02

黒い色には気をつけろ。

今日も教室から生徒の楽しそうな声が聞こえてくる。もうすぐ始業の鐘がなる時間だ。そろそろ登壇の支度をしなくては。月を爆破したと言う彼は穏やかに笑い名簿を取り出す。そこで彼は気付いた。先程まで騒がしかった教室が静かになったのを。
一体どうしたのだろうか。耳を澄ませる彼はまただと話す生徒達の声を拾った。またとはどういう意味か、気になって少し早く職員室から出た。

あくまで冷静に、気にしてない風を装いドアを開く。ぱっと見て特に変わったことは見受けられない。では何が“また”なのか、教室を見渡すと一人だけ彼から姿を隠すように座る生徒を見つけた。

(沢田さん...ですか。)

彼女はE組の生徒の中で特に気になる生徒だ。ここの担任になってから今まで、彼女が誰かといるところを見たことがない。一人だけ、渚君とだけ話はするようだ。他の生徒は彼女を煙たがっているという印象を受けた。

確かに、彼女は学校で一、二を争う問題児として扱われている。とは言っても彼女の授業態度は極めて良好、苦手科目はあるものの学年でも上位の成績を誇っている。質問にも丁寧に答え、本当に問題があるのかと疑問に思うほどに。
そう思っていたが彼女の顔を見てその考えは吹っ飛んだ。

「ニュヤーーーーッ!!!!沢田さん!その怪我どうしたんですか?!?!!?!」

彼女の右頬に大きなガーゼが貼られていた。遠目から見てもその場所が腫れていることははっきりとわかる。
なるほど。隠れていたのは怪我を見せないためか。どうしてあんな怪我を?転んだり、何かの事故でできたものとは思えない。そもそもそう言った理由なら隠す意味は。

近付いて怪我を見ようとすると手を振り払われた。その目は怒りを含んでいる。執拗に聞くのは悪手だろうがそのまま放って置けるわけがなかった。

「沢田さん正直に答えて下さい。どうしてそんな怪我をしたのか。」

怪我は頬だけではなかった。冬服のため見えている肌の範囲は少ないが無数の擦り傷や切り傷が見える。きっとその下にももっと多くの傷があるに違いない。虐待、いじめ、喧嘩、さまざまな理由が頭を過った。しかし彼女は別にと、短く淡白に答えるだけだった。彼女は、

「先生に言って、それでどうなるって言うんですか。」

怪我していない方で頬杖をつき、

「怪我の理由、いろいろ考えてるみたいですが、この怪我は家族にやられたり喧嘩でできたものじゃないですよ。」

何を思い出したのか自嘲気味に、

「自業自得ですよ。私とあいつの問題だから、先生は気にしないで下さい。」

と吐き捨てるように呟いた。
見上げる目は空虚でその瞳は誰も映していない。こちらを見ているようで見ていない目。それは人と関わるつもりが無いことを雄弁に伝えていた。だが彼はもうすでに、その態度が虚勢であると確信していた。そう判断出来たのも昨日の事件があったからだが......

彼女はE組を流れているものとは違った諦念を抱いている。長年の何かが積み重ねでこびりついたものだ。
これは手間がかかりそうだ。彼は内心で緩く笑った。
彼女が他人と向き合う時、それはきっと彼らの大きな力になるだろう。彼女には秘められた大きな力がある。なぜかそう思えた。

「......わかりました。無理に聞こうとはしません。ですが、もし沢田さんが対処できないようなことが起きたら。その時は遠慮なく先生を頼って下さい。皆さんもです!私はあなた達の標的ですがその前に担任でもあるのだから。...さあ気を取り直してHRを始めましょう!日直の人は号令を!」

彼の声に数瞬遅れて起立!と、声が上がった。ガタッと音を鳴らして立ち上がる生徒。彼女は眉を顰めていたが何も言わずそれに倣った。

(安心して下さい。何があっても私はあなた達から手を離しはしません。約束しましたから。)

約束を果たすだけではない彼は今の繋がりを何よりも大事だと考えている。今はバラバラでいい。いつかその繋がりが一つの大きな輪になる日を夢見て、彼は今日も教壇に立つ。