懐かしい、この感じ。
薄暗くてあまり綺麗とはいえない部屋に一人、ぽつんと取り残されて、時折誰かが様子を見に来る。
何もできないだろうと舐められているのか拘束は一切なかった。
唯一ある窓には鉄格子があって、その向こうに広がる広大な空は憎らしいほど青い。
ここに囚われてから数日が経過しているが意外にも男性に襲われたことは今のところ一度もない。
ただ、様子を見に来る浪士の中には目をギラギラさせている人もいて、あまり油断はできないけれど。
入浴すら監視付きなので気が休まる暇がない。
それ以外は何もできずここでただ時が過ぎるのを待っている。
ご丁寧に朝昼夕と食事が運ばれてくるけれど、食べる気にもならなくてずっと窓の鉄格子に体を預けながら何一つ変わらない江戸の景色を見下げていた。
今、みんなどうしているんだろう。
この数日間、住民の悲鳴が聞こえてくることが多かった。爆発音と、硝煙も。
その度に遅いだの役立たずだの真選組を詰る声が聞こえてきて苦しくなる。
本当に、私のために何もしていないんだ、彼らは。
江戸の安全よりも私に重きを置いてくれていることは不謹慎ながら嬉しいのだけれど、きっともうそろそろ世間がそれを許してはくれないだろう。
たった一人の女の命と、この江戸に住む幾らもの人々の命とを天秤にかけたとして、重いのは絶対的に後者だ。寧ろたった一人の犠牲で事が片付くなら安い方だとさえ感じる。
私自身でさえそう思うのだから、世間はそれ以上に私の死を望んでいるはずだ。
「食事だ」
幾つもの錠を外す音が聞こえ、すぐにがらりと扉が開く。
脇にあるテーブルに食事が乗ったお盆を乗せ、男はこちらをじいと見つめた。口元がにたにたと緩んでいる。
「最近、真選組がしゃしゃり出てくるようになった。…お前を味わえるのも時間の問題だなあ」
男は私のすぐ隣に座り込むと舌なめずりをし、腿に手を這わせた。
びくりと肩が震える。気持ち悪い。…けど、あの人と過ごした十何年に比べたら何てことは無い。
返事をせずただ窓の外を見つめる無反応な私に男はつまらなさそうに舌打ちをして部屋を出ていった。
思わず安堵の息を吐く。
だが、あの男の言う通りだ。
「襲われる覚悟、決めなきゃダメかな」
鉄格子の向こう、電柱に留まっている真っ白い鳩がきゅ、と首を傾げた。
* * *
「そんな覚悟は決めなくていい」
一瞬、何が起こったかわからなかった。
耳元でそう囁かれたと思ったら視界が反転して、汚い天井が見えた。
そしてつい数日前に見た顔も。
「桂…さん……?」
「大人しくしていろ」
デジャヴのような景色だ。
ただ背後にあるのが薄汚れた畳で、ここが牢だということ以外は。
「さっさと去れ。それ以上覗こうとしたら切り捨てる」
ドアの方に彼が叫ぶと同時に幾つもの錠が落ちる音が聞こえた。
数秒の沈黙の後、彼はすまなかった、と言いながら私の上から退く。
「なんで、こんなところに…しかも普通に…」
「過激派に再び転移した」
彼は私の腕を引いて起こしながらそう呟いた。
背筋が凍る。その目には野心が宿っているようにも見えて、ごくりと唾液を呑んだ。
「というのが建前だ。言ったろう、壊すには大切なものができすぎたと。それには貴殿も含まれている、咲」
「え…?」
「過激派に戻ったので仲間になりたいと申し出たら、テストと称して貴殿を襲うよう指示されたんだ。予想外だったが、好都合だ」
そういうと彼は私の着物の衿に手をかける。
「か、桂さん…っ?!」
「暴れるな。大人しくしろ」
そう言われても。
この人、今の言葉と行動だけでは敵なのか味方なのかいまいち判断しにくい。
混乱しているうちに着物は肌蹴ていく。その途中、右肩の傷口を血が乾いて固くなった着物が掠めていった。思わず顔を顰める。
「だから暴れるなと言っただろう」
彼は困ったように眉を下げ、私の傷口を見つめた。大きく溜息を零した彼は懐から包帯を取り出す。
「人質の手当もまともにできんのかあいつら」
怪我を負って攫われた日の内に入浴は出来たので傷口は清潔に保てているけれど、コットンすらくれなかったため着物に擦れて傷口が開き血が溢れることも少なくなかった。勿論新しい着物はないので、着物の右肩口から袖まですっかり血が染み込んでしまっている。
桂さんは手に持っていた包帯等で手際よく右肩の傷の手当をしてくれた。
包帯を巻き終えた彼は腫れ物に触るような手つきで肌蹴た着物を元に戻す。
「よし。今はひとまずこれでいいだろう。事が片付いたら医者に診てもらうといい」
「…ありがとうございます」
帯を巻きなおしながら思わず桂さんの顔を見つめた。
彼は残った包帯を懐に仕舞いながら不思議そうに首を傾げる。
「? なんだその顔は。まさか襲われるとでも思ったか?」
悪戯っぽくそう言われて思わず肩が跳ねた。
思わずふいと目を逸らすと、彼は喉の奥でくつくつと笑う。
「残念ながら俺には傷ついている女性を組み敷くような特殊は趣味はない。安心しろ」
そう言いながら彼は立ち上がり、私の手を握った。
「そんなことより、時間があまり残されていない。今すぐここから逃げるぞ」
「時間がない、って…?」
「真選組は徐々にではあるが攘夷浪士の活動に介入しつつある。貴様を襲うよう指示があったのは、攘夷浪士が真選組によって数人切り捨てられたからだ」
上からの圧力で動かざるを得なくなったんだろう、と彼は零す。
「俺がここで手を出したフリをしたところですぐに次が来る。好機は今しかない」
「で、でも…扉には鍵が掛けられてて、窓には鉄格子があるのにどうやって、」
そういうと彼はにい、と口角を上げて懐を弄り、丸形のボールのようなものを取り出した。
黒いディスプレイのようなものには何も表示されていない。
「何の準備もなくこんなところに飛び込んでくるわけないだろう?」
彼がそのボールに付いていたボタンを押すと、ディスプレイには時間が表示され、同時に時を刻むような音が聞こえてくる。
落ち着いた様子でそれを鉄格子の近くに置いた彼は私を連れて出来るだけ部屋の端に寄った。
「耳を塞げ」
「…桂さん…あれってもしかして」
全部言い切る前に頭を守るように抱きしめられる。と同時に、今まで聞いた中で一番大きな爆音が身体を震わせた。
恐る恐る目を開くと、鉄格子がついた窓があった壁は見事に吹っ飛んでおり、雲一つない青空が手の届く場所に広がっている。
殆ど同時に部屋のドアの錠を外す音が聞こえた。
「跳ぶぞ」
「え…?ちょ、待っ……!!」
往来を行き交う人影が小さく見るほどの高さだというのに桂さんは少しの躊躇もなく私を抱えたまま青空に飛び込む。
久しぶりに浴びる陽の光はとんでもなく心地よくて、思わずそっと目を閉じた。