四不思議、初恋の子
エリック=ファントムは、巡るだけ巡った伝手を頼りにエラ=シンダーのことについて情報を掻き集めたが、一言で言えば大きな手がかりとなる収穫はなかった。彼女の周辺。なかなかエラ=シンダーの事を深く知る者はいなかった。更にいえば、浅く知る者さえもいない。
『エラ=シンダー?確かに最近学校来てないね』『さあ?あの子が普段何をしていたかなんてわからないわ』『いっつも本読んでたよね。地味で暗くて不気味だったよ』
4組の奴らはクラスメイトである彼女に対して想像以上に無関心で、無感心だった。手がかりは、今のところ何も得られていない。家出したエラ、その行方は、すぐに掴めると思っていた。人が人を繋ぐものは、噂だ。けれど彼女はその繋がりさえちぎれそうなほど薄く、存在さえ掻き消えてしまいそうだ。
「はー……ブレアについカッコつけちまった手前、なんにもわかんなかったで引っ込みはつかねーよな……」
ギタラクルにも、ハッタリかましちまったし。
七不思議のことを調べてくれているあいつらに先越されたらどうしようか、なんて考えていたところに、「ねえ」と突然後ろから声がかかった。夜に近付く公園で、その声はエリックを驚かせた。
「エリック。どうしたの、こんなところで」
「……おう。なんだ、お前か」
クラスメイトの……。
そういえば、俺はこいつから七不思議の事を聞いたんだ。アルファベット順で席同士が近いためいつも三人でつるんでて、噂好きで。ギタラクルが転校してきた初日の校舎の案内も、確かこいつが先導していた。
「何してるの?」
「ちょっと知りたい事があったけどさ、なかなかわかんねーんだよな」
「知りたい事?七不思議の噂のこと?」
「あ、いや。そっちはブレアが調べてくれてっから。俺は別件」
そうだったわね、イヴちゃんが調べてくれてたわね、とそいつは顎に人差し指をあてた。そういえば思い出したかのようなその口振りに俺は少し首を傾げたが、ブレアが七不思議を調べて回っているということは少なからず周囲に知る者もいたので、特におかしいことではないかと考え直した。
「七不思議といえば、イヴちゃんとギタラクル君の話、聞いた?」
「あの二人が、なんだよ?」
「知り合いだってイヴちゃん言ってたよね、ギタラクル君のこと」
「ああ。幼馴染みらしいな」
端から見たら、その信頼関係が伺える。
ブレアはなんというか、自分の事は自分で処理をするタイプだ。委員会の仕事やこの一件に関しても、手伝いを申し出てもそれはやんわりと断り、いつの間にか全てを終わらしている。頭が切れるし、知恵もあるし、能力もある。だから手伝いは必要が無い。しかしきっとそれは、俺が邪魔だとかそういう事ではなく、なんというか、周りに気遣ってそうしている事だと思う。迷惑を掛けないように、そんな感じだ。けれど、ギタラクルは。ブレアは無意識下だが、ギタラクルに迷惑を掛けてもいいと思っている。うまい言葉が見つからないが、信頼の上でギタラクルに責任を移譲している。それは背中を預けていると同義とも言えた。
だから、少し……妬ける。
イヴ=ブレアは俺にとって特別だ。琥珀色の瞳や髪はきれいで、頭が良くて、でもそれだけじゃない、人を惹き付けるような不思議な魅力がある。だから、そんなブレアが信用を置いている人間がいるだなんて、知らなかった。しかも、イルミ=ギタラクル、男だ。ギタラクルは、一言でかっこいいやつだ。顔も整っていて、背も高いし、落ち着いている。けれどギタラクルはそれだけじゃない。底知れない深い何かをその心に根ざし、決してそれを開くことは無い。闇にある正義……そんな言葉が当て嵌る。
ため息が出る。イルミ=ギタラクル。あんな奴卑怯だろ、って。
「そういやなんとなく、あの二人似てるよな。あのブレアが長く友達でいるんだからギタラクルはきっと悪いやつじゃないんだろーけど」
「友達?エリック、今あの二人が友達と言った?」
「……なんだよ?友達だろ」
「いいえ、本当は違うのよ。聞いてないのね」
クスクスと、そいつはおかしそうに笑った。その笑みに不快なものを感じながらも、そいつがなぜ笑うのか、聞きたくて仕方がなかった。
「なんだよ、言えよ」
「イヴ=ブレアとイルミ=ギタラクル。あの二人は、秘密の関係なの」
「……どういうことだ?」
その示す意味に、俺はざわつく心を抑えきれなかった。
そいつは、「耳を貸して」と俺に言った。俺は騒ぐ心をどうにか否定したい気持ちで、そいつの口元に耳を寄せた。笑った吐息に漏れでる生暖かい風が、鼓膜をくすぐった。
違っていて欲しい。
否定して欲しい。
良い意味で裏切って欲しい。
そんな黒く渦巻く期待を、そいつは大きく裏切った。
「本当は、…………婚約者同士なんですって」
想像より、ずっとずっと悪い答えが、耳の中にこびりついた。
「…………それ、…………誰から……」
「彼が言っていたわ。本当よ」
「十二歳だろ。それに今どき、そんな話……」
「私はただ聞いた話を教えただけ」
「ありえない」
「でも本当なのよ。確かに言ってたもの」
「信じられねーだろ、そんなの」
それでも無理にエリックは否定しようと首を振った。
「エリック、どうしてそんなに二人を否定するの?」
「……そんなんじゃ、ねーよ」
「でもそう見えるわ。心が傷付いてる。どうして?」
「どうして、って」
「もしかして、イヴちゃんを好きだった?」
心臓が早鐘を鳴らした。そうだ。嘘はつけない。その通りだ。オレは、ブレアのことがずっと気になっていた。
「でもだめよ。イヴちゃんはギタラクル君がいるもの」
「…………。」
「あの二人、仲が良いわよね……手は繋いだことはあるのかしら」
「やめろよ」
「もしかして、キスも既に済ませてたりして」
「やめろ」
「私達には考えもつかないようなコトも、してたりしてね」
「やめろって言ってんだろ!」
しばらくの沈黙の後に、そいつはまた囁くように話を続けた。
「エリック……可哀想に」
「…………。」
「でもね、エリック。あなたは知らないかもしれないけれど、ずっとあなたを見てた女の子がいることにいい加減気付いて」
「……どういうことだよ」
「私を見て」
驚いて見ると、そいつは真剣な顔で俺の瞳を真摯に見つめていた。
「お前、」
「ずっと好きだったの」
「何、言ってんだよ……」
「エリック=ファントム。あなたはずっと陽の光もくれないイヴ=ブレアの影でありたいの?」
「…………。」
「そうじゃないでしょ?なら、影から出てきて自由になってよ。それなら私はあなたのそばにいてあげられるわ」
「影……」
「ねえエリック、どうかそうして」
それを認めれば、俺はどうなるんだ。ブレアを好きでいるのをやめられるのか。ブレアは、時々苦しいくらい鈍くて、知らん顔をしているのかと思うくらい酷いと思う時がある。これだけ彼女に好意的に近寄っているのに、まったくわかっていない様子だからだ。けれど俺の気持ちを知ったブレアがもし離れてしまったらと考えるとそれにも臆病であった俺の弱さもある。
イヴ=ブレア。
イルミ=ギタラクル。
婚約者同士。二人にはそんな素振りはまったく無かった。隠しているのかもしれない。いずれはその噂通りになってしまうのだろうか。そうしたら、俺は?そんな二人を見届けてこのまま正気でいられるのかな。それを知っただけでも、これだけ胸が焼けてしまいそうなくらい悔しいのに……。
『エリック。エラをどうかお願い』
ブレアのあの時の声が、どうしてかここでこびりついた泥を落とすかのように清流となって聞こえたような気がした。俺は、その声に頭を冷やされるような感覚がした。
「わかってる」
そして、いつの間にかそう呟いていた。
「え……」
「悪い。ブレアは好きだし、諦められねーよ。そりゃさっきの聞いてムカついたよ。けどごめん、それは今俺にとってどうでもいい事だ。今はそれどころじゃないし」
「何、どうでもいいって……諦めきれないって、婚約者なのよ?どうしようもないじゃない」
「そうかもしれないけど、ブレアの気持ちはどうなんだよ。好きあってんなら俺の出る幕は無いけどさ、そうじゃなかったらまだ望んでもいいだろ」
俺はさっき、ギタラクルを羨ましいと思った。ブレアがギタラクルに背中を預けている信頼関係が悔しいと。
でも、今の俺だってそうなんじゃねーか。ブレアは、俺に「お願い」と言った。いつもなら絶対に申し出を断る彼女が。それは俺にも、責任を擦り付けてくれたってことなんじゃないか。手を借りたい、しっかりやれよ、手を抜くな、って。恋に盲目になるところだった。ようやく、ブレアが俺をそういう風に見てくれた気がした。真正面に向き合っていた対等な関係から少し昇格して、彼女が俺に隙をさらすような、背中を見せてくれる関係に。
「それに俺は別に“影“でもいい。なんなら犬でもいいし、金魚の糞でもいい。そばにいられんならさ。けどブレアは絶対にそんな風に人を思わない。誰にでも公平で優しくて、そんで普通の可愛い女の子なんだ。俺はブレアの、そういうところが好きだ」
エラ=シンダー。
昨年クラスを同じくした同級生。5年生の時だ。俺とエラとイヴはクラスメイトだった。エラは、教室の隅にずっと黙って座っているだけで、暗くて誰からも不気味がられて、クラスから浮いていた。俺も少し、そんなエラ=シンダーが苦手だった。
『あなた、エラ=シンダーというの?素敵な名前だね』
ただブレアは、そうじゃなかった。
『……私は自分の名前が嫌いなの。古臭くて華がないもの』
『そんなことないよ。ねえ、ほら見て。英表記ではCinder=ellaと書くのよ。繋げて読むと、シンデレラ。きっとそんな女の子になって欲しいってあなたに名付けたのよ』
『……シンデレラ?』
『知らない?お姫様に変身して王子様と結ばれる有名な話よ。お母さんに読み聞かせとかしてもらったこととかないの?』
『私のママはずっと前に死んだわ』
『じゃあ、私と同じだね。私も母様はいないの。私たち、共通点がきっともっとありそうだね。ねえ、エラ。私はイヴ=ブレア。どうか友達になってくれる?』
『……シンデレラの本、一緒に探してくれるなら』
『もちろんだよ』
俺はその会話の全てをずっと忘れないだろう。人間の隔たりを越えた瞬間を見た気がした。俺は恥に感じた。見た目や雰囲気で、クラスメイトを避けてしまったことに。その時、二人の間に微かに灯るような友情が確かに見えた。俺はそれに近づきたくて、五年生の時間の多くを三人で過ごすことを選んだ。そしてそれは、最高の思い出になった。
俺は……自分ばっかり気にして仕方ない奴だよな。今は俺がブレアを好きだとか、ブレアとギタラクルはどういう関係なのかとか、どうだっていい話なのに。今も、エラ=シンダーはどこかで寂しくひとりぼっちでいるかもしれない。助けてほしいのに、声を出せないところにいるのかもしれない。ブレアと出会う前みたいに、また心を閉ざしてしまったのかもしれない。エラだけクラスが分かれてしまって、それがきっかけで少し疎遠になってしまって。それがどれだけ、辛かっただろう。クラス分けが悪いだなんて、離れてしまったから仕方ないだなんて、言い訳なんてしないよ。友達なら、それでももっともっと、気にかけてやらなきゃいけなかった。これからは絶対そうするから。だから、エラ。ごめん。また学校に行こう。クラスなんか関係ない。壁をぶち破ってでも、お前のところに行くよ。
見つけなきゃ。
エリックは、バチッと両頬を叩いた。そして意気揚々と立ち上がる。
「お前の気持ち、嬉しかったよ。サンキューな。でも俺はブレアが好きなんだ。ごめん。それじゃ、またクラスでな」
エリックは、にかっと笑って、走って去っていった。その足取りは予想外にも軽く、何か重い枷が外れたかのようだった。
「エリック。それでも私を見てくれないのね」
そのクラスメイトは、強く指を噛み、エリックの去った方向をいつまでも眺めて見送っていた。
✱
転入三日目。
「おいイルミ=ゾルディック、貴様いつまでブレア家に居座るつもりだ。実家の山田舎にさっさと帰って冬ごもりの準備でもしたらどうだ」
「悪いけど、ウチは金あるからそういうのは執事がやってくれるんだよね。カミーユ、お前こそいつまでイヴの下僕でいる訳?本当に口喧しい下僕だよね。ウチにお前みたいなのいないよ」
「私の使命はお嬢様をお守りする事だ。お嬢様の命尽きる時に私の命が尽きる。私の目の光る内は貴様のような外道をお嬢様に近付けさせる訳にはいかない」
「なに、イヴが死ねば死ぬの?そんなの待ってられないよ、その前に死んでくれない?」
「黙れ、貴様が死ねイルミ=ゾルディック」
「いやお前が死んでよ」
「貴様が先だ」
「それはありえないから。お前が先」
登校への車中で交わされる犬猿の仲の会話。イルミとカミーユの死ね死ね合戦に半ば飽きれつつ、私はぼんやりと遠くに見える小等部の屋上を見ていた。
もやもやがはれない。どこか暗雲立ち込める、学校の雰囲気。
エラ=シンダーのことはエリックに行方捜索をお願いした。私は、イルミと七不思議を解決する。しかしどうにも嫌な予感がするのだ。はあ、と私が吐いた溜め息にカミーユが少し気にした素振りをしてイルミにまたもや突っかかった。
「……イルミ=ゾルディック、貴様本当にお嬢様のお役に立っているのか?邪魔なんかしてないだろうな」
「少なくともどっかの頭でっかちの下僕よりはマシだと思うけど」
「何だと貴様誰が頭でっかちだ」
「ちょ、カミーユお願いだから前見て運転して!」
イルミの挑発に上手に乗ってしまうカミーユは、同じく後部座席に座るイルミをギッと睨んだ。車道から外れそうになったところを注意すると、カミーユはおっと、とため息をついて怒りを鎮めた。
「イルミもカミーユも、二人とも協力してくれて助かってる。だから喧嘩はやめようよ」
「あいつはこの件に関しては指咥えて見てるだけだろ」
「ううん、カミーユが最初に言ってくれた言葉が役に立ったよ。ほら、いつかの雲の形の話。私は星の形に見えたけど、カミーユは人の形に見えたって。人それぞれ主観によっても見えるものの形が少し違うって話をしてくれたよね」
カミーユの提唱した、七不思議の概念。
集団心理を利用した口承文化。群集心理メカニズムの感染説。ロールシャッハ・テストの誘引。それによるパレイドリア現象。
すべて、心理的作用の引き起こす事柄だ。カミーユの『大人から見た子どもへの視点』がなければ解釈出来なかった事もある。
「ねえカミーユ、その話の続きじゃないけど聞いていい?白いワンピースを着た女の子に錯覚されるものって何かある?」
「というと?」
「屋上に立つ女の子の幽霊がパレイドリア現象によって引き起こされた錯覚だと仮定するなら、屋上にある何かがそう見えたのかもしれないよね?無機質な物体なら、何がそう見えるかな」
「そうですね……」
カミーユはふむ、と唸り、しばらくの無言の後に答えた。
「例えばカーテンなどは?それから、壁のシミが人の姿や顔に見えるなんてのもよくある錯覚の一つです。シミュラクラ現象といいます。というよりそれはただの悪戯で、誰かが人形やマネキンを実際に置いたというのもありえそうな話だとも思いますが?」
カーテン。壁のシミ。悪戯。
どれもありえそうなものだ。ティム=ライアーの証言からは大きく反れるが、もし見間違いであったのならそれが妥当なところだろう。「もしくは人形でなければ、」とカミーユは続けて言った。
「もしかして本物だったとか?」
「え……、」
「冗談ですよ。お嬢様」
カミーユは驚く私をからかったようにクスクスと笑った。イルミは気にも留めていない様子で話を聞き流していたけれど、カミーユのその一言に本当は何を感じていたかその時はわからなかった。
学校への到着と共に話は終わり、私とイルミは車から降りる。
「お嬢、行ってらっしゃいませ」
「……いってきます」
学校へと送り出してくれたカミーユを背に、私達は教室へと足を向ける。その道が少し嫌だった。何故か少し心細く感じて、イルミの制服の袖をぎゅっと掴むと、イルミは立ち止まって私に振り返った。
「どうかした」
「……わかんないけど、少し怖くて」
「何が?」
「今この学校が“普通“じゃないこと」
このままでいたいのに、何かがそうさせてはくれないようなそんな気がして。這いずり回って舌舐めずりをする蛇が天井裏に潜んでいるような、そんな感じがするのだ。
「だから、そばについていてね、イルミ」
そう言うと、彼は何も言わずに私の手を握り、校舎へと歩き出した。私と彼と、同じくらいの大きさの手が重なる。その後ろ姿を見て、イルミがいてくれてよかったと、大切な幼馴染みの存在を噛みしめた。
✱
「エリック!」
イルミと教室に着くや否や、エリック=ファントムの姿があったので近寄って声を掛けた。エリックはどこか戸惑った表情を浮かべていた。
「……ああ、おはよう、ブレア」
「エリック、昨日の今日であれなんだけど、エラのこと何かわかった?」
「……ごめん。今色んなやつに話を聞いて回ってる所だけど、これといってあいつが何処に行っちまったのかまだわかってない」
「そ、うだよね。そんな簡単に見つからないよね」
「ブレア……俺、頑張るからさ。だからそんな顔すんなよ」
急いてエラの事を知りたいがために、エリックに申し訳ない顔を向けてしまったようだ。謝ると彼は「エラは、俺達の大事な友達だからな。必ず手がかりを見つけるから」と真っ直ぐな瞳で私を見た。
「そっちはどうだ?七不思議のことは何かわかったか?」
「現場の屋上を調べてみたいんだけど、昨日マクレガー先生から許可をもらえなくて……」
「屋上か。確か鍵かかってるよな」
「それについては心配ないよ」
「イルミ?」
後ろで会話を聞いていたイルミが会話に乗じた。
「屋上には今日放課後に行ってみる」
「え?でも……鍵かかってるよ?」
「行けるよ。時間制限付きだけどね」
イルミは屋上に時間制限こそあるが立入りできると言っている。きっと何か思い当たるものがあるのだろう。けれど、どうやって……。
「そっちは引き続き頼むぜ、ブレア、ギタラクル」
「うん。エリック、エラのことわかったらすぐに何か教えてね」
「任せろって」
エリックはガッツポーズをして笑った。対照的に、イルミは何に反応するでもなくただ無言だ。まるで正反対な二人に挟まれて、私は思わずくすりと笑った。
「……なんだよ?突然笑ったりして」
「ううん。エリックとイルミ、本当に対称的だなって思って。三人で話してると不思議な気分になるよ」
「どういう意味?」
「正反対だから惹き合うってよくいうけど、きっとイルミとエリックのことだね。絶対に仲良くならない二人なのにこうしてつるんでるんだから」
イルミは途端にむっとしたように、「ファントムと仲良くなんてないけど」反論した。エリックは、何か思うところでもあるのか、少し押し黙った。
「エリック?」
「あ、あのさ、ブレア。聞いてもいいか」
「どうしたの?」
「ブレアとギタラクルの噂、聞いたんだ。どうしても本当かどうか確かめたくて」
「私とイルミの噂?」
何だろう、とエリックに小首を傾げて続きを促した。
「ブレアと、ギタラクルって、その……こ、こんや」
「おーーーい、食っちゃべってないで授業の準備しろー。一限は体育だぞ、さっさと着替えて校庭に集合!ほら早くした!」
マクレガー先生の授業の準備を急かせる怒号が教室中に突如響き、私たちは会話を遮られた。そっか、体育なら早く着替えてしまわないといけない。
「ごめん、後で聞くねエリック。着替えてこなきゃ。ほら、イルミ。次は体育だからブレザーじゃなくて体操着に着替えてね」
「わかった」
「お、おう……」
イルミに体操服を持たせると彼は素直に頷いた。エリックに振り返ると、彼は少し意気消沈したように肩を落としていた。私は何かエリックにがっかりしたことでもあったのかと思ったが、授業までの時間が無いため更衣室へと足を運ばせた。
体育は苦手だ。
運動音痴という程でもないけど 得意でもない。中の中。体を動かすのは疲れるし、息も切れる。父は軍人であるので恐らく体を動かすことには長けているだろう、しかし私の体力が並であるのきっと母の遺伝だなと私は勝手に解釈している。
体操服に着替えて校庭に向かうと、ちらほらとクラスメイトが集まっていた。秋の冷たい風に体を縮こませて集合場所へ向かうと、すでにイルミはグラウンドに突っ立っていた。
「あ、イルミ」
「イヴ」
白が基調に、青襟、半袖の運動服。下は短パンを履き、白く長い足がすらりと覗く。イルミの髪は縛るほど長くもないため、そのおかっぱの後れ毛がうなじを隠しては晒す。またもやゾルディック家では見ないその少年らしい姿に、私はまじまじと見入った。
「流石イルミ坊っちゃま、何でも着こなしますね」
「何それ皮肉?」
「違うよ褒めてるよ。かわいい。カメラがあればなぁ」
「そんなに撮りたいなら家でもう一度着てあげるけど」
「今この時この場所で撮るからこそ意味があるんだよ」
「意味わかんないよ」
そうこう会話しているうちにくたびれたジャージに着替えたマクレガー先生が集合をかけた。その前に私はコソコソ話で、イルミに言っておかなければと耳打ちした。
「イルミ。ここではがっつり動くのは控えてね。みんなイルミとは違って普通の子なんだからね。手加減だよ手加減」
「ハイハイ、わかってるよ」
「……大丈夫かな……」
「イラついたらわかんないけど」
「イラつかないでねお願いだから」
イルミは面倒くさそうな表情をして答えた。
マクレガー先生は号令をかけ人数を確認した後に、今日の内容を皆に伝えた。
「えー、今日は先週の続きのバスケだ。基本練習は済ませてあるだろ、今日はその応用で1on1をやるぞー」
1on1とは、その名の通り一体一でボールを取り合いシュートを目指すバスケットボールの対決練習。私は対決は好きではないので少し今日の体育が杞憂になった。
「それぞれ組みたい相手とペアになれ。そしたらボール持ってコートに入ってもらったら合図を出す。1分間シュートを目指して必死こいて動いてもらうからなー」
私と同じように運動が好きではない子が誰かいないか、誰と組もうか考えあぐねていると、隣のイルミに声がかかった。
「ギタラクル。俺とやろう」
「……エリック?」
エリックがここでなぜかイルミに声を掛けてくれた。けれど、その顔は知り合いの少ない転校生に声をかけるようないつもの彼ではなく、どこか真剣な表情だ。イルミは何を思うでもなく、「別にいいけど」と返事をした。
和気藹々というでもなく、すたすたとコートに向かう彼らを心配に思い、「イルミ、」と声を掛けたらエリックがこちらを振り向いた。
「ブレア、しっかり見てろよな」
「イヴ、ちゃんと手加減するから」
二人はそう言い合うと、どこか張り詰めた緊張を保ちつつコートへと向かった。
「ギタラクル。聞きたいことがあるんだけどさ、いいか」
「何?」
「ブレアとお前、本当はどういう関係なんだよ」
エリックは地面を見つめながらトン、トン、とバスケットボールをドリブルした。先程まで太陽のように笑っていた少年の顔に、影が差す。
「それを知ってどうするの」
「確かめたいんだよ、わりぃか」
「お前には関係のないことだよ」
「関係ある。俺はブレアが好きだ。だから……初恋の子のことを知りたい」
「……ファントム。お前と俺達とでは世界が違うんだよ」
「世界?」
「だからさっさと諦めることだね」
「何言ってんだかわかんねーけど、ブレアは普通の女の子だ」
「普通?やはりわかっていないよ、お前は」
「わかりたくもねーけどな。婚約者がどうのこうのだなんて話もさ」
「わかってもらわなくても別にいいけど、イヴが俺の婚約者という事実は変わらない」
「へーえ?ブレアはそれを今も望んでるのか?」
エリックのその一言に、イルミはぴくりと眉を一瞬だけ顰めた。
バスケットボールがトン、トン、と単調にバウンドする音だけが二人の間で響く。まるで燃え盛る前の火の燻りのように、静かな緊張の糸が張り詰める。
「図星か?一方的に想ってるのは俺もお前も同じみてーに感じるけど?」
「ファントム」
「世界がどうだとか知ったこっちゃねーよ。世界が同じでも、片思いなら別世界と同じことだ。だからブレアはお前を見てない」
「それでもイヴは俺を選ぶよ」
「随分な自信だな」
「自信?……そうでないことを今試そうか」
「ああ、やってやるよ」
ピー、と開始の合図が鳴った。
それを皮切りに、エリックはドリブルをしながら向かい側のゴールへダッシュをする。大きく回り道をするのは相手にその動きを予測させる悪手だ、出来るだけボールを死角に隠しながらゴールまでの最短のルートを滑るように走った。
しかしそれを遮るかのようにイルミが正確な動きでボールへと手を伸ばす。やべぇ、と思ったがエリックはボールを後ろ手に回しすんでのところでその手を避けた。それを予測していたかのように、イルミのもう片腕がエリックを囲うようにぬっと伸びる。だがエリックは体を進ませずに一旦引くことでそれを回避した。
一度離れて再びその場で形勢を立て直すエリックは、イルミのその想像を超えた動体視力に驚きを隠せなかった。少し対峙しただけで解る。イルミ=ギタラクル、普段は自己主張もなく凡矢理している印象が強かったため運動さえ苦手なタイプに感じられた。けれど何かが、普通ではない。
「何、もうバテたの」
「言ってろ。ちっと作戦考えてんだよ」
「そんなの俺には意味が無いよ?」
「さてそれはどーかな。その天狗の鼻っ柱叩き折ってやるよ」
「そう。やってみれば?」
「そしたら、俺ブレアに告白すっから」
イルミは、表情にこそ無いが、心臓の奥深くで渦巻く黒い感情を感じた。イヴが例えエリック=ファントムから告白をされようが、それを受け入れるはずがない。しかし、彼女へ向ける普通の世界のその真っ直ぐな好意がとんとうざったらしく感じられた。
はあ、と息を整えた後に、エリックは再びドリブルを掛けながら彼の正面へと向かった。ボールを隠しても恐らくその動きは予測されている。ならば、騙すしかない。
エリックは体を小さく丸めながらイルミの横を突破しようと突き進む。イルミがその先を阻もうと体を傾けたのを確認した後に、エリックは足を踏み止まり、体を反対の方向へ転換した。フェイントだ。ボールを後ろ手に回し、死角に隠しながらすり抜けた。
エリック=ファントム。
“普通の“男児にしてはまあまあな動きだ、とイルミは冷静に分析した。体の柔軟性もあり、臨機応変な動きもする。一辺倒な突破方法だけでなく次の手も短時間で考え、実に効率的だ。これだけでいうならばエリックに歯が立つ者は同年代ではそう多くはいないだろう。
まあでも、俺にはそんなの通用しないけど。
イルミは、横をすり抜けゴールへ向かうエリックへと向き直り、一歩、また一歩と進み、ぐっと土を踏んで瞬時に後方から距離を詰めた。常人離れした動きではあったが、彼女の言う通りに幾分か手加減を込めたため目で追えない動作ではなかったと思う。しかし、当のエリックにはその体感時間はより短く一瞬に感じられた。そう、例えるならボールのバウンド1回分ほどまでに。
「なっ……」
エリックは、後方から伸びた白い手がとてつもなく不気味に感じられた。追って来たる闇。黒い髪の隙間からのぞく深く暗い目玉が這うようにこちらを見たのを、忘れられそうになかった。
体がすれ違う瞬間に、エリックの元をバウンドしていたボールは滑るように奪われた。目で追うことも出来ず体を硬直させている間に、あっという間にイルミによってシュートが決まった。
「俺の勝ちだね」
イルミは汗ひとつさえ無く息も切れる様子さえなく、エリックに言い放った。
その二人の1on1の決着に、クラス中がしばらく沈黙していたが、イルミ=ギタラクルの勝利にワっと歓声が響いた。次々と二人を誉めそやす声が上げられたが、イヴだけはイルミを剣呑な表情で見ていただけだった。
「ファントム。そんな醜態さらしてまだイヴに何か言うつもりあるの?」
「……くそ」
「わかったろ。世界が違うんだってね」
これは助言ではない。事実、イヴはお前を受け入れはしないだろう。彼女の影に俺が居る限り。だって、影は二つもいらない。
イルミがイヴの元へと戻ると、イヴは膨れっ面でイルミを迎えた。イヴは二人の間での会話など知らず、腕を組んで怒っているようだった。
「こら、イルミ」
「何?」
「手加減してって言ったでしょ」
「手加減はしたよ?イラついたけど殺さなかったし」
「そもそもイラついたからって殺すのもだめだってば」
「ハイハイ、わかってるよ」
「エリックもなんだかムッとしてたよ。何、喧嘩でもしてたの?なんでそうなったのか知らないけど、喧嘩はだめだからね」
「……ほんと、当の本人がこれだからこっちも苦労するよ」
「え?何?」
「別に」
きょとんとした顔でイヴは「変なの」と呟いた。
悔しそうに佇むエリック=ファントムは、そんな二人の様子を僅か遠くから見ていた。ブレアの婚約者。秘密はそれだけじゃない。仄暗い井戸の底で這う何か、まるでそんな感覚だ。
ただの転校生だと思っていた。ブレアの知り合いだというのも偶然と思っていた。けれど確信した、それは違う。ブレアの周りで起こる七不思議やエラ=シンダーの件。それに深く関わろうとしている。イルミ=ギタラクル、……あいつはただの転校生なんかじゃない。
「ギタラクル、あいつ、……本当は誰なんだ」
エリック=ファントムが彼の正体を知るのは、もう暫く先の事となる。
✱