03

わかってる。

奈々緒が涼花の肩に頭を乗せてしばらくするとすぐに寝息が聞こえる。それを聞いて涼花は微笑んだ。

「沢田の寝顔初めて見たわ。」

「穏やかな顔してるね。」

いつも見る眉間に皺を寄せた険しい顔ではなく年相応の等身大の少女の寝顔を向かいの席に座る二人は微笑ましく見つめる。涼花は二人を見て、ね、可愛いでしょ?と聞いた。

「いつも無愛想な顔しか見ないからこういうのいいね。涼花ちゃんが来てから沢田さんのいろんな顔見れて楽しいわ。」

「でもさー奈々緒ってば涼花さんにばっかり笑って俺には睨んでくるんだよ。酷いよね。」

「それはカルマさんが悪いんです。」

するりと会話に入り込むカルマに涼花は言葉を返す。その表情にカルマは冷や汗を流した。

「私カルマさんに言いましたよね。ナオちゃんは馴れ馴れしくする人が苦手だと。強引にいかないで欲しいと。」

涼花の目は笑っておらず静かな怒りを携えていた。

藤塚涼花は明るく活発な生徒であり、人との争いを好まない穏和な生徒であると彼女と同じクラスの皆は口を揃えて話すだろう。いつも笑みを浮かべ怒るところを見た者はまだおらず、先生の無茶な要求でも何かあってもあらあらと頬に手を当て微笑む。

それは大切な親友と呼ばれる友が誰かと諍いを起こしそうになっても変わらない。決して親友の肩を持つことはなく両者の間に立ち進んで仲裁に入るであろうその彼女が怒っている。

涼花の静かな怒りにカルマは言葉を失う。彼だけではない。原や狭間も彼女の怒りに驚き固唾を飲む。

「これ以上やると私が怒りますよ、カルマさん。」

じっと見つめる瞳に気圧されてカルマはわかったと素直に答えた。それを聞くと彼女はいつも通りの笑顔で笑う。もはや別人ではないのかと言うあまりの変貌っぷりにそれを見た三人は彼女は怒らせないようにしようと決心した。

「ナオはカルマさんのことを本当に嫌ってるという訳ではないと思うので、もう少し接し方を変えると軟化すると思いますよ。」

「...本当に?」

「ええ、ナオ自身に聞いたわけではないですが、ナオはカルマさんに感謝してると思います。カルマさんは他の人が煙たがる中でも変わらずナオの側にいてくれた。例えそれがナオの望む形でなくとも...」

涼花は隣で健やかな寝息を立てる親友の手を握った。それに応えるように優しく握り返してくれる彼女を見て少し羨ましいと思った。

涼花には部屋の外に出るのすら許されない時期があった。唯一出れるのは仕事がある時のみ。常に監視され逃げようとすればすぐ部屋に連れ戻される。そんな地獄のような日々が続くことがあった。何度も何度も兄と慕う人々に助けを求めたがその声が届くはずがなく絶望の中に生きていた。

あの時誰かがいてくれたら...そんなもしもなどないとわかっているけれど考えることがある。しかしもし誰かがいたとしたら今の私は存在しないだろう。

「一人は寂しいです。側にいてくれる人がどれだけ支えになってくれるか...私にはわかります。」

一人ではないと思えることがどれだけ幸いなことであるか、彼女は知っている。そんな彼女の憂いを帯びた瞳に何かを感じ取ったのか誰一人二の句を告げず、静かに次の言葉を待った。

「ただナオは意地っ張りだから絶対に認めないんでしょうね。」

目を伏せふっと微笑むと先程見せた憂いなど最初から無かったかのように元の彼女に戻っていた。

「なんだか支離滅裂になってしまったような...私は何を伝えたかったのでしょうか?」

うーんとしばらく考え込みようやく思いついたのか手を叩いた。

「思い出しました!あれですよあれ、押してダメならってやつです。」

カルマさんは押しすぎなんですよ。引くことも覚えないと、と屈託のない笑顔を浮かべる。

「私だっていつも押せ押せでナオちゃんに接してないですよ。引き際を見極めることがナオちゃんと仲良くなれるコツです。」

その言葉にカルマはオッケーとゆるく笑い奈々緒の寝顔を撮って元の場所に戻った。

「あのさ涼花ちゃん、沢田さんに聞いてないのにいろいろ話して大丈夫なの?」

彼が戻って少し時間を置いてから原は口を開いた。今涼花が語ったことは全て憶測でしかなく、本当に奈々緒がそう思っているのかわからないからだ。その問いに数秒時間を置いて彼女ははいとしっかり頷いた。

「中たらずといえども遠からず、といった所でしょうか。それに本当にカルマさんのことが嫌いならナオちゃんはE組ここにいないですよ。」

中間テストの成績を考えれば学年50位以内に入っている時点で本校舎に復帰する条件は十分に満たしている。涼花も同じ条件を満たしているので一人で復帰するから見送ったという訳ではない。本当にE組カルマから離れたければ涼花を説得して二人で復帰するはずなのだ。後ろ髪を引かれる思いだが奈々緒にお願いされれば涼花は断れないだろう。

「それもそうね。」

「卒業するまでに進展するのか楽しみだわ。」

その前に殺せんせーを暗殺しないとね、と三人は顔を見合せて笑った。

◆  ◇  ◆

もうすぐ弟の苦手な小さな犬のいる家を通り過ぎる。門の向こうに犬の姿はまだなく、それでも怯える弟に私は姿が見えない間に通れば大丈夫だよと励まして手を引く。弟もそれを理解しているので急いで通ろうと足を速めるがタイミング悪く門の向こうから小さな犬が顔を出した。

小さな犬は前に撫でてくれた私のことを覚えていたようで甘えた声を上げた。それは弟にはよほど恐ろしい声に聞こえたのだろう。その場で固まって大きな声を上げ泣き出してしまった。

私は弟を安心させるために犬を撫で、門が開かないことを弟に見せようとした。だが運が悪いことにその日は門が施錠されておらず開いてしまい、すぐさま門の隙間から小さな犬は飛び出して私に駆け寄ってくる。その勢いに私はバランスを崩して尻もちをつくのだ。

その様を犬に襲われたと勘違いした弟はさらに大きな声を上げて泣きじゃくり、私は何度も大丈夫と言い立ち上がって弟に駆け寄る。小さな犬はそれを見て私を追いかけた。

「============」

弟は声を上げた。数歩歩けば転んでしまうようなドジな性格なのにその日は必死になって私に向かって走り、そして私と犬の間に立ち塞がる。

──その日、私は光を見た。全てを包み込む暖かで優しい光だ。私はその光に魅せられた。

そうだ。これは私が初めてこのままでは駄目だと強く思った時の記憶だ。弟に守られないほど強くあらねばならないと強く決意した日の。

・ ・ ・

優しく揺り動かされ微睡みから目覚める。寝惚け眼を擦り大きな欠伸をすると親友はおはよう。もう着いたよと笑う。半分も覚醒していない頭で状況を理解し立ち上がると親友は私の荷物を差し出して言う。

「何か夢でも見てましたか?とても気持ち良さそうに寝てましたよ。」

「んー...小さい頃ツナがチワワにビビってお漏らしした時の夢を見てた。」

「ああ、あの時の!あの後ナオちゃん言ってましたよね。」

弱い弟に守られるなんて情けない。私は弟に守られないぐらい強くなるんだ、と。

なんであの時そう思ったのかわからなかったが、あの時から予感めいたものがあったのだろう。弟の将来についての予感めいたものが。

あと何年弟を守ってあげられるだろうか...近付いてくる終わりにちくりと胸が痛んだ。

投稿日:2018 / 02 / 09
最終更新日:2026 / 10 / 18