六不思議、要らない友達



木曜日の夜。イルミが転校してきて四日目、七不思議の調査も四日目。さすがに疲労も溜まる。
帰宅早々にベッドに転がると、後ろから「制服シワになるよ」と小姑のようなセリフを吐くイルミからお咎めを喰らった。それさえ無視して私はベッドの温もりにただ安寧を感じた。


「はーあ……イルミさん肩揉んでください」
「なに婆臭いこと言ってんの」


もうこの際、婆でもいい。
制服のままベッドにそのままうつ伏せで寝転んでいると、溜息を吐いてイルミが私の背に馬乗りになった。何かと思ったら、彼はそのまま私の肩に手を置いてもみもみと手を動かしはじめた。


「え、揉んでくれるの?」
「揉めって言っただろ」


言いましたけれども。
まさか本当に甲斐甲斐しくそんな事をしてくれるとは思わなかったので驚いたが、私はそのまま彼の与える安寧に身を任せることにした。


「ごくらくー」
「本当に婆になるよ」
「いいよもうそれでも。明日には今の倍の二十四歳くらいにはなってるかもね」
「そんなの俺が困るんだけど」
「どうして?」
「一緒に歳を取るんだろ」


……まあ、イルミは同い年だし、年齢を一緒に重ねるのは至極当然の現象だ。歳月人を待たずとは言うけれど。


「それにしても疲れたなあ。あれこれ考えるのって体力使う気がするし、いつもと違うことばかりだとしんどいね」
「あんな餓鬼臭い奴らとつるんでると疲れるだろうね」
「……あのー、イルミのことも言ってるんですけど」
「どうして俺?」
「どうしてって……あ、いや、もういいです」


何より今気を使ってるのは闇の世界から転入してきたイルミの事ばかりだ。まるで自分は無関係です、みたいな顔をしてさらっと悪口を言う彼に少し呆れた。ゾルディック家、その出自である自分がこの世界ではどれだけの異端であるのかここに来てもわかってくれてないようだった。


「バスケの時、ちょっとひやっとしたんだよ。もしかしてイルミがエリックを手に掛けるんじゃないかって、……ちょっと思ったの」
「どうしてそう思ったの」
「私には聞こえなかったけど、何かその前に話してたし。それに何ていうか……あの時のイルミ、少し、怖かったから」


まるで、極平凡な小学校の校庭が、イルミの“仕事場“にでもなったのかと思ってしまったくらいには。あの時の彼は、威圧的で、陰鬱で、恐ろしくて。きっとそれをエリックも感じてしまったのではないかと思う。対面していたのはエリックだったから。


「俺はあそこでは“普通の男の子“なんだろ」
「え?」
「イヴがそう言ったから、俺はそれなりに心掛けてるつもりだけど?」


手を休めずに、私の体を触る彼の手。
それはエリックや他の子ともなんら遜色ない普通の手だ。いつだか初日に彼に言った、“普通の男の子“という概念。定説。そういうものをイルミはイルミなりに努めてくれているらしかった。


「そっか。ごめん、そうだったね」
「別にもう普通じゃなくてもいいなら戻すけど」
「いやいやいや戻さないでお願いだから」


それは大変困る。
ようやく保っているこの均衡を崩したくない。七不思議が解決するまでは。


「あと、もう少しでわかる気がするのに」
「何が?」
「七不思議。そしたら、イルミの転入調査も終わっちゃうね。それはそれで寂しいな。ねえ、イルミは学校生活終わっちゃうの寂しい?」
「寂しくない」
「あ、そう……」


即答だった。
少しくらいは学校を楽しんでくれてると思っていたのに。まあでも、そう言い切るイルミがまた彼らしくて、少し笑った。


「餓鬼臭いし、レベルは低いし、うるさいし、イラつくし、喧しいし。何も考えてない奴らばかりかと思ったら予想外に邪魔臭い奴もいるし、本当最悪」
「えー……」


そこまで言うかと思うほどにイルミは悪口を言い切った。
邪魔臭い奴って誰だろう。しかしこの生活がイルミにそんなにもストレスを与えていたなんて。私は何も言えずに黙りこくった。


「馬鹿みたいに明るいし胡散臭いほど他人に優柔だし弱い癖に宣戦布告してくるし、その割にはこっちにも気遣ってくるし。理解できないね」
「それ……エリック?」
「他に誰がいるの」


イルミは、やや拗ねたような口調でエリック=ファントムを名指しした。意外だ。エリックをイルミがそれほどまでに見ているなんて。


「仲良くなったんだね、エリックと」
「なってない」
「同性の友達なんて初めてだよね」
「友達じゃない」
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
「イヴ、そういうこと言うなら容赦しないけど」
「わっ、ま、待って!ぎゃー!」


遠慮なしに馬乗りになったままイルミは私をくすぐってきた。私はそれに仰け反ったり体を丸めたりして抵抗したが、イルミの力に叶うはずもなく一頻り腹筋が痙攣するまで笑わされた。


「も、もう、もうやめて……意地が悪いよイルミ」
「イヴがつまらないこと言うからだろ」
「わ、わかった、ごめんって!もう言わないから」


無表情そのままに、「わかったならいいけど」とイルミは手を止めた。


「……でも本当に、イルミが私以外の誰かに何か思うなんて驚いた」
「まだ言うの」
「ち、違う違う!そうじゃなくて!」


また手を私に伸ばそうとするイルミを牽制しながら、続けて言った。


「……ちょっとだけ、妬ける。エリックにね。私はイルミとちっちゃい頃から一緒だったからこうして仲良くしてるけど、エリックはそれを超えてきちゃいそうだから」
「イヴとあいつは違うよ」
「わかってるよ。でも、エリックにイルミをそのうち取られちゃいそうで少し怖かったんだ。……イルミは私のなのに」


灯りを背に、イルミの顔が私を見下ろす。だらんと下がった髪に手を伸ばして掻き分けると、いつもの真っ黒い目がただ私を見下ろしている。かわいい男の子。けれど、暗殺一家の子。あまり感情を露わにはしないけれど、その少しの眉の動きや、瞳の色で、彼が思うものや感じる心を私はわかっていた。

そんな気がしていただけだ。

そう、ただ私だけがイルミに影響できる唯一の人間なのだと過信していた。この男の子の傍に居ることが出来るのは私くらいで、これだけ背を預けられるのも私くらいで、これだけ触れられるのも私くらいだと。けれど、それは違うのだと、わかってしまったのだ。私の無為な自信は打ち砕かれた。


「……イルミには私だけ、私にはイルミだけだと思ってた……」


子どもによくある心理現象のひとつだ。思春期特有の独占欲。
ずっと一緒に育ってきた。イルミのことは何でもわかっているような気持ちさえ少しあったと否定出来ない。二人で一人のような感覚もあった。けれど、私の知ることがすべてではないと、何となく悟ったのだ。

イルミはイルミ=ゾルディックという、一人の人間なのだと。



「俺も」
「ん?」
「イヴは俺のものだと思ってた。けど、俺の目の届かないそっちの世界には他の奴がイヴの隣にいた」
「……うん」
「それが少しムカつくし出来るなら今のうちに始末しておきたい」
「それはだめだよ」


イルミは小首を傾げ、「だめかな」と呟いた。かわいいと思ったがやはりだめなものはだめなのでもう一度駄目だと言い聞かせた。


「なんだ。じゃあイルミも同じこと思ってたんだ。よかったー、なんだか安心した。じゃあ、イルミの一番の友達は私だっていうのは譲らなくてもいい?」
「は?」


イルミは私の一言に苛立った顔をした。私、何か間違ったことを言っただろうか。


「え、じゃあ、……親友?」
「何言ってんの」
「幼なじみ?」
「そうだけど違う」
「知り合い?」
「馬鹿にしてるの」


ワントーン下がった彼の声に、地雷を踏んだと悟った。怒っている。馬乗りになったまま、私の手をそれぞれベッドに縫い付けるように抑える。彼の抑制に抗おうと足を動かしたが、それさえ上手く押さえつけられ無意になった。


「約束しただろ」


約束?それは……何だ?
イルミと約束は沢山している。数えたら切りがない。でも、ここまでイルミが怒るなんて。私は何か彼にとって重要な約束を忘れてしまっているのだろうか。


「俺達は友達なんかじゃない」
「え……」
「そんなものじゃ困るんだよ。それに友達は要らないって言ったろ」
「……私さえ、必要ないの?」
「何か勘違いしてるね。イヴはその括りには当てはまらない」


私は一体何をイルミと約束したんだ、と考える間もなくイルミは続けて言った。


「……けどまあ、まだ十二年の猶予があるしね。その認識でも今はまだいいけど、そういう目で俺を見たままだといずれ痛い目に合うのはお前だよ」


あと十二年?
二十四歳の時になったら、何かあるのか?
疑問の尽きないイヴだったが、今、彼に何か約束に関わる質問をするのは得策ではないと感じたため、ただ黙って首を振った。



「じゃ、俺、着替えてくる」
「う、うん……」
「イヴも早く。着替えに行くよ」
「あ、すぐ行くから……」


イルミはただ、「そう」とだけ呟いて私の上から退き、すたすたとクロークへと向かった。彼がそちらへと向かったのを見届けると、私は大きく息を吐いた。



「……約束……?……約束ってなんだろ……」


イルミは、十二年と言っていたけれど。
そんなものに纏わる約束なんて覚えがない。そんな話をした記憶もない。私は物覚えの良い方だ、だから何か約束をしたならそう忘れはしないとは思うけど。無意識的にそんな話をしてしまったとか?もしかして寝言を言う私にイルミが何か話したなんてことないよね。そんな馬鹿な話ないよね。

いずれにせよ、このままその約束とやらが記憶にないという事は、イルミには黙っておくことにしよう。きっとそれを知ったなら、彼は烈火のごとく怒るだろうけど、なにより悲しみそうだから。イルミにそんな顔はさせたくない。




「あれ……なんで……」


じわじわと起こる、眠気と頭痛。
まだ、帰宅してしばらくで、制服のままだし、明日の準備もしてなければ、夕食もとっていないし、お風呂もまだだ。七不思議のこともイルミと考えなければいけない。けれど、抗いようのないこの強烈な睡魔と鈍痛に、私はただ身を委ねるしかなかった。

ベッドに再び突っ伏して、毛布を手繰り寄せる。


ブラックボックスは、すぐに私を覆った。


(イル)


私の声ではない誰かが、暗闇の中で彼を呼んだ気がした。けれどここは私の頭のなかだ。一体誰が、と私はそれをどこか不思議な気持ちで聞きながら、泥のように闇の中へと沈んでいった。








夢を見た気がした。夢というには鮮烈で、まるで記憶そのもののように感じられたが、私にはこんな記憶はないので、やはり夢だ。

いつかのオールソールズデイ。

喪服を着た私とイルミはとても小さい。5・6歳の頃だろうか。パドキアの最果て。母様のお墓。その奥の美しい雑木林。その最奥の百合の木の下で、泣きべそをかく私は何かをイルミと約束していた。


それはまるで他人の記憶のように感じられたが、それは確かに「私」だった。








「……あ」


目を覚ますと、すでに灯りは消えていた。真っ暗だ。まるで先程の夢の続きのように思えたが、目を凝らせば、ここはいつもの私の部屋だった。


「……寝ちゃったんだ……」


私の体には毛布が2枚掛けられている。暖かいのと、薄いの。
横を見ると、イルミが私とは反対を向いて横になっている。眠っているようだ。きっと毛布は寒くないようにイルミが掛けてくれたのだろう。制服を着たまま寝てしまっていた私は、その毛布が少し暑く感じられた。

起きて、とにかく制服から着替えよう。

彼を起こさないようにこっそりとベッドから這い出て、机へと向かう。こっそりと小さなライトだけを付けて、時刻を見た。短針は11の数字を示していた。深く眠ってしまっていたようだ。頭痛の名残りの頭重感が、怠さを引き伸ばす。


明日は金曜日。

明日の授業の準備もしなければならない。鞄をごそごそと教科書を入れ替えしていると、見慣れないものが顔を出した。


「シンデレラ」


エラに渡すため、図書室から持ってきたシンデレラの本だ。
ぱらぱらとページを捲る。やはり最後の結末の挿絵には、チャーミング王子の下に小さくエリック=ファントムの名が書かれてあった。早く彼女を見つけてあげないと、そう思いながら本を閉じようとした時。


「……あれ」


ライトに照らされた厚めの外装が少し透けた瞬間だった。何かがそこにあるのを見つけた。それに触れてみると、ごわごわとした固い感触がある。またライトに照らしてそれを見てみると、本来本に付随するようなものではない何かが確かにあるようだった。
それは、外装の隙間に見えた。
私は、それを取り出す。


「鍵?」


それは、やや小ぶりな鍵といえた。
何の鍵だろう。誰か生徒がここに滑らせてしまったのだろうか。家や、施設を管理するような大きい鍵ではない。なにかもっと、小さな鍵だ。小さな鍵から連想されるものは……。
はっとして、イヴはそれを凝視した。


「もしかして、屋上の……?」


今私の周りで思い当たるものといったら、今日屋上へ向かい、唯一開けられなかった南の非常階段への出入口。あそこには二つ鍵がされていた。本来の鉄格子の鍵と、鎖で閉められた南京錠。私達は南京錠の鍵は開けることが出来なかった。


『本来はこの鉄格子には南京錠なんか掛かってないんじゃないの』


もし。もしこれが、その南京錠の鍵なら。


『けど逆に言えば、この南京錠の鍵を持つ奴が犯人なんじゃない?』


七不思議の噂。金曜日。あの子。心理。友達。幽霊の目撃者。水曜日。消えた彼女。シンデレラ。木曜日。初恋。北西の痕跡。屋上。非常階段。南京錠。存在しない鍵。

アレクス=マクレガー。エイミー、オーレリア、アンナ。サリーナ=タラス。エラ=シンダー。エリック=ファントム。そして……。



すべてが繋がりそうだ。でも違う。きっと違う。
それは、シンデレラにはあってはならない結末。

私はその鍵を持って制服のまま自宅を飛び出した。
どうしても信じられない。信じたくない。その結末を否定したくて、午前0時を示す校舎へと、闇の夜道をただ走った。









夜の学校は、一際不気味な雰囲気を纏って夜闇に潜んでいた。校舎の裏口から、柵をよじ登り越える。薄暗い道を照らすのはわずかな月の光のみで、外灯などはちかちかと消えかかっている。しかし、そんな消えかかった灯りにも数匹蛾が飛び交っていた。それは「少年の日の思い出」を連想とさせた。白い外壁は灰色となり、昼間とは反して一切物音の無い静寂が不安を煽る。風で揺れるブランコ、消化灯の真っ赤な明かり、非常口の緑光、転がったボール、消えかかった白線。昼には何とも思わなかった全てが疑心暗鬼を誘う。幽霊が現れるのではないかと。

校舎の南側に行くと、ひっそりと佇む、屋上への階段が見えた。
廃棄間際の机や椅子そして立ち入り禁止看板で出入りを遮っているが、私はそれを無視して階段を屋上へと進む。枯葉や砂埃の溜まった階段を登る。こつ、こつ、と制服の革靴が歩く度に音を立てる。途端に風は止み、静か過ぎるほどの沈黙があたりを征する。まるで、私の到着をその上で誰かが耳を澄ませて待っているかのような、そんな雰囲気だ。私は、ただ怖くて仕方がなかった。足が震える。けれど、あの本に隠された意味が、この時間、そしてここにあると勘付いた。これはきっと、犯人からの暗喩だ。


シンデレラの本に隠された鍵。犯人が私の動向を把握しているのならば、きっと私が本を手にしている事もきっとわかっている。そしてこの鍵に気付く事も、ここへ来る事も。

何故なら、犯人は、ずっと私達三人を見ていた。




四階へと登りついた頃には、息が苦しくて仕方がなかった。階段を上がって息が切れたことも勿論だが、平静な呼吸もままならないほど怖いということも理由の一つ。

最上階に佇む、鉄格子。掛かった鎖と南京錠。

私は手にしている鍵を、恐る恐る、震える手で、差し込んだ。違っていて欲しい。この鍵が、ここのものでないことをただただ心の中で祈った。

カチャ。

静かな暗闇の中、響く解錠の音。私の期待は虚しく、屋上への扉は開かれた。



キイイイ……。



鉄格子が、待っていたかのように錆びれた音を立ててひとりでに開いた。まるで私を招いている。私はその誘いに、走る心臓をこらえながら震える足を進ませる。

屋上は、不自然なほどに無風だった。

風もなければ、虫の音もなく、車の喧騒さえ聞こえない。響くのは、自分の荒がる呼吸と、靴の音。ただ導かれるように、北西へと向かう。


色とりどりの屋根と青空が美しかった屋上からの昼間の景色は、零時を示すこの時間では家々の明かりも疎らとなり見渡す限りの夜の支配。


昼間にイルミと来た北西の痕跡。その場所へ一歩、そして一歩と近付く。














……そしてそこに、彼女は立っていた。北西の隅に、そこに。彼女は私を見つめていた。そしてただただ悲しそうに笑っている。

彼女と初めて知り合った日、シンデレラの話をした。母がいないという共通点。どこか分かり合える何かを感じて、友達になった。その一年は、たくさんの時間を彼女と過ごした。エリックと三人一緒だった。彼女のその物静かにも素直にものを言うところが、幼馴染みと少し似ていた。


「エラ」

来て。お願い。行こう。一緒に帰ろう。


彼女に、柵を向こうの彼女へとありったけ手を伸ばした。彼女はそんな私をしばらく見つめていたが、それには答えず、睫毛を伏せてただ首を振った。それは出来ないと、こちらには来れないと、そう言うかのように。

そして、何かを示すように彼女は指をさした。それは私に向けられているように見えたが、そのさらに向こうを指していることに気付いた。何かを教えようとしている。

エラは声を出さず、口だけを動かし、呟いた。












う し ろ











エラの示す方向に、豪風が吹き抜けた。その風に堪えられず瞬きをし、目を開けたその時には、すでにエラの姿は無くなっていた。彼女の姿を目を擦っては探すが、その宙にはもう誰もいなかった。あるのは、ただ北極星と月の輝きが交わる夜空の向こうだけ。エラの幻は消えた。






「イヴちゃん」


そして静寂の世界は後ろの生身の声によって破られた。


「ねえ、何か見えたの?」


この声は、……。


「もしかして、『真夜中の屋上に立つ女の子の幽霊』、とか?」


いつものように学校でお喋りする話しぶりだ。そこであの子は笑っていた。腕を後ろに組んで、小首を傾げる癖。


「でも幽霊なんて見えるはずないよ」


その“普通“がここでは異常として際立つ。


「だって、幽霊なんていないんだから」


しかし、真夜中の零時に、吹きさらしの屋上に、こんな所にいる訳が無い。その子は、にこにこと笑う頬を引き攣りあげ、ニタリと笑った。ぞく、と背筋が寒くかかるものを感じる。


「……七不思議の犯人はあなたね」
「どうしてそう思うの?」
「七不思議の調査を持ちかけておきながら、本当はあなたはその答えを知ってた。何か別の目的があって私をここへ呼び出した、違う?」
「……なら、教えて?七不思議の答えを」


その子は、一歩、一歩、ゆっくりと私へと近付く。そしてリーダーを当てるかのように私を指さした。私は、じりじりと後退りする。




「……先週の水曜日。あなたがエラをここに呼び出し、そして彼女の行方を隠したことからその噂は始まった」


それは、零時の鐘が鳴る頃に。夜は誰も立ち入らない学校。それは目撃者もいない、恰好の場所。そう思われたが、想定外にも目撃者が現れた。ティム=ライアーだ。彼は実際に幽霊を見たと吹聴していた。それは誤算だった。


「七不思議の噂を辿っていくとその証言をする者がいた。あなたはその時は気付かなかったけれど、ティム=ライアーはその場を偶然にも目撃していた。あなたは本当はそれを見られてはならなかったけれど、それを逆手に利用した」


ティム=ライアーに口止めをするのではなく、逆に自らも『七不思議』としてそれを広める。そのことによって噂が噂を呼び、様々な憶測が飛び交うことで真実は誤魔化される。スリーパー効果だ。信頼性が低い情報源から得られた情報であっても、時間の経過とともに信頼性の低さがもたらすマイナスの効果が消え、コミュニケーション効果が時間の経過とともに大きくなる現象をいう。


「そしてティムが見たという『屋上に立つ女の子の幽霊』、あなたはそれを私に調べるように仕向けた。自分は何も知らない振りをして、ずっとずっと私の行動を伺っていた」


七不思議の根源は、私の目の前で嘯いていたのだ。


「幽霊が立っていたのは屋上なのだから、調査はいずれ屋上に向かうとあなたは推測していた。そして非常階段を調べれば、存在しないはずの鍵があると、私が気付くだろうということにも」


本来あるはずのない鍵を掛けたのは他でもない。つまり、鍵の所持者がこの七不思議を引き起こした犯人である可能性ということにも辿り着く。私達がそれを探そうとすることも流れの通りだ。


「エラの行方がわからないことは別件のようにも思えた、けれどエリックが同時並行で捜索に協力してくれたために一つの異常に気付く」


行方を晦ましたはずのエラが翌日に本の返却をしているということに私達が気づけば、きっとその本を調べに来るだろうと予見を立てて。


「あなたはエラをここへ呼び出した時に、彼女からあのシンデレラの本を偶然にも奪っていたのでそれを利用した。図書係ならば本の返却や記録の偽造なんてそう難しいことではないし、私達がその本を探しに来るか自然に振る舞って見張る事もできる」


エラが本を返却に来たかどうか誰も覚えていないしわからないのは当然のことだ。何故ならエラは来ていないし、返却手続きを済ませたのは別人なのだから。


「そしてその本にあの鍵を忍ばせておけば、エラの真相を追う私がこの時間にここへ来るように誘導する事ができる。きっと、エラにもこうして同じような下衆な手口を使ったんでしょう」


シンデレラの物語だ。午前零時の鐘が鳴る前に、階段を上がって、舞踏会のこの屋上へ来るように。エラの、エリック=ファントムへの好意を利用し、エリックを装い、何かしらの方法でエラに鍵を渡した。家庭でも、学校でも、孤独の彼女を惑わすような方法だ。


「これが七不思議の真相」


屋上に立つ女の子の幽霊。それはその時間に実際にここに居たエラ=シンダーだ。それを見たティム=ライアーの証言を撹乱させるため、七不思議として噂を広めることによってエラの行方を隠した。

七不思議を初めに私に噂したあの子が、その張本人であり根源だった。

けれど、わからないことが一つある。
エラ=シンダーが隠された場所だ。



「答えて。エラは何処にいるの。あの子に何をしたの」


私は、躙り寄る彼女をただ睨んだ。彼女は、それでもただ薄ら笑いを浮かべて、「わかってるくせに」とただ一言答えた。


「答えなさい。エラは何処?」
「それはティムから聞いたはずよ」
「え……」
「ティムが見たっていう幽霊は、どういうものだったかしら」



ティムの証言が、映像のように私の脳裏を駆け巡った。

『助手席から何気なく夜の校舎を眺めていたら、偶然見たんだ。ワンピースを着てたから、きっと女の子だったと思う。屋上の柵の外に立ってた。僕、びっくりして、目を擦ったけど次の瞬間にはその子はいなくなってた』

それは、つまり。ーーーつまり、エラは。




「そんな、まさか、……」


彼女はそれには答えずに笑って、続けた。


「イヴちゃん、ありがとう。七不思議のこと調べてくれて。これでもうみんな怖い思いなんてしないわ。幽霊なんていなかった、それはエラちゃんだった……そうでしょう?」
「あなた、」
「でもね。あと一つ謎が残ってるわ」


彼女は、笑みを絶やさずにこちらへと歩みを止めない。私はそれに薄ら寒さを感じながら、彼女が近付く分だけまた離れる。


「どうして七不思議を解いてもらいたかったか、わかる?」
「…………こっちへ来ないで」
「それはね。イヴちゃんにも『幽霊』になってもらいたいから」


距離が縮まっては、また拡げるを繰り返す。


「……どうして、何でよ?どうしてエラを? 」
「あの子邪魔だったから」


彼女は、あっけらかんとしてただ一言その理由を簡潔に言った。暴君のようなただ一言のその理由を、「邪魔?」と私は反芻した。


「エラはあなたと関わりなんて無かったじゃない。あの子はずっとただ本を読んで夢見てただけ。あなたのことさえきっと知らない。何もしてないのに」
「けど邪魔だったの。だって彼があの子に目を掛けている分だけ、私はその視界に入らない。私だけ見て欲しいのに」
「彼って……」
「エラちゃんがいなくなれば私を一番に好きになってくれると思ってたけど、少し違ったわ。一番であるのはあなただった」


私の王子さま。初恋で、ずっと好きだった。だから、特に彼が目を掛けていたエラ=シンダーとイヴ=ブレアが居なくなれば、王子様のお姫様候補は私だけになる。
シンデレラは、一人でいい。


「イヴちゃん、ごめんね、大事なお友達にこういうことあんまり言いたくないんだけど……あなたはエラちゃんよりもっと邪魔」


彼女は眉を八の字に曲げ、心から本当に申し訳なく思うように困ったような顔さえした。演技たらしく感じられるその表情。



「……おかしいよ。そんな理由で自分を正当化するの?」
「そんな理由だなんて。ねえ、イヴちゃん。貴女はそういう風に私みたいな考えを蔑むけど、この世の中にはもっとそういう人が隠れてるんじゃないかしら」
「え……」
「好きだから。嫌いだから。憎いから。腹立つから。邪魔だから。気にくわないから。頼まれたから。仕事だから」
「…………。」
「動機はとても単純で順当。私はそれを願ってただ体現しただけ」



それがそんなに悪いことなの?と、彼女は首を傾げた。
その姿が、どこかイルミに似ていると感じ、私は口を噤んだ。

好きだから、嫌いだから、憎いから、腹立つから、邪魔だから、気にくわないから、頼まれたから、…………仕事だから。

少し崩壊した倫理観。しかし意見はある意味では真っ当だ。確かに彼女は、ただ願いを叶える為に実行に移しただけなのかもしれない。好きな人に振り向いて欲しい。好きになって欲しい。そのために、好きな人の好きな人を無くすればいい。欲しいものを得るために対価を払うような感覚だ。



ーーーじゃ、行ってくるよ。


その時、どうしてだか、彼の声が聞こえた気がした。
“仕事“に向かう、イルミ=ゾルディックの後姿が目の裏に過ぎる。その白い肌には、薄く残る生傷の跡。目を凝らさなければ見えない多くのそれ。一度も家や仕事について、文句さえ言ったことは無い。否、そう思う疑念なんてものさえ無いのかもしれない。もしかしたら、彼は人の死を得ることに満足や喜びさえ感じているかもしれない。



「違う」


でも、そうじゃない。絶対に違う。
たったそれだけだ。それだけで彼があなたと同等に扱われるなんて耐えられない。私は彼の血反吐を吐く姿をずっと見てきた。



「一緒にしないで」


父母に鞭で打たれて、電気を浴びて、毒を食らって、ただ強靭なまでに身体を鍛えて、他のものはすべて削り取って削り取って削り取って削り取って削り取って……。
そうして今の彼がいる。


「人を殺すには動機は成立してるかもしれないけれど」


あなたは殺される覚悟もないのに、自分は人を殺してただ満足してるだけ。


「……あなたはただただ浅ましい」


遊びのような感覚で快楽殺人をし、消えない罪を背負ったただの子供。それが今のあなたの正体。七不思議なんて嘘の煙を身を纏った瞞し。





彼女は、私に後一歩という所まで近寄り躙り寄った。


「……イヴちゃん。どうして私を怒らせるの?何が言いたいわけ?」
「私を殺したって私の亡霊があなたに生涯付き纏う。霊魂は怨念となってあなたの見えない影に潜む。今みたいにね」
「何言ってるの?幽霊なんていないわ。脅かそうとしてるの?」
「そうかしら。私には見える」


ほら、すぐそこに。
影からじっとあなたを見ている。


「なにそれ、馬鹿みたい」
「うあっ……」


彼女は気を害したように眉を歪ませ、私の襟首を掴んで柵へと押し付けた。強く憎しみの篭もった彼女の指が、想像した以上に首に深く食い込む。息が苦しい。彼女のその細腕を掴んだがそれでも力は弱まらない。


「やめ、て、」
「イヴちゃんがいなくなれば、きっと私は一番になれるの」
「だめだよ、」
「何が」
「これ以上は、よして」
「何を言ってるのよ」
「もどろうよ、こっちは、だめなんだよ、」


何を言っている。こっちとは、何だ。
イヴは咳き込みながら、掠れた声で言った。



「お願い、……普通の女の子に、もどろうよ……」



思わず、目を見開いた。
そしてその時、エリックのあの時の言葉が脳裏に流れた。


ーーー誰にでも公平で優しくて、そんで普通の可愛い女の子なんだ。俺はブレアの、そういうところが好きだ。


……こんな状況なのだから、懇親の力を振り絞って暴れでもすれば私から逃れられるかもしれないのに、イヴ=ブレアはただ私の腕を握りしめていた。まるで説得でもするかのように。貴女が好き。誰にでも公平に優しくてとても可愛い普通の貴女を。貴女はこういう時も優しい。私のように爪を立てたりなんて醜い真似はしない。どうしてかしら。私と貴女は何が違うのかしら。取り立てて特別なものは何も無いのに、貴女に惹き寄せられてしまう。人も、事も、物も、良いものも、悪いものも。勿論、私だって。

貴女のような優しさがあれば彼は私を見てくれた?
貴女のような優しさがあればこんな事しなかった?
貴女のような優しさがあれば普通でいられた?

けれどもう駄目ね。手遅れ。
もう、私は“普通“じゃなくなってしまったから。




「イヴちゃん。……ごめんね。もう、戻れないの」



その声が耳元の間際で囁かれた。そして私の体を強く押す生身の手の感覚。少しずつ、少しずつ時がゆっくりと過ぎ行く。けれど私は声も出すことは叶わなかった。そして色々な考えが頭を駆け巡った。走馬灯だ。私は柵の向こうへ押され、体が宙に浮いた感覚が一瞬過ぎ去った後に、下に引き込まれるような圧倒的な重力を感じた。


落ちる。


その事実が漠然と脳裏を駆け巡った。ただ体が空に放り出されるような、心と体が別に分かれてしまったかのような不思議な感覚が全てを支配した。強く緊張した心臓が血流を叩いているのに、頭はまるで冴え切っている。背中から襲いくる風と死のせいかもしれない。空から堕ちる、遠ざかる。月の輝きと北極星が遠く離れながらもただ私を見下ろしていた。






ーーーイヴ。


けれど、誰かがその死の風を阻んだ。優しい女性の声。お母様のようだ。包み込むようで、あたたかな声色。お母様と時を過ごしたことはないけれど、そんな感覚がした。


ーーーイヴ。


エラ。目には見えないけれど彼女はすぐそこに居る、そんな感覚が私を纏う。響くようで、あたたかい。きっと白いワンピースを来ている。その姿で、零時の鐘がなる前に王子様に会いに行こうとしたのだ。

ーーーイヴ、ずっと待ってた。

エラ。

ーーー私を見つけて。お願い。

エラ、ごめんなさい。

ーーー私は屋上にはいない。

もっとあなたの近くにいれば、もしかしたら、違う結果だった。

ーーー下にいるから、どうか探して。

こんなことになってしまった。

ーーーそして私を忘れないで。

私が声をかけなければ、友達にならなければ、あなたは……。

ーーー友達になってくれてありがとう。

あなたのいない世界がこの先にあるなんて。

ーーーずっとずっと、大好きだよ。

生きていて欲しかった。




自然と、何を思うでもなく、目尻から涙が溢れ出た。そこにエラが確かにいたからだ。彼女はワンピースを翻し、まるで蝶のように大気のどこかへと消えていった。少年の日の思い出。壊れた蝶は、いくら形を整えても、元には戻らない。


「イヴ」


そして、私の耳朶にそっと触れる唇の感覚とともに、彼の声が聞こえた。堕ちる一人は、二人となった。誰かが、もう大丈夫、と言った気がしたが、それがお母様だったのかエラだったのか彼だったのかは、よくわからない。ただ、他者に死を与える彼が、死から私を助けたのだという感覚だけは、触れる体の体温から伝わった。