近くて交わらない僕らの道

「行きたかったかい?」



先ほど、「アドバイスだけだぜ?」とチルドレンの任務に協力することを約束した兵部は、条件としてなまえは自分の元に残ることを提示していた。

兵部の「行きたかったかい?」は、今回の生物感染の原因になった人物を探しに行くことを指している。



「・・・別に、ハエに近づくのがいやだっただけだよ。」



トイレの手洗い場に腰掛けながら、なまえの脚がゆらゆら揺れている。

なまえの斜め下では、ガムテープで口と手足をぐるぐる巻きにされた皆本が地面に座っている。

先ほどまで騒々しかったトイレは、静寂に包まれている。
薫と紫穂と葵は、皆本を元に戻すため騒動の原因となった研究員を探しにいっているためだ。

3人はなまえだけを残して行くことをあまり快く思っていなかったのが、なまえの反応があまりにもないため、結局兵部の言う通りにしたのだった。



「僕が居なくても、問題ないし。」



なまえの視線は、不規則に揺れる自分の足へと注がれていた。

出された声音からは、何も感じ取れない。

兵部はいつものように、食えない表情で小さく笑うと防菌スーツのジッパーを下ろした。
下ろしたジッパーから、黒いTシャツがのぞく。



「「今回」は危険じゃないってことかな?」

「・・・・・。」



下を向いていたなまえの視線が、兵部に向く。
なまえの目が、探るように細まった。
不規則に揺れていた足は、ピタリと止まっていた。



「京介こそ、「こんな小さな予知も変えられないなんて、期待するだけムダだった」?」



背中に背負っていた酸素ボンベを降ろした兵部は、脱いだスーツの袖を腰巻にすると小さく笑った。

その顔に少し落胆したような、嘲りを含んだような色を浮かべて。



「コイツも少しは思い知ったんじゃないか?」


兵部は、床で拘束から逃れようともがく皆本(ハエとリンク中)をちらりと見た。

兵部は、要するに皆本が気になって現場に来たらしい。

ほとんど色のなかったなまえの顔に、呆れが広がる。
なんだかんだと言いながら、皆本に本当に執心だよね。とでも言いたいのだろう。



「・・・京介ってさ。ほんとーに、素直じゃないよね。」

「なんだい、藪から棒に。」



今度は兵部より鋭い視線を向けられて、なまえは口を閉じた。

なまえの視線はまた、自らの足元に戻る。
また、ゆらゆらと揺れるなまえの足。



「・・・いやに静かじゃないか。」



いつもは、的確なほどに人の痛いところをついてくるようななまえの言葉数が少ないのを兵部は不振に感じたようだ。



「・・・・迷ってるのんじゃないの。京介。」

「何をさ。」

「京介はさ、優しすぎるんだよ。」

「答えになってないんだけど。」



なまえの意識は、兵部に向けられてはいなかった。
自分の中にある、悲しかった辛い過去と未来に生きる皆のために決めた決意を見つめていた。

兵部はなまえが自分の質問に答えてくれる気がないのだとわかると、眉間に力が入るのを感じた。



「・・・(1人で抱え込んで、抱えきれなくなったら1人で逃げ出すのをやめろって、僕は言いたかったんだ。なのに、)」

「・・・・僕は、もう。迷うのはやめたよ。」

「(そんな決意をして欲しかった訳じゃない。)」



兵部は、やっと自分の目を見たなまえに、以前はなかった光を見つけた。
しかし、希望と呼ぶには悲しさを伴う光だ。

そして、なまえの瞳に映った兵部も悲しげであった。



「・・・そろそろ、連絡したら?」



あと、前髪跳ねてるよ。と、またいつもの無表情へ戻ったなまえの声音からは、もう何も感じ取れなかった。

兵部は、何もなまえからは読み取れないと諦めると、流しの上に設置されている鏡へと視線を移した。



「(僕は、もう、救われたい訳じゃない。みんなのことを、救いたいんだよ─────)」



皆本の懐から、通信機となる携帯電話を取り出した兵部。
そのまま流れるように薫へと通信チャンネルを繋げて、鏡を見つめながら跳ねた髪を押さえている。



「(傷つけられても、誰かを幸せにしようとする皆が・・・。薫や京介のことを、幸せにしてあげたいんだ。)」



2018.01.22

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