五不思議、北西の痕跡



「ギタラクルくん、さっきのバスケのシュート、すごくかっこよかった!」
「運動得意なの?まさかエリックを負かしちゃうなんて驚いたわ」
「見えないくらい動き早くてびっくりしちゃった。何かスポーツとか習っていたりしたの?」


スポーツじゃないけど、暗殺技術を習ってます。
……と私は隣で聞いていて心の内だけでそう答えた。まさか言えないけれど。エイミー、オーレリア、アンナのお喋り三人組は、先の体育の授業の一件において、エリック=ファントムを負かしたとイルミをやたら持て囃していた。

「まあそんなところ」

が、当の本人はいつものポーカーフェイスであしらう様に対応している。段々と彼の対応も私が危惧するような心配は無くなってきたように思う。少し大人になった。

私は、彼女ら三人のうちの一人を盗み見るように伺った。私に七不思議を調べるように言ったのはあの子だ。人の気も知らず、いつも通りお話にかまけてまったく、と私は人知れず溜息を吐いた。





そして放課後。
鐘が鳴り、私は七不思議の捜索は生徒が立ち入れる範囲内での捜査が限界かと考えているところで隣の席のイルミが突然席を立った。


「じゃ、行くよ」
「え、どこに?」
「教頭室」


私の手を引くイルミ。教頭室?どうして?と疑問の尽きない私を「時間が無い」と彼は急がせた。

教頭室は、教職員室からわずかに離れた場所にある部屋だ。その名の通りに教頭先生の雑務室であり、教頭先生は授業の欠く合間はその部屋に滞在していることが多い。


「イルミ?教頭室になんの用事?」
「クジャクヤママユ」
「え?」
「それをちょっと盗みにね」


私達は教頭室へ向かう前に、今日職員室へ寄った。教職員室はすでに生徒の立ち入れないように閉め切られ、耳をすませば先生たちが中で何か会議をしているのが聞こえる。定例の職員会議だろうか。イルミはそれを確認すると、教頭室へと足を向けた。

『ーーーお、用事といえば忘れてたなあ、そういえば明日は職員会議だ。何時からだったか……、そうそう確か16時から小一時間の短い会議があるんだよな』

マクレガー先生がこの事を言っていたと、思い出した。クジャクヤママユを盗むというのは、もしかして。イルミがこれからやることを察した。


「イルミ、」
「しっ。行くよ」


イルミは足音も立てずに私を先導して行く。教頭室に着き、耳音を立てるが中には誰もいないようであることを確認し、ゆっくりと引き戸を開いた。

予想通り、教頭室には誰もいない様子だった。
まず目に入るのは、真正面に置かれた教頭先生の大きな職員机。子どもの腕二つ分ほどの大きい机の他には、表彰状や、地区大会で得たトロフィー、事務整理された本棚にたくさんの書類。


「い、いいの?入っちゃって……」
「いいかどうかどちらかというと、だめだろうけどね」
「なら、」
「見つからなければいいだろ」


どきどきしながらなかなか大胆なイルミに習って忍び足で入る。引き戸をしっかりと閉めて、これまで数える程しか立ち入ったことのなかった教頭室をまじまじと眺めた。緊張を隠せず、イルミの袖を引き、小声で尋ねた。


「何をするつもり?」
「さっき言ったろ」
「……クジャクヤママユ?」
「そう。1時間しか時間が無い、早く見つけるよ」


そういうや否や、イルミは教頭室の机に近寄って物色し始めた。「二段目の引き出しって言ってたっけ」と呟きながら、彼はその通りに机の右手、その二番目の引出しを開けた。

「鍵……」

そこには、何かの鍵の束が無造作に置かれていた。小さいものから大きいものまで、様々に複数個ある。それを覗き込もうとしたところで足が机の端に引っかかり、突っかかってしまった。


「イヴ。なるべく音を立てないで」
「ご、ごめん。ねえ、その鍵ってもしかして」
「話してる暇はないよ。ほら金庫見つけて」


イルミに遮られたが、時間が無いため私は言う通りにこの部屋のどこかにあるはずの金庫を探すべく見渡した。小さな教頭室だ、それほど隠されたところには無いだろう。壁に設置され、鉄で作られた頑丈そうな金庫が目に付いた。

「あ、ねえ、もしかしてこれが鍵の金庫じゃないかな。鍵穴もある」

イルミはその鍵穴に合うものをいくつかの鍵から選び、銀色のそれを差し込んだ。カチャリ、と鍵が開かれる音がした後にゆっくりとそれを開くと、校内の夥しいほどの数の鍵がその中に所狭しと並んでいた。


「当たりだね」
「うん。屋上の鍵はどれ?」
「えっと……これじゃないかな。鍵穴も似てるし、ほら、ROOFTOPって書いてある」
「この学校はセキュリティがなってないね。こんなことなら誰でも容易く入り込めるよ。ウチを見習った方がいいと思うけど」
「イルミん家、正門は鍵してないじゃん……」


学校のセキュリティに呆れたような態度のイルミ。でもゾルディック家の玄関であるバカでかい試しの門、あそこは鍵なんて掛かってないよね。純粋に力で押し開けるよね。それはゾルディックセキュリティだと主張するならもう何も言えないけど。

イルミにより金庫はまた閉じられた。引き出しに元通りにあったように鍵を戻し、とりあえずのミッション成功に私はふう、と一息ついた。


「じゃ、行くよ」
「うん。1時間の間にまたここへ鍵を戻しに来るんだよね」
「そう。その間に屋上を調べる」
「……ねえ、聞いてもいい?」
「何?」
「もしかしてマクレガー先生は、」


と、続けようとしたが、それは叶わなかった。


「い、」
「静かに」


突然強くイルミに腕を引かれ、なぜか私は教頭室の机の下に押し込められた。そして彼もその狭い僅かな空間に入り込み、私を何かから隠すように抱き合わせる。彼の手が私を押さえ込むように頭と背に回り、私たちは強く密着した状態になった。まるで抱擁だ。いきなりのイルミの行動に声を出しそうになったが、それを見越してか彼の肩あたりに口を強く押し当てられ、発声は出来なかった。


ーーーガラッ。


出入口の引き戸が私たち以外の誰かによって開かれた音が響いた。ここで私は、イルミが突然こんな行動を取った理由をようやく理解した。イルミは直前で誰かが来ることに気づいて、私を隠したのだ。隠れるような場所はこの机の下くらいしか無い。

足音が響き、誰かが入ってくる気配。

「えー、資料は……」

それはこの部屋の主である教頭先生の声だ。おそらく、職員会議を抜け出し忘れものを取りに来たのだと推察された。


カツ、カツ、カツ。


こちらに歩いてくる足音が、緊張を誘う。もしバレたらどうしよう、そのことで私は頭がいっぱいになった。どうしたらいい。もし教頭先生が隠れている私たちに気付いてしまったら。屋上の鍵を持ち去ろうとしていることがもし知られてしまったら、なんて言い訳したらいいだろう。その場合の打開策は……。

机の下に隠れ、息を殺す私たち。その机の上を探る教頭先生。もし、教頭がこちら側に回ってきてしまったら私達を見つけるだろう。そしたら、次の手は。なんと言って誤魔化すことが出来るのか。どうすれば……。


どくん、どくん、どくん、どくん。


私の鼓動の早なりが、イルミの胸にはきっと伝わっているだろう。しかしイルミは、それをどう思ったのかわからないが、最初はただ力任せに押し抱く手を一度ゆるめ、再びぎゅっと結び直すように私を抱きしめた。その彼の感触に、私は単純にも、張り詰める鼓動が和らいだ。

状況こそだが、イルミと正面向き合って抱き合ったことなんて、過去これまでにあっただろうか。

イルミの匂いが、ブレザーの制服からわずかに薫る。転入3日目で、それほどこの制服を着用していないのに、彼の匂いが鼻の中を満たした。人の匂いというのは、なんと例えればいいのだろう。洗剤の香りが混じっているが、それとは違う。男の子独特の首筋の匂いとが、少し甘い。





「……おや?」


その声にぎくりとしながら、現状を思い返した。まさかバレたのでは、と耳を済ませたが、そうではなさそうだった。

「ああ、これこれ。さて、戻るか」

教頭は資料を見つけたのか、それを手にするとあっさりと踵を返し、教頭室を後にした 。引き戸が閉められ、その足音が完全に過ぎ去るのを、私達は誰が指し示すでもなく待った。



「……行った、かな……」
「うん。すごい心臓鳴ってたね、イヴ」
「我ながら外にも聞こえるんじゃないかと心配になったよ。まさか先生が会議中に戻ってくるなんて思わないもの」
「……あ。なんだ。それでイヴは緊張してたのか」
「え?」


他に何の理由で心臓を爆音で鳴らさなければならないのだろう。先生に隠れてこんな悪巧みを実行する事などこれまでに無かったから、その分だけ罪の意識と緊張は割り増しだ。


「さすがだね、イルミはやっぱりこういうの慣れっこだね……全然緊張してないみたい」
「そうでもないよ」
「そうなの?」
「うん。ほら」


イルミは、私の手を取り、自分の首に触れるようにあてた。彼の白い首は、その手よりはずっと暖かく、見た目の細さより太いように感じる。そして確かに、彼の鼓動はいつもより早く鳴っているようだった。


「イルミでも緊張するんだね……すんごい意外……」
「俺を何だと思ってるの」
「だって、小学校に忍び込むよりずっと大変な仕事してる」


仕事というのは暗殺稼業のことだ。だから自分や人の生死に関わる現場に比べれば、小学生に扮して学校に入り込み、こうして潜入してることなんて微塵も緊張しちゃいないと思っていた。



「そうじゃない。俺が緊張してるのはお前のせいだよ」
「私?私何かした?」
「うん」


何だろう。何かしただろうか。思い当たらないけれど……。
その意味がよくわからず、イルミの目を至近距離でじっと見つめ返すと、彼も私をじっと見た。

イルミの瞳の中には、いままで見たことのない感情が映っていた。熱を持っているような、燻るような、そういう何かだ。

それがどういう事か考えていると、イルミの手が私の頬に添えられた。ほの温かくしっとりとした細指が、撫でるように頬の丘に触った。それに擽ったくて身をよじった。そして何故か、彼の顔がゆっくりと近付いてきた。何をするつもりなのだろう。


「イルミ……?」


狭い空間、彼に体を抱かれて、添えられた頬。動けずにそれを黙って見ていたら、イルミの唇が頬に少し触れた。キスだ。

「え、」

驚いて体を離そうとするがそれはこの状況では叶わない。イルミの唇は、しばらく頬に口付けされていたが、そのうちに離れた。彼と目が合う。


「仕返し」
「えっと、……何の?」
「わかってない罰」


イルミはのそりと机の下から出ると、私に手を差し出した。そして「まあ、俺達はまだ12歳だし。そういうのはもう少し後ででいいよ」と何やら尊大にも私に許しを与えた。意味がわからなかった。素直に彼の手を取り、私も机から這い出でる。


「急ぐよ。屋上」
「あ、はい……」


呆気にとられた私はただイルミに着いていくしか出来なかった。私たちは屋上へと向かうべく足早に教頭室を出た。








屋上出入口前の踊り場は、ここまで立ち入る者も少ないために煤や埃が少し目立った。コホ、と咳をすると、イルミが「これで鼻と口を塞ぎなよ」とポケットからハンカチを渡してくれた。私はそれを有難く受け取り、顔にあてる。


「イヴ、アレルギーだったっけ」
「埃がすごい所だとちょっと咳が出るだけ。大丈夫」
「そう」


イルミは私からLOOFTOPと書かれた鍵を受け取り、それを躊躇無く鍵穴に差した。そしてその扉は難無くカチャリ、と鍵が開く音を立てた。重たい鉄の扉を、イルミは力任せに動かす。ガガガガ、と錆びた音を立てながら屋上は開かれた。


風が、私たちを通り過ぎるように吹き抜けた。


屋上は、一言で言えばだだっ広い吹きさらしに、小さな物置小屋とがあるだけであった。南の方には、ここ4階まで地上から繋がる非常階段が鉄格子の先にある。物置小屋の中を覗いたが、特にマネキンや人形だとかそういう類のものは無さそうだった。あるのは古びたマットや使わない椅子や机だけ。


「ティム=ライアーはどの位置に幽霊を見たと言ってたっけ」
「確か北西。あそこの角」


北西の角へと向かう。
やはりそこには幽霊らしき錯覚を引き起こしそうな物体は無かったし、柵から少し身を乗り出して真下を覗いて見たが、下には雑木が茂るだけであり何も無い。ここから覗く校舎は、人がこの断崖絶壁から落ちないように足を掛けられるだけの僅かな足掛けだけが見えた。学校の壁面はやはり経年劣化もあり埃で汚れている。

「……あれ」

しかし、ある点に気付いた。校舎壁面の僅かな足掛け。埃で一面が汚れている筈であるのに、一部分だけ、埃が取り払われて校舎本来の白塗りが露わになっているように見えた。……足跡、のようにも見える。



「イヴ。危ないよ」
「……あ、ご、ごめん」


もっとそれを観察しようと下をさらに覗き込もうとした所で、イルミに腰を捕まえられた。乗り出してしまっていたらしい。素直に体を戻し、少し考えた。


「とりあえず、ここには何も無さそうだけど」
「そ、うだね……」
「どうかした」
「……ううん。何でもない」


少しの違和感が頭をよぎったが、私はそれを無理に振り払った。
屋上を一回りし、最後に南に位置する地上までの非常階段前に立った。非常階段は、やはり屋上に繋がっているということもあり、鉄格子と南京錠にて厳重に閉じられていた。

「ここは南京錠なんだね。でも、そんな鍵金庫にあったかな……」

金庫の中を思い返してみるが、この南京錠ほどの小さな鍵は見当たらなかったように思えた。しかし、学校は大きな施設だ。金庫が他の場所にもう一箇所あって、分けて管理しているというのもありえないことは無いかもしれない。


「イヴ。違うよ」
「え?」
「本来はこの鉄格子には南京錠なんか掛かってないんじゃないの」
「どういうこと?」
「これ」


イルミが指し示す位置、鉄格子。そこには僅かに小さな鍵穴があった。イルミと顔を見合わせ、ROOFTOPの鍵を、そこにゆっくりと差し込んだ。かちゃり、と鍵の開く音がなり、鉄格子は動いた。しかし南京錠があるため、扉はわずかに隙間を作るのみであってすべては開かれない。


「開いた。つまり……誰かがこの南京錠をわざわざ付けたってこと?」
「たぶんね。ほら、この南京錠。鎖も。砂埃はほとんど被ってない。恐らく新しいものだ」


たしかに、南京錠も鎖も、この校舎の古さから見るととてもじゃないが新品のもののように見える。まさか、ここだけ教職員が施設管理として最近交換したなんていうのは考えられない。その理由もない。現に、鉄格子の本来の鍵は壊れてはいないのだから。



「どういうことなの。誰がここに鍵を……」
「さてね。それはここではきっとわからない。けど逆に言えば、この南京錠の鍵を持つ奴が犯人なんじゃない?」


七不思議。屋上。非常階段。南京錠。そして……。
すべてが繋がりそうな感覚に、イヴは顔を青ざめた。


「まさかね」


その呟いた一言に、イルミは何も言わなかった。



南京錠があるためその鉄格子の鍵は開けたままとして、私達はその場を後にした。屋上の出入口はしっかりと鍵を掛け、教頭室へと再び忍びこみ、金庫に鍵を返した。やはり、金庫の中には、南京錠の鍵は見たあらなかった。


ここまで、一時間余り。時間制限内だ。時刻は、17時を示していた。







「ブレア、ギタラクル。戻ってきたか」

教室に戻った私達を待っていたのはエリックだった。「屋上には何かあったか?」と尋ねてくる彼から目を逸らし、私は首を振った。何も無かったはずだ。そう、何も……。


「……そうか。俺の方も、こんなものしか見つけられなかったけど、ちょっと見てくれるか?」
「これは?」
「図書室の貸出簿。エラが最後に借りた本と日付があった」


それを受け取り見てみると、そこには確かにエラの本の貸出の記録が書かれていた。エラが最後に借りた本は、彼女が好きだったシンデレラ。


【学年所属 6、学級所属 4、氏名 エラ=シンダー、貸出日 10.1(金)、返却日 10.7(木)】


「…………え?」
「おかしいだろ」


サリーナ先生は、エラは先週の水曜日から学校へは来ていないと言っていた。先週の水曜日は10月6日にあたる。しかしこの記録だと、水曜日からいなくなったはずのエラが登校して本を返却しに来たという事になる。


「どういうこと……」
「俺、この時の図書係だった奴に聞いてみたんだ。もしかしてこの記録は間違ってんじゃないかって。でも図書出納帳にも確かに同じ日付で記録されてた。間違いなくこの日に、エラが持っていたはずの本が返されてる」
「じゃあ、木曜日にエラが学校に来たということ?」
「図書係の奴は、それは知らないって言ってた。まさか小学校の図書室で本人確認なんかしないしな。エラ=シンダーとは面識がない他の学年だったし」
「そう……」


どういうことなのだろう。
本を返却しに来た子は、エラだったのか、それとも他の誰かだったのか。少なくとも、矛盾している。水曜日から行方知れずのエラ、しかしその次の日に本を返却している。


「エリック。エラが借りたシンデレラの本は図書室にあるんだよね?」
「ああ。見に行くか?」
「うん。図書室、まだあいてるよね。私、見に行ってくる」
「それなら俺も行く。もう少し図書係から話聞きたいしな」
「わかった、じゃ、一緒に行こ。イルミはここで少し待っててくれる?」


イルミにそう言うと、彼はほんの少しだけ不安そうな顔をしたような気がした。


「エリックも一緒だし、すぐに戻るから大丈夫だよ」
「だから心配なんだけど」


だから心配ってどういうことだろう。
対してエリックは、少し複雑そうな顔をしていた。悪態をつくイルミを諌めつつ、私とエリックは放課後の図書室へと向かった。







「あ、イヴちゃん。もう図書室閉めるけれど、どうしたの?」
「ごめん、少しだけ見たい本があるんだ。ちょっとだけでいいから時間もらいたいんだけど、いいかな」


今日の図書係は、私に七不思議を調べろとお願いしてきたクラスメイトの彼女だった。彼女は少しだけ不思議そうな顔をしたが、「もちろんいいよ」と返事をしてくれた。


「……エリックも一緒なんだね?」
「あ、うん。少し経緯があって。それがどうかした?」
「なんでもないわ。ね、エリック」
「あ、ああ……なんでもねーよ」


隣のエリックと、彼女を交互に見遣る。二人の間には、少しだけぎくしゃくとした雰囲気があった。何があったのかわからないけれど、そういう複雑な空気があたりを占めていた。


「……二人、何かあったの?」
「なにもねーよ。いいからさっさと本探そうぜ、ブレア」
「あ、……そうだね。じゃ、ごめん、少しだけお邪魔するね」


先導きって奥の本棚へと行ってしまったエリックを追いながら、私は彼女にもう一度断りを入れた。彼女はというと、笑顔で私に手を挙げてくれたが、それは少し嘘くさいもののように感じられた。


エリックは絵図書のコーナーを、私は児童書のコーナーを見回る。

エラはいつもこの図書室にいたのだろうか。さっきの貸出簿。彼女の名前により貸出された本はたくさんあるようだった。それは本の虫でなければあれほど多くは読めないだろう。私やエリックとクラスが離れ、大人しく引っ込み思案で、クラスに馴染めていなかったというエラ。きっと、それだけ、心の寄る辺を本へと費やしていた痕跡があの記録に現れていた。

夕暮れの図書室。

外では、放課後まで友達と遊ぶ他生徒たちの元気な声がここまで響いてくる。エラは、この図書室でそれを耳にしながら、家に帰りたくない気持ちと寂しさを、本の世界に浸ることで紛らわしていたのかもしれない。


「あ……これだ」


目当ての本はすぐに見つかった。児童書のコーナーにその本は、隠されるように隅の方へと追いやられている。シンデレラ。英語では Cinderella、仏語でサンドリヨン(Cendrillon)、和名は『灰かぶり姫』。起源を遡れば紀元前1世紀頃にはこの話の原型となる話がある。挿絵も多く、美しい絵柄、童話にしては背表紙はしっかり作られており、古い物でもなくやや真新しさがある。

この本は、はじめてエラと図書室に行った時に彼女に紹介したシンデレラだ。本の裏表紙を開き、記録を見る。確かにこの本の最後の貸出日には、10月7日木曜日と記録されていた。氏名にはエラの名前。この本がここにあるということは……。


「エラ……もしかして、この学校のどこかにいるの……?」


ぺらぺらと、何気なく本をめくる。

意地悪な継母にいじめられたシンデレラが、魔法使いによってお姫様になる。そして舞踏会でチャーミング王子と出会うが、夜12時の鐘が鳴りあわてて帰るが、ガラスの靴を落としてしまう。チャーミング王子は、そのガラスの靴をあてにシンデレラを見つけ、結ばれる。最後のページ。幸せになったシンデレラとチャーミング王子、その二人の姿の挿絵。本に深く折り目があることで、彼女がこの結末のページが何よりも好きだったことを示していた。

そっと本を閉じようとしたところで、何かが書いてあることに気付いた。もう一度、目を凝らした。チャーミング王子の姿のすぐそばに、ぽつりと何かが書かれていた。




“エリック=ファントム“





「ブレア、本あったのか?」
「わ……!」


本をのぞき込むように、後ろからエリックが顔を近付けたが、私は焦るように本を閉じた。

どうしてだろう。見てはいけないものを、見てしまったような気がした。結ばれたシンデレラとチャーミング王子、そのすぐ下に記されたエリックの名前。そのことが示す意味。これがもしエラの記した筆跡なら。

エラは、エリックを好きだった。恋をしていた、その可能性。

憶測に過ぎないけれど、きっとそうだと何かが直感した。エリックは明るくて格好いいし、何より親切だ。5年生のときはエラと三人でよく遊んだ。エラがエリックに恋をしたとしても、何らおかしくなんてない。エラが普通の女の子のように当たり前に人を好きになった。それがエリック=ファントムだった。ただそれだけのことなのに、私はなぜかどきどきして胸の奥の苦しさを感じた。

初恋の子。はじめて自分の隣にいてくれた、男の子。

それが王子様のように思えたなんて、誰も笑ったりはできない。



「…………なんだよ、どうしたんだよ?」
「な、なんでもない!」
「何でもないように見えねーけど」
「ちょっとびっくりしただけ!だだ大丈夫!」


エリックは首をかしげながらも「あ、驚かして悪い」と、一言謝った。


「本には何かあったか?」
「う、ううん、特には何も……記録は確かに10月7日の木曜日で返却されてるみたい。間違いはなさそう。何か手がかりでもあるかなって思ったんだけどね」
「っていうことは、謎がまた一つ増えたってことか。ったく、エラのやつ、どこ行っちまったんだよ。俺達に何も言わずに……」


正確には、言わなかったのではなく、言えなかったのだと思う。
エラ=シンダー。大人しく引っ込み思案で、遠慮がちな彼女。本当は相談したかったかもしれない。けれど、エリックの事を想うとそれは難しかったかもしれない。エリック=ファントムは、親切で優しい男の子だ。きっと相談事は聞いてくれるし、解決しようと考えてくれる。私に今協力してくれているみたいに。けれど、好きな人に自分の家庭の内情を詳しく相談出来るだろうか。好きな人を困らせてしまうのは、エラの本意では無かったはずだ。


「エリックは優しいね」
「どうしたんだよ、急に」
「きっとエラも、エリックが頑張って探してくれてることを知ったら、喜ぶと思う」
「それはわかんないぜ。だって俺、あいつ見つけたら一発お説教してやるつもりだからさ」
「あはは、そうだね、一度お説教しなくっちゃ。……でも、その後はさ、エリック。エラのそばにいてあげて。きっと話を聞いてもらいたいと思うから」


エラがずっと黙っていた、心に秘めていた、想いの丈。それを受け止められるのはきっと彼にしか出来ない。
しかしエリックは、それについて首を傾げた。


「話なんて俺でいいならいくらでも聞いてやるよ。……でもさ、エラが一番嬉しいのは、きっとブレアなんだと思うけどな」
「え?」
「だって、あいつの一番の友達はイヴ=ブレアだろ」


にかっと、エリックは笑った。
秋の冷たい風が吹き荒ぶ私の心情を知ってか知らずか、エリックはそう私を暖める。まるで太陽のように、爽やかで、気持ちが良くて、優しくて。
王子様は、きっとエリックのような人をいう。


「ありがとう、エリック」
「別に、なんにもしてないさ。行こうぜ、ブレア」


私とエリックは、図書係の彼女に礼を言ってその場を後にした。エラが帰ってきたその時のことを考えた。きっとこの本は私からエラに手渡すべきだと感じ、自宅に持ち帰ることにした。そしてお説教と一緒に、シンデレラとチャーミング王子の幸せな結末のために魔法の言葉を言うと決意した。









去ったイヴとエリックのその後ろ姿をじっと、彼女は見つめていた。じっとりとした視線は、もう二人には届かない。彼女は、図書出納帳を開き、10月7日木曜日に記された欄を人差し指でなぞる。シンデレラ、それを返したエラ=シンダー。

「さて、気付くかしら」

屋上の一瞥しそうぽつりと呟くと、ばたん、と帳簿を閉じ、彼女は図書室を後にした。