割れた湯呑
「…万斉…私をつけていた目的は何?」
「はて、なんのことだか拙者にはさっぱり…」
「今更惚けても無駄よ。…私を誤魔化せると思ってるの?」
「……流石は菜子殿でござる。…人斬りの拙者にそのような口を聞く女子はそなたぐらいでござるよ」
「…昔の仲間、だからね」
意味深に呟く菜子の言葉に、万斉の眉はピクリと動いた。
「昔、とは?生憎拙者は菜子殿が鬼兵隊の仲間でなくなったときなどないと存じておるでござる」
「…何言って…!」
「拙者だけではないでござる。菜子殿を必要としているのは………菜子殿も、よくわかっているはずでござるよ?」
万斉の言う人物が誰なのか瞬時に察する菜子。同時に心臓をグッと掴まれたような衝動に駆られた。…胸が、痛い。身体的な意味ではなく、精神的な意味で胸が痛んだ。全ては自分が覚悟して歩んだ道なのに、後悔なんてしていないのに、彼の眼を思い出すと自分の決心が揺らぐ気がした。
自然と菜子は胸元を手で押さえる。
「…晋助に、伝えて」
ごくりと唾を飲み込み、菜子は告げる。
「私はもう、晋助のところには戻らないからって……」
自分が決めた覚悟を言葉にする。それが自分にとっても彼にとっても最善の策だ。自分は彼にとって足手まといにしかならない。邪魔でしかならない。私に出来ることは、離れることしかなかった。
(もう彼に…晋助に縋りつくわけにはいかない…!)
「まっ拙者等が何を言っても晋助は言うことなど聞かないでござる。」
万斉はそれだけを告げるとその場を立ち去って行く。…万斉に言われずとも知っている。彼がどういう人間なのか…誰よりもわかっているつもりだ。どこまで逃げようとも彼は追いかけてくる…自分の手中に収めるまで。…だが、それを逃げ切ってみせると覚悟したのは自分自身だ。
菜子はその去っていく万斉の背中を見えなくなるまで眺めていた。…その背中が、ほんの一瞬…愛する者のものと見間違えてしまった。
「…馬鹿ね…私ったら…」
自分の愚かさに、笑えた。彼はこの場にいないのに、自分から離れたと言うのに…こんなにも恋しいのか。そんな自分を笑うしか出来なかった。
「…なんだかんだで遅くなっちゃったな……」
万斉と別れた後、そのまま真っ直ぐ屯所に戻る菜子。どこか真撰組のみんなに顔が会わせづらい心境を抱えながらも台所へと足を運ぶ。
一方、隊士の皆は部屋に入って会議をしているみたいだ。部屋の方から何やら気難しそうなトシの声が聞こえる。
(……トシにお茶でも煎れてあげようかな…)
今の重い気持ちを振り払うかのように、さっさと素早い手際でお茶を汲む菜子。お盆の上にお茶の入った湯呑みを乗せ、会議している部屋の襖近くまで来ると、話し合いの内容が菜子の耳に入る。
「いいか、てめぇら!!将軍様に掠り傷でもつけば切腹させられると思え!きな臭ぇ奴らは全て斬れ!俺が許す!!」
「マジですかィ…なら刀持ってる野郎等は全て斬り落としまさァ!」
シャキン、と鞘から刀を出しやる気満々の総悟。ニヤリと浮かべる笑みが恐ろしい。
(…やる、総悟なら確実に見境無く斬りかかる…!)
「おーい、てめぇら今の話は無しの方向でー!!」
トシも菜子と同じように危険だと思ったのか発言を取り消した。
「……それと、これはまだ未確認だがとんでもねぇ野郎が江戸に来ているようだ」
カチ、とライターで煙草に火をつけ話を進めるトシ。…隊士たちはトシの言葉に首を傾げた。
「とんでもねぇ野郎…?そいつは一体誰でさァ?」
総悟もトシの言葉を不審に思い、尋ねると、トシの瞳孔の開いた目に力が入った。
「…以前、料亭で幕府の会談が行われたときに皆ぶっ殺された事件があったな。あれは、奴の仕業だ」
「……!」
トシの口から出た事件のことを…菜子は知っていた。未だ記憶に新しい…現場は凄まじい、血の雨が降ったかのような残虐さだったと人伝いで聞いた。全身に寒気が走り、鳥肌が立った。…その事件の犯人のことを思い浮かぶ。
「高杉晋助……野郎が来ているみたいだ」
その名前を耳にした後、菜子は頭の中が真っ白になっていく。思考が停止する。
高杉晋助
何が何だかわからなくなった菜子は、お盆から手を放してしまった。パリーン、と湯呑みの割れる音が響き、破片が辺りに散らばる。
「…晋、助……っ!」
それはまるで、菜子の心境を表しているかのようだった。
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