今朝、父と兄に起こされたせらは少し咳き込んでいた。甚爾が熱を測るが体温は彼女の平熱の範囲だったので、そこまで気にしてはいなかったのだが、その後の朝食時いつもならにこにこでご飯を食べるのに今日はあまり手が進まない。いつもと違う娘の様子に母は少し嫌な予感が胸の中を渦巻いた。
「せら〜、ごっくんするの痛い?」
「いたい、……」
「そっかそっか、無理に食べなくてもいいよ。お茶は飲める?」
「ちょっとだけ」
「じゃあちょっとだけ飲もう」
いつもの元気な姿とは打って変わった妹の様子に恵も津美紀も少し心配そうだった。
今日は平日。いつも通り甚爾は仕事で津美紀は学校、恵とせらは幼稚園。だがこの状態で幼稚園に連れてくのは少し気が引ける。体の強い子であれば別だが、せらは病気にかかると悪化しやすく、そのスピードも速い。もし幼稚園で体調が悪くなってしまい、症状が酷くなってしまったら心配だし先生方にも申し訳ない、せらもゆっくりするなら家の方がいいだろうと思った母は幼稚園を休ませることにした。
「歯磨くぞ」
「ケホッケホッ」
「せらちょっと苦しそうだね、今日は幼稚園おやすみしよっか」
「コホッ、ぅん」
「行くぞ」
「ケホッ……おとうさん、だっこ、」
「ほら」
「先にうがいしろ」
「ん……ゴク」
「飲むんじゃねぇ、吐き出せ」
「いたぃー」
「飲み込まなきゃ痛くねぇよ」
「せらおくちあけて」
「ん……ぁ」
「くちゅくちゅペーってするんだよ」
「ん……ぺっ」
「おりこうさんだね」
「ん……」
「歯磨きするぞ、口開けろ」
「ぁ」
「もうちょい開けろ」
「のどいたいー……うぅ」
「歯磨きしたら休めるから、さっさと終わらすぞ」
「ぐすっ……うん……」
「……はい終わり、うがいしろ」
「うん……」
「寝るか?」
「ねる……」
「恵、ここでちょっと待ってろ」
「わかった」
甚爾がそのまませらを抱えてリビングへ戻ると母と津美紀が洗い物をしていた。
「あ、甚爾くん、一応お布団敷いたけど、どうする?」
「寝たいらしい」
「そう、それじゃ寝かせてあげて!恵は仕上げした?」
「まだだ」
「じゃあ私してくるよ、せら寝かせるのだけお願い」
「あぁ」
甚爾がせらを抱き直すとぐったりと胸にもたれかかる。荒い息が少しずつぐずりに変わった。
「おとうさん……あたま、いたいの……グスッ」
「泣いたらもっと痛くなるだろ」
「ふぅっ……うぅぅ……」
「わーったわーった、ほら泣くな」
「いたいのぉ〜……グスッ……ゲホゲホッ」
寝室の襖を空け布団に寝かせようとするが、甚爾の服を握りしめた手がなかなか離れない。
「うわ、熱あんじゃねえか」
「ぅぇぇ……ヒック……ゲホッゴホッ」
「ほら、布団入れ」
「んぅ……ゲホッゲホッ!」
「ありゃ、もしかして熱上がってる?」
「あぁ、だいぶ」
「そっか〜、せらー?寝んねしよう?ちょっと楽になるよ〜」
「うぅぅ〜やだぁ〜……ヒック」
「でも喉痛い痛いなんでしょ〜?」
「ふぇぇ〜ん……ゲホゲホッ」
「ん〜困ったなぁ……」
「寝かせたら落ち着くだろ」
「そうだといいけど……そうするか。甚爾くんもうお仕事よね?お弁当ご飯だけまだ詰めてなくて」
「それやってそのまま仕事行くわ」
「ごめんね、ありがとう。じゃあいってらしゃい」
「あぁ行ってくる」
疲れたのだろう、ようやっと甚爾の服を掴む手を離したせらをそのまま布団に下ろす。
甚爾を寝室で見送った母はせらに持ってきたマスクを付けないか提案することにした。出来ればして欲しいけど強要するわけにはいかない。
「せら〜咳辛いね、マスクしてみてほしいんだけど、苦しいかな〜?」
「ううん、……グスッ、ゲホゲホッ……」
「横になるか座るかどっちがいい?」
「おかあさんとぎゅってしたい……コホッ」
「そっかそっか、じゃあおいで〜」
「うん……」
せらを自身の膝に座らせて、背中をとんとんと叩く。
「今頭痛い?」
「うん……いたい……」
「そっか〜、じゃあ今は寝てよっか。寒くない?」
「ちょっとさむい……ゴホッ」
「毛布持ってくるね、ちょっと待っててくれる?」
「やだぁ〜おかあさんいかないでぇ〜……ゲホッ」
「大丈夫大丈夫行かないよ〜、とんとんしてあげるからちょっと寝よっか!」
「うん……ねる……ケホッゴホッ」
ずっと続く咳で体力を消耗していたのかせらは話しながら寝てしまった。これでは毛布を取りに行けない。
「お母さんせらだいじょうぶ?」「だいじょうぶ、?」
「大丈夫!今寝たところだよ〜」
「そっかよかった!」
「津美紀髪結ぼっか!ゴムと櫛持ってきてくれる?」
「分かった!」
「恵、こっちおいで」
「うん、」
「今日ねせらは幼稚園お休みするんだけど、恵はどうする?もちろん行っても大丈夫だよ!」
「せらがしんぱい……」
「優しいお兄ちゃんだね、じゃあ今日は休んで三人でお家いる?」
「うん、そうする」
「そっかそっか、じゃあそんな優しいお兄ちゃんに頼みたい事があるんだけどいいかな?」
「!、うんいいよ」
「押し入れから毛布持ってきてくれる?下の段に入ってるやつでいいから」
「わかった、もってくる」
「ありがとう」
恵に毛布を頼み、せらを気づかれないようにゆっくりと布団へ寝かした。
「お母さんっゴムとくし持ってきた!」
「はーい、じゃあここ座って〜」
「ありがとう!」
「今日の服とっても可愛いね」
「でしょ?今日はせらがかわいいって言ってくれたおようふくにしたの!」
「そっか、うんうんとっても似合ってるっ」
「ふふっ、ありがとう!せらよくなるといいね」
「そうね〜……はいできた」
「ありがとうお母さん!あ、あらいものやっておいたよ!」
「え!?ありがとう津美紀〜、とっても助かります!」
「えへへっ、よかった!じゃあ行ってくるね!」
「うん、玄関まで行けなくてごめんね〜、行ってらっしゃい!」
「ぜんぜんいいよ!せら、おねえちゃん行ってくるね〜」
そう言ってせらのそっと頭を撫でて、寝室を出ていく。家事も手伝ってくれて頼もしい姉だと母は思った。
それと入れ替わりで恵が毛布を持って入ってくる。
「はいどうぞ」
「恵ありがとう〜助かりました!」
「いいよ」
恵がせらに毛布をかけ、寂しそうな悲しそうな表情を浮かべる。
「大丈夫、良くなるよ」
「、うん」
「お母さんちょっと幼稚園に電話してくるからせら見みてくれる?」
「いいよ」
「ありがとう」
恵の頭を撫でて、換気の為に掃き出し窓を半分開けてから部屋を出る。まだ風邪とは決まっていないけどとりあえず病院には行った方がいいだろうと思い、幼稚園に連連絡をして寝室へ戻った。
「恵〜?」
「なぁに?」
「今からせらと病院行こうかなと思うんだけど、恵も一緒に行かない?」
「いく」
「ありがとう〜じゃあ準備しよっか!」
「うん」
「お着替えしましょ!」
「うん、じぶんでできるよ」
「うんうん!流石だねっ」
「うんっ」
恵が着替えをしている間にせらの服を替えようと体を動かすとせらが目を覚ました。
「せら〜起こしてごめんね、お着替えしてもいい?」
「、うん、」
「ありがとう!」
「びょういんいくの、?ケホッ」
「うん、早く行ったら良くなると思うの。いいかな?」
「、ぐすっ、やだぁぁ……ゲホゲホッ」
「ごめんね〜。でもお医者さんがせらが苦しいって言ったところ治してくれるかもしれないよ?」
「、ぐすっ、ん〜……」
「せらおにいちゃんもいるからいっしょにいこ?」
「、ふぅっ、……ん、」
兄に頭を撫でられ嬉しい半面、苦手な病院に行かなければいけないという葛藤でせらの表情は暗い。
「はい着替え終わりだよ〜」
「ケホケホッ、ん……」
「きがえおわったよ」
「早いね!」
「うんっ」
恵が着替えた服を持ち、母が掃き出し窓を閉めてせらを抱っこしリビングへ移動する。
「ふくかごにいれてくる」
「ありがとう!よろしくお願いします!」
二人分の服を恵にお願いして、母はせらをソファに寝かせ、病院へ行く準備を始めた。そうはいっても大して荷物は無いし、持っていくものも決まっているのでささっと準備をし終える。
「よし、それじゃあ行こっか」
「ゃ、やっぱりやぁぁ」
「でももっと痛くなったらせらも嫌でしょ〜?」
「やだけどびょういんもやぁぁ」
母がソファのそばにしゃがんでせらを説得するもぐずり泣き出してしまう。毎度のことではあるがどうしようかと母が悩んでいた時、
「しろとくろもいっしょにいってくれるって」
「ぐすっ……そうなの……?」
「うん。それでもいや?」
「……だって、ぅぅ」
「じゃあびょういんいけたらおにいちゃんたちがえらいえらいしてあげる」
「ひっく、……ほんと、?」
「ほんとだよ」
「……やくそく、ぐすっ」
「はい、やくそく」
恵が犬のぬいぐるみと自身の指をせらの小指に当てる。母がせらを説得している間、寝室からぬいぐるみを持ってきた恵がせらを説得したのだ。
母は思った。──うちの子賢い。
「良かったね。それじゃあ行ける?」
「ぐすっ、……ぅん」
「せらはえらいこだね」
「えへへ、コホッ」
恵から手渡してもらった犬のぬいぐるみの白をぎゅうと抱きしめたせらを抱き上げて頭を撫でると、真っ赤な顔に涙を浮かべながらもにこりと笑った。
「おかあさん、かばんもつよ」
「ありがとう恵!お願いします」
「うん」
鍵だけ取り出して鞄を恵に預ける。大人用のハンドバッグは恵が持てばアンバランスに映る。しかし、よいしょと自身の肩にかける恵のその姿がなんとも可愛らしかった。
玄関を閉めて車に乗り込む。白をぎゅっとしていたいというせらの要望に応え、母はチャイルドシートに乗せシートベルトを閉めた後、恵が持ってくれていた白をせらに渡した。
「それじゃあ出発しますよ〜」病院までは少しかかるけどそう遠くは無い。エンジンをつけ換気のために少しだけ窓を開けて駐車場を出た。