彼の微笑み
小学校から出てくるチルドレンを見下ろして居た兵部は、近づいてくる人影へと視線を移すと、にこやかに手を挙げた。
「やぁ、なまえ。奇遇だね。」
『ヨ!なまえ!』
桃太郎にだけ挨拶を返し、腕を組み兵部を半目で見るなまえ。
「こんにちは、桃太郎。ちょっとその人に話があるんだ、邪魔が入らないようにこの辺見張っててくれないかな?」
『コノろりこんト2人っきりなんて危ないぞ!)」
「おい。」
「ほら、この高級ヒマワリの種あげるから。」
「(しょーがねーなー!気をつけろよー!)」
ヒマワリの種を咥えながら、飛び去っていく桃太郎を見送りながらなまえは、ちらりと兵部に視線を移動させる。
「こんなこと続けてたら、本当にストーカー認定されちゃうよ?」
呆れた声音を隠しもせず、皮肉を突き刺してくるなまえに兵部は苦笑いをした。
「手厳しいねぇ。心配しなくても何もしやしないさ。そもそも君たちの周りにはこわーい人が警戒網を張っているじゃないか。」
「安心して何かするために────お姉さまのこわーい警戒網をどうにかしたいんでしょう?」
兵部が話し終わる瞬間に、瞬間移動で兵部の背後になまえは移動する。
兵部の手首を掴むと、なまえ口角を上げる。
「あいかわらず君には隠し事が出来なくて困るな…!?」
なまえにより体の前に引っ張り出された兵部の手には、小学生の文房具によくありそうな、「じゆう帳」と書かれたみどり色のノートと、反対の右手には鉛筆が握られていた。
困ると言っているが、兵部の表情は普段と変わらない余裕のあるものだ。
「君の邪魔はしない。だから、別にこのノート使わなくていいよ。」
「本当に弱ったな…。(このノートの「能力」まで知ってるってことは、やっぱり…予知ていたか。)」
「ただし、約束してよ。不二子お姉さまに危害は加えないって。」
「…」
なまえは兵部の手首を離す。
兵部の正面に立ったなまえの瞳に、兵部だけが映る。
なまえの手は、固く握り締められた。
兵部は仕方ないなとも言いたげに、少しだけ力を抜いて笑う。
「…、いいよ。君が言うなら。」
「今回だけじゃなくて。これからも。…約束して。」
なまえの眉にきゅっと力がこもる。
瞳は誤魔化すことなく、兵部を捉えていた。
兵部は、薄ら笑うと茶化すように両肩を上げた。
「それはちょっと保証できないかもな。」
「…京介、」
「そういう約束をして欲しいなら、君はパンドラに来るべきだ。」
兵部は身を屈めて、なまえの瞳を見つめる。
急な接近に対応できなかったなまえの体が驚きに固まる。
兵部が、なまえの瞳の中心にうつる。
なまえはぶるりと唇を震わせると、眉を下げて唇を噛み締めた。
「薫たちが居るから、それはできない。」
「彼女たちもやがて僕らの元に来るさ。」
小さくだがしっかりと、なまえの声が発される。
兵部はいつものように軽く返した。
だが、きっと本人も気づいていないだろう一瞬だけ────その表情からは余裕が消えて悲しさだけが残っていた。
なまえが、先ほどよりはっきりとした声を出す。
「…とにかく、約束して。」
「…」
「京介!…っ!!」
突然放たれた硬く黒い帯状の物質。
抵抗する間を与えることなく、瞬時にその物質はなまえを制圧していく。
炭素単結晶繊維を精製し操る合成能力。
なまえの頭に、能力者の名前が浮かぶ。
「真木、司郎!!」
「油断したね、なまえ。」
「っく…!(油断した…!まさか、仲間をつ連れてきているなんて…、)」
真木の炭素繊維で体を肩から膝まで簀巻きにされたなまえは、どうにか炭素繊維から逃れようともがく。
だがなまえでは、炭素繊維を千切るための超度が…パワーが足りない。
なまえの顔が、大きく歪んだ。
兵部の声が愉快そうに弾む。
「(くっ、やっぱり薫くらいパワーがないと無理か…。)」
真木は先を鋭利にした炭素繊維で、なまえを狙う。
なまえの動きがぴたり、と止まる。
「動くな、花嫁。」
「(電撃を浴びせようにも同時か、その前にこっちがやられる。)」
「…いつまでも同じではいられないよ。君も…、決めたんだろう。」
「っ!」
なまえは、静かに瞼を閉じる。
まぶたの裏を沢山の記憶が駆け抜けていく。
伊号のいた孤島で記憶がない自分に、古ぼけたロケットを渡してきた兵部。
海底の潜水艦で、忘れていた記憶を思い出した。
黒い幽霊に精神へと接触された影響で、超能力が暴走し一時的に兵部の元で過ごしていた日々。
生物汚染を防ぐために出動した研究所で交わした会話。
ザ・チルドレンになる前───悲しみも切なさも苦しさも、何も知らなかった時から…。
ずっと、ずっと兵部のちょっと後ろを歩んできた。
だがもう、昔のようにはいられないのだと、瞼を開けたなまえには、確たる決意が存在した。
「そう…だ、ね。(そっか…僕はまだ…京介に、期待してしまっていたんだ。でも、今度は、僕が──京介を、薫を…!守るんだ…僕だけで!)」
「…まあ、今回は不二子さんは目的じゃないんだ。だから安心して良いよ。」
「…。」
「でも、君が居ると困るんだ。自宅でゆっくりしててくれよ。」
「そんな大人しく…っう!!」
なまえの口元を炭素繊維が塞ぐ。
鼻と口を同時に塞がれたなまえの喉が、不自然に音を立てた。
段々となまえの瞳が濁っていく。
「(い、息が…!)」
「…大人しく帰れ、花嫁。」
「(っい…しき…が、)」
「対人での勝負なら、圧倒的に僕らの方が有利さ。…まだまだだよなまえ。」
「(だ…、め…)」
「おやすみなまえ。」
兵部の言葉を皮切りになまえの体がぐったりと傾き、重量に従い落ちていく。
兵部は、なまえを拾い上げ、抱き寄せた。
横抱きにされているなまえの肢体は、ぐったりと投げ出されている。
なまえの額に、兵部は唇を寄せると静かに微笑む。
一連の流れを見ていた真木は、静かに口を開いた。
「良いのですか少佐。」
「なまえなら平気だよ。それより、女王たちになまえがいないことに気づかれる方がまずいな。」
「…(それなら、気絶させない方が良かったのでは?)」
なまえを拘束していた炭素繊維を戻しながら、真木は呆れた表情を前面に出した。
兵部は真木の様子に気づいているのか、気づいていながら無視をしているのか…何かを思考するようにじっとなまえを見つめ続ける兵部。
兵部はひとつ、ため息を吐くと爽やかな胡散臭い笑顔で真木へと向き直す。
「仕方ないな…、真木。お前、なまえになってくれ。」
「はぁ!?」
「ふふ!冗談だよ。」
「(今のは半分くらい本気だった、絶対…!本当に、この人は…!!)」
言葉が出ない様子の真木だが、兵部はあいも変わらない胡散臭い笑顔を崩さなかった。
「…桃太郎。お前がやるんだ。」
「ハァ!?本気カヨ!?」
無駄に輝く笑顔で、桃太郎の背中に手を置く兵部。
桃太郎に怒鳴られても、真木の飽きれた視線が突き刺さっても、笑顔は崩れない。
「しょーがないだろう…。なまえがここで仕掛けてくるのは、ちょっと予想外だったんだからさー。あの子たちに「これ」を渡した後に、眠らせる予定だったし…。」
ひと息吐くと演技かかった仕草で、肩を竦める兵部。
腕の中にいるなまえを見つめながら、最後は不満そうにこぼした。
真木はゆっくりと息を吸った。
「…本気ですか、少佐。」
「催眠能力で見た目はごまかせるし、なまえのことならわかるだろう、お前。」
「マー、ソウダケドヨ…。」
「まあ、なんとかなるさ!」
いつも通り自由な兵部を、真木と桃太郎はただただ薄目で見つめていた。
この後、兵部は予定通りB.A.B.E.Lに侵入して計画を遂行させるのだが───「楽しく遊んで」1日を過ごした。