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「おかえり、イヴ、愛する娘。ドレス姿が美しいね」
「いやおかえりじゃないし。何か言うことはないの、父様?」
「ああ、そうだな、疲れたろう?私の代わりに仕立てて申し訳なかった。お前に癒しを与えるべく月光を寄る辺に詩でも歌おうか。じゃあ聞いてくれ、題名は『娘よ、我が手の中で眠れ』」
「すっとぼけがハンパないんだけど何この人」


総統官邸兼自宅へと向かうと、すでに父のエドワードが総統執務室に帰宅していた。問い詰めようとする私をにこやかに迎え入れるも、有無を言わさずの雰囲気を醸し出していた。


「隠さないで、父様。私、知ってるし、見てきた」


汚職をしていた軍の人達をイルミは自白させてた、それは私の見てきた世界ではありえない方法で。察したか、父は穏やかな表情を変えた。


「イヴ……、すまない。危険がないように、そうならないように、シルバの倅にも、そこの下僕にもちゃんと言っておいたんだが」
「ひい、総統ごめんなさい」
「この子は悪くない、私が首を突っ込んだの。父様にいいように使われて、一言文句言うには知らなければいけないと思った」


ルードヴィッヒは怯えて土下座せんばかりに即座に謝罪したが、私は彼をもちろん庇った。本当に父は、私以外の人間に死ぬほど冷たい。
エドワードは改めて言った。


「醜い現場を見せたくなかった。だが、ユリが愛し築いたこの国を護るため、私は正義として悪を討たなければならない。これまでもこれからも。だがお前は知らぬ世界にいなさい」
「それはわかってる。でも知らなくていいなんておかしいと感じたの」
「イヴ。世界には知ってはならない事もある」
「そうだと思う。でも知は武器にも成る」
「だが余計な知は守りにはならない。知っているというだけで恨まれ、憎まれる」
「守られているだけでそれで満足してなさいってこと?」
「理解れ、イヴ。お前は守られないとならない。私の娘である限り、ゾルディックと関わりがある限り、それは絶対だ」
「じゃあ、親子の縁でも切る?」


ここで空気が一変した。ルードヴィッヒが、お嬢それは言うたらアカン、と息を呑んだのを感じた。


「それは、絶対に、駄目だ。親子の縁を切るならお前を殺す」


産まれて初めて、父が私に激昂する様子を見せた。これは禁句だったようだとわかっていたが、つい口から出てしまった。ていうか我が子を殺すってなんて物騒極まりないのだ。この国の行く先はこんな人が一旦を担ってるのか。


「お前は私の世界だ。お前がいなくなれば、私はいないも同義。私とユリの愛の結晶、そして世界のかなめ。殺したくないが殺して私も死ぬ」


愛が重すぎてドン引きした。そしてここで、私の反抗は終わらせなければならないなと思った。


「……冗談だから、ちょっとだけやり返したかっただけ」
「私がお前を守る理由はただこの愛一つ。だから冗談でもそんなことを言うな。この件で嫌な思いをしたかもしれないが、私は私の方法でお前を守る。だからイヴは守られていて欲しいんだ」
「父様、」


でもそれじゃあ、あんまりじゃないか。守ってくれるのは結構だが、どうやって?その手を何度も何度も汚して父自身さえも危険に曝して守るのか?イルミもルードヴィッヒも?私はそんなことをして欲しいんじゃない。


「私はただのお貴族の娘なんかじゃない。塔の上でため息をついてるようなお姫様なんて嫌なの」


私の言葉に、何故だか驚いた顔をした父が珍しくてなんだかおかしかった。


「イヴ、お前はユリに生き写しだ」
「え?なんでそこで母様?」
「話すと長くなるが、」
「じゃあいいや」
「いや聞きなさい。かつてパドキアが王制時代にて政権を布いていた頃だ。貴族のユリは暗殺家業のシルバと古くからの慣習と両家の利害一致関係から所謂許嫁、」
「いやいいって言ってるのに……あー、私もう疲れたから寝るから。おやすみなさい!」


本当に話が長そうなので慌てて話を切り上げて執務室を飛び出した。ルードヴィッヒを置いてきてしまったが、きっと彼が話を長々と聞いてくれるに違いない。私は自室へ戻り、ドレスを脱いで化粧も落とさずにそのままベッドへ寝転んだ。

イルミは、まだ、父が依頼した『仕事』中なのだろうか。

ぼんやりとケータイをみつめ、彼に何か連絡しようかと思ったが、何を伝えればいいのかわからず私はそのまま眠りに入ってしまった。



(本当、お間抜けさんなイヴ、なんにも知らないで幸せね)



夢の中で、誰かが私を馬鹿にした。それは私の声であった。私とは別人であり、また私自身のような気がした。








「お嬢ー、手伝ってくださいよぉ、終わんないですよこんなのぉ」
「がんばルーイ」
「ケチお嬢。……今に目に物見せてやりますから、本当」
「やってみろってんだ」

ルーイは父からの言い付けの、顔まで隠れるほど溜め込んだ書類整理をしていた。私はその横でテレビを見ていた。




その後、イルミに何かしら連絡しようかと思っていたがかれこれ一週間経過してしまった。なんて言えばいいのかわからなかったからだ。イルミからも何度かメールがあったが、これも同様になんと返信したらいいのかわからず放置をしていた。私が返信をしないのは度々あることだからきっと気にしていないだろう、と思う。

私、興奮に任せてちょっと恥ずかしいことを言ってしまったんじゃ?なんだかドラマチックくさい台詞を何度も言ってしまったような気もする。こういう場合の後日ってどういう会話を皮切りにすればいいのかわからず、ネットフールでひたすら恋愛ドラマをプールしていた。でもドラマではうまく編集されていて、その後の気まずさを掻き消すようなうまい会話はあまり無さそうに思えた。……というか正直に言うと恋愛ドラマにハマってしまい外出がクソ面倒なのが最もの理由だ。

自室でごろごろしながら煎餅をたべつつテレビ。なんて幸せ。


『私、太郎さんのこと好き』
『花子さん……』
『でも、恋とは違うの』

「おおっ、そう来たかぁ」


あれだけ太郎のことを引っ張っておいての花子のこの答えには、つい声が出てしまった。そしてしっくりきた。そう、これだ。私のイルミへの気持ちはたぶんこれだ。好きだが、愛や恋になんてならない。

でも、まて、うん?私、はからずも、花子と同じような事をしてきたんじゃないか?気を引くつもりもないのに、花子のように彼の部屋に入り浸ったり、髪をいじったり、料理したり、時には戯れたりもした……かもしれない。花子の行動そのものじゃないか。なんということだ。


『ひどい、花子さん、僕に言ったじゃないか』
『太郎さん、やめて』
『愛していると言ったのは嘘だったんだね』
『忘れたわ。昔のことなんて』

「そう、覚えてないんだよねぇ」


結婚の約束ってやつを。私は物覚えの良い方だと思っていた。なんなら三歳頃の記憶もあるが、これだけは思い出せない。その時の母の三回忌のことならうっすら思い出せるが、イルミとの婚約に至る重大なエピソードはすっぽ抜けたように記憶にない。それでも強く思い出そうとすると、なぜだか、頭がガンガンと痛くなってくる。

『あなたがただ私の傍にいただけ、私はそんな気持ちなかった』

花子のクソ加減がだんだん私とリンクしてきたところで、ドラマを観るのを止めておいた。ドラマというのは人様のこじれた人間関係を客観視して楽しむことが目的であって、これ以上は胸が苦しくなるような気持ちで見るもんじゃない。




「あー……やることがない」
「だから。それなら総統の書類整理手伝ってくれませんかね、お嬢」
「やーだー。ルーイの仕事じゃない、それは。この間の件の父からの罰なんでしょ。ざまーみろー」
「うわ、もう、酷くない?親子揃って、ホント、デーモン親子」
「なんとでも言ってなさい。年下の癖に私を騙すからですー」
「いつまでもドラマばっか見て、ニートじゃないですかニート!」
「ニートの略を言えたら手伝ってあげる」
「え!?」


そして「えっと、確か、ノット、え、エデュケーション……」と考え込み始めたルーイをよそにチャンネルを回していると、ピローンとケータイが鳴った。手に取ると、フロムイルミからであった。


『婚約指輪 買いに行くよ』


いかねーよ!?
思わず声に出してツッコミしてしまいそうなところをぐっとこらえた。そしてこのメールも既読無視しようと決め込んだ。むしろ見なかったことにして消した。


「ああ、くわばらくわばら……」
「何消してんの、メール」
「イッ!ルミさん、なんで!?」


いつの間にかソファの背後にイルミが鬼の形相のような無表情で立っていた。我が家のセキュリティはたとえ家人であっても認証がないと入れない筈だ。思い当たるのはルーイだ、ちなみにルーイは駐在武官のため訪問者に認証し招き入れる権限を持っている。横目でルーイを見ると、薄ら笑いを浮かべていた。コイツ、目に物見せてやるってこのことか!と合点がいった。


「おっと、こりゃイルミの旦那、こんにちは」
「な、なんて白々しい!なに勝手に入れてるのよ、ルーイ!」
「何、イヴ、なんて言った?俺が入っちゃ駄目だって言うの?」
「ぐっ……べ、べつに……」
「言ってごらんよ。なんで駄目なのか」
「だ、だってほら、父からウチの敷居を跨ぐなって、言われたじゃない?」
「え?言い付け守ってるよ、俺は。今はエドワードさんいないし」


イルミこいつ、自分の都合のいいように曲解してる。父がいない時は敷居跨ぐのオッケーだとでも思ってんのか。超理論展開するな。


「さ、行くよ」
「行くって、どこに」
「指輪。買いに行くってメール見たろ。消してたけど」
「ゆ、指がすべってつい、ね」
「ふーん。まあいいけど。早く支度して」
「えーっ」
「支度が嫌?まあそのままの格好でいいなら、別に俺もいいけど」


支度が嫌で渋ったんじゃないし。指輪をガチで買いに行こうと強行するあなたに不遜の姿勢を示したのに、全然わかってないし。もはやこの部屋着のスウェット姿でジュエリー店へ行ってやろうかと思ったが、そんなことイルミにはどうでもいいことみたいだから効果は無さそうだ。


「お嬢〜、いいなあ、羨ましいなあ、女の憧れですもんね指輪って」


クソ、黙れ、ルードヴィッヒ。
結婚どころか婚約にも納得してない私を知ってのこの言動、これは後で成敗せな気が済まない。後で見てろよと目線で威圧を配ると、おどけたようにルーイは肩をすくめた。



イルミが見張る中、渋々、本当に渋々、支度をした。

きらびやかな指輪を買いに行くというのに、これほど陰鬱な表情の女はいないだろうと思った。世界一憂鬱である自信さえあった。こういう時に最後の砦の父は不在だった。こういう時に全力で守りなさいよ、と願ったがそれは届かぬなんちゃらというものだった。