七不思議、終末に鳴るは三つの鐘




真夜中の零時を示す鐘が、三つ鳴った。

屋上の柵から身を乗り出し真下を見遣るも、やはり暗闇なので彼女の姿は見えない。下は雑木だ。彼女の死体を確認するため、私は屋上を降りていく。この鬱蒼とした夜道でさえ、少し高揚するものがあった。それがなぜだか、何となくわかっている。邪魔が無くなったのが嬉しいのではない。妙な開放感だ。頭のてっぺんが開き切って、爽快な感覚。麻薬は使用したことはないけれど、例えるならば感じ。そんな快感とも言える、背徳感と恍惚。


『お願い、……普通の女の子に、もどろうよ……』

彼女の最後の言葉が少し胸に留まって離れそうにない。だが、イヴ=ブレアは死んだ。これで邪魔は無くなった。

埃だらけの階段を下りきり、雑木の方へと草を掻き分けて進む。枯葉や蔦が足元を邪魔するように纏うが、それさえ気になりはしなかった。早く、死体を確認したい。それがどんな様になっているのかを見たい。誰かに見つかる心配こそその通りであったが、まず第一に私を焦らせる気持ちはそれだった。

草木の茂った木々の中。おおよそイヴ=ブレアが落ちた地点は、エラ=シンダーと同じくここだ。そこへ進もうと小枝をぱき、と踏み潰した。







「おい、そこで何してる?」


こんな真夜中に、後方から声が掛かった。
思いもよらぬ来訪者に、ぎょっとしてそちらへと振り返ると、そこに担任のアレクス=マクレガーがライトをこちらへ向けて立っていた。


「せ、……先生?どうして、ここに」
「そりゃーこっちのセリフだっつの。残業してようやく帰ろうかって時に、こんな真夜中に校内をうろちょろしてる生徒を見かけりゃ処罰せにゃならんだろーが」
「……さ、捜し物を、していたの。ここに落としてしまったから」
「捜し物だァ?何だよそりゃ。どれ、仕方ねーな。先生も捜し物とやら手伝ってやるとするかな」
「あ、ま、待って先生?でもきっとこんな暗かったら見つからないと思うから。やっぱり明日探しに来ます」
「大事なもんだからこんな夜中に探しに来たんだろーが。ほら、とっとと見つけるぞ」



マクレガーががさごそと雑木を掻き分けて進むのを止めようとするが、そんなものは聞く耳を持たない。そっちはまさに、ブレアが屋上から落ちた真下の地点にあたる。緊張で心臓が飛び出そうとはこの事だ。秋風の寒さが引き立つ夜だと言うのに、冷や汗が流れる。ギリ、と奥歯を噛み締めた。こんな所で、こんな邪魔が入るなんて。ブレアの死体が見つかったら。どうすればいい。ここに捜し物があると言った手前、死体を知らぬ顔もきっと怪しまれるだろう。そしたらどうすれば……。


「おい!早く来い!」


マクレガーの雑木の中からのその声に、びく、と肩を震わせた。もしかして死体を見つけてしまったのか、と返事をせずにいると、能天気な先生の声が続けて聞こえた。


「こっちは何もねーけどよ、お前何を探してるんだ?」
「え……」


マクレガーの声に、わずかに素っ頓狂な声を上げてしまいそうになるのを堪えながら、恐る恐る、その先の雑木の中を進んだ。
マクレガーはライトで辺りを照らしながら見回す。私もそれに習ってくまなく暗闇に目を凝らしたが、そこには雑木の蔦や枯葉があるのみで、イヴ=ブレアの死体なんて影も形も無かった。ここはそんなに広い空間ではない。見回せば何かが見つかるのは通りだと思ったが、ここには何も無い。


「どうして……一体どこに……」


空を見上げると、確かに上には北西の角の屋上が見える。地点は誤ってない。落ちたとしたならば此処だ。他には考えられない。ならば、一体、彼女はどこに。


「真っ暗でわかんねえな。俺も歳で目悪いし。もしくは、もう誰かに拾われたとか、そんなとこだろ」


ありえない。さっきのは幻だったというのか。確かに私のこの手で彼女を突き落とした。ならばここにあるはずだ、死体が。
私の焦燥感漂う顔色を伺ってか、マクレガーはライトを肩に掛け、ふう、とため息を吐いた。


「お、なんだよ、そんなに捜し物が見つからないのが不安か。そーかそーか、ま、先生もそういう経験あるぞ。でも探せば探すほど見つからないんだよ、探し物ってのはな。急がば回れというし、気になる気持ちはわかるけどよ、夜も遅いしまた明日探すとするか」
「……そ、うします。ごめんなさい、先生」
「いーってことよ。生徒に道を示すのも俺の教師としての責務だ」


豪快に笑って、さあ行くか、とマクレガーは踵を返した。私もとりあえずこの場は一旦マクレガーと共に引き、また後で確認しに来よう、と鑑みた時。


「あ、そうそう。処罰の件なんだがな」


こちらを振り向かずに、マクレガーは続けて言う。


「処罰?」
「ま、カンタンに言えば罰則規定に引っかかることをやっちまったわけだからな。真夜中に校内に許可なく侵入……まあこれは無かったことにしてやっても良いが、その他がちっとな」
「え?」
「イヴ=ブレア殺害未遂及びエラ=シンダー殺害容疑の件だ」



一瞬、何を言われているのか理解が追いつかなかった。
なぜ、マクレガーがエラ=シンダーの事を。いや、待て、イヴ=ブレア殺害未遂と言ったか。それはつまり。これまで、先程の直前までの事さえも全て知っていて、……。


「なァ、やり過ぎたよな、お前」


言葉の止まった私を見兼ねてか、マクレガーはさらに捲し立てる。


「お前みたいなガキ、こっちの業界にも一定数いるんだよな。人の命の重さの組み分けってやつが元々曖昧で、ひとたび人を殺せばそれが制御出来なくなるんだよ。つまんねー動機で殺して、初めはドキドキワクワク。けどそれがどんどん軽くなっていく……サイコパスのよくある典型例だ」
「……先生、何を言っているの?わからないわ」
「サイコってのはおまけに嘘吐きだ。息を吐くように偽りを言う。嘘に惑わされる他者を見て笑って、まるでゲームのような感覚なんだろうな。なあ、すっとぼけてもそんなの大人には通じねーよ」


マクレガーは、無精髭を撫で、なで肩を揺らしてゆっくりと振り向く。


「お前は、もうこの世界の表では生きられない。お前は反転しちまったんだから。あー、名前なんだったか、お前。アンナ?エイミー?オーレリア?まあ何だって良いか。お前は犯罪者となったたった今から少女Aってとこだな」
「……まるでお巡りさんみたいな事を言うのね。もしかして、本当は先生なんかじゃないみたいに」
「言い得て妙だなそりゃ。お巡りか。ま、例えようによってはそんなものかもな」
「そう。なら、私のことを警察に言うの?」
「そいつはしねえよ。専門外だからな」
「え?」


その矛盾に変な顔をした私を、マクレガーはただおかしそうに笑った。表の顔は教師、裏の顔は“警察“。しかし私を警察に連れるには専門外と言う。マクレガーは続けて言った。



「お前が何人殺そうがそれは俺には関係の無い事だ。俺はここではただの教師だからな。だがさっきも言ったろ、お前はやり過ぎたんだ、ってな」
「意味がわからないわ」
「彼女に手を出しだ時点でお前は終わったんだ。そうしなけりゃ、罪を犯したとしても少年法によって少女Aとして守られ、まだこの世界のどこかで生きていけたかもしれねーが」
「…………彼女?どういうこと。先生、あなた、何者?」



まるでからかうように、ライトを顔に当て幽霊の真似をした。そしてその問いかけに無情に答えた。


「下衆に名乗るような名前なんてねーんだよ、悪いけどな」


その反転した影のためか、“先生“としてのいつもの面影は消えていた。




「マクレガー」


その声に、そちらを振り向いた。
影の茂みから出てきたその声は、聞き覚えのある声だ。抑揚のない、淡々とした声色。目を凝らすと、あの転校生が闇から影のように現れた。気味の悪い無表情。イルミ=ギタラクル。この場にも動じない佇まいが、また不気味だった。そしてその腕の中には私がさっき殺したはずの彼女がいた。その体には傷一つさえ見られず、亡霊でもない。イヴ=ブレア。彼女は瞼を閉じ意識のない様子で、その闇の少年の腕の中にいた。

「どうして。なんで生きてるの」

殺したはずなのに。
しかしその漏れ出た問いかけには、誰も答えなかった。



「そいつ。始末するんだろ」
「あーもうやだねえ。これだから闇稼業の連中は喧嘩っ早いから困るんだよ。物騒で仕方ありゃしねえ。すぐ殺す殺すって」
「マクレガー、お前も似たようなものだろ」
「しかもお子様のくせに。お前今いくつだよ。これだからこの業界のガキは。先生は悲しいぞ、いくら教えたってお前らは人の命の重さなんかわかっちゃいねーんだから」
「そっちこそ人の事言えないだろ。いい加減、教師ぶるのは止めたら?イヴ=ブレア以外の命なんてどうだっていいと心底思っている癖に」
「バレた?ま、ちげえねえけどな」


自分を取り残されて行われる会話に、ただ立ち尽くして耳をすましていた。

殺す?闇稼業?業界?

イヴ=ブレアは、この人達の、何?



「じゃ、マクレガー。後処理は宜しく」
「あ、俺かよ!?」
「仮にもそいつはお前の教え子だろ。それにこの状況なら適任なのはそっちだと思うけど。それとも本来の立場を忘れたの」
「俺の代になってからこういうお片付けっつーのはやった事ねえんだけどな」
「そう。俺はイヴを連れて帰るよ。“飛ぶ鳥跡を濁さず“だ、はじめてのお片付けなら、より入念にね」
「へいへい坊ちゃん、仰せのままに、と」


飛ぶ鳥跡を濁さず?処理?それは……。

イルミ=ギタラクルはマクレガーの返事を確認すると、イヴ=ブレアをその腕に抱えたまま闇の中へと再び消えていった。マクレガーは、面倒臭そうに頭をポリポリと掻き、大きくため息を吐く。


「ったく、ゾルディック家の人間は人遣いが荒いよな。親父にそういうとこばっか似て、本当仕方ねえな。遺伝ってやつのかねー」



ゾルディック家だと。
マクレガーの口から、確かにその名が聞こえた。パドキアに住む者ならばその存在は知らない訳が無い。あの伝説の、暗殺一家。
闇の転校生の正体は、イルミ=ゾルディック。

『これ以上、こっちに来ては、だめ……』

イヴ=ブレアはイルミ=ゾルディックと旧知の間柄であるようだった。彼女が言っていた“こっち“とは。闇の世界。イヴ=ブレアは、こういう事を言っていた……。




「さて。そんじゃさっさと処罰を下さなきゃな。これが先生として最期の授業だ、しっかり聞けよ」
「マクレガー、先生、」
「既に一人殺して、また更に殺そうとしたんだ。なのに自分は大丈夫なんておかしな話は無しだぜ。お前も殺される覚悟ってやつを学ばなきゃな」
「……け、警察は」
「警察?何寝ぼけた事言ってんだ?それは“専門外“だと言っただろ。どうせ豚箱に突っ込んでもお前みたいなのはムダだ」
「……あなた教師でしょ!?」
「それは表の顔ってやつさ。俺は嗅ぎ回る番犬。ご主人様に楯突く野郎は息の根を止めるまで首元を噛み付くお役目さ。言っただろ、イヴ=ブレア嬢に手を出した時点でお前は終わったんだってな」
「……反省する、もう二度としないから、」
「残念だが、嘘吐きの言葉なんざ聞き入れられねえ」


俺もこの業界は長いもんだからな、お前の目を見りゃわかる。そいつは、人を殺す楽しみってやつを覚えちまった奴の目だ。快楽殺人者。ここで温情をかけ見逃したとしても、お前のようなガキは更生は出来ない。いずれまた別の形で殺人者として俺達の前に顔を出すだろう。

少女A、または、Amy、Anna、Aurelia。

教え子を手に掛けるのはちっと悲しいが、まあそんなのはどうだっていいんだ。思い出こそあるが情など無い。最優先すべきはイヴ=ブレアの生存。その百合の血脈を遺す事。それだけだから。



「惚れた腫れたの恋物語に邪魔者は殺すなんて考え持ち込む腐ったガキをどんなに叩き直したって無駄なんだよ。くせぇ雑草みたいに刈り取っても刈り取ってもまた生える。それならその芽を潰したほうが早い……そうだろ?」
「先生、」
「……さーて、ゾルディックの坊ちゃんは何て言ってたかな。飛ぶ鳥跡を濁さず、だったか。皮肉なもんだ、自分で作った七不思議が自分に返ってくるんだからな。だが、これにて七不思議は解決だ」


マクレガーは、私の口を布で強く押さえつけた。僅かに香る薬品臭。抵抗したが、そんなものは男性の大人の力の前には無力だ。いつしか体に浸透するかのような虚脱感と眠気と共に、抗う力は無くなって行った。頭に靄がかかるような、強制的な睡魔。消えゆく意識の中で、マクレガーは最期に私に言った。


「授業は、これでお仕舞い」


先生は、これまでに見たことの無い表情を浮かべていた。無表情。ただ冷酷に使命を終える、ただそれだけを念頭に置いて行動する戦闘人形のように。愛想の欠けらさえ消え失せたかつての恩師の姿に、救いはもう無いのだと悟らせたのだった。










その眩しさに、薄く目を開いた。


頭重感。まず感じたのはその感覚だ。頭痛の果ての朝のような倦怠感。そして、わずかに痛む首。辺りを見回すと、そこはいつもの私の部屋だった。ただ、とうに太陽は高く登り、陽光が私の目に染みた。


「イルミ……」
「イヴ」


彼の名前を呼べば、すぐそこにイルミが座っていた。本を読んでいたようだが、それをぱたんと閉じて私に近寄る。本の背表紙を見ると、それはシンデレラだった。そしてそれを見て私は思い出した。物語は、どうなったのだろうかと。


「ここは」
「家」


何だか悪い夢をずっと見ていたような感覚だ。しかしその本が私を現実へと引き戻す。記憶があやふやだ。屋上からあの子に突き落とされ、イルミが助けてくれて、それで。


「あの子はどうなったの」
「死んだよ」
「死んだ、って……嘘でしょう」
「本当」


イルミは徐ろにリモコンを取り、テレビを付けた。ショートカットが清廉な印象を与える太眉のキャスターが、ちょうどそのニュースを読みあげようと原稿を手にしていた。

ーー次のニュースです。昨日未明、パドキア国立学園小等部にて、その学校に在籍する少女Aが屋上から転落する事件が起こりました。発見したのは、朝の見回りにてたまたま通りがかった当小学校の教諭。少女Aは頭を強く打って死亡、自殺と考えられます。少女Aは、学校内で、ある女子児童とのトラブルがあり、その内容を綴る遺書が発見されました。またその内容には、女子児童を手に掛けたとするような供述が記されており、その児童とは連絡が取れておらず、現在近辺を捜索中です……。

私は愕然としてその内容を耳に入れた。



「自殺……」
「報道の通りだよ。Aは自殺。これで七不思議は終わった」


自殺。
屋上に立つ女の子の幽霊。その怨念が彼女をそうに促したのかはわからないが、幽霊となったのはA自身となった。


「エラが見つかってない……探してあげなくちゃ、」
「それは警察が探してる。そういうのは犬の仕事だ。この件が公になった以上、俺達が首を突っ込むのは得策じゃない」
「そんな」
「もちろん昨晩のことも口外禁止。殺害未遂……その罪を犯した制裁は必要だけど、その相手はもうこの世にいない。これ以上の責任追及は無駄吠えだ」
「でも……」
「俺達がここで矢面に立つのは避けるべきだ、そうだろ。内輪の話で済むものを外野に詮索されるものほど面倒な事は無い。それに、俺がゾルディック家だとバレていいの」


それは駄目だ。身元の確認をされたならばいずれイルミの戸籍登録やその転出元が偽装であることは時間の問題で発見されるだろう。ということは、イルミをこれ以上学校に置いておくことさえ危険だ。


「俺はもうそっちの世界に行けない」


普通の時間は束の間だった。
ギタラクル少年は、表の世界を蝶のように飛んで、ゾルディックの蛹へと再び閉じこもる。そして羽化するその日を蛹の闇の中で待つのだろう。次は、蝶であるかどうかは、わからない。



「……これからはもう、隣にいてくれないの」
「イヴ?」
「私、イルミが隣にいてくれてすごく心強かった」
「うん」
「もっとあの教室で過ごしたいし、一緒にいて欲しいよ」



こんな世界を望んでは、だめだろうか。
イルミ=ギタラクルはただのお隣さんの男の子。天然で、ちょっと抜けてて、垢抜けた男の子。ぼうっとしてるけど確信犯な所もあって。毎日、一緒に学校に行く。隣の席に着く。教科書を忘れたら見せ合いっこする。お昼ご飯も並んで食べて、休み時間は皆とも一緒に遊んだりして。気が向いたら図書室に行ったり、校内を散策する。午後の授業は眠くなってしまうの。だから先生に怒られて、二人で怒られてしまうかもしれない。放課後は、帰りがけに内緒話をする。宿題を忘れないように教え合いっこする。そして一緒に家に帰って、また次の日に学校に行く。
闇の世界のことは何一つ関わらない、普通の世界。
イルミがこっちに来てくれて、隣にいてくれて、普通の日常を送って。

そんな世界があってもいいんじゃないか、って。





「それは無理だね」


無情にも彼は一切を否定した。


「俺はゾルディック家の人間だから」


ゾルディック家。冷たい山奥の、そのまた奥。やはり彼はあの家に帰ろうとするのだ。父母に鞭で打たれても、電気を浴びせられても、毒を盛られても、血反吐を吐いても。それがイルミ=ゾルディックにとっての“普通“。私が夢見た彼は、イルミ=ギタラクル。全くの別人を理想として描いただけに過ぎない。


「そういうと思った。イルミらしい」


そう言うと、彼は不思議そうな顔をして首を傾げた。
イルミ=ゾルディック。私の幼馴染み。暗殺一家の子。兄妹のように隣にいてくれる男の子。大事な友達。親友。
そして、私の大切な、“普通“の男の子。



「ねえイルミ。もう一つ聞いていい?」
「何?」
「今までずっと、このことは怖くて聞けなかったの」
「うん」
「でもずっとずっと、いつか聞かなくちゃとも思ってた」
「うん」
「本当の事を答えて。……イルミは、人を殺す時、……」




コンコン。

突然のノック音で、私の話は打ち切られた。扉の向こうからは「お嬢様、よろしいでしょうか」と私を呼ぶカミーユの声が響く。
私はイルミへのその問いを口の中にまた仕舞った。緊張にひと息ついて、カミーユを部屋に招いた。扉を開けたカミーユと、その後ろに立つ人影に驚いて声を挙げた。
そこに居たのはアレクス=マクレガー先生だった。


「マクレガー、先生?どうして……」
「おお、ブレア。ちっとお邪魔してもいいか?」
「お嬢様。学校での昨今の件についてこの教師が家庭訪問を、と」
「家庭訪問なんて不躾だな。お見舞いだよ、お見舞い」
「……だそうです。お見舞いという名目の家庭訪問に来られましたが」


嫌味を含めたカミーユに、眉をひそめたマクレガー先生。
この二人の陰険な雰囲気に焦り、「カミーユ、ありがとう」と彼をこの場を後にさせた。案内を終えたカミーユが出で行ったのを皮切りに、マクレガー先生はいつものように怠げな素振りを振る舞いつつ話し始めた。


「ブレア、体調はどうだ?気分は?ああ、立たなくて大丈夫だ、そのまま休んでいてくれ。ちっと話をしに来ただけだしな」
「大丈夫です。あの、マクレガー先生、」
「あー、ギタラクルから話は大体聞いた。早く気付いてやれなくて済まなかった。あんなことがあった手前、今日は臨時休校だ。そんで俺は様子を見に来たって訳だ」
「そう、なんですね。わざわざごめんなさい」
「いいってことよ。まあなんだ、可愛い生徒たちのメンタル面のフォローってやつも先生の仕事だからな」


マクレガー教諭は背広を腕に掛け、緩めたネクタイをそのままになで肩を揺らしてこちらまで歩いてきた。背広を脱ぐと、余計にその猫背が目立つように感じられた。


「あの、先生。あの子を見つけたのってもしかして、」
「俺だよ。朝の見回りん時にな。いやービックリしたさ。教え子が倒れてると思ったらこれだもんな」
「彼女の遺書があったそうですね」
「ああ。まあ、報道の通りだ。いや、わかんねえもんだな。教師生活でこんなことが起きるなんてよ」


教師。
以前にマクレガーは教師を六年間務めていると言っていた。では、その前は?マクレガーの概ねの年齢は30代後半といったところだ。逆算すると学校教諭になったのは30代前半として、その経歴に謎が残る。イヴは違和感を持った。これまでの事件を通して、このアレクス=マクレガーという人物に対して。


「……先生は教師になられてから六年でしたよね」
「お?……おお、そうだな」
「その前は何のお仕事を?」
「まあ、色々だよ。転々と。人生長いからな。けど今は手に職の時代って言うしな、一念発起して今は先生の仕事ってわけだ」
「本当に?」
「ん?」
「本当に、“先生“なんですか?」
「……ブレア?」


アレクス=マクレガーはなで肩を強ばらせた。そして片眉を下げておかしな表情で私を見遣ったが、私は構わず続けて言った。


「……アレクス=マクレガー。本当は、あなたは誰?」
「おっと」


一言で言うなら、それは確信的な表情だった。
私の指摘にどうしようか困ったようなニュアンスも含めながら、少し笑みさえ見えた。そして、アレクス=マクレガーが瞬時にイルミに目配せをしたのを私は見逃すはずも無かった。


「あ、マクレガー。もうとっくにイヴは気付いてる」


イルミはというといつものポーカーフェイスで、その目配せにあっさりと答えた。


「あ?んだよ、そんならそうともっと早く言えっつーの。下手な三文芝居打っちまっただろーが。恥ずかしいなおい。そんじゃ、隠す必要もないってことか」
「俺からすれば学校でも中々の三文芝居だったけど」
「んなこたねーよ、ちゃんと先生やってただろーが。六年間だぞ六年間」
「教師は向いてないんじゃない」
「……随分な言いようだけど学校生活にまったく馴染めてなかったイルミ坊ちゃんには言われたくねーんだが」
「俺は上手くやってたけど?」
「え、自己評価高いなおい。どっからどう見ても上手くやってなかったわ。あーもういいよ、ったく……」


二人の間でそんな会話が行われた後に、アレクス=マクレガーは髪を掻き上げて、私に向き直った。


「こりゃ失礼を。お嬢さん」



マクレガー先生は、“先生“の仮面を脱ぎ、私をそう呼んだ。



「俺の事はいつから気付いた?」
「……イルミの不自然なほどの急な転入に協力的だったり、私とイルミをわざと近寄せたり。いつだかの授業の時、イルミのことをゾルディックって言いかけたことが。イルミの事、知ってたんですよね。決定的だったのはイルミに鍵の在り処を暗喩で教えてくれたことですが」
「ま、あれはちっとわかりやすかったかな。本当は俺のことはお嬢さんにさえ隠し通すつもりだったんだが、誰かさんの人遣いが荒いのなんのって。急な転入の件も押し通すのに苦労したさ」


マクレガー先生が睨むようにイルミを見たが、彼は飄々とした表情で「さてね。マクレガーもイヴの父親に正体をバラされたくなかったろ」と、答えた。どうやら、立場はイルミの方が上であるような物言いだ。マクレガー先生は舌打ちをした。


「ほら、これだよ。何かにつけて脅すクセ直せよ、根性悪ぃぞ。このガキ本当にイヤらしい所ばっか親父に似ていきやがんな」
「……私の父やシルバさんを知ってるの?」
「そんなところだ。ゾルディック家とは腐っても切れない利害関係の縁、何世代か知らんが何百年もつるんできた歴史さ」
「利害関係?何百年?先生、あなたは一体……」



アレクス=マクレガーは、なで肩を居直し、ふざけるようなこれまでの素振りを全て消し去った。そして私の元へ近寄り、恭しく跪き、胸に手を当て頭を下げる。まるで主人にこうべを垂れる、騎士のような立ち居振る舞いを見せた彼に、私はただ言葉を無くした。


「改めてご挨拶を。俺はアレクス=マクレガー。旧爵位は伯爵。パドキア国王党派支持者。旧君主制の、影の番犬だ」


そして、私の手を取り、その甲に軽く触れるだけのキスをした。


「王党派支持者って……」
「王党派支持者つったらまあ聞こえは悪いが、俺達は代々フルールドリス家の騎士を務めてきた伯爵家、まあ言わば親衛隊ってやつだ。ちなみにアーネンエルベのジジイは俺の祖父にあたる」
「じいやの?」
「フルールドゥリス家は王位請求権を持つ。お嬢さんはその直系の末裔。貴女に何らかの危機があった時、影で動く駒が俺達だ。俺達親衛隊の寄る辺は貴女だからな」



イヴは、王位請求権と聞いて眉をひそめた。聞いたことがある。母のユリの旧姓・フルールドゥリス。それはパドキアが「共和国」となる前の時代の話だ。しかし君主制廃止の撤回を求める右翼らが活動冷めやらぬのは、まだその歴史が浅いから。この国では右翼とは、王党派支持者らの事を示す。

王位請求者とは広義に、王位または君主位を請求出来る者のことを指す。かつて数十年前まで君主制の歴史を持つパドキア国において、革命により君主制は廃止こそされたが、旧君主フルールドゥリス家の血筋はパドキア国の王位請求者に値する。フルールドゥリス家はユリの婚出と死去により既に断絶された家系であるが、その過去は浅く、イヴ=ブレアは王位請求権を持つとみなされている。王位請求者らは旧君主制最大の体現者であるため、当人達の意思にかかわらず、自らの理想とする君主制を再導入しようと王政復古を目論む王党派の支持が多かれ少なかれ存在する。王党派はその血統を護るべく、王位請求者らの身近に潜み、その守護に徹底している存在である。

階級や君主制を好まないイヴにとって、自分を祭り立てる絶対的な王党派支持者は少し煙たい存在でしかない。

ゾルディック家は、かつての王族の親衛であった王党派支持者らと今現在に至るまで黒い交際を続けている。ゾルディック家が何百年にも渡ってパドキア国と深く関わりがあったということ、それは今では語られない歴史の闇の部分だ。イルミが前に言った、スリーピングナイト。潜むことでその意義があると彼は言ったが、それは影に隠れて潜まなければ生きていけないという事を意味していた。王党派支持者は今や革命により君主制でなくなったパドキア共和国において極右的存在であるため、イヴの父エドワード=ブレアの立場において彼等は糾弾の対象でもあるから。

王党派支持者。旧伯爵家。表向きは教師、裏は旧君主の番犬。主人の周囲を嗅ぎ回って警戒する、影の役目。それが、アレクス=マクレガーの正体。



「いやー、あん時はイルミ坊ちゃんが居るとはいえひやひやしたな。お嬢さんが屋上から落とされた時は、さすがにな」
「あの場にいたんですか」
「言ったろ、俺は影の番犬。餌を待って首を長く待つような飼い犬とはちっと訳が違う。ご主人様に危機があった時、対処出来るように代々訓練されてるのさ。ゾルディック家とは少し違う方法でな」
「それなら、今回のことは……」
「ああ、この事件は俺が取り持つ。お嬢さんには迷惑のかからねーように処理しとくから安心してくれ」
「……それが終わったら、マクレガー先生は?」
「悪いが俺は近日中に姿を消すぜ。右翼ってのは肩身が狭くてな、見つかっちまったらややこしい事になる。お嬢さんを卒業まで見送りたかったがそれは叶いそうにない。だがずっと貴女を影から見てるさ。これまでもこれからもな」


真剣な表情から一変して、おどけたように先生は笑った。


「ま、今日の本当の用件ってのはその挨拶だ。そんじゃまあさっさと退散するかな。あ、俺のことはエドワード=ブレアには黙っておいてくれよ?奴は底知れない男だ、おっかねえんだよな」


マクレガーはそう言うと、「さてご挨拶も済んだことだし、お見舞いはここまでにしとくか」と立ち上がり、背広を纏った。


「待って。最後にお願いがあるんです。……この事件については、マクレガー先生が取り持つって言いましたよね」
「ああ、言ったが。それがどうかしたか?」
「……どうか学校への立ち入りを手引きしてくれませんか。どうしても私の手で、エラを早く見つけてあげたいんです」


エラは、見つけてほしいと、待っていると私に言った。それが彼女との最期の約束だ。叶えてあげたい。それでようやく、七不思議は解決する。屋上に立つ女の子の幽霊は、今もそこで誰かが見つけてくれるのを待っている。


「確かにエラ=シンダーは未だ見つかっちゃいないが……おいおいお嬢さん、弔いは結構だがなあ、エラ=シンダーの死体を掘り起こしたいって……そういうことを言いたいのか?」
「居場所は知ってます。リスキーな行動だというのも。でも、どうしてもそうしてあげたいんです」
「そんなこと言われても、ブレア……、しかしだなあ……」
「先生、お願い」


私はひとえに、アレクス=マクレガーを見つめた。
マクレガーはしばらくの間、真実困ったようにぽりぽりと頭を掻いていたが、大きくため息を吐いて「まいったねえ。そういう所も、ユリさんにそっくりだな」と呟いた。そして観念するかのように御手を挙げた。


「……昼は報道機関もいるし警備もいるから無理だ。だが夜なら巡視も数が少なくなる。抜け道を教える。夜に落ち合う事にしよう。それでいいな、お嬢さん?」
「ありがとう、マクレガー先生」
「先生はもう止せ。俺はそんなんじゃないさ。俺はお嬢さんの犬なんだぜ」
「それでも、恩師である事に変わりはないから。……授業、楽しかったです。アレクス=マクレガー先生」
「……嬉しいこと言ってくれるねえ、小さなご主人は」



マクレガーは照れたように鼻の下を擦ると、再び扉の方へと歩き始めた。イルミも私もその様子を見送る。マクレガーはこの事件を処理すると言った。影の役割。私やイルミが七不思議に関わってしまったという事実を消すために。




しかし、本当にそれだけだろうか。
もう一つ解せないことがある。


『イヴちゃん。……ごめんね。もう、戻れないの』

戻るつもりは無いと言った、A 。

『……発見したのは、朝の見回りにてたまたま通りがかった当小学校の教諭。少女Aは頭を強く打って死亡、自殺と考えられます。少女Aは、学校内で、ある女子児童とのトラブルがあり、その内容を綴る遺書が発見されました。……』

しかし自死をしたという矛盾。

『ご主人様に危機があった時、対処出来るように代々訓練されてるのさ。ゾルディック家とは少し違う方法でな』

ゾルディック家との何世代にも渡る黒い関係。ゾルディック家とは違う“訓練“。それはつまり、マクレガーもまた、闇の世界の住人ということを意味するのだろう。


そして報道は、おそらく真実ではない。




「先生。最後に、一つ聞いてもいいですか」
「ん、何だ?」
「Aは、……本当に自殺をしたんですか」


マクレガーは少しの沈黙の後に、一言答えた。



「本当に自殺だ。オモテ向きは、な」



マクレガーはそれだけ答えて、「そんじゃまた零時の鐘が鳴る頃に」と、後ろ手に手を振って扉の向こうへと去って行った。イルミに向き直り同じようにAの事を尋ねたが、彼もまた「何のこと?」と、いつもの嘯く表情を浮かべただけだった。









夜、マクレガーの指定した地点に集合するため、再び夜の学校へと私達は足を向けた。あれほど不気味に感じられた学校の暗闇が、私にはもうそれほど恐ろしいものでは無くなっていたのが驚きだった。きっと、その正体を全て知ったからだろう。

真夜中の零時を示す鐘が、三つ鳴った。

マクレガーは既に影に潜んで煙草をふかしながら私達を待っていたが、私達を見つけるとその火を携帯灰皿に消した。そして肩凝りを解すかのように首を鳴らし、なで肩を揺らした。「来たか。そんじゃま、行きますか、お嬢さん」と気だるさを隠さずに言った。


「居場所は知ってるんだよな。Aから聞いたのか?」
「いいえ、エラから」
「何だそりゃ。死者からの伝言ってやつか?」
「あれが夢じゃなければ、きっと」
「死後強まる念の一つってところか」
「念?」
「世の中にはそういうモンがあるのさ」



確かイルミも、そういうものがあるといつだか言っていた。イルミを見遣るが、彼はそれについては特に何も言わずにただ後を黙って着いてくる。



夜道を一人の少女と二人の影が進む。



あんなにも怖かった闇は今ではささやかにイヴの影を纏わる。木陰や、枯葉の音、ざわつく草木、月明かり、その全てが穏やかに感じられた。




「……どうしてなのかな」




イヴは一言、それだけを呟いた。
その意味は様々だろう。闇が怖くなくなった感覚を不思議に思っているのだろうし、同級生が友人を手に掛けたという事実や経緯も疑問に感じているのだろうし、そして土の中で眠るその友人を探しに今ここにいるということもまさにそうだろう。イヴは亡霊のような気持ちでただその場所まで歩いた。そしてその場所は直ぐに現れた。遠いようで、とても近い。


その場所は、何の変哲もないガーデンの一部。エラが指し示した場所はここだ。人通りも少なく、枯葉がまやかしのように撒かれ、雑然としている。一見何も無い。イヴは真新しい土の被さる地面へと膝を着いた。しかし、枯葉を手で退けると、そこには掘り起こされたような真新しい土の形跡が残っている。


マクレガーもイルミも、その周囲全てが無言だった。
ただ彼女の土を掘る音だけが静寂に轟くようだった。


そして、その手が、その足が、汚れる事も厭わずに少しずつ土を退けていく。虫が手を這うが、それにも何も思わない。ただそこに眠るはずの可哀想な友人が恋しくてたまらない気持ちだけがイヴを支配する。

そして僅かに、その臭いがした。死臭だ。

それでも土を払う。怖いけど、丁寧に、少しずつ。でもきっとここにいるから。助けてとあの子は言った。だから恐れることは無い。服の切れ端がまずは顔を出した。それを皮切りにまた掘ると、髪、指先、そして……。その子の遺体がそこにはあった。虫が這っているが、少しだけ肉が残っている。土気色の肌色。少しずつ蛆に喰われたその身体から漏れ出た浸出液が土を湿らせ、腐臭が立ち篭める。それでも、私は土を掘った。それでも、それでも。


「イヴ」


彼女の顔が土の中から覗いたところで、イルミが土を掘るその震える手を強く引き掴んだ。


「待って、イルミ」
「駄目」
「お願い」
「見つけただろ」
「私は大丈夫だから」
「もういいよ」
「あと少しだけ」


イルミは、これまでに聞いた事の無いような優しい声色で言った。


「もう十分だから」


イルミはそのまま私を引き掴んで抱き上げた。きっとイルミは、私が膝折れしてしまいもう立てないことに気付いていた。さっき、屋上から落ちた私を抱き留めてくれたように、そのまま横抱きに私を担いだ。



「イルミ」
「うん」
「イルミ、ねえ、私に触って」
「イヴ」
「手、握って。お願い。ここにいるって教えて」
「うん」


イルミの首元に顔を擦り付けて彼の体温を味わった。生暖かな36℃の体温を得たくてただ唇を首に這わす。泣きじゃくりながら、ただただ彼に甘えた。


「友達が死んじゃうなんて。殺されちゃうなんて思わなかった。でもすぐそばでそれがあった。大丈夫だって安心しきってた」
「うん」
「私の世界は安全だって思ってた。でもそうじゃなかった。違う。私はこっち、あなたはこっち、そんなのばかみたいだった。線引きなんて意味がなかったの。私もあなたも同じ世界に生きてる」
「うん」
「だから私とイルミは一緒にいる。でも世界が混ざり合う限り、誰かがそれを絶対的に許さない時が来るかもしれない。そうなってしまったら、私たちもいつか離れ離れになるかもしれない」


私とエラが生涯分かたれたように、生と死が私達を阻む日がいつか来るのだとしたら。


「もしかしてイルミもそうなってしまうの?ずっと傍にいたのにある日から突然いなくなってしまうの?いつものように連絡しても繋がらない、会いに行ってもいない、あなただけ永遠に時が止まって私だけが歳を重ねていく。いつかそんな日が来るの?明日も、明後日も、12年後も、その先も離れないでほしいのに、一緒にいてほしいのに、いつかお互いが独りになる。……そんな地獄が、いつか来てしまうの?」


少し、後悔してしまっている。
イルミと生きてきたこと、育ってきたこと、思い出があることも、それを忘れられなどしないことも。イルミ=ゾルディックは死に携わる人だ。そう生まれた限り、死は彼から離れない。けれど、もし死が彼を連れて行ってしまうことがあったらと思うと、やり切れない気持ちになる。

生物である限り、人間である限り、二人である限り。
折り重なったこの世界で生きている限り。

事実生まれてから死ぬまで共に生きていくということは、想像した以上に難しい。

イルミと分かたれる日が来るとしたなら。私はきっと後悔して、苦しんで、記憶を呪って、思い出を愛して、そしてまた後悔するのだ。


そんな思いをするくらいなら出会わなければよかった、と。




「それなら、二人で死ねばいい」


イルミは、ぽつりとそう言った。その声色に私は一瞬呼吸が止まったかのように喘ぎを引く。イルミは私の肩を痛いくらいに握る。痛かったが、何故かその苦痛に心地良さを感じ更に身を委ねたのは、私を求めるイルミのその静かな激情が生を感じる今唯一の方法のような気がした。


「後悔してももう手遅れだから」


病める時も健やかなる時も共に在るとあの日俺達は誓った。それは死が俺達を絶ったとしても永延に続く。約束は誓いであって呪いであってイヴへの絶対的な足枷だ。


「俺から離れるのも離されるのも許されない」


誓約と制約。イヴは今ユリ=ブレアが与えた生命を彼女の死の代償として生きている。それを終えるまであと12年、俺は今対価の二十年を支払っている。あの時約束しなければ、今俺達はどうなっていただろう。しかしもう全てが手遅れだ。世界は約束されてしまった。それ以上も以下も結果は他のものにはすり変わらない。


「ずっと一緒だよ、イヴ」


生きるなら共に、死ぬなら共に。正真正銘それを事実として証明していく。世界の終末まで。何十年掛けて、ようやくお前が死ぬ時となって、それは正式な解答として真実となる。

イルミ=ゾルディックは、イヴ=ブレアと共に生きたという解答を。



「うん」


その意味をわかってかわからずか、イヴは顔を見上げて頷き、にこりと笑った。泣き顔で腫れた瞼が普段より不細工だったが、雨雲が捌けた先の陽射しのような笑顔に、胸の詰まるような感覚を覚えたのはイルミの心臓だけだった。