「え…? 母さん、いま、なんて…?」
やっと騒がしい日常に慣れてきて、オレの家にリボーン、ランボやイーピン、ビアンキ、風太…色んな人が居候するという事態が日常化してきた頃。
珍しくリボーンが出かけていて朝早く叩き起こされることもなく休日だからと昼近くまで眠り、やっと起きてきて昼食を食べていたオレに母さんの言葉はすぐには理解できないほど衝撃的なものだった。
「だからぁ、お姉ちゃんが帰ってくるんだって。つっくん、迎えに行ってあげてね」
もう一度聞き返しても、母さんの答えは一度目と同じ。
記憶の中の姉さんはオレより一回りも二回りも小さくて困惑せざるを得なかった。
というのも、姉さんは十年前、父さんと共に家を出ていったのだ。
「つっくん、お姉ちゃんっ子だったもんねえ。お姉ちゃんがイタリア行っちゃってからは殆ど毎日寂しいって泣いてたわよね」
そう言い夕食の下ごしらえをしているらしい母さんも鼻歌を歌っている。
「あと一時間くらいで近くの駅に着くらしいから、つっくん、お迎えお願いね」
「う、うん…わかったよ」
あまりに突然で、あまりに衝撃的過ぎて、現実味がない。
帰ってくる…姉さんが…?
記憶に残っている限り最後に彼女と交わした言葉が脳裏によぎる。十年も前なのでぼんやりとしか覚えていないが、行かないでと泣きじゃくるオレに、姉さんは微笑みながら、絶対に帰ってくる、と言ってくれた。
「…夏鈴姉さん」
名を呼ぶと、彼女との記憶が少しずつ湧き上がってきて、懐かしさに背筋が震える。
と同時に本当に彼女に会えるのかと心臓が激しく喚きだした。
小さなオレの手を引いて歩いてくれた柔らかい手のひら。近所の子供にからかわれて泣いているオレを守って抱きしめてくれた頼りがいのある腕。一緒に昼寝をした時に聞こえた心地よい心音。
「姉、さん」
自然と駅へと向かう歩みが早くなる。
早く、早く会いたい。
殆ど飛び込むように駅に足を踏み入れて、改札の近くで周囲を見渡す。
「いた…本当に、居た……」
ばくばくと心臓が喉から飛び出してしまいそうな程に早鐘を打ち始めた。
大きなキャリーバッグに体重を預けて窓の外をじいと見ている彼女の顔は記憶の中にあるそれよりもずっと大人びていて、髪型も変わっていたけれど、面影は確かに残っている。
一目見て、彼女だとわかるほどに。
ごくりと生唾を喉の奥に飲み込んで、ゆっくりと彼女に歩み寄る。
気配を感じたのか彼女の視線が窓からこちらに向けられた。オレと同じ、色素の薄い茶色い瞳と目が合う。
「…誰かと思った」
そう言うと彼女はキャリーバッグから身体を離した。かつん、とヒールの音がする。
昔は見上げていた彼女の髪が、屈んでもらわなければ届かなかった頬が、オレと同じ高さにあった。
「大きくなったね、ツナ」
* * *
「ツナももう中学生かあ」
そう言うと、彼は少しだけ気恥ずかしそうにこくりと頷く。
「もう十年も経つんだ」
家の場所は変わっていなかったが、家へと向かう道は十年もの間に色々と変わっていた。
昔遊んだ公園が無くなっていたり土手が工事現場になっていたり高いビルが建っていたり…まるで別世界に来たようで思わずきょろきょろと周囲を見渡す。
「ね、姉さん」
「ん?」
呼ばれて、振り向く。
いつの間にか私より大きくなっている手がぎゅうと握られていた。
「姉さんは…なんで、イタリアに行ってたの?」
どきりとした。
聞かれるだろうとは思っていて、それなりの答えは用意していたけれどいざ答えるとなると少し緊張する。
だってこれから私は、愛する弟に、嘘を吐くのだから。
「留学だよ」
「りゅ、留学…?」
拍子抜け、とでも言いたそうな彼の声。
「イタリアの学校に行ってたんだ。ちょっと学びたいことがあって。そのために父さんに連れてってもらったの」
「そ、そうなんだ。なんでこっち帰ってきたの?」
「大学卒業したからね。こっちで就職することにしたんだ」
少しずつ彼の表情が和らいでいく。
きっと今、彼は急にマフィアの十代目などという重荷を背負わされて辛いはずだ。
せめて私と居る間は、難しいことを考えなくてもいいようにしてあげたい。
「へえー。すごいや。姉さん、昔から頭良かったもんね」
そう言って彼は私の数歩前を歩く。
がらがらとキャリーバッグが地面を転がる音だけが響いた、その時。
「甘ェな、夏鈴」
耳元でそう聞こえたと思ったら、顔の真横を弾丸が通り抜けていった。はらり、と髪が風圧で舞い上がる。
銃声の方へと目を向けると出来れば会いたくなかった顔があった。
「…り、リボーン!なにしてるんだよ!危ないだろ!」
可愛らしいその声が放った言葉はツナには届かなかったらしく、彼は私の前に出てきて両手を広げる。
その背中は、記憶の中の何倍も広くて心臓がきゅうと音を立てた。
「この人はオレの姉さんだよ!マフィアがどうちゃらとかとは関係ないの!巻き込むなよ!」
かちゃりと彼が持つCz75が鳴く。レオンが変化したものだろうがその弾丸は容易く人の命を奪える。
ツナの背中越しにリボーンと目が合った。
これでいいんだ、と。余計なことはするなと目で訴えると、彼は小さく溜息を零して銃を仕舞い込む。
「だから甘いって言ってんだ」
幾度となく言われたその言葉が今日は妙に突き刺さった。
彼は小さな身体でぴょんと跳ぶと、私の肩に腰を据えて首筋に捕まる。
「いつかバレる嘘は、吐くもんじゃねぇぞ」
そう言って、彼は深く帽子を被った。