貴方の虜
海の潮の香りが、鼻を擽る。港には似合わない大きな…見覚えのある船が一隻、波に揺れていた。万斉の案内の元、菜子は戸惑うことなく船内に足を踏み入れた。
「晋助は甲板にいるでござるよ。そこまでの案内は……」
「わかるから必要ないわ…ここまでありがとう」
万斉に簡単なお礼の言葉を告げると、菜子は船の甲板の方へと足を向けたのだった。
「…ククク、ようやく気を戻して帰って来たのかァ?菜子」
「…前にも言ったけど、私はここに戻ってくるつもりはないわ。話があったから来ただけ」
「ほぉ…なんだァ?話って」
フー…と煙管から煙を吹かせる晋助。菜子の方は一切見ていないくせして、菜子が来たのだと気配だけでわかったようだ。それに少し戸惑いながらも平然とした態度で口を開く菜子。彼女は更に言葉を続けた。
「……ヅラは行方不明、銀ちゃんは大怪我。…全部晋助が関わっていることなんでしょう?」
「…さァ?俺ァ知らねェなァ……」
「惚けないで!!」
そんな言葉に、私は騙されない。
「似蔵が…っ!昨夜、銀ちゃんを紅桜でボロボロにした挙句、ヅラの髪を見せてきたわ……ヅラの最期の形見だと告げてね……」
菜子の脳裏に、昨夜の出来事が映像のように駆け走る。思い出しただけで、声が震えた。
「…晋助……貴方の仕業なの……?」
「…もし、そうだと言ったらオメーはどうする?」
「!!」
「俺が岡田の野郎にやらしたと言うんなら、オメーは俺を一体どうするつもりだァ……?」
「……っわ、たしは………」
(…そう簡単に、許してはいけない)
「この手で、晋助を……斬る…!」
「…ほぉ……」
口元を上げ、からかっているような彼の態度に、菜子は少なからずイラついた。
「冗談とかじゃないわっ……私は本気でっ……!」
「テメーには無理だろうよ、菜子」
菜子の言葉を打ち消す晋助。彼はさらに言葉を続ける。
「テメーに、俺を斬るなんざ出来るはずがあるめェよ」
確信したように決定付ける晋助。…何故?どうして?何を根拠として言ってるの?
「そんなの、晋助にわからな……」
「わかるに決まってんだろーが……惚れた女のことならなァ……」
白い煙が、晋助の口から零れる。余裕そうな彼の笑みが、菜子のペースを簡単に乱す。菜子は頭の中が真っ白になる。……だけど、そんな簡単に丸められるわけにはいかない。
「…っどうして…なんで…なんで二人にあんなことをしたの……?」
じわじわ、と菜子の胸内から熱いものが流れ出ていく。それが菜子の涙腺を刺激し、彼女の瞳からポロ…と涙の雫が零れた。
「…っ大変だったんだよ…?銀ちゃんの傷、ひどくてなかなか止まらなくて……ヅラも、みんなで必死になって探してたんだよ…!?」
「…そうか」
「っ!そうかって、それだけなの?心配じゃないの!?昔からの仲間が、こんな酷い目に遭ってるのに……!」
泣き叫ぶかのように晋助に訴える菜子。…しかし、彼にそれが通じるはずがなかった。
「…岡田の野郎が勝手にやったことだ、俺の知ったこっちゃねェ。俺ァこの腐った世界をブッ壊す。ただそんだけだ。銀時やらヅラ、他の奴等が畦道に転がろうが俺には関係ねェ」
彼の言葉は、冷たく、鋭く……寂しいものだった。
「そんなっ……!!」
口を開いて、晋助の言葉を否定しようとした。…が、それは出来ずに終わった。鋭く冷たい晋助の独眼に睨まれて……言葉を失った。
「菜子……テメーがいりゃあ俺ァそんでいいんだよ」
「…っ晋、助……!」
彼から視線を逸らしたくても、逸らすことが出来ない。あの瞳に吸い込まれたかのようだ。
「…テメーも、俺以外の野郎のことなんか考えんじゃねェ。俺以外の野郎の名を口にすんじゃあるめェよ。………俺だけを見てろ」
そう告げる晋助の瞳は真剣そのもので……冗談を言っているようには見えない。
「オメーは、俺のもんだ……」
抱き寄せられた。強引に、力強く。晋助からは、彼が吸う煙管の匂いや彼の温もりが伝わってきた。このまま彼に飲み込まれたいと、何度思った事か。
…馬鹿だよ晋助。全然、私のことわかってないよ。私……晋助のことばっか考えてたんだよ。いつもいつも、貴方を恋しく思っていたんだよ。貴方の事しか、見えなくて…貴方のことしか見えてなかったの。
(そんな自分じゃ駄目だって、気付いたから私は……)
「…っ私は、もう晋助のところに………!」
"帰らない"、"戻らない"…そう言いたかったのに、晋助はずるい…。口づけ一つで私の口を閉ざして、私を黙らせてしまうんだから。私の中にいる晋助の存在を大きくして…貴方の虜にさせてしまうのだから。
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