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イヴとイルミが遂に恋人から関係を始めることとなる、その昨晩の事。ゾルディック家総本山ククルーマウンテン。その霊峰のどこかにある屋敷のどこかの一室。


「父さん」
「来たか。まあ座れ」
「うん」


ゾルディック家長のその一室をイルミは訪問した。電話にてスワルダニシティで依頼された案件についてイルミがシルバに報告書を渡すと、まあそんなことはいいから、とばかりにシルバは受け取った報告書を脇に置いた。そして、ゴトーか誰かにあらかじめ用意させていたのか、スコッチ・ウイスキーの入った年代物の瓶を取り出し、杯を二つ並べる。


「え、飲むの?」
「たまにはいいだろう」
「突然どうしてまた」
「父と息子で酒を交わすのに理由が必要か」


まあこの父親に関しては、必要っちゃ必要な気がするけど。
突然のサシ飲み。またこの父親の気まぐれか、特に拒否する理由もないし、美味いウイスキーならば付き合ってやらなくもないが。

シルバは自らウイスキーを杯に注ぎ、イルミへ手渡した。イルミも返杯をしようと手を出すと「いや、いい」とシルバは制した。


「また毒でも入ってんの?」
「入ってねえよ。こんな日に野暮だ」
「こんな日って、何があったっけ」
「イヴへ結婚を申し込むんだろう」
「ああ、そのこと」


でも結婚するのはずっと前から決まってたし、と付け足すとシルバは微妙な顔をした。何か変な事を言った訳でもないのに、イルミへ難色を示すようなその眉間には皺がよっていた。


「何?」
「……まあ、いいだろう。まずは乾杯だ」
「はい乾杯」


杯を掲げ、まず二人は一杯目のそれを飲み干した。年代物とあり、芳醇な味わいのあるスコッチ・ウイスキーにはシルバの言う通り毒などの不純物などは混入しておらず、ただ美味だった。


「それで?イヴは結婚を承諾したのか」
「とっくの昔に承諾してる。六歳の時に俺達がその約束をしたのは父さんも知ってるでしょ」
「イルミ、お前なあ、そうじゃないだろう」
「いやそういうことでしょ」
「イヴ、ド忘れしてたんじゃないのか、それ」


ぴくり、とウイスキーを口にするイルミの手が止まった。シルバはおかしそうに「図星だろ。これまであの娘の方からそんな話出たこともなかったからな」とニヤついた。
確かに、結婚の約束をはじめて引き出した時の彼女は、そんなことは記憶になくまったく初めて聞いた、といった態度であった。彼女が本当に忘れていた、そんな事あるのか?あの遥かな記憶能力を持つ彼女が。

ーーイルミはここで初めて、イヴへの違和感に勘づくこととなる。


「それに、イヴはそもそも鈍いしな。お前みたいな男が女を傍に置くことの意味にまったく気付いちゃいない」
「うるさいな」
「だがイルミ、お前もお前だ。そんな十何年も前の約束を盾にあの娘を縛ろうとしてるのは見苦しい。男らしくない。そんなことをしてると誰かに奪われるぞ。指輪を買いに行くと連れ出したはいいものの、イヴに逃げられたくせに」
「なに、イラつかせるためにわざわざ俺を呼んだわけ」
「そうじゃねえよ。お前には俺のようになって欲しくないだけだ」
「は?」
「なあ、イルミ。親子ってのは似るんだな。そして繰り返す」


意味わかんないんだけど、と抗議をするイルミを余所に、シルバは着物の胸元から何かを差し出した。紅い子箱だ。まるで指輪でも入っているようなサイズのそれに、イルミは目を真ん丸に見開いた。まさか実父からそんなものを出されるとは思ってもみなかったことだったからだ。


「何、これは」
「開けてみろ」


その言葉の通りに紅い箱を開けると、蒼い石の飾られた白金の婚約指輪がそこに鎮座していた。


「婚約を申し込むならこれをイヴへ渡せ。きっと受け取る」
「は?何で?いい値段はしそうだけどちょっと古くさいんじゃない、一昔前のデザインだし」
「それはユリの遺品だ。まあ、俺が昔、ユリに贈ったものだが」


イルミは言葉を噤んだ。ユリとは、イヴの死んだ母親だ。


「ユリはこうなるとわかっていて死んだのかもしれないな。分かたれた運命の先に、自分の娘と、俺の息子が、どうなるのかを」
「……よくわからないんだけど」
「酒の肴だ、話してやる。お前達が産まれる前。俺と、エドワード=ブレアと、今は亡きユリの間にあった、昔話だ」



そして俺は、俺の産まれる前の、父の話を聞くこととなった。パドキアがまだ共和国でなく王政時代であった二十八年前。それは激動の時代を駆け抜けた父たちの、戦争と青春と愛と後悔の話だった。





「ーーと、いうことだ。それはお前からイヴへ返しなさい」


話を終えたシルバの手元のスコッチ・ウイスキーの瓶はもう既に空であった。イルミはただ話を聞き入り、最後に指輪を受け取った。確かにこれは、ユリの遺品であり、シルバの預かり物であり、イヴの元にあるべき指輪だった。

イルミがシルバの部屋を去る時、「おい、伜よ」と最後にシルバは声を掛けた。



「嘗ての俺のように胡座をかいてると、あっという間に誰かにカッ攫われるぞ」
「わかったよ」
「イヴが欲しいならベストを尽くせ。あれはユリに似ていい女だからな」
「父さん、飲み過ぎ」
「あ、この話はキキョウにはするんじゃねえぞ。家族内司令だ」
「はいはい」



そしてイルミは自室に帰り、月夜に照らして蒼い指輪を眺めた。
『百合と永遠に』と刻まれたそれに、まさかあの父親にも自分と同じように情愛を滾らせた経験があるなんて、しかもそれが彼女の母親だなんて、運命の悪戯なんて陳腐なものがあるんだなと回想した。


イヴに会いたい、と理由もなく思った。


明日朝一番で彼女に会いに行こう。そして今日の小言の一言二言くらいは言わせてもらう。その後で指輪を渡そう。きっと彼女は戸惑うし、拒むかもしれない。しかし、そうすべきだと、どうしてかイルミは直感していた。