帰り道




「ねぇ、巻島くん。」
ああ、今日もまた
「今日は寒いね。」
「んー…12月になったからっショ。」
弾まない会話と
「風も強いね。」
「天気予報で言ってた。」
君の後ろ姿。
「ねぇ、巻島くん。」




玉虫色の彼は見慣れた道を見慣れない速度で進んでいた。
普段練習コースに使うこの道は、通学で使うよりも多く練習で回っているため、前を走るママチャリの速度に合わせて走るというのはなんだか違う道を走っているような感覚だった。

彼が所属している自転車競技部のインターハイも終わり、3年生も部活を卒業して随分とたった12月の初旬。
相も変わらず、自転車競技部の部活動は日が沈むまで続き、さらに昼間の太陽の熱が冷めきるまで続く。
体の熱は太陽が沈もうが、風が強かろうが冷め切らないまま真夏と同じような汗をかき、火照る体を優しく冷やしながら部活を終えた。
 
しかし帰宅する頃には、すっかり体は冷え切っていて冬の厳しさを思い出させる。
12月ともなれば風はもう大分冷たく、露出した手や顔がヒリヒリとするほどだ。
そろそろ手袋が必要な時期だなんて考えていると、前を走る少女も同じことを思ったのだろうか手をすりあわせている。
口に手を持っていき、白い息で温めもう一度手をすり合わせる。
右足の太ももをさすり、左足のふともももさする、最後に手をジャケットの袖に入れ込んでハンドルを握る。
 
彼は自然と彼女の行動を事細かに見ていることに気づき、なんだか気まずくなってポリポリと軽く顔をかきながら目を伏せた。
何か話題がないものかと、周りを見渡すが今更面白いものが見つかるわけもなく、最後に行き着く先はやっぱり目の前の背中で、手で、足であってほとんど生来の癖というべき自分の行動に苦笑をしながら、視線を逸らすことを諦めその背中を見守った。



前をゆく彼女は見慣れた道を見慣れた速度で進んでいた。
いつもと変わらないペースでゆっくりゆっくりと、ペダルを踏み込む。
後ろにいるロードバイクはいつでも自分を抜かせるし、このペースではやりにくいほどに遅いのだろうなとは思っていたが、そのロードバイクが彼女を抜かして走り去って行かない自信があったし、遅い速度に文句をたれないことも知っていた。

彼女がマネージャーとして所属している自転車競技部の今年のインターハイはというと、散々な結果だった。
その理由として実力がなかったというより、多くはトラブルに巻き込まれた結果、つまり運がなかったという方が彼女はあっていると思っていた。
そんなことを部員に言ったら運も実力のうちだの、備えていなかった方が悪いだの、それはそれはストイックな答えが返ってくることは、十分知っていたので何も言わなかったけれど。
しかし、何よりもそんな理由で総北のジャージをいち早くゴールに届けられなかったこと、先輩たちの夢を叶えられなかったことが彼らには悔しくてたまらないことを知っていたから、軽々しく運のせいにするのは言葉の上では控えていた。

今年のインターハイのこともあり、それ以上に来年には3年生となり最後のインターハイという緊迫感があってのこと、絶対負けられない舞台に向けての情熱は日に日に増していくばかりだった。
それは、マネージャーを務める彼女にとっても喜ばしいことであったが、その反面なんとも年頃の女子らしい悩みが、心のどこかにもつれた糸のように絡み合っていた。
 
そのもつれの原因とは、今彼女の後ろを走る玉虫色の髪が印象的な巻島のことだ。
彼女は、巻島への恋心をほとんど自覚していた。
特徴的な髪色や、喋り方や、憂いを帯びた表情など(彼が本当に憂いていることはあまり無いのだが)、挙げればキリがないほど、彼を魅力的だと思っていたし、年頃の女子と同様に付き合って恋人になりたいという欲求を持ち合わせていた。
この気持ちを吐き出していまえたら、どんなに楽だろう。
望むように恋人になれたらどんなに嬉しいだろう。

しかし、それが何を意味するのかも彼女は知っていた、否思い込んでいた。
つまり、気持ちを打ち明けることだったり、恋人になることが彼に余分な心配をかけ、彼が最も大切としている自転車競技に影響を与えかねることになるのではなないか、ということだ。
彼との帰り道に同じことを一体何度考えただろう。
結局思考は堂々巡りを繰り返し、結論なんて何も出てきやしないのに。
そう思い、糸のもつれを丁寧に解くようにゆっくりと息を吐き出した。



前を走る彼女の肩が大きくゆっくりと上下したことを、彼は見逃さなかった。
白い吐息が横に流れていったことも。
ため息というよりは深呼吸というような体の動きだった。それがため息なのか、深呼吸なのかあまり興味はなかったが、彼女がいま何を考えているのか、その思考の淵からぽろりと言葉が溢れてこないものか聞き耳を立てた。


「…なんか、不思議だね。」
「…何が?」
「先輩も部活引退して、もうすぐ3年生だよ?」
「…まぁ、その前にテストとか色々あるっショ。」
「やだなぁ。」


忘れてたのにぃ、とふざけた声色でクスクスと笑ったが、彼はそれに返事をしなかった。
しかし、少ない会話のなかで紡がれた彼女の言葉一つ一つをまるで手にとって用心深く感触を確かめるように、言葉の意味するところを探った。
彼はこうやって、よく彼女の言葉の意味を確かめる。
声とか、現在は見えないが表情や、やたらと多いボディランゲージや、全てを総合して本当の言いたいことなり、言葉との相違点を見つけていく。
別段彼女が遠まわしな言い方をしたり、何かを秘めているような所謂、ミステリアスな部分を持ち合わせているわけでは無いのだが、彼は彼女の言葉を丁寧に扱うのがとても好きなようだった。

その実、彼も目の前を走るみょうじへの恋心をほとんど自覚していた。
肩にかからないくらいの髪や、細い手足や、臆病な動物を思わせる言動など、挙げればキリがないほど、彼女のことを魅力的だと思っていたし、年頃の男子と同様に恋人になって触れ合いたいという欲求を持ち合わせていた。

また、彼女の自分に対する恋心にも少なからず気づいていた。
しかし、彼のよく言えば思慮深い部分、悪く言えば臆病者の部分が邪魔をして、その思いを行動どころか声に出すことも躊躇わせていた。
そして、いつも帰る誰にも邪魔されないこの道を、二人の無意味な思いやりが交錯し、お互いの心中を推し量り合い、くちゃくちゃともつれた糸のようなものを生み出していた。
もちろん二人共、この欲求不満から生まれるある種の不快感を全て嫌っていたわけではなかったのだが。



キキっと軋んだ音を立てて、みょうじの自転車が止まる。
二人が別れるY字路の前で決まって彼女はペダルを踏むのをやめる。
そして、巻島は初めて帰りの道で彼女の顔を真横から見ることになる。
いつだって、決まってそうだった。
少し口をモグつかせ、ハンドルから手を離す。
寒いのか気まずいのか、両手の指を幾度か絡ませると、手を見ていた視線を巻島の方に泳がせば必ず目があった。


「「…あのー」」

声が重なったのは初めてだった。
お互い気まずそうに目線が泳ぎ、もう一度かち合う。

「なぁに?」
「…いや、別に」
「…私も特に」

「ねぇ、巻島くん」
「ん?」
「えっと、……またあした。」
「…あぁ。じゃぁ。」


少ない別れの挨拶を交わすとみょうじがペダルに力を入れて先にいった。
振り返ると小さく手を振って、もう一度またあしたという。
しばらく、その背中を、髪を、手を、風景を眺めて、彼は意を決したようにゆっくりとペダルに力を入れる。




今度はお互いひとりきりの道を走りながら、いつだって、後悔する。







嗚呼、今日もまた

(いつもの帰り道)



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