アリスのためいき



02

「サクラ、どうしたの!? 大丈夫?」

アリスサロンにサクラを迎えに来たるいが発した声には、驚きと焦りと不安が含まれていた。サクラの元に慌てて駆け寄ると、るいはその瞳と右手を忙しなく見比べた。

サクラは右手の甲に火傷を負っていた。絹のように白く柔らかな肌は赤く色づき、皮膚の一部が腫れたように少しふくらんでいる。庇うように添えられた左手ごと、るいは両手でサクラの手を包み込んだ。

アリスは感覚としての痛みは感じないと言うが、サクラの瞳は明らかに困惑していた。傍で氷嚢を持ったまま固まっている、エドガーのアリスも。

「エドガー、どういうこと?」

いつも優しいるいの鋭い視線を受けて、エドガーは言葉に瀕した。

「アリスが…、サクラが怪我するってどういうこと?」
「落ち着け、るい」

謝罪も、説明も、行った処置も。るいに連絡をして彼女がここにやって来るまでの間に、エドガーは頭の中でしっかりと用意したはずだった。しかし、いざるいを目の前にすると何処から説明すればいいのか分からなくなってしまう。動揺しているるいを落ち着かせた上で、納得させることは出来るだろうか。

けれど最初に出た言葉は、こともあろうに『落ち着け』だった。るいの性格的にも、状況的にも、落ち着いていられる訳がない事など、十分知っていたのに。

「もう、いい」

数秒ほどエドガーを見つめていたるいは立ち上がると、自分の着てきた上着を脱いで、サクラの肩にふわりとかけた。そしてサクラの左手を引いて、そのままエドガーの目の前を横切り、サロンから出て行こうとした。

「エドガー。しばらくアリスたちのお手伝い、休ませてもらえるかな?」

悲しそうな、苦しそうな目でエドガーを見て、るいはそっとサロンを出て行った。エドガーは制止しようと手を伸ばしたが、声が出るより先にるいは視界から消えてしまっていた。




残されたエドガーの指先は行き場を失ってしばし空気を撫でていたが、やがて力なくその場に降ろされた。傍で見ていたアリスもエドガーと同じく困惑したように立ちつくしていた。しかし秒針の音が10回ほど聞こえた後、何を思ったのかアリスは突然、持っていた氷嚢をエドガーの頬に押し当ててきた。

「…!!!! なっ! に、を…」

急激な冷たさに思わず声と思考を失い、反射的に違和感を回避する。退かした氷嚢の奥から、アリスがじっとエドガーを見つめていた。

「……そうだな。俺が悪かったな」

もしかして、これはアリスなりの慰め方なのかもしれない。頭を冷やせ、という意味なのかもしれない。答えはわからないが、アリスがエドガーを励まそうとしている事は理解できた。足元ではクロが不思議そうに2人を見上げている。クロにはるいを呼びに行く役目を担ってもらっていた。

「明日、るいに謝るよ」

そう言って、アリスの頭をそっと撫でる。くすぐったそうに身をよじったアリスは、エドガーの指から逃れるように後ろを向いて、すぐに食器の片付けに取り掛かった。

エドガーの溜息は、アリスにもクロにも聞こえていただろう。けれどもう、2人は反応せずにいてくれる。


サクラが火傷をしたのは、乱暴な客がエドガーのアリスに向かってティーカップを投げつけたからだ。顔面に向かって飛んできた熱い花茶はエドガーのアリスが被ることはなく、それを庇おうとしたサクラの右手が受け止めた。客席での騒ぎが聞こえ、エドガーはすぐにキッチンを飛び出した。

何があったのかは一見して理解できたが、客はエドガーが訊ねる前から、まるで弁解するように『喋らず、感情表現をしない、花人形(アリス)に対する暴言』を思いつく限りに吐き続けた。その言い分の全てが、エドガーの理解の範疇外であったが、状況を整理するために黙ってその話を聞き続けた。

が、客には無言で、鋭い視線で睨み続けるエドガーを不気味…もしくは恐怖を感じたのだろう。やや多い会計をテーブルに叩きつけ、逃げるようにその場から立ち去っていった。

後に残ったのは、火傷を負ったサクラだった。状況整理と湧き上がる怒りの沈め方を模索しながら、クロをるいの元へ向かわせた。エドガーはサクラに謝罪の言葉を述べたが、サクラはふわりと笑顔を浮かべるだけだった。


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