荒北は酷く混乱していた。昨日の部活で足を大きく擦りむいて保健室に行った時に見たみょうじと、先ほど朝の挨拶を交わしたみょうじがまるで別物だったからだ。というより、昨日保健室で話した彼女の方はみょうじの形をした、それこそ妖怪か何かなのではないだろうか。どちらかといえば現実的な考え方をする彼でも、そう思うくらいには昨日の彼女はおかしかった。否、恐ろしかった。

ふにゃっとした笑顔でおはようと手を振る彼女が本物で、保健室の妖怪は別人だったと思い込みたい。そうでなければ、昨日見た頬を紅潮させ鼻息荒く、禍々しい呪言を撒き散らす変態と一緒のクラスということになるのだ。それは避けたい。しかし、しがない男子高校生一人の力では彼女と別のクラスになることもできない。そうなればあれはみょうじではなかったと、落車した時に知らずに頭でも打って見てしまった幻覚なのだと思い込む他無かった。あとは、学校の七不思議のせいにでもしておけばいい。無理矢理にも決着をつけた荒北が顔を上げると、沸き立つ声と共にクラスメイトが椅子と机を持って移動を始めていた。

「ハァ?なに、今から掃除?」
「ちげーよ荒北。席替えだって。昨日の帰りのホームルームでくじ引いたじゃん。」
「あ…そういえば。」

 席替えという学生にとって一大イベントと忘れるくらいには彼は混乱していたらしい。やっと、現実に引き戻された彼は、黒板に書き出された自分の席の位置を確認した。窓際の一番後ろ。なんだ、今の席と変わらないじゃん。彼は一度上げかけた腰をストンと落とす。風通りもよくて眠くなったら授業中外を眺めることができるこの席は、彼のお気に入りだ。席替えの視界が変わる楽しさを味わうことは出来なかったが、納得のいく結果となったことを喜びながら、彼は黒板の文字に視線を這わせる。しかし、彼が現在の席に納得したのも束の間、疑惑の彼女の名前が自分の隣に並んでおり閉じかけた瞳が大きく見開かれた。驚きと動揺のあまり机の足を思わず蹴飛ばしてしまい大きな音を立てる。数人のクラスメイトがこちらを向いたが、荒北が大きな音や声を出すことに大概慣れ始めている彼らは特に気にする風も無かった。先ほど昨日のことには決着をつけたものの、あれで決着をつけたと思い込めるほど彼は単純ではない。ガタリと机の足が床と接着する音を右隣に聞き、ぎこちなく振り向く。そこには、目を異常なほど輝かせた彼女がいて、彼の脳みそでは警報器が鳴り響いた。さようなら、居心地の良かった窓際席。

「あ、ああ荒北くん!と、隣だね!…よろしく!」

白い肌は風呂あがりのように赤くなっていた。よく見れば小刻みに震えていたが、昨日の彼女の様子を思い出し動揺しきった彼は目を泳がせながら小さくよろしくと、つぶやくだけで彼女を見る事は出来なかった。それに彼女がなにやらブツブツ言っている言葉を自分の耳が拾わないように、意識を別の場所に集中させることに精一杯だったのだ。昨日のみょうじは幻覚でも、学校の七不思議でもなく存在してしまった今、彼に残された道は、極力彼女と接触しないことであった。

「はぁ、荒北くんの横顔。」

気にしない。

「あ、髪の毛…これ荒北くんのかな?」

気にしない。

「はう、荒北くんの吐いた息が吸えるよぉ。」
気にしな「だーーっ!!お前キモいんだよ!!」

気の短さが取り柄のような彼が、何か事あるごとにつぶやかれる荒北くん荒北くんという言葉を華麗にスルーすることは出来なかった。強く机を叩きながら彼女の方を振り向けば、びっくりしたように目を見開くみょうじ。徐々にその見開かれた大きな瞳が、雨粒が地面を濡らすようにじわりと潤みを帯びて彼は焦った。元はと言えば彼女が悪いのだが、傍からみたらどう考えても彼が悪者だ。さらに言えば、女子を泣かせる趣味も泣かせてしまったあとの対処方についても全くの無知だった。前言撤回しようと、彼は手をばたつかせる。

「わ、わりィ!あの、その、泣「嬉しい…!!」
「ハァ?」
「荒北くんが私に感情を抱いてくれてる!」
「ハァ!?」
「他には!?他にはどんなこと思ってる!?」
「ちょ、ちょっと待ってお前意味わかんねェ。」
「うんうん、意味わかんないんだね!?それで!?他には!?」
「怖いしキモい。」
「そっか!そうなんだ怖いんだ!」
「なんで喜んでんのォ!?」
「だって、荒北くんが!私のこと考えてくれてるなんて!嬉しい!私!荒北くんに認知されてる!」

きゃあきゃあと嬉しそうに騒ぐ彼女を見て、隣の彼は頭を抱えた。












乙女、盲目純愛中
彼の言葉は全て愛の囁き



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