非常に困った。
どのくらい困ったかというと、とんでもなくこれ以上にない程、自分の運命を心の底から恨むほど困っていた。
どうやら自分が卵を買うとその卵は木端微塵に割れる運命にあるらしい。
またもや足元に落ちた、だけど今回は拾われることは無かったエコバッグを踏みつけ、目の前の浪士らしい見た目の男達がくちゃくちゃと奥歯を鳴らす。
「おう、姉ちゃん。ちょっと付き合えや」
最悪だ。そして最低だ。
食べ物は粗末にしちゃいけません。
もうスクランブルエッグにすら使えそうにない卵を見下げた。
「聞いてんのか?」
ぐいと腕を引かれ、着物の裾から自分の青白い腕がぬるりと姿を現す。
まるで白蛇のように人間味のないその肌に生きている証とでも言うように大きな紫色の痣が浮き上がっていた。
それを見た瞬間、腕を掴んでいた男の口元が緩む。
あ。知ってる、この目。
「いいから来いって。優しくしてやるからよ」
にたにたと下品な笑い。
こいつになら何をしても許されるって、そう雄弁に語る口元。
もう、その目には飽きた。
抵抗を諦めて従おうとした白蛇の腕を別の温かい手が掴んで、目の前に少し長めの黒い髪と黒い背中が広がる。
「やめろ」
腰に提げた刀の柄が心地よいお天道様を浴びてぎらりと光った。
「おい、真選組か?!」
「やべえ…行くぞ!」
背中の奥にあるため見えないが、下品な声がそう言いながらばたばたと遠ざかっていく音が聞こえる。
相変わらず握られた左腕が温かい。
彼から体温を貰っているようで何だか申し訳なかった。
ふう、と彼は小さく息を吐いてくるりと振り向く。
何となく声でわかっていたが、やはり先日ぶつかった彼だった。
変わらない垂れた目尻にどこか安心する。
「大丈夫ですか?」
そう言い、彼は握ったままだった手を離した。
彼の体温が遠くになってしまってどこか寂しさを感じる。
「ええ。ありがとうございます」
そう言いながら頭を下げると彼は間に合ってよかった、と微笑んだ。
あまり大きくない黒目が揺れる。
それから彼は草履の跡が大きくついてしまったエコバッグを拾い上げて優しく払い、気になったのかそのままちらりと中身を覗き込んだ。
顔を顰める。
どうやら今度は全滅だったようだ。
「運が無いのでしょうね。卵も、」
私も、と言いかけて口を噤む。
すると急に言葉を飲み込んだ此方に彼は不思議そうに首を傾げた。
「あの」
少し待って、それ以上が紡がれないだろうと察した彼が恐る恐るそう喉を震わせる。
まだエコバッグは彼の手元にある。
「俺、山崎退っていいます。…その、名前を聞いても?」
「えっ?」
固まった。
自分のような一般人の名前を聞いて一体どうするつもりなのだろうか。
それとも先程の痣をみて何か疑われたか。
しかしここで拒絶するのも不自然だろう…特に後ろめたいこともないし。
「咲…咲、と申します」
「咲さん、」
彼は噛み締める様に名を呟き、目を細めて口元を緩ませた。
「すみません、急に。あの、もし何かあったら全然相談してくれていいですからね。そのために俺たち居るんで」
「…ふふ、はい。ありがとうございます」