風邪と佐野

「へあ゙ックション!」
「なんだ風邪か?」

 ズビズビと鼻をすすっていると隣からポケットティッシュを渡してくれる。ありがたく受け取りチーンとかんで、ぼぅっとする頭で返答した。

「んー、昨日パパと水遊びし過ぎたかな……」

 おぉ……言葉にしてみると中々に実感が湧いてきて体が震える。二の腕を摩ってカーディガンの袖を引っ張った。

「……お前、今の季節分かってんのか……?」
「そんな冷ややかな目で見なくっても」

 分かっているとも!今は桜舞う四月。新学期なりたてほやほやの素晴らしき季節だ。窓の外では優しい風に吹かれた桜の花びらが文字通り舞っている。柔らかな桜色と淡い水色。その中に私の自慢の紫色。開いた窓から同じ優しい風が吹いて、この自慢をふわりと揺らした。それと同時に、震えも引き出した。……あな東風に 心も木々も 振るる日の 落つると散るは 同じ心か──こんな詩人みたいなこと考えてる場合じゃなかった。晴明先生の授業だから変な短歌が出来上がってしまった。またぶるっと体が勝手に動く。

「何言ってんだ」
「なんか、寒くなってきた……」
「はぁ?」
「はっ、ハ」
「お、おい、」

 なんだか息も上手くできない。途切れ途切れになる呼吸に佐野くんが心配そうにこちらを見てる気を感じる。申し訳ない気持ちになりながらも、我慢ができなくなった。先に謝りますごめんなさい。





「はあ゙ぁッックジョン!!」








「ったく、大丈夫か?」
「面目ない……」

 佐野の背に揺られながら彼の肩に顔を沈める。小古曽がくれたマスクをして、雪はずびびと鼻をすすった。意思と反するようにぶるぶると体が震えて、目の前の温もりに引っ付くと、佐野は雪を背負い直し足早に保健室へと向かった。


 結局あの後、雪のくしゃみはクラス中に響き渡り、授業を中断させた。

「えなに!?爆発!?」
「違ぇよ」

 ギョッとした視線が雪に集まるが、何故か晴明だけは気付いていない。まぁ当然である。ほとんどが見ていないがしっかりと黒板に向かい授業を行っていたのだから。

「誰かの咆哮?」
「まぁ間違っちゃいないな」
「雪ちゃんのくしゃみだね!」

 入道と狸塚の助言に、はてなマークだったアホ毛がピンと立ってなるほど、と納得する。手に持っていた教科書とチョークを置き、机に項垂れる雪に近づいた。

「蘆屋さん大丈夫?」
「ズビッ、だ、だいじょうぶでず、」
「すんげぇ鼻声」

 あぁあ゙〜と声を上げた雪に声も枯れちゃったの?と純粋な狸塚の疑問が上がった。しかし、それとは裏腹に雪の顔は一向に上がらない。流石の佐野も心配が募った。

「蘆屋さん、ちょっと顔上げれるー?」

 晴明の問いかけにんん゙〜と気だるげな返事をすると、のそのそと顔をあげた。

「えっ、蘆屋さん顔真っ赤!!」
「耳まで赤いよ!」

 いつの間にか佐野の肩に移動していた狸塚が、すかさず発言する。雪は焦点の合わない目で目の前の人物を確認し、それが誰なのか回らない頭で考えた。

「ん゙、はる、あきぜんぜ?」
「あっうん。いや、それは良くて!流石にこの状態で授業受けさせる訳にはいかないなぁ……」

 うーん、困った……雪の机の前にしゃがみ、考え出す晴明。しかし、これまた一向に答えが出ず、その様子に佐野の堪忍袋の緒が切れてしまった。

「いつまで考えてんだ!」
「あだっ!」

 ごめんよ……でも足蹴にしなくたっていいじゃないっ!上下がひっくり返って床に刺さった晴明が常時のあほ毛のようにその脚を揺らした。

「俺が保健室連れてく」
「あっほんと!?じゃあよろしく頼むよ」

 いつの間にか元に戻った晴明がそう告げると、佐野は雪の椅子の隣に屈んだ。

「蘆屋、乗れるか?」
「ん゙ぇ?、……くろい、かたまりがある、ぞ……」
「俺だよ。ほら、保健室行くぞ」

 あ、佐野くんか、しっけい……もぞもぞと緩慢な動きで雪が佐野の背中に移動する。先程まで佐野の肩にいた狸塚は、いつの間にか自身の席へと戻っていた。佐野が雪を背負い直して立ち上がると、雪の前の席から、あの……と控えめな声が聞こえる。

「これ、よかったら、」
「あぁ、さんきゅ。……蘆屋、小古曽がマスクくれたぞ」
「ズビッ、あじがど、おごぞぐん」
「あ、いや……全然」

 鼻声も鼻声で小古曽に感謝を述べる雪だが、いうことの聞かない自身の手では、なかなかそのマスクをつけられず苦戦した。頭上でもたもたと動く雪に佐野が声をあげるが、佐野には、というかもはや全員が、雪が何を言っているのか理解できなかった。

「ほれ雪、こっち向きな」
「べじじゃん゙」
「『べに』な。……ん、いいぞ」

 ふたりの、というかほぼ雪のもたつきを見ていた座敷が立ち上がり、雪の持つマスクを彼女の耳にかけてやった。あじがど、と先程同様の鼻声感謝に、座敷は満足そうに頷いた。

「助かった座敷」
「おうってことよ」
「んじゃ、行ってくるわ」

 気をつけてねー!という晴明の声を後ろ手に聞きながら、佐野は廊下を進んだ。そして、冒頭にもどる。





「失礼しまーす」

 誰もいない保健室にて、一応挨拶をする。呼び出しベルを鳴らせば、保険医は三分でくるのだ。勝手にベットを拝借し、雪を寝かせると、離れていく温もりに雪がたじろいだ。

「さ、さむ゙い……さのぐん、はな゙でないでぇ」
「はいはい。ほら、布団かぶれ」
「ヒェッ、ふどんつべだい!!」

 佐野が首元まで布団をかけてやるが、雪はその無機質な冷たさに驚いてしまう。大きな目にどんどんと水が溢れてきて、うるうるとする雪の目に、佐野はこの小動物を守りたいという庇護欲に駆られた。さのぐん゙……という声と自身に伸ばされた腕、彼女のその眼差しが、狸塚と重なる。

「ぐっ、どうすりゃいいんだ……」
「おまたせ〜。電気毛布と湯たんぽ持ってきたよっ」

 はっとして振り向くと、防寒グッズを持った明が現れる。佐野は救世主が現れたかのような気持ちになった。

「ちょっと寒いだろうけど布団捲るよ〜」
「あで、たかはじぜんぜーだ、」
「ん?すごい鼻声だね!どうしてそうなっちゃったのぉっ?」

 首元までかかっている布団を捲ろうとした明だったが、それに気がついた雪が声をあげると、その鼻声の様に明の探究心が煽られてしまう。案の定手に持っていた湯たんぽやらをベッドに捨て置き、病人の雪の顔をグイッと自身へと向けた。

「グヘァッ」
「熱もすごいね!君の平均体温は35.8度なのに今は38.9度、3.1度も高いとそりゃあ辛いね!でもこの鼻声の原因はなんだろう?ただの風邪だとしてもすごい詰まりようだね♡悪いのは鼻だけじゃないのかなぁっ♡?」
「ちょ、おい!病人だぞ!」
「ブベッ」

 頬を赤らめ雪の顔や耳、目などを遠慮もなく触りまくり、挙句の果てには雪の喉に指を突っ込もうとした明を見て、呆気にとられていた佐野も流石に正気を取り戻さざるを得なかった。急いでド変態マッド医者から雪を離し、彼女の頭を胸に抱いてできるだけ怪物から遠ざける。ハァハァと息をしながらなおも赤面して自身と雪を見るバケモノに佐野は鳥肌が止まらなかった。

「ぐるじい……」
「あ、すまねぇ」

 小さく呻く雪の肩をもち自身から離すと、ぐるぐると目を回し赤いのか青いのかわからない顔がそこにあった。

「大丈夫か……?」
「だい、じょぶ……」
「あれっ?今度は顔色が悪くなってるね♡さっきまで真っ赤だったのにどうしたのかな?」
「っ、いい加減にしろ!!!」

 雪を離さないよう肩と頭を抱きながら目の前に迫った妖怪の顔を踏みつけた。メリッと音がして佐野の上履きが明の顔に食い込む。こちらに伸びていた両腕がガクッと降りたのを確認して、足を退けた。




「いやぁごめんね〜。僕ってば気になるとそれにしか目がいかなくなっちゃうたちでね」

 申し訳ないね!と言いながら、雪に布団をかけ直した。湯たんぽを抱えさせ、電気毛布を敷いてもらった雪は、今はぐっすりと眠っている。ただし、眠っているからと言って明が手を出さないとは限らないため、佐野は腕を組んだまま明を監視した。

「そんな怖い顔で見ないでよ〜流石に寝ている子に手は出さないよ」
「分かんねぇだろ、この変態医者」

 ひどいなぁ〜。雪が寝ているベッドを挟み、それぞれがクランケチェアに座っている。毅然として明を睨みつける佐野の一方で、肝心の明はカルテにつらつらと何かを書いていた。

「それで、君はいつまでここにいるの?今授業中でしょ?」
「サボりたいんで」

 あぁなるほどね〜。だから君が!顔をあげることなく納得の意を示し、手を進める。カルテを書き終えた明は、よしっとカルテにペンを挟み、立ち上がった。

「じゃ、雪ちゃんは君に任せるよ!何かあったら呼んでね〜」
「あぁ」
「寝てる子に手出しちゃダメだよ〜?」
「てめぇとは違うわ!!」

 だから僕も出さないって〜語尾にハートマークが付いていたような気がしなくもないが、気持ちが悪いので考えないことにする。シャーっとカーテンの閉まる音を確認して、大きく溜息を着く。あの変態医者にクラスメイトや秦中が何故震え上がるのか分かったような気がした。
 熱冷ましのシートを貼ってもらい、気持ち快適なように見える雪は、未だ鼻呼吸ができないのか苦しそうに口呼吸をしながら眠っている。しかし、苦しそうではあれどぐっすりと眠りにつけている雪を見ていると、なんだか自身も眠くなってくる。背もたれのない椅子でうとうとしていると、いつの間にか体が前のめりになっていった。

「あ、そういえば君……わお♡」

 雪の眠るベッドに顔を伏せる佐野を見て、携帯に手が伸びる。微笑ましい顔とは裏腹に心の中はまた興味で溢れかえった。パシャリと音がしたが、よく眠るふたりには全くもって聞こえていない。明は静かにカーテンを閉めて踵を返した。





「「失礼しまーす!」」

 元気よく扉を開けたのは、狸塚と秋雨コンビ。その後ろには、入道、泥田、座敷etc……弍年参組メンバーがぞろぞろと続いた。

「あ、先生!蘆屋だいじょぶー?」
「おや、勢ぞろいだね〜」

 授業終了のチャイムがなった途端に扉が開き、先程までの静寂は無かったかのようにわぁっと賑やかになる。多分というかもしかしなくても彼らはここが病人の休む保健室であることを失念している。

「こらこら、ここは保健室だよ。お静かにね」
「このバカっ」
「あてっ忘れてた!」

 すみません、先生。入道が猫姿の秋雨を捕まえ、ぺしっと喝を入れながら器用に明に謝罪した。

「雪まだ寝てんの?」
「うん、そこのベッドで寝てるよ」

 パーカーのポケットに手をつっこんだまま座敷がきょろきょろと室内を見渡す。明の指にさされたベッドに向かおうとする歌川や泥田に、明が「あっ、でも」と声を発した。

「どした先生」
「おふたりさん、今こんな感じだよ」

 そう言って先程撮った写真を生徒らの方へ向ける。なんだなんだと集まった彼らは、それを目にして、三者三様の反応を見せた。

「お、おいこれ……」
「ヒェッ」
「キャーッ!」
「……あんの野郎!!」

 顔を引き攣らせる者、赤らめる者、奇声をあげる者、怒りを露わにする者。無理もない。その写真には、仲良く手を繋ぎながら眠っている佐野と雪の姿があったのだから。ましてや佐野にいたっては、その雪の手を自身に引き寄せていた。実際は夢の中で出会った豆狸とピクニックしている佐野と、夢の中で大好きな父と遊びに出かけているだけの雪が起こした偶然な訳だが、写真を撮った明もそれを見て驚愕しているクラスメイトも、そんなことは知る由もない。

「佐野のやつ……抜け駆けしおって……!」
「まぁまぁ、佐野にもやっと春が来たんだよ」
「ぅぅ、いくら雪ちゃんでも佐野くんは渡したくないよぅ……」

 狢が二人のところへ向かうのを入道が羽交い締めで食い止める。また、狸塚は富士の腕の中で葛藤を繰り広げてるが、佐野にそのような気はない。はずである。

「そういうことみたいだから放っておいてあげな」
「「えぇ〜〜」」

 
 



──後日談──
「佐野君、おさぼりはメッ!罰として短歌一つ考えてください!」
「えぇ……」

 教室に戻ると、さぼりを見抜かれた佐野は晴明から全く怖くはないお叱りを受けた。しかし、罰があるとは聞いていない。あからさまに嫌な顔をする佐野だったが、そういえばと何かを思い出した。

「……あな東風に 心も木々も 振るる日の 落つると散るは 同じ心か」

 おぼろげな記憶ながら、雪の口にしていた短歌を詠んでみる。これが雪の考えたものなのか偉人が詠んだものなのかは判らないが、言ってしまってから考えてもしょうがない。とりあえずはお得意のポーカーフェイスで晴明の出方をうかがった。

「……い、」
「あ?」
「すばらしい!!!」

 わなわなと震えうつむき、何を言っているのか分からない晴明に対して反応すると、いきなりこちらに駆け寄って自身の両手を取り胸の前に掲げた。佐野があっけにとられていると、晴明は興奮状態で問うた。

「佐野君に短歌のセンスがあったなんて!!僕気が付かなかったよ!どんな景色を見て思いついたの!?いや、景色じゃなくて何かを感じたとか!?すごいなぁすごくきれいな短歌だ!」

 腕をぶんぶん振り、いつぞやの保健医のように頬を紅潮させ質問という名の拷問をする。佐野だけでなくクラスメイト全員の頭にハテナが浮かび上がる中、晴明はただ一人その素晴らしき歌に恋い焦がれたかのような表情を見せた。

「意味は、なんだろうなぁっ!あ、そうか!作った本人が目の前にいるんだから聞いちゃえばいいのか!ねぇ佐野君!この短歌の意味を教えてよ!」
「え?は?」

 早口すぎて何を言っているのかほとんど聞き取れなかったが、最後の一言は聞こえた。意味だって?そんなの知る由もない。だって自身が考えたものではないから。……しかし、この探究心を目の前にして、「それは言えない」なんてのはまず通用しないだろう。なんで?どうして?と、一日中追い掛け回されそうだ。であれば、ここはこう答えるしかない。

「……って蘆屋が言ってた」

 

あぁこれほどまでに強い東風に心も木々も揺さぶられ、震わせられるなんて。こんな日において、落ちていくのと散っていくのは同じ意味なのだろうか?

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