――我ながら恥ずかしいメールを送ってしまった。

荒北はペダルに力を込めながら頬の内側の肉を噛んだ。いくら眠かったとはいえ、もう少しマシな文面のメールを送れなかったのかと昨晩の自分を恨む。

また、昼間になって考え直してみると案外どうでもいい悩みだった、ということは世の常であった。フレームを濡らす自分の汗が昨晩の疑問を洗い流すかのように、正味さっぱりした気持ちになっていた。

昨晩、みょうじと話していた時の妙な安堵感の理由は気になるものの、その正体を突き止める必要性まであるのか。日光を照り返すアスファルトの道をひたすらに進んでいるうちに、夢の記憶を失うように、昨夜の感情も薄れていく気がした。

しかし、今朝彼女から返信があり、トントン拍子で時間など決まっていったので、眠たい彼の提案通り猫を探しに行くことになった。残る感情はほぼ気恥ずかしさのみで、彼はごまかすようにボトルを口に当て思いっきり搾り上げた。

「げ、全然ねぇじゃん」

荒北は大きな道から路地に入るとコンビニを探す。ちょうど昼時ということもあり、コンビニの前にはたくさんの自転車が止まっていた。

冷房が効いた店内の空気を思いっきり吸うと、熱くなった肺の中に涼しい風を流れこむのを感じる。汗で体が冷えないよう、ジャージの首元から腹の中までタオルを突っ込み飲料水コーナーに向かうと、YOKOHAMAと刺繍された野球部のユニフォームを着た集団が目に入る。

午前の練習が終わったところなのか、彼らは弁当や飲み物を選んでいた。横浜高校野球部。名門野球部がある高校だ。多くの球児が目指す進学先。もちろん、荒北も中学時代に憧れた。自分は横浜高校に入学するものだと疑わなかった。

小さな石ころが心臓の奥底に落ちる。固まった血液のような羨望が、無理矢理彼の血管を押し広げて進む感覚。冷房とは関係なく、一気に汗が引いたような寒気がした。すると部員の一人が振り返る。直線的だが気弱さを感じる眉をした横浜高校の生徒に、彼は見覚えがあった。そして向こうも、荒北に見覚えがあったようだ。

「あ、藤沢」
「お、荒北〜」

真っ黒に日焼けした彼は、片手にもった弁当を掲げた。藤沢の表情からは偶然にも旧友に会えた喜びと、若干の警戒心が見え隠れする。彼の同じ部活の友達は、荒北のサイクルジャージ姿に上から下まで視線を巡らせた。荒北は、その反応にはすでに慣れっこになっていたが、未だに恥ずかしく思う時があった。

「こっち帰ってきてたんだ」
「夏休みだかんネェ」

当たり障りのない会話。あえて気丈にふるまう荒北だったが、同じ中学校で野球をしていた藤沢が横浜高校に進学したことを彼は知らなかった。知らなかったというより、当時の彼はあえて知らないようにしていたのかもしれない。

「誰?」

隣にいた藤沢の友人が興味深げに荒北と、藤沢の間に割って入った。小柄ですばしっこそうだ。荒北は咄嗟に、こいつはセカンドかショートのポジションだろうとあたりを付けた。

「おなちゅうの野球部。二年でピッチャー任されてたんだよ」

厳密にいえば、ピッチャーを任される寸前で、腕壊してやめたけど、と彼は思ったが口には出さなかった。

「へーすげぇ! 今なに高?」
「箱学」
「箱学? 野球強いんだっけ?」

ずけずけと踏み入ってくる藤沢の友人に、荒北はいら立ちを覚えた。彼が荒北に嫌味を言おうとしているわけではないことは、彼も気づいている。ただ、自分の友人の元メンバーに興味があるだけ。けれど、彼にとって触れられたくない話題だった。特に中学生時代の知り合いがいる前では。

「荒北、いま野球やってないんだよな?」

荒北のいら立ちを感じ取ってか、藤沢は荒北と自分の友人、両者に尋ねるように言った。

「そうだけど」
「なんでー、もったいねぇ」

藤沢の友人は、不思議そうに言った。荒北は、「もったいない」という言葉に弱弱しく拳を握った。

――俺だって辞めたかったわけじゃない

けれど、ピッチャー以外のポジションでも活躍することはできたのに、野球を辞めたのは自分の弱さだ。逃げ出したのだ。すべて忘れたくて、野球から逃げたのだ。

ピッチャーというポジションで期待され、自身もそれ以外の未来を思い描けなかったから、そうではない彼は、何者でも無かった。誰からも必要とされなくなったような、そんな気がした。

チームの中で必要とされている自分という役割がなくなった荒北靖友という名前なんて、意味のない文字の羅列に思えた。

「荒北はさ、センスあったから。俺ももったいないって思ったよ」
「でも、藤沢は、俺が辞めたから、ピッチャーになれたじゃない」
「ん、まあ……そうなんだけど」

荒北が野球を辞めたあと、藤沢は彼がいるはずだったピッチャーのポジションに立った。荒北が辞めなければ、彼がピッチャーになれたのはずっと後だっただろう。昔のことを掘り返し、嫌味を言ったはずなのに藤沢は少しだけ困ったように、ヘラヘラと笑っただけだった。

「なんだよお前かっこ悪いやつじゃん」

藤沢の友人は、藤沢を小突いた。

――かっこ悪ぃのは俺だヨ

「じゃ、行くわ」

荒北はじゃれあう旧友に背を向けレジへと向かった。会計を済ませ、ボトルに飲み物を補充すると、その場から逃げるように自転車に乗る。あの頃の無力さが全身を包む。彼は過去のみじめな自分に戻ったような気がした。
 



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