部活の練習中コーナーギリギリを攻めすぎて落車。原付バイクとは違った乗り心地の自転車にブレーキの自制が効かなかったことが原因だ。大きく左足を擦りむいた荒北は、痛みと自分のバカバカしさに顔を歪めながら保健室に向かう。これが原因で、彼女のタガを外してしまうとも知らずに。


保健室の椅子に座りながら親の仇ように脱脂綿を切っているみょうじなまえは平凡かつ平穏無事な日々を送る高校1年生だ。これといって特技もなく、運動もあまり得意ではないことから部活には入らず、放課後はこうして保健室で委員会の仕事をこなしている。こなしていると言っても、怪我をした生徒が来た時には丁寧に手当てしてやる程度で、あとはひたすらに脱脂綿を切ったり、人体模型の内蔵をバラバラにしては戻したり、頭蓋骨の模型とおしゃべりしているだけなのだが。これを聞くとなんだか友達がいない寂しい女子高生のようで聞こえは悪いが、決してそういうわけではない。彼女はこうしながら部活で忙しい友達を待っているのだった。つまり許容範囲内の個性はあるが友達思いの平凡な女子高生だ。
また、女子高生たる所以として立派に恋もしている。彼女は同じクラスの荒北靖友に波波ならぬ恋心を抱いていた。彼が立派なリーゼントを携えていた時から福富に出会ってちょっと丸くなった今に至るまで、ずっと彼を想い頬を染め、時にはむせび泣く日々を送っている。リーゼントだった髪の毛が一体どこに捨てられてしまったのか、リーゼントの先端がどうしても欲しかったと、この際整髪料だけでも教えて欲しい、責任者はどこだ、訴えるぞと友人にのたうち回るくらいには一途だった。しかし、彼女の内気な部分が邪魔をしてその熱い想いは彼に届くことは今までに一度もなかったし、リーゼントの責任者と法定で会うことはなかった。ふにゃりとした笑顔で、彼に手を振り朝の挨拶と帰りの挨拶をするのが精一杯だったのだ。実に奥ゆかしいではないか。

「失礼しまぁす。」

そんな彼女はノックも無しに開いた扉の向こうを見て固まった。そこにはまさに意中の彼、荒北靖友の姿があったのだ。彼女は一点を見つめながら固まり、漫画の一コマのように手に持っていたハサミを金属皿に落としカランと乾いた音を響かせた。彼女には荒北が薔薇を背負って登場したように見えたのだろう。さらに言えば効果音はシャララーンである。

「あ、あ荒北くん?」
「え?みょうじ?…なんで、アァ保健委員?」

コクコクと必死に彼女は頷くと、保健室の扉を閉めながら入ってくる荒北をぼうっと見つめる。すらりと伸びた手足に鍛えられた体、無駄のない体は西洋の石像のようだと彼女は思った。そんな高貴な体からしたたり落ちる汗はおそらく聖水なのだろう。首にかけてあるタオルが羨ましい。私もタオルになって荒北くんの汗を吸い込みたい。タオルにはなれないなら、そのタオルを思いっきり絞って私に荒北くんの聖水を浴びせかけて!そんな恋する乙女なら誰でも考えるような初々しいことを考えながら荒北を見つめていると、彼は眉をひそめながら怪我した左足を指差した。

「怪我してるんだけど?」
「…あ、あぁ!ご、ごめん!!」

彼女は慌てた様子でガタガタと椅子を持ってくると彼に座るように促した。片方の足をもう一つの椅子に乗せるように言い彼女は震える手で救急セットを一通り準備した。

「えっと、…水では洗った?」
「洗ったけど血ィ止まんなくて。」
「…はぁ、荒北くんの赤血球。」
「…なんか言った?」
「え!?いや!?痛そうだなぁって。」
「そりゃ痛いでしょうヨ。」

じわりじわりと浮かんでくる血液を舐めとりたい衝動を抑えつつ、みょうじは美術品を扱うように丁寧に手当をした。少しでも乱暴に扱ったら傷つけてしまうと思っているようだ。小石が入ってしまっているようならピンセットで綺麗に取り除き、ガーゼで血を抑え、包帯を巻く。緊張しているとはいえ、毎日放課後保健室に篭っているだけあり彼女の手際は非常によかった。しかし手当が終わる頃には彼女の頭の中は荒北の赤血球、血小板、白血球のことでいっぱいだった。荒北の血液を十分に吸った脱脂綿が欲しい。一時的でも荒北の体内にとどまった小石が欲しい。真空パックして毎日持ち歩きたい。彼の手当をした時から、彼女のなかに潜む抑えきれない衝動が禍々しくそして着実に顔をもたげていた。
開けてはならない未知の扉を開いてしまったことや、自分の赤血球やらに興味を持たれていることは露ほどにも知らない彼は、みょうじの細やかで繊細な手当に感心していた。無駄口一つ叩かずに真剣に取り組む様子は献身的で、すこし胸の高鳴りすら感じていた。
たまりかねた彼女が口を開くまでは。

「ああ、あああああ荒北くん!!!こ、この脱脂綿と小石もらっていい!?あ、あ、あ荒北くんの赤血球をたっぷり含んだ脱脂綿もらっていい!?小石も一回荒北くんの中にはいってるんだよね!?荒北くんの一部だよね!!もう、このこは!!荒北くんの一部なんだねぇ!!」

紅潮した頬に現実世界を手放してしまったのではないかというほど虚ろで、それでいて深海の魚のように怪しい光を湛える目をした彼女は、鼻息を荒くしながら興奮した様子で荒北に迫った。拳は力強く握られ、体は心なしか震えている。もうその様子は恋する乙女ではなく、恋する乙女をこじらせすぎた妖怪のようだ。さっきまでの熱い気持ちはどこへやら、一気に肝を冷やした荒北が「ヒィ」と情けない声を上げながら保健室を飛び出していったのは言うまでもなかった。











乙女、脱線暴走中
それでも彼女は前へ進む



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