噛み合わない歯車
「ぐ…!!あっ…ああ……」
「ぐ…!!これが失敗したら、あの子と澪たちは殺しあいになる………!!」
薫は、激しい頭痛に耐えながら力を放ち続ける。黒い幽霊の洗脳は、パティをしっかりと掴んだままだ。今ここで力を放つのを止めてしまえば、薫たちの負けになってしまう。
薫はそれだけは絶対に避けたかった。
「(やっぱり、パワーが足りないか…。)」
間近でパティの様子を見ていたなまえは、頭上の薫達を見上げる。
遠目からでも薫の苦しげな様子は、なまえには伝わっていた。
痛みと悔しさで、薫の目元には涙が滲んだ。
「(あたしはみんなに大事にされてた…!自分で思ってたより、ずっとずっと……)」
「(…パンドラの記録に残すのは癪なんだけど…仕方ない。)」
なまえは、ひとつ決意を固めるように息を吐いた。
「だから!!この子たちも大事にしたいの!!(お願い!!力を貸して!!紫穂!葵…!!)」
「薫…!!」
「…なまえ!!」
なまえと薫の視点が交わる。絞りだすように薫がなまえの名を呼んだ。
なまえは一つ頷く。縋るような薫の視線に、なまえは応えない筈はなかった。
「うん…!(僕は、君のためなら何でもするって決めたから。)」
薫の背後へと瞬間移動したなまえ。
なまえは抱きつくように、薫の背後にぴたりとくっつくと、薫の腕に沿うように手を伸ばす。
なまえはパティに向けて伸ばされた薫の手に自分の手を重ねると、真後ろから薫の手を力強く握った。
「使って、僕を。」
なまえは静かに目を閉じた。
薫は一瞬にして湧いてきた底知れぬパワーに、体を震わせる。
「うわあああああああーーーーーーーーッ!!(あたしは───いつまでも小さな子供じゃないっ!)」
パティにかけられた洗脳が解けたのを、全員が感じた。
それは、忌々しい呪縛が音をたてて壊れていくような感覚だった。
洗脳から解放されれて、力なく地面へと倒れるパティ。
「やった、「黒い幽霊」の呪縛を破壊した……!!」
「フ…フン!まーまーってとこね。でも…薫!?」
喜ぶ紅葉と澪の声に返事を返すことなく、崩れ落ちる薫。
苦しそうな表情を浮かべ呼吸を浅く繰り返す薫を抱きとめるなまえ。
なまえは透視した薫の容体に唇を噛み締めた。
「…っ(やっぱり、出血したか!)」
「女王!?」
「どうしたの!?薫!?」
慌てて薫へと集まる紅葉たち。
なまえは薫の額へと右手を当てて、意識を集中させた。生体コントロール能力で薫を治癒するためだ。
「落ち着いて。大丈夫だから。」
「澪…あの、さ…」
「何!?」
「京、介は……澪にも、帰ってほし、かったん、だよ。だから、あんな、命令を────」
「!!」
かすれながらもしっかりと告げられた薫の言葉に、澪は心臓を跳ねさせた。
脳裏には今回の任務出発前に兵部に言われた「何があっても女王だけは守れ!」という言葉と、いつになく険しかった兵部の表情が浮かんだ。
薫が羨ましいと告げた澪へ、薫は必死に言葉を続ける。
「今、は……あんたに、だって────家族、が、あるじゃ………………」
話す力もなくなり、ぐったりとした様子を見せる薫。
澪は、はっとするとなまえへと詰め寄る。
「ちょ、ちょっと花嫁!薫はどうしたのよ!」
「毛細血管から出血してる。から、瞬間移動で血を出して念動力で止血中。」
「たすかるの!?それでたすかるの!?」
静かに告げるなまえへと詰め寄る澪に、力なくカズラがこぼす。
「とりあえずの応急処置、でしょ。多分、少佐なら完治させられると思うけど…。」
「じゃあ早く少佐にーーーー!!」
「それなりの応急処置だから。安心して。」
半泣きの澪に対して、冷静に返すなまえ。
なまえは息を吐くと、さらに一段と冷めた声で続ける。
「それにどーせ、もうすぐストーカーが来るんだから。」
「僕をストーカー呼ばわりなんて、いい度胸じゃないか。」
「ほらわいた。」
「「「少佐!!」」」
瞬間移動で現れた兵部は、なまえの背後から薫を覗き込む。
その表情にはいつも以上に気の抜ける笑みを浮かんでいる。
驚く澪、カガリとカズラ、そして若干の呆れた顔をした紅葉。
パンドラのメンバーには視線を送らずに、いつもと同じ意地の悪い笑みをなまえへと向ける兵部。
「大丈夫。心配しなくても死にゃしないよ。ちゃんとなまえが上手く応急処置してくれてる。」
「…。」
兵部は薫に触れようと手を伸ばすが、真顔のなまえに静かに見つめられて手を引っ込めた。
伸ばした手をポケットへと戻した兵部は、なまえに拒否された流れをなかったかのように言葉をつづける。
「まぁ、僕はバベルのヤブ医者より有能だからな。ここへ来たときより、健康にしてやれるよ。」
澪は、兵部の言葉にホッと息を吐いて安心した表情を見せ、「あ…あたしは別に心配なんか────!!」と誰にするでもなく弁解を始めた。
澪を軽くスルーした兵部は視線を下へと動かす。
「!!それより──」
「こっちはいいから、あっち。」
「わかってる!」
なまえは冷めた声と共に、地面を指差す。
その方向には、先ほどブーストで倒されたはずのパティが倒れていた。
意識を失っているはずのパティは何やらブツブツと呟き始める。
「……はい。わかりました、「黒い幽霊」。私は「いい子」です。ご命令通りに。」
呟き終わると仰向けに伏したまま、右手を何かを探るように動かすパティ。
そばに散らばっていた少し太い木片を迷わず掴むと、鋭利な尖端を自らの喉元に突き立てた。
「やめろ!」
兵部が念動力で動きを静止させようとするが、パティの動きは止まらない。
木片の先端がパティの皮膚を突き破り、出血する。
「ダメだ……!!拘束しろ!!急げ!!」
「念動──ゴッド・ハンズ!!」
兵部の指示を受けた紅葉が、地面に大きな手形がつくほどの怪力でパティを地面に押さえつける。
パティは衝撃で気絶したのか、地面に倒れたまま動きを止めた。
「ブーストが完全じゃなかったってことか…敗北後の自滅プログラムが消えてない…!」
兵部は苦々しそうに言葉を漏らした。
なまえはちらりと兵部を見た後、じっとパティを見つめた。
「(…やっぱり、僕じゃだめか。)」
気絶したパティと薫を回収し、皆本宅へパンドラのメンバーと戻った後、なまえは一人でリビングのソファにうつ伏せに倒れていた。
「近づかないでよストーカー。」
「ふーん。へー。そんな反応して良いのかな?」
「「女王とパンドラのメンバーを組ませるテスト」が上手くいって良かったじゃん。」
「…怒ってるのかい?」
「…別に。」
ソファの横に立ち、なまえを見下ろす兵部。
なまえはクッションに埋めたまま、顔をあげようとはしない。
「「パティ」の洗脳は「ほぼ」解けた。」
「そうだね。」
「…なまえ、僕に何か隠し事してるだろ。」
「なにが?」
「パンドラ製のリミッターをしていないのに、なんでブーストに参加できたんだ?」
「…分析が早いじゃん。それとも見てたの?」
「なまえ。」
淡白な返事しか返さないなまえに、兵部は面白くなさそうに顔をしかめた。
「…なんか最近、可愛げなくない?」
「あなたとお義姉さまの影響です。」
「昔はいっつも僕の後ろに着いてきてくれてたのになぁ〜〜。」
兵部は体をかがませて、クッションに埋まったままのなまえの耳元で意地悪く笑う。
耳に吐息がかかったなまえは、勢いよく体を起こした。
吐息がかかった耳を押さえて真っ赤な顔のまま叫ぶなまえ。
「っ!い、いつの話を〜〜!!もう、はやく帰れ!ストーカー!!」
「言われなくとも、そろそろお暇するよ。」
かがんだ体を起こし、わざとらしい仕草で肩をすくめる兵部。
苛立たしさを隠そうともせず、なまえは半目で兵部を睨んだ。
「(…何しに来たんだよ。ホント。)」
そのまま体を反転させて部屋から出ていこうとする兵部の背中へと、なまえはポツリとこぼした。
「………パティの件、」
「…わかってるよ、」
「…必要なら、呼んで。………できること少ないかもしれないけど。」
「!ふふ、またね。」
兵部は肩越しに振り返って微笑むと瞬間移動で姿を消した。
薫の処置も終わっていたはずなので、パンドラのメンバー全員も一緒にきっと退散したのだろう。
「(薫は、”何不自由ない幸せなお嬢様”なんかじゃない。京介が思っている通り、それほど幸せじゃなかった。今日をきっかけに周りの愛情に薫は気づいた。でも、一番必要だった時にいつも───誰も抱きしめてくれなかった。だから薫にはどこか満たせれていないと感じている部分がある。)」
なまえの脳裏に、ある未来が浮かぶ。
────
───
─
数年が経った未来。
妙齢の女性へと成長した澪へと迫る戦闘機。
上手く戦闘機を振り切ることができない澪の表情に焦りが生まれる。
自らを追っていた薫へと、ふと澪が手を伸ばす。
薫は澪の手をしっかりと掴むと、戦闘機を念動力で撃墜した。
「よせ、薫!!何をする気だ!?戻れ!!行くんじゃない、薫ーーーーーー!!」
悲痛な皆本の叫びだけが虚しく空へ広がっていった。
─
───
────
「子どもは自分の想像を飛び越して、あっという間に成長していくんだ。(そう、「僕ら」にはないものだね、京介。)」
ナオミと任務に出ていた、紫穂と葵と皆本が帰宅したのだろう。
騒がしくなった寝室をちらりと見たなまえはまたソファのクッションへと倒れ込んでいった。
今だけは、何も聞きたくないというように。