて笑っていたエラの顔が思い浮かんだ。きっとエリックも、同じことを思っていると感じた。


「ブレア。俺、色んな奴にエラ=シンダーの事を聞いて回ってみるよ」
「エリック。なら私も、」


続けて言おうとしたが、その先はエリックに遮られた。


「ブレアは今、ギタラクルと七不思議のことを調べてる最中だろ?お前はそっちに集中しろって。ブレアはエラの一番の友達だ、だからお前はあいつが帰ってくるのを信じて待っていればいい」
「エリック……ごめん、ありがとう」
「いいさ、任せとけって。俺たちでそれぞれやらなくちゃならない事が出来たみたいだ」


私よりも、エリック=ファントムの情報の伝ならば、もしかしたらエラ=シンダーのことが何かわかるかもしれない。私は素直に、エリックの申し出に甘える事にした。どうにも嫌な予感がする。七不思議と、消えたシンデレラ。


「エリック。エラをどうかお願い」


エリックは満面の笑顔の後にイルミに居直り、真剣な顔をして言った。


「ギタラクル。ブレアを頼むからな」


イルミはエリックの真面目な様子にもやはり無表情は変わらなかった。


「ファントム。俺を誰だと思ってるの」


けれどその口から出た言葉は挑発的な返事だった。
そのイルミの憎まれ口をエリックは不快に思うでもなく、にかっと笑い、「じゃあ俺、早速行くわ」と片手を上げて教室を出て行った。









帰宅して、イルミと二人で夕食を囲んでいた。勿論、父様はいない。出張だから。皿に乗った好物のゆで卵の半身をフォークでつつく。白身と黄身。しばらくつついていると、それは二つに分かれ、黄身はほろほろと崩れてしまった。


「ばかなこと考えるのはやめなよ」


同じく夕食をとるイルミが、そんなことを言い放った。彼を見るとイルミは手を止めて、こちらをじっと見ていた。


「ばかなことって、」
「エラ=シンダー。家出した元クラスメイト、その境遇」
「いなくなってしまったエラの事を想うのが悪いこと?」
「違う。俺が言いたいのは、イヴ=ブレアとエラ=シンダーは別の人間だ。重ねて考えることは馬鹿らしいってこと」
「…………。」
「どうせ大方イヴの父親が新しく女を作ったら自分はどうしようとか考えてただろ」


あたりだ。
イルミのその指摘に少し唇を尖らせると、その反応が返ってくるとわかっていたかのようにイルミは髪を耳に掛けて頬杖をついた。


「イヴ、お前はわかっているようでわかっていないよね。特に他者がお前に向ける想いに不安定なほど鈍い」
「ど、どういうこと、それ?」
「そのままの意味だよ」


イルミは頬杖をついたまま、ふう、と溜め息を吐いた。その薄い唇から漏れ出た吐息が、食卓の蝋燭の灯火を揺らめかせた。


「……エリック=ファントム、エラ=シンダー、ティム=ライアー、アレクス=マクレガー、カミーユ=ハンバート、エドワード=ブレア。名前さえ上がらない他の奴らもそうだ」
「何が言いたいの?」
「そいつらがイヴ=ブレアに向ける想いの様々……それを誰よりも知るべきなのに、お前は焦れったいほど疎い」
「想い?」
「あの父親が、イヴ以外に女を作るかもしれないとどうして思うわけ」
「女を作るって……わ、わからないじゃない。父様だって人間だもの。新しくパートナーや伴侶が欲しいって、絶対に思わないなんて言いきれないよ」
「言い切れるね。ユリ=ブレアが死にイヴ=ブレアが産まれた時点で、その矛先はもう絶対にお前だけなんだよ。他にはどこにも向かない」
「どうしてそう思うの」
「ほら。そういうとこ。見て明らかなのにイヴだけがわかってないんだよね」


わかってないわかってないとイルミに繰り返し貶められ、私はむっとする気持ちもあったが、段々と落ち込んできた。何がわかっていないというのだろう。だって、心配に思うのは当たり前だ。私じゃない人にその気持ちを変えてしまう、悲しさ。それは嫉妬ともいうべきか、わからない。父様の私への寵愛が、他の人に心代わりしてしまうかもしれない。他の人を愛してしまうかもしれない。それが娘なりに狂おしく思うのは当然だ。


「……父様は私を愛してくれてるけど、いつも傍にはいてくれないから。もしかしたら他の人を見ているんじゃないかって、考えないなんて出来ないよ」
「わからなくもないけどね。けれどお前はもう少し信用するべきだよ」
「信用?」
「お前の父親が俺を疎ましく思うのは、俺が男だから」
「う、ん……」
「古くからの縁が無ければ俺を殺しておきたいくらいには、俺をイヴの傍に置いておきたくないとおそらく思っているはずだ」
「どうして?だってイルミは別に私に悪いことなんてしないじゃない」
「嫌なんだよ、それでもね。イヴを誰にも取られたくないんだ。なんなら、全てが終わったら父親に聞いてみればいい」



そんなこと、思っているんだろうか。
イルミは父様にとって、馴染みの友人の子どもだ。友人の子どもをそこまで鬱陶しく思うなんて信じられない。



「旧友の子である俺を殺したいくらい、イヴへの親愛があるのは確かだ。だから、余計な心配なんかしなくていいんだよ。エラ=シンダーはエラ=シンダーであって、イヴはイヴだ。重ね合わせて考える必要は無い」


イルミはそういうと、紅茶を喉に流し込んだ。その白い喉が上下に動くのをぼんやりと眺めつつ、私は先程上がった名前の人々を考えた。

エリック=ファントム。
エラ=シンダー。
ティム=ライアー。
アレクス=マクレガー。
カミーユ=ハンバート。
エドワード=ブレア。

私がわかっていないのは、他に誰だろう。





「ねえ。じゃあ、その中にイルミは入っているの?」



イルミは紅茶を嗜む手を止め、しばらくの沈黙の後にため息を吐いて「ほんと、そういうこと平気で聞いてくるんだよな」と呟いた。意味がわからず首を傾げると、彼は私をただじっと眺めた。


「イルミ?」
「……俺とイヴは約束した仲だからね。お前がどこまでわかっていようといまいと、それは変わらないよ」
「どういうこと?」


彼は食卓の席を立ち、こちらに近付いてきた。一歩、一歩と。


「そういうことだよ」


それは、いつもイルミが私より優位に立とうとする時に行う癖だ。ゆっくりと距離をつめ、圧迫感を与える。触れるか触れないかのぎりぎりの距離で、私を見下ろした。


「でも、わからないなんて言わせないから」
「イルミ……?」
「お前が最初に選ぶのも最後に選ぶのも俺なんだよ」


闇の世界の子ども。
彼に普通を求めるには、遅すぎたかもしれない。だって彼は望んでその綺麗な黒髪一本まですべて漆黒に染まることを選んだ。

「そうだろ?」

ぽん、と私の頭に乗せられた冷たい手は、しかし優しく髪を梳いた。いつもの彼の雰囲気が戻り、私はただ張りつめた息を悟られないように溶かしたのだった。