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「招待状を拝借致します」

ページボーイは丁寧な様相で手を差し出した。それに応えるのは従事のルードヴィッヒであり、普段の青年らしいおどけた様子もなく、むしろ堂堂たる威容を醸している。ページボーイは受け取ると、手袋越しに招待状をなぞり、内容と自らのキャストブックにチェックインのサインをする。


「ようこそ、ミス・ブレア、御同伴のミスタ・デルフェンディア。中へお入りください」

ページボーイはにこやかに我々を招いた。






「ルーイってやっぱりパーティ慣れしてるのね」
「そりゃあ、俺もお貴族様ですし?」


先程の振る舞いに改めて感嘆を述べるとルーイはいつもの調子でニカッと笑った。忘れがちだが私も貴族の端くれである。が、私よりはこの青年の振る舞いのほうが私のそれより申し分無しのようだ。
普通、同伴は婚姻関係にあたる者とそれに準ずる者、もしくは親類者のみだが、ルードヴィッヒは遠縁とはいえ第三者にあたるため許可された。デルフェンディアもパドキアの名のある名家の一つだからという節もあるだろう。

敷き詰められた赤絨毯を進んだ通路の先には、ひときわ座喚く会場が開けた。パドキア国旗が掲げられ、シャンデリア、高砂の舞台、着飾った人々、美しいオードブルに、凛々しい配給者たち。

早速、イヴの元に、見慣れない中年の男が近寄ってきた。



「おお、ブレアお嬢さん。いやお嬢さんとはレディには失礼かなミスブレア。またもやお美しくなられましたな。今夜は、総統閣下はいかがされたのかな?」
「ご無沙汰しております、ダン事務次官殿。生憎父は急用で私が不肖ながら代行を申しつかることとなりました。父も兼兼、次官殿には軍兵舎造設の件で平素より御礼申し上げるように、と」
「今後ともよろしくと伝えておいてくれたまえ、ミス。今夜は美しいレディとともにこの建国記念を祝うことができるのだから酒がうまいな。いやはや、ではまた後で相手してくれ、泡の一つでも味わいながらね」
「恐れ入ります」




男が離れた地点で、上品な顔を崩し、かったるいのが始まったなー、とイヴはボヤく。そしてそれを皮切りに、総統代行の名の彼女へ聴聞客が押し寄せる。

百人余りの客、一人一人へ卒無く挨拶を回る彼女の言葉からは何一つ間違いはない。顔と名の一致、総統との関係性や個人的な趣味、性格、贈り物のお礼や家族構成、故人への偲びや、婚姻の話題には祝辞と両家の関係性、住居、はたまた誕生年月日まで。そのすべてに誤りはなく正解であった。つまり、イヴの頭の中には、招待客リストの客すべての情報が入っている。

これが彼女の鉾であり楯だ、と側で見守るルードヴィッヒは思った。

日常の端から覗くこの才能。記憶力、知能というべき発達。

彼女にはその知性の強い自覚はなく、疑問を持たない。ブレア総統が最も愛する娘の、最も信頼する頭脳。それが彼女の武器。




そしていずれ、アナウンスが式典の始まりを知らせ、彼女のもとに集った客らは各々自席へ去っていった。イヴは途端に酒をかっくらい、乾いた喉を潤す。


「お嬢、酒はほどほどに、」
「さすがに喋り倒しで疲れたんだからちょっとくらい許してよ」
「少しで我慢くださいよ。しかし皆様方に素晴らしいご挨拶でしたぜ、総統も鼻高々でしょうよ、報告はお任せ下さい」
「もう二度とやりたくないから全然駄目だったって報告しといて」


そして更にシャンパンをおかわりで喉に流し込んだ。このアル中さえなければ、とルーイは苦笑するのみだった。


ちょっともう少し飲みたいからバーカウンターに寄ろうとする私をルーイは特に止めなかった。お目付けのルーイのお許しがある限り飲んでやる、と意気込みながら椅子に腰掛け、ボーイからカクテルを受け取った。ペールエールのカクテルは口溶けよく舌に染みる。くうーこれこれ、と式典を他所に酒としたしむ私をルーイは呆れているに違いない。



ふと、隣。

一人の青年が、私を見つめていた。
その青年はイルミ=ゾルディックに負けず劣らずの長髪だが、彼とは真逆の白銀の髪色。瞳まで薄ら白い、色素も何もかもなくしたような容貌。端麗な顔立ちがその美しさを引き立たす。喩えるならば、白の男。

こんな男、招待客リストの中に居ただろうか。使用人にしてはドレスコードを守っており、こんなバーカウンターで椅子に腰掛けサボっているようには見えないが。

白い男はその薄い唇を開いた。


「君をながめながら飲む酒ほど美味いものはないだろうね」
「……嬉しいお言葉ですが、今の私には皮肉のようですね」
「まさか。心からの賛辞さ」
「光栄です。あなたのような殿方に酒を飲む姿を見られているなんて、私も襟を正して杯を掲げなくてはなりませんね」
「そんな必要ないさ。でも、是非このようなつまらない場でなく、もっと時間を気にする必要のない空間で御一緒したいな。ーー例えば、アーネンエルベの老舗でね」


アーネンエルベ。それはお嬢とイルミの行きつけの店だ。昨晩も二人で時を過ごした古店。その一言にルードヴィッヒは途端に警戒を強め、殺気を向ける。しかし、警戒をしたのはイヴも同様だった。ルードヴィッヒはイヴより一歩前へ出て、庇護の姿勢を示した。攻撃を受けたら流血沙汰は免れない。しかしお嬢を傷一つ付けられないのは俺がいるためであると示さなければならない。命を賭して護る下僕が側から離れないということを、この得体の知れない白い男に。



「……存外に軟派なんですね。あなたのような殿方が街の片隅の寂れた店を知っているとは思わなかった」
「僕も軟派くらいするさ、君のような美しい女性を前にしたらね。君のその壮絶な魅力には誰もが惹き付けられている。美と、理と、そして知性の渦の君に」
「どういう意味でしょう」
「そのままの意味さ」



カタ、と青年は立った。美しい真白の髪が揺れ、そして白銀の三つ巴を靡かせる。白に染まった其の男は、その白い瞳に映りこんだキャンドルの灯の先にイヴを見た。

今は未だ気付かない、イヴのその瞳の奥の彼女を。



「名残惜しいが僕はここで失礼するよ。またの再会を。……ああそれと大事なことを言っておきたかったんだ。彼は君には釣り合わないよ。君の思う通り、話は進めるべきじゃないと僕も思う」
「彼?一体、何の話、」
「君の仮の婚約者さ」


『仮の婚約者』だと。その一言が白い男の無気味さのすべてを語る。それはイルミ=ゾルディック。何故この男が彼を知っている?私と彼の関係性を知っている?彼と婚約関係にあったことを知った私が婚姻を拒否しているということを、『仮』と評したとしたら、何故それを知っている?それは昨日発生したアーネンエルベでの出来事。知っているのは彼とゾルディック家の強いて数名と、私と父とルードヴィッヒだけ。


「失礼ですが、あなたは誰」
「いずれわかるさ」


イヴの問いに肩を竦め美しく微笑し、白い青年は人混みに紛れ去っていった。

尾行や諜報員による情報の流出が有り得ないということは無いが、それはあまりリアリティが無いように思えた。イルミが気付かない訳が無い。そしてあの男は、私の知らない私を知っているようなーーそんな勘さえした。だからこそ気味が悪かった。
あの白い男は、一体。


「お嬢、もう酒を飲むのは止めてくださいよ」


男が去った後、その沈黙を破ったのはルードヴィッヒの一言だった。イヴは言われずとも、もう手を付ける気はまったくなかった。










イヴの剣呑を他所に、男が去った後も夜会は滞りなく遂行された。その後もイヴはひきりなしに政治家や軍幹部らとの交流を余儀なく行い、ルードヴィッヒも続けて警戒を怠ることは無かった。しかし、式も終盤に差し掛かる時刻となり、イヴは1つのことに勘づき、ルードヴィッヒへ小声で囁いた。


「何だかおかしい」
「どうかしましたかい」
「しばらく姿を見てない客がいるの」


数十分ほど前から、と付け足すと、ルードヴィッヒは顔を顰めて周囲を見回した。リストの客らがすべて頭に入っている彼女にはその違和感に勘づくことも出来るのか、とルードヴィッヒは思った。


「そう、ですかね〜」
「はっきりした人数はわかんないけど恐らく5-6人程」
「トイレでうんこでもしてるんじゃないんですか?」
「うんこって……それにしては長すぎる。あなたみたいな護衛を付けているのは私くらいだから、いない客がいる事に誰も気付かないのも無理はないけど」
「俺は貴女から離れない。なんで警備にあたりを巡回させましょうか。なにせ今夜は変な奴が彷徨いてる」
「そうね……」



イヴは眉をひそめて先程の白い青年を回想した。ルードヴィッヒが近くの黒服のシークレットサービスへ声をかけようとした時、

「うわッ!!」

突如会場の隅より男女混ざった悲鳴があがった。初め会場の多くの人々は、ちょっとしたトラブルだと視線を見遣るのみで声の方向へ注意を向けなかったが、どよめきと動揺は波のように拡がりはじめた。

「お嬢、」

人々がその場から下がろうと後ずさる中、イヴはルーイの制止を聞かず人を掻き分けその悲鳴の中心へ向かう。



三人の中年の男が壁に沿った椅子にもたれて座っていた。あれは確か父が汚職の疑いを向けていた部下だ。しかし皆座っていると形容するにはやや誤りがあるーー全身を脱力し、口からは唾液が垂れ、目は半開きにて既に死体となったそれは重心をうまく壁と椅子に頼っていた。それは異様な光景だった。外傷は見当たらず、一見病的なアクシデントのように見えたが、その死体の頭に光った隠されたように刺さる針には強く見覚えがあった。

「お客様、お下がりください!」

速やかにその死体に警備が張り、周囲に幕が張られた。担架が持ち込まれ幕とともに死体も会場を去った。その椅子の周囲には実況見分、検死の役割か、幾人かの業者が残るばかりであった。



「お嬢!こんなときに駄目ですよ、俺から離れては」
「……ルーイ、あなた」


後を駆けつけたルードヴィッヒにイヴは疑念の目を向けた。ルードヴィッヒはやべえバレたかも、というような苦虫を噛み潰したような表情でイヴは確信した。

これは殺人で、犯人はイルミで、協力者はルーイで、黒幕は父だ、と。


「どこまでなの」
「いや、うーんと、俺はなんにも知らないですけど」
「父に口止めされてるってことね。ルーイ、これ以上白々しい演技するなら許さないから」
「……他のターゲットは別室にいます。自白をさせてるかと」


これじゃダメか、とバツの悪そうな顔でルードヴィッヒは僅かに自白した。ルードヴィッヒはどうやらきつく口止めをされているに違いない、だから私には今はここまでしか話せない。父は、イルミは、この会場をどこかで見ているのだろうか。なんて奴らだ、娘にこんなことをやらせるか普通。


「その別室はどこ?」
「お嬢、詮索は駄目ですぜ、事には首を突っ込まないでください」
「騙したくせに、 」
「騙してでも貴女には傷付いてほしくないんです」


ルードヴィッヒは真正面に私へ向き合ってきた。先程まで私に薄ら寒い気持ちさえ抱いていたくせに、この若者はこういう時私へ情を訴えてくるからタチが悪いと思う。


「お客様方、今夜は緊急の事案が発生したため、これにて祝賀会は閉式させていただきます、つきましては……」とアナウンスが流れた。おそらく先程の男たちは死亡が確認されたのだと思う。多く説明はなされないまま客らは帰されることとなった。
しかし、私には知る必要がある。








「よくある話。国会に与野党があるように、パドキア共和国軍部にもボスの父への支持派と反支持派がいる。会場で殺された父の部下は後者だった。しかしそれだけなら父も殺そうとはしない、殺意を抱いた最たる理由は軍内部の汚職の担ぎ頭であったこと。汚職はその部下だけではなく複数。父自身自ら手を下すというのが本来の粛清だが、わざわざ式典の最中に殺害を企てたのは単に見せしめというところ?世間に公表して汚職を追求してもその先にあるのは社会的責任のみ。その汚職が命を賭して償う必要があることを知らしめる必要がある、父はそう考えた。依頼したのはゾルディック家。私を代行でこの式に行かせたのは、多分、自分がその場にいたら部下を暗殺から救助できなかったという責任を負わなければならなくなるから。予定の殺人を行うためルードヴィッヒが護衛兼同伴に就いたのは自分の目下の手下であり、私を騙しながら守るという点において扱いやすかったから。すべてにおいて暗殺の予定を知っているならば、仮に会場が混乱を来たした時でもルードヴィッヒは安全なルートを確保出来る。予定通り暗殺は行われた。責任は誰にも無い。でも予定外のことがひとつ。私にバレた。ーーこんなところ?」
「いつから気づいていたんですかい?」
「招待客リストをあなたに渡された時。その中になぜか会場の図面があった。招待客の私には必要のない情報のはず。それをわざわざ渡してきたというところから少し違和感があった。それと、殺人が行われた場所も。バーカウンターから最も離れた地点で、酒好きの私がバーカウンターを陣取るのを予測してたみたいな気がした。決定的なのはルーイ、あなたの大根演技。私より後に駆けつけたくせになんで何が起こったかわかってる風なのよ」
「ははー、もうそれは自分でも猛烈な反省点……」
「あの得体の知れない白い男の時はあれだけ警戒していたのに、トラブルが発生したときまるで起きることがわかっていたかのように警戒が緩くなったのも一因」
「いや、人間てのはわかってると演技しててもまったく本気出せないもんですね」



記憶にある図面を頼りに会場ビルの最も暗殺に絶好な場を考えた。ルードヴィッヒは掴まえた客の自白をさせていると言った、ならばおそらく閉鎖された空間であり防音対策のなされた部屋がもちろん好都合だが、それは図面のある一室しか思い浮かばなかった。それは屋上のテラス。ここは一般開放されておらず、大声で叫ばれても血臭が漂っても風がそれを掻き消す。この高いビルの屋上にわざわざ監視カメラを置くセキュリティチェックは多くないし、また設置を義務付けされた非常階段から監視の目を盗んで男達を連れて行くことが出来る。

帰宅を促すアナウンスを背に会場をこっそり後にし、エレベーターへ乗り込み、最上階へ向かう。
おーーーん。
エレベーターの無機質な機械音が今は恐ろしさを助長させた。


「お嬢、今なら引き返せますけど。むしろ引き返して欲しいんですけど」


ルードヴィッヒは渋った様子を見せた。


「行くったら行く」
「事なかれ主義の貴女はどこ行っちまったんですか」
「上手く利用されてハイそうですか、なんて、納得できない」
「利用したのは事実ですが、それは父君の愛と正義故にですよ。貴女を愛して信頼しているからこそ総統代理を頼んだ。そして正義を果たし組織の如竹をした。でもこんな血腥い事は、貴女は知らなくていいんです」



こんな世界がある事を知らずに生きていけと、ルーイは暗にそう言っている。でもその世界は私の常に傍らにあった。ゾルディック家もそうだし、私の父親もそうだ。ただ皆、沈黙を保っていた。


「ここから先は貴女が見る世界じゃないんですよ」


ルーイのその一言で頭を強く揺さぶられたような感覚がした。愛と平和の中で生きている私を、皆守ろうとしている。その通りかもしれない。というか、きっとそうだ。蛙は井の中にいれば良いのだ。でも、私にはそれが今、なぜだか悲しい。





最上階に到着したことをエレベーターは示した。エレベーターから降り、そこから先、廊下突き当たりの非常階段を掻い潜って暗闇を進む。屋上への階段は埃っぽく、ぞんざいに物が放置されている。しかし床をよく見ると、埃を削った跡が残っている。真新しい。誰かがここを通ったことを示している。

一歩、一歩と、進む。その先にいる彼はきっと私とルーイの気配に気が付いている。無機質な鉄の扉が終着点として聳え立つ。そして、ドアノブを回し、重く厚い扉を開いた。






「アアアわたくしはァ、 ぱどキア軍部の副幹事のたちばを利用してェ、災害地トカ発展途上国トカの派遣先でェ、ちっちゃなオトコの子を買ってェ、きき気持ちよくなったりしてまし、た。ダッテ、最新の銃とか、戦闘機とか売ると、イッパイ用意してくれててえ」
「ワータクシはぁ、口車にのせられただけけけ、ですゥ。オイシイ話があるからってェ、金をチラつかせてくるからー。ダレダッテそうでショ?だかラちょっとばかし、経常収支をイジッタだけ!ゆゆゆゆるしてくれよおお。あ、チナミに、もらったカネはオンナにつかってマス」
「オレは人類をモットモットよくするための人造人間へガンバって投資しる!これがマタ金がかかるんダダ。派遣先でちょーたつした人間を切ってツナゲたり遺伝子交配させタリ、医療ぎじゅつはニッシンゲッポ!パドキアのためにもなるよ!だーのにブレアのクソ野郎は小煩いんだ、エラそうに!」




手足を縛られた軍幹部らが各々自白をしている。いや、自白をさせられている。彼らの頭蓋骨には鋲がありありといくつも刺されていた。涎をたらしながら、白目を剥きながら、それでもその劈くような醜い自白の大声を上げる。畏れていた生理的な吐き気が迫り上がる。


「お嬢、どうか目を閉じて」


ルードヴィッヒが私を背中から包んだ。そして耳を塞ぐ。私にはその一時の温もりと静寂が必要だった。正直、ありがたかった。ありえないと思った。イルミや父やルーイが私から隠していた世界がこれだ。それを今日初めて本当の意味で理解した。


「ルーイ。ごめん。へいき。手を離して」


そして思った。私は愚かだったと。無知の罪を知った気がした。
ルードヴィッヒは心配そうに私の顔を覗き込んだが、命令に従い、耳から手を離してくれた。それと共にまたこの世界が耳に届いた。

そして影から、彼が現れた。


「ルードヴィッヒ、どういう事。イヴを連れて来るなんて」


開口一番に、イルミ=ゾルディックはルードヴィッヒを責めた。


「あー、イルミの旦那、これにはふかーいワケが……」
「イルミ、私が無理言ってここまで来たの。ルーイは止めてくれた。怖かったけど、でも、なんとなく、知りたかったの。その必要があると思った」
「イヴ、どうして」
「っていうか、利用されて喜ぶ人がいる?イルミもルーイも黙ってるなんてあんまりよ。そんで利用されてるのを知ってそのまま知らんぷり、見過ごすなんて、無知の知も良いところだし、」
「落ち着いて」
「黙って、聞いて。私は、私の世界を知っていると思ってた。他に私の知らない世界があるとわかってた。知らないことを知っていると、高みの見物をしてた」
「イヴ」
「でもそんな私を皆が知らない世界から守ってる。これってヘンだよ。蚊帳の外だし、籠の鳥だし、井の中の蛙だし。そう望んで生きてたのは私だけど。私が悪いんだけど!」
「悪くないよ」
「違う!悪かったの!私の代わりに、父もルーイもイルミもそっちの世界で生きてきたのかもしれない。私が幸せである時に不幸になってる人があなた達だとしたら、」
「イヴ、それはないよ。俺達はこうあることを望んでる。ただその先にお前の幸せが繋がってる、それだけだけど」
「でも!イルミ、わかってない!だから、」


それでもあーだこーだ言う私に、イルミは、ツカツカと私へ一直線に向かってくる。一瞬、黙れカスと顔を叩かれるかと思ったが、そうではなくイルミは私を骨が折れそうなほど抱き締めた。いつもの彼の匂いが、緊張に支配されていた私を解す。

イルミは耳元でささやいた。


「怒ってる?」
「怒ってない。ただ……」


ああ、ごめん、イルミ。ちょっと八つ当たりしていたかもしれない。利用されて本当は怒ってなんかない。でも、いつもイルミがいう『仕事』っていうのがこんなことだと初めて見て聞いて実感して理解して、怖くなったのは事実だ。でもそれと同時に、一番許せなかったのは、能天気な私。そして二十年もの間守ってくれていたあなたも、少しだけ許せない。


「ただ少し、自分が情けないだけ」


私は弱者で何も出来ない女なのだと、言われているようで。
でも怒っているのは私にだ。知っているフリで知らなかった、それでいいと思ってた私自身にただ憤りを感じた。


「私は、塔の上で守られるようなお姫様なんかじゃない」


その言葉にイルミは顔を見合わせて、少し笑った。「知ってるよ」、と。私の茶髪を撫でて、その髪先に唇を寄せる。まるで恋人の扱いのようなことをしやがる。


「だからイヴがいい。早く結婚しようよ」
「それとこれとは話が別だから」


というか、こんな所で結婚を催促してくるな。その後ろではイルミの念で自白をまだ延々と続けている男たちの絶叫がバックミュージックで流れてるんだぞ。全然その気にならないわ。


「……あのー、俺いるんですけど。イチャつかないでくれません?」


ちょっと存在を忘れかけていたルードヴィッヒが後ろから挙手をした。そして私は慌ててイルミを押し退け離れた。


結局その場であるが、イルミはゾルディック家として父から金銭を受け取り依頼を受けたものであるので、私は干渉をしない事が是と思い、自宅へ帰ることとした。利用したのは父なのでとっちめてやろうと意気込み、その場を去ろうとした時、イルミが声を上げた。


「あ、そうだ」
「え?」
「ドレス。綺麗だよ」
「……あ。う、ん」


そういえばそんなものを着ていた。そしてあまり長所を指摘することをしないイルミが、私の頭の先から爪の先まで眺めて、ただ一言褒めてくれた。きっと本当にそう思ったのだと思う。そして、私は先程とは別の意味で緊張に体を強ばらせ、体が熱くなったのを感じた。

いやいや、ドレスって言ったし。私じゃなくてドレスのことを褒めたのだ、きっと。あぶない、ほだされかけた。その手に乗るもんか。