決して華やかとは言えないその街並み。手元でがさがさと音を立てる買い物袋。
風情が無いともいえないその細い道をゆっくりと歩いていると桃色の着物を纏った女性と肩がぶつかった。
「あっ、ごめんなさい」
ぶつかった彼女はそう言うと座り込んで俺の手から滑り落ちた買い物袋の前に座り込む。
「買い物袋が…。すいません、卵とか入ってませんでした?」
「大丈夫です。大したもん入ってないんで」
慌ててしゃがみこみ、はみ出た中身を袋の中に詰め込んで立ち上がった。彼女も同じタイミングで腰を持ち上げる。
「本当、気にしないでください。じゃあ」
足早にその場を立ち去ろうとした俺を、待ってください、と彼女が呼び止めた。
振り向くと彼女は柔らかく微笑みながら手に持った袋を持ち上げる。
「これも」
「ああ…すいません」
それを受け取って、今受け取ったそれと同じものが大量に入っている袋の中に詰めこんだ。
すると彼女は可笑しそうに口元に手を当てて笑う。
「あの、あんぱん、お好きなんですか?」
ついこの間もこんなことあったな、と俺は咲さんの笑顔を思い出しながら、あんぱんが大量に入った買い物袋を抱きしめた。
* * *
薄暗い室内。何にもない部屋の中、少しだけ開いた窓の隙間をぼうっと見ながら、俺はあんぱんに被りつく。
あまり身体には良くなさそうな乱暴な甘さが口の中に広がった。
「好きじゃねえよ」
道端でぶつかった彼女には言わなかったその言葉を何の感情も込めずに吐き出す。
あんぱんに牛乳…それが俺の張り込みの作法だ。張り込みが終わるまでそれ以外は腹に入れない。
それは八百万の神に捧げる供物。俺が嫌いでも張り込みの神様が好きなのだから仕方ない。それは古今東西の刑事ドラマが示すとおりだ。
張り込み成功を祈願し、カレー、カツ丼、焼肉…湧き上がる欲求を抑え、今日も俺はあんぱんを食らう。
事実、咲さんの事件の時の張り込みだってあんぱんと牛乳とで乗り切った。
「張り込み対象との接触は避けるのが諜報だろう。山崎テメェそれでも監察か?」
背後から武骨な声が聞こえてきて首だけ振り向く。
思った通りの顔がそこにあって、俺は苛立った感情を抑えないまま口を開いた。
「張り込みを張り込むなんていい趣味してますね。そんな暇があるなら最初から副長がここに座ればいいのに」
「…荒れてやがんな。相変わらずあんぱんばっか食ってんのか」
彼は周囲に捨てられたあんぱんの入っていた袋を見渡す。
「願掛けだか何だか知らねえが、食うもん食わねえと身が持たねえって言ったろ。咲も心配してたぞ」
「え、咲さんが…?」
そうだった。彼女、体調に異常なければ退院なんだった。
迎えに行けなかったのは本当に残念だが、土方さんがこう言ってくれるってことは異常なく退院できて、きっと今頃屯所にいるんだろう。
彼女が出迎えてくれるとわかったら、俄然任務にやる気が出てきた。
「お体にお気をつけて、だとよ」
そう言ってくれる彼女の声色も表情も安易に想像できる。
早く帰って彼女が作ってくれるご飯を食べたい…そう思ったと同時に玄関の方から、お待たせしやしたー、と元気な声がどんよりとした室内に響いた。
途端、鼻先を香ばしい香りが掠める。
「お、ご苦労さん」
部屋に入ってきたのは岡持ちを抱えた男性で、恐らく店名であろうものが描かれた前掛けを着けている。
「余計なことしないでください副長!ラーメンなんて、本当いりませんから!……まあ、でも、どうしてもっていうなら仕方ないかな。副長の命令には逆らえないし」
てっきり、自分のために頼んでくれたと思ったそれ。ご厚意に甘えようとあんぱんを置きながら立ち上がったが、それを彼はなんの躊躇もなく自分で啜りだした。
口いっぱいにラーメンを頬張った彼はこちらを見下げる。
「え、なんて?」
「…なんでもないです」
思わず殴りかけたが、抑えた。流石に上司だ。
「で、どんな女だった?楢崎幸は」
「普通にいい子でしたけど?少なくとも俺が見張ってた五日間はね」
窓の隙間から見える彼女はご近所さんらしい女性と楽しそうに話している。
その柔らかい物腰は、愛しい彼女を彷彿とさせて、早く任務を終わらせて屯所に帰りたい欲求を強めた。
「とても凶悪な攘夷浪士の姉とは思えないくらい」
「ほう。総悟の例に漏れず、兄弟ってのは片方がダメだと片方はしっかり育つんだな」
ずるずるとラーメンを啜り、頬張りながらいう彼。
この野郎。
「あの、副長。近いんですけど。つか、鈍兵衛の方は?」
俺の言葉に返事もせず、彼は懐からマヨネーズを取り出す。いっつも入ってんのかそれ。
そしてキャップを外すと半分程減ったラーメンの上に、ラーメンが見えなくなるほどマヨネーズをかけた。
思わず顔をしかめる。
「必死に逃げ回っているそうだ。組織の金を持ち逃げしたんだ。俺たちだけじゃねェ、仲間からも狙われる身だ。姉のところしか逃げ場は無ぇ」
マヨネーズがこんもり乗った麺を彼は勢いよく啜った。頬にスープやマヨネーズ、しまいにはなるとが飛んでくる。
「姉を餌に弟を釣るなんて、あんまり気持ちの良くない話ですね」
「じゃあこのまま弟ほったらかしにすんのが気持ちのいい話か?それに鈍兵衛追ってる浪士たちも奴を捕まえるための餌としてあの女を狙ってきたとしたら…」
確かにそうだ。彼の言葉は的を射ている。
マヨネーズがぷかぷか浮いたスープを彼は一気に飲み干した。
「姉貴を餌にして連中を一網打尽にする。汚れ仕事は俺たちがやる。山崎、テメェの任務を告げる。女を守れ」
…なんであの人、ラーメンが入ってた皿、俺の頭に被せたんだろう…。
彼はその問に答えることなく言うだけ言って(食うだけ食って)部屋を後にした。