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あの日席替えをしてから荒北は、みょうじに思う存分振り回されてきた。彼女自身振り回すつもりなどないようだが、悪気がないところが余計に質が悪い。あまりにも好き勝手荒北について一人で盛り上がるものだから、彼も何度か彼女の暴走を食い止めようと努力しなかった訳ではない。隣の席だから、逃れようもなかっただけなのだが。しかし結論を言うと彼のここ一週間の努力は実らなかった。とにかく無視に徹したり、ちょっときつい言葉を投げかけてみたり、説得してみたり、突き放してみたり。しかし全ては必死にやった宿題を提出したそばから焼却炉で燃やされて行くような虚しさしか残さなかった。彼女は荒北のどんな言動も恋心として燃やしていくのだ。どこの焼却炉よりも性能が良い。彼女に頼めば日本のゴミ問題なんてすぐに解決するだろう。灰すら残してくれない。そして、彼は何も実りのないまま月曜日を迎えてしまっていた。
けれど問題の火種であるみょうじはクラスの女子と話している時、朝の挨拶を交わす時、帰りの挨拶を交わす時、いたって普通だった。強いて言えばふにゃっとした笑顔が特徴的なだけで、なにかスイッチが入ると豹変する彼女とはどうしたって結びつかない。普段から変なやつだったら荒北自身も決着がつくのだが、どうにもギャップがありすぎる。それが彼を余計混乱させた。
「あ、荒北くんおはよう。」
「…オハヨ。」
いつものように彼女は荒北にふにゃっと笑いかけると、自分の机に重そうなカバンを置き友達のいる机に向かっていった。そんな彼女をチラリと見れば、彼は納得できないような表情をしながら机に顔を伏せる。寝ているように彼の背中は大きく上下していたが、彼の鼓膜は廊下側の席に遊びにいった彼女の声の響きを注意深く拾っていた。決して彼女が気になっている訳ではないと、彼は自分自身に向かって言う。彼女のことが気になっているのではなくて、彼が一番気になるのは自分に対しそれこそ呼吸することを忘れてしまっているのではないかと思うくらい、息つく暇もなく変態チックな呪言をまくし立てるのにも関わらず、彼に付きまとうか、と言えばそうではないということである。こうして友人のところに出かけていった彼女は、くだらないドラマの話をし、イケメン俳優の話をする。普通の女子高生のように話す彼女の言う俳優は彼には似ても似つかなかった。生憎、彼は俳優に似ているだの言われたことはこの方一度もないのだが。
「ところで、荒北くんって乳歯どうしてるかなぁ?」
「はぁ?荒北くんの乳歯?」
「あはは!また始まったよー!」
荒北のニュウシ?自分の名前はすぐに把握できたが、その後に続く言葉があまりにも聞きなれない響きだった。そのためニュウシという単語が乳に歯と書くあの乳歯だと理解するまでに、文字の並びを思い浮かべ吟味する必要があった。また、旬の俳優について話なんて彼にとって退屈な話でしかなかったため、ホームルームが始まるまで本格的に眠ってしまおうと思っていた矢先の乳歯だ。彼女の思考回路に甚だ疑問を感じる他無い。彼が知る由もないほど彼女の思考回路は込み入っていて複雑なのか、他の話をする時も一貫して彼女の頭の中を彼のニュウシが支配していたのかどちらかである。どちらにせよ、彼のあずかり知らぬことであるし、彼を戦慄させるには十分に迫力のある文字列だった。耳をそばだてる他彼に選択の余地は残されていなかった。そして、彼女が普通ではないのは彼の前のみでは無かったということを、思い知らされるのであった。
「子供の歯って抜けると屋根とか、縁の下とかに投げるでしょ?も、ももももしかしたら荒北くんの乳歯が荒北くん宅の縁の下に眠っているかもしれないとかひゃぁああ!!!あ、でも、歯ってどれくらいで分解とかされちゃうのかな!?乳歯、分解で検索!」
「やめなよ。ヤバい、それ多分犯罪。」
「骨や歯は日本のような酸性土壌の湿潤地帯で土の浅いところに埋まっていると、構成タンパク質のコラーゲンをカビや細菌が分解する。そして土壌の酸によってリン酸カルシウムが溶け出して、跡形もなく消失。うわーん荒北くんの乳歯欲しいよぉお!!」
「話聞いてないし。」
なんだってオレの乳歯なんかが欲しいんだというのは野暮な質問であることは、この一週間を通じて彼自身分かっていた。彼女の考えることは、彼の遥か上空で組まれた理解しかねる枠組みの中で処理されていることである。そんなことよりも、歯の分解経路の方がよっぽど理解しやすい。彼はもはや彼女の思考回路を理解するのは諦めて、勉強になったなァだなんて考えていた。荒北はみょうじの暴走に若干慣れ始めているらしい。
「じゃあ屋根!?屋根の上はどうかな!?」
それこそ雨ざらしにされて、ぼろぼろに分解されてるんじゃナイ?彼は彼女の言葉に対し冷静にかつ当たり前のように返答をしている自分に気がつき、変な汗が背中を伝うのを感じた。
男子、着々順応中
理解はできなくても、アリだと思いつつある
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