それでも進む
「・・・君たちの任務は、「生物汚染発生を防ぐこと」だったよな。でも今回もそれ自体は防げていない。わかるか?」
スプリンクラーの水で濡れた髪の水気を拭き取りながら、兵部は地面に座らされている皆本へと話しかける。
静かに、だが確かに、否定の色をにじませた兵部の声が、男子トイレに響く。
皆本へと染み込ませるように、兵部の口から言葉が紡がれる。
「予知システムによって──、いやなまえの予知能力によって、早く対応できた。ただそれだけだ。君たちが現場に来ること自体が予知に含まれていたケースもあったよな?」
「・・・・・・」
兵部の目はまっすぐと、皆本へと向けられている。何かを見定めようとするかのように、ただまっすぐと。
ガムテープで手足と口元を塞がれている皆本から、言葉は発されない。
「バベルが日常的に行っている予知出動でさえこのありさまだ。もっと強大な世界規模の流れを、お前ごときが変えられるわけないだろ。「黒い幽霊」も「チルドレン」の翼も、指し示しているのはひとつの未来だ。強大な流れを変える強大なエネルギーなど、普通人のお前は持っていないんだ。」
黒い幽霊の活躍による、普通人とエスパーの対立のきっかけ──
黒い幽霊、バレットとの一件で見られた薫の女王としての覚醒の兆候──
そして黒い幽霊、ティムとの一件で発された皆本の力強い言葉──
「そのコの背後にいる連中!聞こえてるか!?ブースターを手に入れれば、自分たちの商品が無敵になると思ったのか!?それとも全世界のエスパーたちが力を合わせるのを恐れたか!?」
「あいにくだがこんな偵察は無駄だ!!洗脳エスパーを何人寄越そうが────僕たちは必ず解放する!!」
兵部は瞬き一つの間に黒い幽霊へと力強く宣言していた皆本の姿を脳裏から消すと、神々しいまでの輝きでバレットとティムを救ったチルドレンの翼を浮かべ、小さく笑った。
兵部は皆本の目の前にしゃがむと、皆本の顎を捉える。
うつむいていた皆本の目線が、兵部と交わる。
「・・・・楽になる方法を教えてやろう。流れに身をまかせるんだ。僕が協力してやるよ。」
兵部は皆本の顎を支えていない方の手を、皆本の目の前にかざす。
「帰る前に全力でお前に催眠暗示をかけてやる。例の予知───エスパーと普通人の戦争のことは忘れろ。いいな?」
催眠能力を使用しようと、兵部は意識を集中し始める。
「!!」
しかし、兵部の視界の端でまたハエが不自然にまとまり始める。
どうやらまた皆本がハエでメッセージを伝えようとしているようだ。
コトワル
「あ・・・ん!?」
壁の文字に形作られた「コトワル」を目にした瞬間、兵部は額に青筋を浮かべた。
兵部は人を殺めそうな目つきで、皆本を見つめている。兵部ならうっかり憎しみのまま皆本を殺しかけない。
「(僕1人で無理でも、仲間の力を借りればできる・・・!!そのためのバベルだ!!)」
「・・・・・・・・」
「(人間の力はお前が言うより強いはずだ。まして僕の仲間の多くは通常より巨大な力をもっている───君と同じエスパーたちだ・・・・!!)」
兵部は、皆本の思考を精神感応能力で読み取る。
蕾見不二子、末摘花枝、梅枝ナオミ、賢木修二、常磐奈津子、野分ほたる、宿木明、犬神初音────
皆本が思い浮かべた「仲間」たちが、精神感応能力によって兵部の脳裏にも伝わってくる。
兵部は、顔に込めていた力を抜いた。兵部の心を懐かしく、そして今はもう感じることができなくなってしまった感情が吹き抜けていった。
「あ、花嫁じゃん。」
研究施設の上空、兵部によって便器に沈められた皆本を囲い救急車へと入っていくチルドレンを見下ろしていたなまえ。
膝を抱えて宙に浮いていたなまえは、膝を抱えていた手を離し声の方を振り返る。
「そういう君は────、ごめん。初めましてな気がする。」
『コイツハ、藤浦葉ッテイウーンダゼ!』
「あ、桃太郎。」
肩に乗ってきた桃太郎の頭を、なまえはひと撫でした。
藤浦葉、と紹介された茶髪の癖っ毛の青年はなまえの視線を受け止めるとゆるゆると微笑んだ。
『なまえ、皆本ノヤツ助ケテヤラナクテ良カッタノカ?』
「うーん、まあたまにはいいかなって。面白いし。」
無表情で言い切ったなまえに、普通はあまり空気を読まない桃太郎も何も言えなかった。
葉は微妙な空気を物ともせずに、相変わらずの笑顔で口を開いた。
「ところで、ジジイ────少佐見なかったっすか?」
「この辺漂ってれば、来ると思うよ?」
ほら、となまえが指差す方向から飛んでくる兵部。
「サンキュー!」となまえに手を振ると、葉は兵部がいる方へ一直線に向かっていった。
なまえもつられて、軽く手を挙げて一振りする。
なまえはぼんやりと、振り終わった手を見つめて一つため息をついた。
『大丈夫カ、なまえ?』
「・・・僕はね。もう、決めたから。(エスパーと普通人の戦争は回避不能で、京介はただ、薫たちが悲しむことを気にしていて、だけどちょっぴり、皆本のことも気にしてる。──あの男、隊長に似ているから。)」
なまえの瞳に、確かな決意が宿る。
ただ、先ほど兵部に見せた表情とは違い、桃太郎がいるせいかその表情には寂しげな色が混じっていた。
高超度能力者であるなまえの心を桃太郎は正確に読み取ることはできなかったが、その悲しい色は確かに桃太郎には伝わった。
桃太郎は、なまえの頬へと顔を寄せた。
『僕ハ、なまえノ味方ダカラナ。』
「ありがと、桃太郎。(京介は、エスパーのためだけにその力を使うことを決めた。)」
『なまえ──』
「僕は、僕は、そんな彼女たちと彼のために、この力を使うって、決めたから。」