桜味の口付け
朝が来た。昨夜の大雨とは打って変わって晴れ晴れとした春日和だった。空は青く澄んでいて、太陽はキラキラ眩しかった。





「……ひどい顔……」





鏡に映る自分の荒れ果てた姿に思わずため息が零れた。あの後一晩中泣き続け、目は赤く充血し、目の下はクマがくっきりと出ている。声を上げて泣いたために、若干声も枯れ気味である。





「……昨日はあんなんだったんだし、今日はちゃんと仕事しなきゃ……!」





よし、と鏡にいる自分をなんとか笑みを浮かばせ、目を冷やしたり、化粧で顔を誤魔化したりし、いつもの自分に戻ろうとした。……体は晋助との行為のせいで、未だ重く感じるが。







「おはようございまーす」


「…あぁ、菜子か。風邪引かなかったのか?」





屯所に向かうと、トシと会った。トシは少し心配そうに声を掛けて来てくれた。





「うんっ大丈夫。これでも体には自信があるしね!」


「ならいいんだけどよ……」


「心配かけてごめんね。あ、これから見回りだよね?頑張ってねー!」

「あぁ…」





街の見回りに行くトシを見送り、台所の方へと向かおうとした菜子だった。
……が、





「おや、菜子じゃねェですかィ」


「あ、総悟…おはよう!昨日は迷惑かけてごめんね?」


「別に気にしてねェでさァ。自分の彼女の心配するのは当然のこ……」


「あーら?なんか幻聴が聞こえた気がするんだけど気のせいかしら?」


「……チッ」




…"チッ"って!?
舌打ち!?舌打ちされちゃった!?





「じゃあまた後で……」


「あー、待ってくだせェ。」





先行こうとする菜子の着物の袖を掴み、呼び止める総悟。
彼の突発的な行動に思わず首を傾げてしまう。





「…どうしたの?」


「今からちょっと俺に付き合ってくれやせん?」


「い、今からって…私今から仕事が………」


菜子に拒否権はねェんでさァ




じゃあ聞かないでよ!!
……なんて、サディスト王子に反論出来るはずはないんだけどね。




総悟に引っ張られていくまま、私は彼に連れて行かれたのだった。




「っね、総悟ってば…!どこ連れて行くの?私、昨日のこと挽回したいから仕事……」


「あーそれなら心配しないでくだせェ。俺から女中の女将に菜子を借りていくと話し付けてありまさァ」


「えっ、じゃあ総悟も有休かなんかとって……?」


「そんなわけねェに決まってまさァ。サボりだよサボり」




……駄目じゃん!!
って、それ堂々と言えることじゃないからっ!!




「だ、駄目じゃないっ…トシにまた叱られちゃうんじゃ……」


「あんな奴一捻りでなんとでもなりまさァ」




……総悟が言うと本当に聞こえるんだけど……







「ほら、ここでさァ」


「ここって………わぁ、綺麗!!」




総悟に連れてこられた場所……それは川原だった。
だけどいつもの川原とは一味違っていて、何本もの桜の木々が満開に咲き誇っているではないか。





「ここで昼寝するのが、俺ァ好きなんでさァ……」


「総悟………」





桜の木の横で寝っ転がる総悟。
菜子はそんな総悟の隣へと腰を下ろす。




「……確かに、綺麗で落ち着くね。この場所……河も水が反射してキラキラしているし、私も気に入っちゃった……」





心に、ゆったりとした時間が流れていく。
こんな風にしみじみと桜を眺めたのはいつぶりだろうか?
いや、こんなに安らいだ気持ちになれたのはいつぶりだろうか?




今朝まで抱え込んでいたもやもやしたものが、一気に浄化されていく気がした。




……まぁ、そう簡単に浄化出来るだなんて思っていないけれど。



だって、耳元にはまだ………




"菜子……―――"




晋助が、私の名を呼ぶ声が離れないの。





"絶対に、離れねェ……"





そう呟いた彼の瞳が頭から離れないの。





ふわり、と優しい風が吹いた。その風とともに、桜の花びらが舞った。



涙が、私の頬を伝った………





「っ、菜子………」


「や、やだ……目にゴミが入っちゃったみた、……」




総悟に背を向け、必死に流れていく涙を拭う菜子。
……だけど、涙は止まってくれない。
早く止めようと焦れば焦るほど、思い通りにはいかなかった。





「…仕方ねェ、俺が診てやるからこっち向きなせィ」


「や、だいじょぶっ……だから」




だって、目にゴミなんて入っていないもの。
ただ、感情的になって泣いてるだけだもの。





「ほーら、いい加減に……」


「や、だ…見な…っで……」




見ないで、見ないで
こんな弱い私をその綺麗な色素の薄い瞳に、映さないで………





無理矢理振り向かえさせようとする総悟だが、菜子はそれを頑なに拒み、総悟を見ようとしない。




「はぁ……仕方ねェですねィ……」





総悟が小さく呟いた、かと思えば背後から程よい温もりが伝わってきて………

胸元には、見覚えのある真撰組の隊服に手を通した腕があった。





「な、っ総…悟……?」


「こうしてれば、泣いてるとこなんか見えやせんぜィ?
……まぁ俺的には泣いてるのを更に泣かせたりするのが好物なんですけどねィ」



こ、好物って…!!

……が、今の私にはそんなことを突っ込む余裕なんてさらさらなくて……




「う、っ…ひっく、……!」




私は、背後から抱き締めてくれる総悟の腕の中で無我夢中に涙を流した。








「……っ総悟、ごめ……!早く、仕事に戻んないといけないのに……」




あんなに泣いちゃって……と総悟に謝罪の言葉を告げる菜子だが、総悟はそんな彼女を自分の方へと振り向かせた。





「……俺ァ仕事なんかより、惚れた女の方が優先でさァ!」


「……えっ、惚れ………」




総悟の言葉に瞳を丸めた菜子だったが、更に驚くことをされ、言葉を失った。



否、言えなかった。





「…っ、ん」




総悟の唇が、自分の唇に重ねられていた。




抵抗しようとしたけれど、いつのまにか総悟に手首を掴まれ、押さえつけられていて……
背中には、相変わらず咲き誇っている桜の木。



桃色の花びらが舞い散る中で、


私と総悟は口付けを交わした………




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