「おっ、咲さん!咲さんも呑もうよ!」
夕飯の後、布団の用意が出来たことを知らせようと広間へと続く襖を開けると、頬が赤く上気した一人の隊士にそう声を掛けられた。
それに呼応するように一緒に晩酌をしていたらしい他の隊士も酒瓶やらおちょこやらを持ち上げて手招きをする。
部屋には眠りこけている者や少し気分が悪そうにしている者もいるところを見るともう大分酔いが回っているのだろう。
つんとアルコールの香りが鼻先を擦った。
「え?わ、私は…」
小さく首を振ると彼らはえー、と不満そうに眉を下げる。
晩酌に誘われるのはこれが初めてではない。だがこれまでも出来るだけ飲酒は避けてきた。
世話係が酔いに呑まれてしまっては世話ないし、あまり飲んだことがないので自分が酔ったときにどんな行動に出るかわからず怖いためだ。
いつもならこれで引き下がってくれるのだけれど今日はどうやら悪酔いしている隊士が多いらしくブーイングが続く。
「俺は酔った咲さんが見たいんだー!!」
誘いをかけてきたのとは別の隊士が両手を天井に突き上げてそう叫んだ。
ブーイングは止んだが、それに続いて私に呑んで欲しいと駄々をこねる隊士が続出する。
無理やり飲まされないだけいいが、困ってしまった。
「そう言われても…明日も早いですし」
「先っちょだけ!先っちょだけでいいから!」
「なんですか先っちょって…」
もうなんのおねだりかわからない。
しかしこのまま駄々をこね続けて睡眠不足なんかになってしまえば彼らの明日の任務に響いてしまうかも知れないし…。
「仕様がないですね。一杯だけですよ」
諦めて息を吐きながらそう言うと室内からは歓声があがる。お酒を飲むだけでこれだけ盛り上がれるものなのだろうか。
いや…ここに来るまで自分が知らなかっただけで、酒の席というものはある種コミュニケーションの場だ。
団結力が必要な組織という社会においてお酒を飲み交わすというのは重要なことなのかもしれない。
如何せん飲酒は初めてなのでどうなってしまうのかが怖いが……ええい、ままよ!
小さな赤い盃に入ったお酒にちょびと口をつける。
唇を濡らす程度の量をそっと舌で味わうと、果実のような風味が広がり、次に少しだけつんとアルコールの香りが抜けた。続いてじわりと腹部のあたりが熱を持ち始める。
しかし、意識はしっかりと残っていた。
思ったよりも飲みやすいそれを思い切ってぐいと煽ると、こちらの様子を緊張したような面持ちで伺っていた隊士たちが、おお、と小さく声を漏らす。
「ん…美味しい」
ふいと酒瓶のラベルに視線を移す。度数は二十三。数字の割に、思ったよりキツくもない。
あの人がいつも飲んでいた酒は二十度いかないくらいのものだったから…そう考えるとそこそこ強いお酒のはずなのだけれど。
ぺろりと唇を舐めると舌の上で再び先ほど味わった風味が広がる。
なるほど確かに皆がこぞって美味い美味いと呑んでいる理由がわかった。
「ね、ねえ咲さん!俺と飲み勝負しようよ!」
先ほど酔った私を見たいと両手を突き上げた隊士が駆け寄ってきて、酒瓶を持ち上げる。
きょとんとしている私の目の前に彼は座り込んで自分の盃に向かって瓶を傾けた。とくとくと音を立てて、盃に湖が少しずつ広がっていく。
「一杯ずつ飲んで、先に潰れた方が負け!面白そうでしょ」
「で、でも…明日に響いたり」
「大丈夫!俺、明日非番だから!ね!よーし、負けないぞー!」
彼がぐいと一口で盃を空にすると周囲は一層盛り上がり、断れる雰囲気ではなくなってしまった。
まあもう少しくらいなら付き合ってあげよう。潰れる前に限界だと思ったら酔ったふりをして負けを認めればいいし。
なんて、そんな軽い気持ちで私は二杯目を煽ったのだった。
* * *
がらりと。
潜入任務の結果を副長と局長、隊長に報告を終えて広間の襖を開けた瞬間目の前に広がった景色に俺は絶句した。
煌々と輝いているその室内には、空になった酒瓶がいくつも転がっていて、ついでに力尽きたであろう隊士たちも一緒になって転がっている。
その真ん中で、赤い盃を傾けていた彼女は、気配を感じたのかくるりとこちらに振り向く。
「あ、山崎さん。おかえりなさいませ」
そう言って咲さんは少しだけ桃色になった頬に笑みを湛えた。
彼女が晩酌をしているところなんて初めて見た。というか、彼女が飲酒をしているところを見るのは初めてだ。
周囲に転がっている酒瓶と隊員たちを見る限りもう酒盛りは終盤のようだが…。
その時、彼女の正面に座っていた真っ赤な顔の隊員が後ろに倒れ込む。
「まさかこんなに強いなんて…」
まだ残っていたらしい酒が隊員の持っていた盃から零れて畳にシミを作った。
一体これはどういう状況なんだろう。
俺が呆けているのを見かねた、まだ意識がしっかりしているらしい隊員が俺の肩に腕を回し、小声で口を開いた。
「あいつがさ、酔ってる咲さんを見たいってんで勝負を仕掛けたんだ」
そう言って壁際で死んだように眠っている隊士の一人を指す。
「…今のところ、八人抜きだ。あんだけ飲んでてふらつきもしない」
彼女の隣に並べられている瓶全部一人で飲み切っちまったんだぜ、という言葉に誘導されるように彼女に視線を移すと、確かに座布団の上で少しだけ足を崩して座っている彼女の横には一升瓶が数本綺麗に並べられていた。
にも関わらず、こちらを見て微笑んでいる彼女は普段と何ら変わりなく、変化と言えば少しだけ頬が赤くなっているくらいのものだ。
「なんのお話ですか?」
思わずぎょっとして二人で振り向いた。
不思議そうに首を傾げている彼女と目が合う。
くそ、可愛いなもう。
「な、なんでもないよ。それよりも咲さん、お酒強いんだね」
俺の言葉に彼女は困ったように笑った。
「そう…みたいです。飲酒なんてしたことなかったので今まで避けてましたが、皆さんが楽しそうにお酒を嗜んでいる理由がわかりました。誰かと一緒に飲むのって、いいものなんですね」
ふいと周囲を見渡す。死屍累々と表現するのが一番相応しいだろう景色が相変わらず広がっていた。
鼾をかいている者、真っ青な顔で倒れている者、窓の傍で風を浴びている者…だが、まだ潰れていない者も残っている。
そのうちの一人と目が合った瞬間、いいことを思いついたとでも言いたげにその口元がにやりと持ち上がった。
……嫌な予感がする。
「そうだ!山崎、咲さんと勝負しろよ」
予感的中。なにを言い出すんだ、こいつ。口をあんぐりと空けたままの俺を差し置いて、外野は勝手に盛り上がる。
一緒に真ん中に居る咲さんもあまりいい顔はしていない。
「何言ってんだよ!やらないに決まってるだろ!」
抗議をしたが周囲は聞く耳を持たなかった。そうこうしているうちに座らされ、盃を持たされ、コールが始まる。
「ちょっと!だからやらないって…!」
盃を置きかけたが、まだ生きている隊員の一人が"次は俺だ"と意気込んでいる声を聞き思いとどまった。
もしここで他の人間とやらせて、万が一彼女が負けでもしたら…泥酔した野郎共が邪な心を抱かないとも限らない。それなら誰にも文句を言わせないよう自分が彼女を打ち負かしてしまえば彼女が野郎どもの毒牙にかかることはないだろう。
「…ごめんね、咲さん」
「い、いえ。大丈夫です」
そう言うと彼女は、また困ったように笑みを浮かべるのだった。