「沖田さん!」
下駄が足先から抜けて吹き飛んでいくのが見えた。
それが地面に力なく落ちると同時に、私の身体は受け身も取れずに倒れこむ。
右肩が燃えるように熱い。着物の下からじわりと血があふれ出て、ゆっくりと、だが確実に染め上げていく。折角近藤さんが退院祝いにとプレゼントしてくれたお気に入りだったのに、なんて痛みから目を背けた。
少し遠くで、押し飛ばされて尻餅をついている沖田さんが見える。
「ッ咲!!」
「沖田さん……お怪我、は」
土に塗れている以外は外傷はなさそうで、ほっと息を吐いた。
ざり、と顔のすぐ横で砂利を踏みしめる音が聞こえる。
見上げると刀を提げた浪士の冷たい視線と目が合った。恐らく私のものであろう血が握った刀から滴り落ちている。
その人は空いた左手で私の右腕を握って持ち上げた。みち、と傷口が音を立てて、こぽりと血が溢れる。
「痛っ…」
私がよろよろと立ち上がると同時に、首筋に刃が宛がわれた。
貧血でぐらりと揺れる視界の真ん中に見たことのない表情を浮かべている沖田さんがいる。
「そいつを返せ…さもなくば叩ッ切る!!」
「そう怖い顔をするな。直に返してやる。お前らが大人しくしていてくれれば悪いようにはしない」
耳の後ろから初めて聞こえたその声は毒々しく濁っていて、思わず背筋が凍った。
いつぞやの卵を踏みつけたチンピラとはわけが違う。目的があって、理由があって、そのためなら手段を択ばない、そう雄弁に語る声。
腰に回っている腕を振り払おうともがくが、痛みで上手く力が入らない。
「…私に、何をさせるおつもりですか」
「そう怖い顔をするな。ただ我らの傍に居て、真選組のストッパーの役目を果たしてくれればいい」
そう言うと浪士は沖田さんに向き直る。
「真選組、お前らは俺たちの幕府奪還を悉く邪魔をする。だから"俺たちが何をしようと大人しくしていろ"。我らの目的が果たされたその時、この娘を返してやる。簡単だろう。お前らが"何もしなければいい"だけだ」
「ふざけるな…ッ」
「おっと動くなよ。この娘がどうなってもいいなら好きにしたらいいが」
切っ先が喉に食い込んだ。
肌が切れないギリギリの力加減で、その人は沖田さんを脅す。
「今すぐここから立ち去れ、真選組一番隊隊長。そして他の奴らにも伝えろ。そうしなければこの娘の無事は保証しない」
「テメェ…!!」
「まあ嫌なら無理にとは言わないが。だがうちの浪士達は女に飢えていてな……今夜は寝かせてもらえないだろう」
ぞくりと背筋が凍った。
やっと解放されたあの日常が、戻ってきてしまう可能性に頭の中が真っ白になる。
「…クソッ」
刀の柄を震えるほど握りしめていた彼は少しの間その場に留まり、やがて唇を噛み締めながら走り去っていった。
「行ってしまったな。可愛いお嬢さんを置いて。アンタ、あんまり大事にされてなかったんじゃないか?」
そう言い、浪士は顔を覗き込んでくる。
よくもまあぬけぬけと。彼からこの場を離れる以外の選択肢を奪っておきながら。
「さあ行こうかお姫様。俺たち攘夷浪士の城に案内しよう」
にたり、とその人は厭らしく笑った。
* * *
沖田さんの報告に、屯所内は静まり返る。
あの局長でさえ拳を握りしめて、足元を見つめていた。
「すみません…俺、俺が目を離したから…!」
沈黙を破ったのは一人の隊士だった。今日、咲さんの護衛に当たっていた奴だ。
彼曰く、急に人込みに流され、はぐれてしまったのだという。もしかしたらそれも敵の計画だったのかもしれない。
でも彼女がはぐれた後、一人で道場の前まで行ったというのはきっと彼女の意志だっただろう。
「咲のことだ、きっと自分が強くなれば迷惑を掛けなくて済む、とでも思ったんだろう」
局長が声を震わせた。その目には悔しさがありありと浮かんでいる。
「総悟、奴ら、本当に俺たちに"何もするな"と要求していたんだな」
「…そうでさァ。"俺たちが何をしようと大人しくしていろ"だと。……俺が、後ろの気配にもっと早く気付いていれば、ここまでの事態にゃならなかった…すいやせん…」
そういって沖田さんは目を逸らした。そんな彼の背を局長が叩く。
「今は誰が悪いだの言っている場合じゃあない。どうしたら咲を救えるか、それだけを考えよう。…山崎」
名を呼ばれ、局長を真っ直ぐ見つめた。
「密偵。頼めるか」
「言われなくても勝手にするつもりでしたよ」
食い気味にそう返すと、局長は目を細め、愚問だったな、と零す。
「いいかテメェら!悲しんでいる暇はねェ…とっとと奪い返して美味い飯を作ってもらうぞ。もう俺たちァアイツが作った味噌汁しか飲めねえからな」
局長のその声と同時に皆の腰に提げた刀が小さく音を立てた。